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遂に6月も終盤となりました。朝の仕事のあと急いで渋谷へ行き代官山道場で技術委員会の会議でした。技術委員会では極真会館の技術や稽古体系や礼法や道場でのマナーなどの組織的なスタンダードを作って後世に残して行く作業をしています。そこに自分も関わる事が出来てとても光栄ですし頑張らなくてはいけないと思っています。極真会館が残らなければ私の運営する道場も後世に残す事は出来ないと思っています。悲しいかな単体の道場は組織のルールに縛られず自分の好きな我活動が出来て自分の利益のために活動が出来ますが、自分がこの世から消える時にはその道場も消えて行ってしまうと思います。余程の規模の組織と活動して行く理念や意思があって、後世の人が習いたいと思うほどの稽古体系や技術体系や競技体系や競技大会を持っていなければな100年200年、組織を残す事は出来ないと思います。自分がいなくなったあとに世の中がどうなるか?は分かりませんが次の人達にバトンはしっかりと繋ぎたいと思っています。
葬儀場で掃除の仕事をするようになり、お葬式を身近に感じるようになりました。人の死をより身近に感じるようになり、おそらく自分が死んだ後もこんな感じなのだろうと考えたりする事が多くなりました。子供達が20歳になるまでは絶対に死ねないと思っていますが、次男が20歳になる時は私は60歳です。それから10年生きるか20年生きるかは分かりませんが、今まで生きて来た時間よりは残された時間は圧倒的に少ないなと思います。だからこそ一生懸命に生きなければ行けないと思い、毎日頑張って働いています。
空手での不思議な体験をもう一つだけ書きたいと思います。空手での不思議な体験シリーズはこれで終わりとなります。最後は2000年に行われた第32回全日本空手道選手権大会に27歳で出場した時の事です。3回戦の住谷統選手と対戦した時なのですが、延長2回まで戦ったのですが、動いても動いてもとても心地の良い苦しさで、技をもらってももらっても心地良い痛みでどんどん闘志が湧いてきて、延長戦2回目のラスト30秒と聞こえた時も「あ〜もう終わってしまうんだ〜!もっと戦っていたいなー!」と思ったぐらいでした。ランニングしていてランナーズハイになったのと似ていると思います。この感覚はこの後に4回体験しました。これもとても不思議な体験でした。
空手での不思議な体験をもう少し書こうと思います。これは試合での体験なのですが私が25歳の時に1998年4月の千葉県大会で野地竜太と対戦した時に起きました。延長戦2回目の時に私は限界だと思うぐらい苦しくなり「あ〜もう限界だ。」と心のなかで呟きました。そしたら自分が自分に話しかけてくるような感じで「こんなチャンス2度とないぞ!ここであきらめたら何のために東京に来たんだ!もう一息だ!頑張れ!」と自分が自分に言って来たのです。それが試合中に何度もありました。自分と自分がずっと会話していた感じでした。自分が自分に励まされながら戦っている感じでした。そしてその自分と自分の会話をもう1人の自分が眺めているような感じがしました。とてもとても不思議な体験でした。でもその後9年試合に出ましたが、そんな事は2度と起こりませんでした
私は空手をやっていて不思議な体験をした事があります。先ずは失神した体験です。私は完全に失神した事が3回あります。試合で1回で稽古で2回なのですが、3回ともケースが違うのですが、1回は失神したあとに長い長い夢のようなものを見ていました。その夢ようなものは暗い所を迷いながら出口を探してずっと歩いていました。何故、夢のようなものと書いたのかと言うとそれは夢とは思えないぐらいリアルな体験だったからです。しかも遠くで自分を呼ぶ声が聴こえて、その方向に歩いて行くとどんどん声が大きくなり、目を開けるとみんなが私の名前を呼んでいました。1回は失神したあと気が付くと、失神している自分を少し遠く上の方で見ていて「何で自分は稽古中に寝ているのだろう?」と思いました。みんなが私の周りを囲んでいました。目を開けると同じ感じでみんなが私の周りを囲んでいました。1回は試合で上段回し蹴りをもらい失神しました。急に一瞬意識が途切れて気づいたら試合場で起きたのですが、何故自分は試合をしているのか?がよくわからない感じでした。たぶん前の日ぐらいからの記憶が消えていた感じだと思います。起きたあと医師からいろいろ説明を受けて時分が負けた事を知り、体育館の天井を見ながら泣きました。そしてこれも不思議なのですが、試合場を降りてから1時間ぐらいの記憶が全くありません。相手に挨拶をし控室で1人で座って黙っていたそうですが、道場生とは時折話したりしていたそうです。その記憶が今だに全くありません。ハッと気が付た所から私になりました。道場生から聞くとその間は寝たり失神したりはせず普通に話したり考え事をして何か呟いたりしていたそうです。今考えるとこれが1番怖いなと思います。その小一時間の自分はいったい何だったのだろう?誰だったのだろうと思います。もしかしたらそのまま自分として生きていた可能性もあります。本当に怖いです。残された人には申し訳ありませんし悲しませる事になりますし迷惑をかけますが、意識を失って死ぬのは死に方としては悪くはありません。頑張っている中で一瞬で意識が途切れて終わっているので、怖さも痛さもありません。でもそのあとに自分じゃない自分で生きて行く事になったり、自分が誰なのかよく分からずに生きて行く事になったり、それまでの記憶が全部なくなり大切な人まで思い出せなくなったりして生きて行く事は本当に怖いです。私はそうならなくて幸運でした。今も健康で稽古出来ている事に心から感謝です。選手は死んでも良いと思って頑張っているのだと思います。でも現実は残酷です。選手を辞めてからの人生のほうが全然長いです。選手の皆さんには自分を大切にして欲しいなと思います。
人間関係において自分のルールを人に押し付ける事は出来ません。それは自分が正しいと思う事もです。それが相手のためになると思う事もです。ですが自分の中に譲れないルールがあるなら、それは最初に伝えた方が良いと思います。そうすると妥協するのか、決別するのか、少し距離をとって友好的にするのかを先に決めて付き合っていけるので、喧嘩になって絶交する事はなくなります。それは組織も同じです。その会社や道場やジムや施設には最初からルールがあるのだから、それを守りたくない人はそこに入るべきではないし、途中で守りたくなくなった人はそこを去れば良いだけです。もし妥協してでも続けたいと思うなら妥協して守れば良いだけです。でも個人の人間関係においては最初に自分の譲れないルールを伝えあって、お互いに相手の譲れないルールを妥協していけば上手く行くと思います。そしてなるべく人とは協調し合って行きたいと思っています。
私は6月から仕事を始めたので朝は6時20分に起きています。私は52歳にして開眼した事があります。それは朝起きた時に「眠いな〜、起きたくないな〜。」と思わなくなった事です。じゃあ朝はシャキッと起きて元気いっぱいなのか?と言うとそう言う事ではありません。ぶっちゃけて言うと眠いです。私は52年生きて来た訳ですが、眠くない朝は1度もありませんでした。起きる時はいつも多少なりとも眠いです。なので眠いのは当たり前だと思うようにしました。何時間眠ろうと起きる時は眠いものだと思うようにしたのです。そしたら、朝起きるのがキツくなくなりました。またいつも通りに眠いだけだから、今日もいつも通り頑張ろう!と思って、サッと起きれるようになったのです。朝は眠くて当たり前、朝はダルくて当たり前、そう思ってしまえば、朝もそんなには嫌ではなくなるものです。結局は気の持ちようと言う事だと思います。
今の自分を変えなければ、おそらく未来の自分はそんなに変わっていなく、自分の未来も今とそんなに変わっていないのだろうと思う。今だけのために頑張るのではなく、未来のために頑張らなくてはいけないと思います。今の自分が1番輝いていると常に言える自分でいたいと思います。今の自分が過去最高の自分だと常に言えるように頑張りたいと思います。だから昔の自分になんて絶対に負けたくありません。昔の自分に今の自分がもし負けるのなら、その時から今まで生きて来た自分の人生はいったい何のために生きて来たのだろうと思ってしまいます。だから常に頑張って生きて行きたいと思います。その気持はたぶん60歳になっても70歳になっても80歳になっても90歳になっても100歳になっていたって変わらないだろうと思います。これからが本当の戦いだと思っています。
人の人生は身の丈にあっているのが1番だと思います。私の人生はまさに身の丈にあった人生を歩んでいると思います。身の丈にあわない物を身の丈にあわない時期に手にしていたら、それを失ってしまうか、もしくはその事で身を持ち崩していたか、大きな失敗をしていたと思います。そう考えると私は本当に運が良いと思います。大きな物を手にしたいなら自分の身の丈を大きくしていかなくてはいけません。私は今でも自分の身の丈を大きくしようと頑張っています。
今日は15日なので 鷲神社に参拝し道場の神棚の榊、米、塩、酒、水を変え神前に手を合わせ、個人レッスンを行いました。自分のトレーニングや稽古もしました。休みの日は自分のやりたい事に時間を使える貴重な日です。休みの日も空手の指導をしていると言う事は空手の指導は私にとって自分のやりたいことなのだと思います。
kanno
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