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2025年06月29日(日) 2025年夏季昇級審査会と支部内交流試合が終了

私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2025年夏季昇級審査会と夏季極真ルール組手競技支部内交流試合が終了しました。審査会も支部内交流試合も参加人数が減ってきてしまっていますが、初めて昇級審査を受けた道場生が2名いましたし、今年は入門者も順調に増えているので、来年ぐらいには、また審査会も支部内交流試合も参加人数が増えて来ると思います。試合後には一般部に参加したいと言う少年部の生徒が2人いたので、また道場も発展して行くと思います。2025年もこれで半分を終了した事になります。あと半分も頑張って行きたいと思います。


2025年06月28日(土) 琥白の中学生最後の試合

道場がお休みだったので、長男の野球の試合を初めて観に行く事が出来ました。場所は大田スタジアムで大田区大会の3位決定戦でした。長男にとっては、これが中学生生活最後の試合となります。長男は勉強もしないし、空手の稽古もサボっていますし、学校へも毎日ギリギリに起きてギリギリに家を出ていきます。でも休みの日の野球にだけは朝4:30に起きて行ったりします。夜も遅くまで外で素振りをしたりしています。練習もサボらずに頑張っていました。努力しているのを知っているから、最後ぐらい試合に出れると良いなと思って見ていました。試合前に長男が練習している姿を見て、野球をしている時は楽しそうでとてもイキイキとしているなと思いました。けっこう良い動きをしていました。好きは物の上手なれと言うことかなと思いながら見ていました。長男は最初は3塁のコーチャーをしていたので試合には出れないのかな?と思っていましたが、5回裏の攻撃の時に8番菅野と掲示板に名前が載り「8番菅野、背番号11」とアナウンスされました。琥白が以前、私に「大田スタジアムで自分の名前が電光掲示板に出て、自分の名前がアナウンスされたら凄いよね!」と言っていたのを思い出し涙が出てきました。夢を叶えた瞬間を琥白はどう感じているのだろうと思いました。結果は三振でしたが、自分の今までを込めたフルスイングだったと思います。試合は負けてしまいました。試合後の長男はとても悔しがっていました。帽子を地面に叩きつけて悔しがっていました。(良い態度ではないので説教しました。)あんなに感情をあらわにして悔しがっている琥白を私は初めて見ました。野球を初めてから一生懸命に練習して来た事や休みの日に朝早く起きて試合に行っても試合に出れなかった事や今までのいろんな事が溢れ出たのだろうと思いました。最後に野球場で記念撮影が出来ると言うので写真を撮りに行きました。琥白は良い顔をしていました。1つ成長したのかな?と思いました。最後の回であと一人でもう1度バッターボックスに立つチャンスがありましたがランナーに出ていた選手がアウトになり、琥白の出番は無くなってしまい試合が終了しました。その事を琥白に聞くと「その前の打席で自分が打っていたら1人打者が進んだわけだから、前の打席で自分が打てなかったのが悪かった」と言っていました。団体競技から学べる事もたくさんあるんだなと思いました。琥白の頑張っている姿はとても輝いていました。「琥白、本当にカッコ良かったよー!琥白が頑張っている姿を見てとても幸せな気持になりました!そんな瞬間を僕にくれてありがとう!」


2025年06月27日(金) 個人レッスン

外部からの個人レッスンの依頼が増えて来ました。習う人のニーズに応えて指導するのはとても楽しいです。相手の求めている事を教えるために、自分の経験と知識から稽古メニューを作って指導して行きます。またその人の躓いた所で立ち止まって、それを改善する稽古をまた考えて指導して行きます。そうすると同じ技を教えるにもその人その人によって全然変わって来ます。これがお釈迦様がその人その人に教える時に用いた方便と言うものなのだなと思いました。普段の稽古では10名〜20名で稽古するので、皆のことを考えて稽古を進めて行きますので、1人が出来ないためにずっとその稽古をするわけにも行きません。でも個人レッスンはその人その人に寄り添って稽古を進められるので、私もいろんな引き出しから稽古方法を考えて稽古を進めて行きますし、その人が出来るまで教える事が出来るので、教えていてもとても楽しいです。


2025年06月26日(木) ハマった漫画

私が今までで最高にハマった漫画を書こうと思います。今日はランキング形式でも読んだ順番でもなく思いついた順に書いていきます。「リングにかけろ」「風魔の小次郎」「男坂」「聖闘士星矢」「キン肉マン」「ブラックエンジェルズ」「キャプテン翼」「Dr.スランプアラレちゃん」「ドラゴンボール」「北斗の拳」「嗚呼男塾」「幽遊白書」「レベルE」「HUNTER×HUNTER」「ジョジョの奇妙な冒険」「NARUTO」「ジャングルの王者ターちゃん」「珍遊記」「スラムダンク」「ろくでなしブルース」「ルーキーズ」「天地を喰らう」「ワンピース」「呪術廻戦」「鬼滅の刃」 「とってもラッキーマン」「3年奇面組」「ハイスクール奇面組」「るろうに剣心」「ダイの大冒険」「激極虎一家」「花の慶次」思いつくままに書きましたがこんな感じです。とりあえず今日は週刊少年ジャンプの作品を書いてみました。


2025年06月25日(水) 1つの事を長く続けるには

私は15歳で空手を始めました。なので空手歴は37年です。あと3年で空手歴も40年です。何故今まで1つの事を続けて来れたのか?先ずは本当に好きだからです。本当に好きじゃなかったら稽古での苦しい事や辛い事に耐えられなかったと思います。そして本当に好きだから生活面での金銭的な苦労や稽古以外での理不尽な事だって耐えて生き残る事が出来のだと思います。次は空手しか出来る事が無かったからです。貧乏な時や試合で結果が出なく自分の人生に悩んでいた時に、他にお金を稼ぐ方法があったり、他に生き甲斐を見つける事が出来たらそちらに行ってしまったかもしれません。器用な人はみんな空手を辞めて違う道で成功して行きました。私にはそんな器用さも能力も無かったので、この道で頑張るしか方法が無かったと言えるのかもしれません。そして最後に自分の好きな事を職業に出来たからだと思います。もし他の仕事をしてお金を稼いでいたら趣味どころではない状況になり辞める事になったかも知れませんし、仕事が終わって毎日稽古が出来た訳ではないと思います。ジムや道場や習い事を休んだとしても、どんな人も毎日、仕事には行くわけですから、もし習い事や趣味が仕事だったら、みんな毎日、それを出来たのかも知れません。私が言いたいのは、1つの事を長く続けたければ、自分が本当に好きな事をやる。それしかやりたい事がない、それしか出来ないと言う人間になる。自分の好きな事を仕事にする。これが大切だと思います。


2025年06月24日(火) 技術委員会

遂に6月も終盤となりました。朝の仕事のあと急いで渋谷へ行き代官山道場で技術委員会の会議でした。技術委員会では極真会館の技術や稽古体系や礼法や道場でのマナーなどの組織的なスタンダードを作って後世に残して行く作業をしています。そこに自分も関わる事が出来てとても光栄ですし頑張らなくてはいけないと思っています。極真会館が残らなければ私の運営する道場も後世に残す事は出来ないと思っています。悲しいかな単体の道場は組織のルールに縛られず自分の好きな我活動が出来て自分の利益のために活動が出来ますが、自分がこの世から消える時にはその道場も消えて行ってしまうと思います。余程の規模の組織と活動して行く理念や意思があって、後世の人が習いたいと思うほどの稽古体系や技術体系や競技体系や競技大会を持っていなければな100年200年、組織を残す事は出来ないと思います。自分がいなくなったあとに世の中がどうなるか?は分かりませんが次の人達にバトンはしっかりと繋ぎたいと思っています。


2025年06月23日(月) 死を身近に感じる

葬儀場で掃除の仕事をするようになり、お葬式を身近に感じるようになりました。人の死をより身近に感じるようになり、おそらく自分が死んだ後もこんな感じなのだろうと考えたりする事が多くなりました。子供達が20歳になるまでは絶対に死ねないと思っていますが、次男が20歳になる時は私は60歳です。それから10年生きるか20年生きるかは分かりませんが、今まで生きて来た時間よりは残された時間は圧倒的に少ないなと思います。だからこそ一生懸命に生きなければ行けないと思い、毎日頑張って働いています。


2025年06月22日(日) 空手での不思議な体験3

空手での不思議な体験をもう一つだけ書きたいと思います。空手での不思議な体験シリーズはこれで終わりとなります。最後は2000年に行われた第32回全日本空手道選手権大会に27歳で出場した時の事です。3回戦の住谷統選手と対戦した時なのですが、延長2回まで戦ったのですが、動いても動いてもとても心地の良い苦しさで、技をもらってももらっても心地良い痛みでどんどん闘志が湧いてきて、延長戦2回目のラスト30秒と聞こえた時も「あ〜もう終わってしまうんだ〜!もっと戦っていたいなー!」と思ったぐらいでした。ランニングしていてランナーズハイになったのと似ていると思います。この感覚はこの後に4回体験しました。これもとても不思議な体験でした。


2025年06月21日(土) 空手での不思議な体験2

空手での不思議な体験をもう少し書こうと思います。これは試合での体験なのですが私が25歳の時に1998年4月の千葉県大会で野地竜太と対戦した時に起きました。延長戦2回目の時に私は限界だと思うぐらい苦しくなり「あ〜もう限界だ。」と心のなかで呟きました。そしたら自分が自分に話しかけてくるような感じで「こんなチャンス2度とないぞ!ここであきらめたら何のために東京に来たんだ!もう一息だ!頑張れ!」と自分が自分に言って来たのです。それが試合中に何度もありました。自分と自分がずっと会話していた感じでした。自分が自分に励まされながら戦っている感じでした。そしてその自分と自分の会話をもう1人の自分が眺めているような感じがしました。とてもとても不思議な体験でした。でもその後9年試合に出ましたが、そんな事は2度と起こりませんでした


2025年06月20日(金) 空手での不思議な体験

私は空手をやっていて不思議な体験をした事があります。先ずは失神した体験です。私は完全に失神した事が3回あります。試合で1回で稽古で2回なのですが、3回ともケースが違うのですが、1回は失神したあとに長い長い夢のようなものを見ていました。その夢ようなものは暗い所を迷いながら出口を探してずっと歩いていました。何故、夢のようなものと書いたのかと言うとそれは夢とは思えないぐらいリアルな体験だったからです。しかも遠くで自分を呼ぶ声が聴こえて、その方向に歩いて行くとどんどん声が大きくなり、目を開けるとみんなが私の名前を呼んでいました。1回は失神したあと気が付くと、失神している自分を少し遠く上の方で見ていて「何で自分は稽古中に寝ているのだろう?」と思いました。みんなが私の周りを囲んでいました。目を開けると同じ感じでみんなが私の周りを囲んでいました。1回は試合で上段回し蹴りをもらい失神しました。急に一瞬意識が途切れて気づいたら試合場で起きたのですが、何故自分は試合をしているのか?がよくわからない感じでした。たぶん前の日ぐらいからの記憶が消えていた感じだと思います。起きたあと医師からいろいろ説明を受けて時分が負けた事を知り、体育館の天井を見ながら泣きました。そしてこれも不思議なのですが、試合場を降りてから1時間ぐらいの記憶が全くありません。相手に挨拶をし控室で1人で座って黙っていたそうですが、道場生とは時折話したりしていたそうです。その記憶が今だに全くありません。ハッと気が付た所から私になりました。道場生から聞くとその間は寝たり失神したりはせず普通に話したり考え事をして何か呟いたりしていたそうです。今考えるとこれが1番怖いなと思います。その小一時間の自分はいったい何だったのだろう?誰だったのだろうと思います。もしかしたらそのまま自分として生きていた可能性もあります。本当に怖いです。残された人には申し訳ありませんし悲しませる事になりますし迷惑をかけますが、意識を失って死ぬのは死に方としては悪くはありません。頑張っている中で一瞬で意識が途切れて終わっているので、怖さも痛さもありません。でもそのあとに自分じゃない自分で生きて行く事になったり、自分が誰なのかよく分からずに生きて行く事になったり、それまでの記憶が全部なくなり大切な人まで思い出せなくなったりして生きて行く事は本当に怖いです。私はそうならなくて幸運でした。今も健康で稽古出来ている事に心から感謝です。選手は死んでも良いと思って頑張っているのだと思います。でも現実は残酷です。選手を辞めてからの人生のほうが全然長いです。選手の皆さんには自分を大切にして欲しいなと思います。


kanno

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