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長男と次男と3人で多摩川浅間神社に行きました。この多摩川浅間神社は長男が3歳の頃に妻が体調を崩しどこにも行けない長男を私がサイクリングに連れて行った時に偶然見つけた場所でした。多摩川浅間神社にはたけくらべという石碑があり、それで身長を計れます。そこに長男を立たせて写真を撮りました。そして神社に参拝し長男が大きくなりますようにと祈りました。それから定期的に長男と次男を連れて多摩川浅間神社に来ていました。昨年の8月28日に来た時はまだ少し私の方が背が高かったのですが、今年の4月2日に長男に身長を抜かされました。その時から多摩川浅間神社にお礼参りに来たいと思っていたなですが、長男となかなか時間が合う事がなく来る事が出来ませんでした。やっと今日、多摩川浅間神社に来る事が出来ました。たけくらべの石碑に長男と2人で立って写真を撮りました。遂にこんな日が来たんだなと感慨深い気持になりました。次男が熱中症になってしまい、氷で冷やしたり、病院で休ませてもらったりとアクシデントはありましたが、多摩川浅間神社に参拝し、元巨人軍の練習場の多摩川グラウンドを見て、巨人軍の選手がよく利用していたグラウンド小池商店にも行きましたが昨年の12月31日を持って閉店していました。長男も次男もとても残念がっていました。長男と次男と3人でキャッチボールをしました。なかなか楽しかったです。ふと長男と多摩川浅間神社に来るのはこれが最後になるかもな?と思いました。またいつか一緒に来たいなと思います。
久しぶりに長男と次男と3人で映画を観に行きました。長男は鬼滅の刃を観て、私と次男はファンタスティック4を観ました。長男はもう1人でどこかに出かけたり、友達とどこかに出かけたりするので、長男と一緒にどこかに行くのは本当に久しぶりでした。この休み中に長男とどうしても一緒に行きたいところがあるので、頑張って長男を誘いたいと思っています。
どこかの感覚を閉じるとその他の感覚が鋭くなると言いますが、私も今日そんな事がありました。お風呂でシャンプーをしている時に目を瞑っているとリビングから妻が料理をして何を焼いているパチパチパチと言う音と次男の可愛い声と妻の声が聴こえて来ました。たぶんいつもは何気なく聴いている音なのでしょうが、目を閉じていた事もあり、その音がとても心地よく聴こえ心に響くように聴こえました。その音を聴きながら、この音とこの幸せな気持を一生忘れないようにと心に刻み込みました。
私が生観戦した心に残る凄い試合第10弾です。もっともっと心に残る試合はあるのですが、このシリーズはこれでいったん区切りを付けたいと思います。第10弾は1997年11月29日NKホールで行われたVALE TUDO JAPAN '97のフランク・シャムロックvsエンセンです。結果は2ラウンド7分17秒セコンドのリングインによるエンセン井上選手の反則負けでした。元PANCRASEの暫定チャンピオンだったフランク・シャムロック選手とシューティングのチャンピオンのエンセン井上選手の壮絶な殴り合いでした。最終場面ではフランク・シャムロック選手の膝蹴りでエンセン井上選手が崩れ落ちたのでフランク・シャムロック選手のKO勝ちと言って良いと思いますが、エンセン井上選手のセコンドがレフリーが止める瞬間にリングに乱入してしまいました。良い試合だっただけにとても残念に感じました。
私が生観戦した心に残る凄い試合第9弾です。2003年11月9日に東京ドームで行われたPRIDEミドル級グランプリ決勝戦ヴァンダレイ・シウバvsクイントン・ランペイジ・ジャクソンです。試合の前の2人は相手から目を離さずに軽く身体を揺すっていました。その姿は本当に野獣のように見えました。檻の柵の前にある得物に飛びかかろうと柵が開く瞬間を待っているようにゴングが鳴る時を待っているようでした。そしてゴングが鳴ると超アグレッシブな2人は壮絶に殴り合い最終的にはヴァンダレイ・シウバが1R 6:28膝蹴りでTKO勝ちをしました。本当に同じ人間には思えないような2人の壮絶な戦いでした。スポーツを観るような感覚ではなく野獣同士の戦いを見ているような感覚でした。
私が生観戦した凄い試合第8弾です。シュートボクシング GROUND ZERO YOKOHAMA 1996年1月27日に横浜文化体育館で行われた村浜武洋vsチャモアペット・ チョーチャモアンです。シュートボクシングのチャンピオンの村浜武洋選手とムエタイの9冠王のチャモアペット・ チョーチャモアン選手の対決は本当にスリリングで素晴らしい戦いでした。結果は5ラウンド判定でチャモアペット選手の勝利でしたが村浜武洋選手の根性が凄かったです。これは私の主観ですがシュートボクシングの選手は根性がある選手が多いです。そしてとても礼儀正しい選手が多いです。シュートボクシングには私の好きな選手もたくさんいます。シーザー武志、平直行選手、吉鷹弘選手、大江慎、岩下伸樹、緒形健一、みんな礼儀正しく根性があって素晴らしい選手でした。チャモアペット選手の左ミドルと左膝蹴りが本当に凄かったです。もう見ていてカッコイイなーと思いました。次の日には左膝蹴りをスパーリングで連発していました。村浜武洋選手のステップワークとパンチの連打も凄かったです。実は何ですが、私は極真空手の次に好きだった格闘技はシュートボクシングでした。
私が生観戦した心に残る凄い試合第7弾です。私も格闘技は大好きだったので、極真空手、全日本キックボクシング、MAキックボクシング、大道塾、k-1、PRIDE、PANCRASE、新空手、シューティング、シュートボクシング、ボクシング、UWFインター、東京に来てからはいろんな試合を観戦に行きました。格闘技が本当に熱い時代でした。せっかくなのでもう少しこのシリーズを続けたいと思います。第7弾に選んだ試合は、1999年11月7日に東京体育館で行われた第7回全世界空手道選手権大会の決勝戦フランシスコ・フィリョvs数見肇です。いろいろ格闘技の試合を観てきたけれども、この試合より緊張感を持って手に汗握って見た試合はありません。この決勝戦は東京体育館のお客さんがみんなシーンと静まり返って見ていました。みんなどうなるのだろう?と固唾をのんで試合を真剣に見ていたのだと思います。結果は延長2回は引き分けで試し割り判定でフランシスコ・フィリョ選手が優勝しました。極真史上初の外国人選手のチャンピオンが生まれた瞬間であり、日本の王座が奪われた瞬間であり、日本最強の選手が敗れた瞬間でした。極真空手が出来て60年になりますが、外国人最強の選手はフランシスコ・フィリョ選手だと思います。そして日本人最強の選手は数見肇選手だと思います。同じ時代に最強の2人がいて、この時はフランシスコ・フィリョ選手に勝利の女神が微笑んだのだと思います。実際第6回全世界空手道選手権大会で行われた準々決勝戦でフランシスコ・フィリョ選手と数見肇選手が戦い、数見肇選手が試し割り判定で勝っています。フランシスコ・フィリョ選手と数見肇選手の戦いは間合いが緊迫していて2人のオーラが見えるような戦いでした。
私が生観戦した心に残る凄い試合第6弾です。1995年11月5日に東京体育館で行われた第6回全世界空手道選手権大会の準々決勝、数見肇vsグラウベ・フェイトーザです。これは生観戦したと言ってもお客さんとしてより一緒に稽古をしたり食事に行ったりさせて頂いている、数見先輩の応援に行っていたという感じでした。この試合は私が東京体育館で聞いた歓声では1番大きな歓声でした。大げさではなく東京体育館がワーッと言う歓声で包まれた感じでした。あんな事はこの30年で起きた事は1度もありません。それこそK-1やPRIDEで聴いた歓声よりも大きかったです。試合は試合の中盤にグラウベ・フェイトーザ選手に数見先輩がボディを効かされ、グラウベ・フェイトーザ選手のパンチと膝蹴りの猛攻撃をくらい、劣勢ながら下段回し蹴りを合わせ続け、なんとか凌いでいる状態で本戦が終わりました。結果は引き分けで延長戦に入りました。同じような感じなら、さすがに延長戦はグラウベ・フェイトーザ選手に旗が上がるだろうと、わたしは必死に声を出して数見先輩を応援していました。延長戦でも数見先輩は下段回し蹴りを蹴り続けました。だんだんとグラウベ・フェイトーザ選手が下段回し蹴りでグラついて来た所に数見先輩の下段回し蹴りが足払いになりグラウベ・フェイトーザ選手が転倒しました。技有りでも良いタイミングでしたが、主審は認めずで流しました。その後も数見先輩か下段回し蹴りを蹴り、遂に技有りを取りました。そのあとグラウベ・フェイトーザ選手は数見先輩の下段回し蹴りに戦意を喪失したように後ろを向いてしまい技有りになり、数見先輩の1本勝ちとなりました。私は数見先輩が勝った瞬間、立ち上がって泣きながら叫んでいました。私はあの時の数見先輩が極真空手最強の選手だと思っています。真を極めた強さだったと思っています。私達の世代の空手家で最強は数見肇先輩だと思っています。
私が生観戦した心に残る凄い試合第5弾です。2002年12月7日に東京ドームで行われたK-1 WORLD GP 2002 準々決勝で行われたアーネスト・ホーストvsボブ・サップです。この2人の戦いは約2ヶ月まえのGP1回戦で行われました。その時はボブ・サップ選手が大番狂わせを起しアーネスト・ホースト選手に1ラウンド終了時TKOで勝利をおさめました。なのでこの試合はアーネスト・ホースト選手のリベンジ戦と言う事になります。私は格闘技はやはり圧倒的になら身体の大きい方が強いと思っています。圧倒的な体力差の前では技術は通用しないと思っています。よく大山倍達総裁が力の中に技があると言っていましたが、力がなければ技は使えません。なので圧倒的に体格差と体力差があれば圧倒的に技術があったとしても負ける事があると私は思っています。だから私は体重制限のあるボクシングやキックボクシングではなく極真空手を選びましたし、力を付ける事や身体を大きくする為に食べて食べてウエイトトレーニングをして力を付けて身体を大きくしたのです。ですが私も当時は素人に毛が生えたボブ・サップ選手にミスターパーフェクトや精密機械と言われた技術力の塊であるアーネスト・ホースト選手が負けた事はとてもとてもショックでした。本当に圧倒的な体格差と体力差の前にはアーネスト・ホースト選手ほど完成された技術力を持っていても通用しないのか?その答えを見たい気持で東京ドームに足を運びました。1ラウンドにアーネスト・ホースト選手がボディブローでボブ・サップ選手からダウンを奪ったものの、結果は2ラウンドでボブ・サップ選手がKO勝ちをしました。私はアーネスト・ホースト選手がボブ・サップ選手に負けるのを見て呆然としました。やはり圧倒的な体格や体力を持つものが強いと言う事を思い知らされました。東京ドームから帰る時は本当にがっかりして帰りました。何故そんなにがっかりしたのかと言うと、このあとボブ・サップ選手が次の試合を棄権した事によりアーネスト・ホースト選手が決勝戦に出場となりました。そしてなんとなんと逆のブロックから決勝進出したジェロム・レ・バンナ選手に勝ってアーネスト・ホースト選手が優勝してしまったのです。ボブ・サップ選手に1回戦と準々決勝で2回負けたアーネスト・ホースト選手がジェロム・レ・バンナ選手に勝ってしまったのです。もう何とも後味の悪い大会でした。でもそれだけに心にも大きく残りました。
私が生観戦した心に残る凄い試合第4弾です。1993年4月30日に代々木第一体育館でフジテレビ主催のLIVEUFO内で行われた。記念すべきK-1グランプリ第1回目のイベントK-1 GRAND PRIX '93で行われた。当時立ち技最強と言われたモーリス・スミス選手と数カ月前に18歳の若さでそのモーリス・スミス選手を破ったピーター・アーツ選手を1回戦で破って上がって来たアーネスト・ホースト選手との準決勝戦のモーリス・スミスvsアーネスト・ホーストです。試合中ずっと主導権を握りモーリス・スミス選手をコントロールしていたアーネスト・ホースト選手が右のハイキックで失神KO勝ちでした。時代の流れが変わる瞬間を目にした事に興奮しました。この時のアーネスト・ホースト選手はとても凄いことをしたのですが、馬鹿みたいにはしゃいで喜ぶ事もなく相手に対しても尊敬と感謝の気持を感じました。私は極真会館に属していましたが、これは正道会館とK-1のブームが来るなと思いました。ですがやはりその頃のK-1はヘビー級の化物の闘いという感じでした。私は無差別の闘いに興味があり極真空手を始めたのですが、やはり感覚的に拳での顔面への攻撃がある競技では自分より身長が10センチも20センチも高く体重が20キロも30キロも多い外国人選手には勝てないどころか殺されてしまうと感じたのだと思います。プロレス同様やはり自分とは違う次元にいる怪物のような人達の闘いに感じていたのだと思います。なので日本人としてK-1で戦っていた佐竹雅昭選手や武蔵選手などの日本人選手は本当に凄いと思って見ていました。
kanno
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