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朝の仕事を終えて、急いで新幹線に乗り込み京都へ向かいました。京都に着き急いで電車に乗り円町にある島津アリーナで行われる審判講習会と支部長会議に参加しました。なかなか忙しい1日でした。夜は支部長の仲間と食事をしました。お互い忙しいのでこんな時ぐらいしか集まれませんが、情報交換をしたり、思い出話をしたり、話は尽きませんでした。明日から極真祭と全日本体重別空手道選手権大会が行なわれます。
私は人間の身体を動かす事に着いて直接的には不思議な力は何もないと思っています。もちろん気力や胆力や根性と言うもので不思議にも思える力の使い方や素晴らしいプレイが生まれたりもするのですが、不思議な力が人間の身体を動かす訳ではありません。脳が身体を動かす事では司令塔となります。車で言えば運転手の役目をします。だから運動神経が悪いとか不器用な事の原因は身体に指令を与える脳にあると思います。なのでよく自分の身体を観察してあーでもないこーでもないと思いを巡らせながら考えて感じて、自分の身体を動かす必要があると思います。何かが出来るようになる時はだんだんとではなく、何かのキッカケで骨を掴んだ瞬間に一気に出来るようになります。自分の身体がどの方向にどのように動かしやすいかと言う自分の身体の特徴を理解するため、そしてその可動域を広げて、自分の身体を大きく動かせるようになるために柔軟体操が大切になります。そして自分の身体のフレームとなる骨格を動かす筋肉は強ければ強いほど、自分の身体を速く動かせるようになりますし、自分の身体を強く動かせるようになり、重いものを持ち上げたり、押したり引いたりする事が出来るようになります。なのでやはり自分の身体を動かすうえで1番大切なのは筋肉と言う事になります。その身体を速く強く動かし続けるために大切なのは人間の身体のエンジンとなる心臓となります。なので柔軟体操と有酸素運動とウエイトトレーニングは必須となります。身体操作や技術を身に着けるため空手で言えば基本稽古や移動稽古や型やミットやスパーリングが大切です。その稽古の中で自分の得意な動きを編み出し、苦手な技も出来るようにしていきます。その柔軟体操やウエイトトレーニングや有酸素運動や身体操作の稽古の中で気力や根性や胆力が養われて行きます。これは私の考えですが、やはり身体を動かす事で1番大切な物は筋肉だと思います。脊髄などを損傷して脳が神経を通して筋肉に命令を出せなくなってしまえば人間は指一本動かす事は出来ません。と言う事は身体を動かすのは気力でも根性でも胆力でも気でも精神力でもありません。ましては骨が身体を動かすなんて事は絶対にありません。稽古をすればするほど自分の限界にぶつかります。それを受け入れて前に進んだり、時には後退したりしながら頑張る事をやめてしまうと不思議な力に頼りたくなってしまい、わけの分からない理論を言うようになってしまいます。そしてここで1番怖い事は、そのような事を言い出し始める年齢になる時には、自分の理論を否定してくれる人がいなくなってしまっている事です。私はそうならないよう自分の足元をしっかりと見て、常に自分を見つめ直して前に進んで行きたいと思っています。
家族が帰って来ました。家族が帰って来たのもつかの間で金曜から日曜まで私は極真祭のため京都に行きます。妻も長男も次男も東京に帰って来たばかりでまだスイッチが入ってない状態のようです。その気持ちは私もとてもよく分かります。福島での生活が楽しければ楽しいほど、心を元の位置に戻す事が大変になります。もうそんな事を繰り返して私も32年になりました。長男は霊山のアイスクリームを福島が実家だった同じ中学校の友達と食べに行って来た事だったそうです。次男は私の両親と喜多方でラーメンを3軒はしごして食べたのが楽しかったそうです。妻は高校の同窓会や1番仲の良い友達と飲めたりしたのでそれが楽しかったのではないかなと思います。私は1番仲の良い親友と一緒に温泉に行って、帰りにいつも行きつけの「ひだまり」と言うお店でその友達と友達の奥さんともう1人の親友とで飲んだ事や両親と家族とで焼肉を食べに行ったことや相馬市の松川浦にお寿司を食べに行ったことやいつもの仲間で飲めた事がとても楽しかったです。次男は私の両親と話している時に「パパはやると言ったら必ず最後までやり遂げる人だったよ」と私の話をされたそうです。両親にそう思ってもらえてたんだと嬉しい気持になったと同時にこれからもそう生きていかなければいけないなと思いました。
福島はとても心地が良かったです。私が普通に生きて行くのならば、あんなに住みやすい町はないと思います。両親もいるし友達もいるしどこを歩いても思い出がたくさんあるし、私にとってはとても良い町です。私は上京する時に、もし挫折して福島に帰る時が来たら、その時は東京から福島まで歩いて帰ろうと思っていました。何故そう思ったかと言うと、東京から福島まで歩いて帰る事より東京にいる事が大変ならば、それはもう仕方ないなと思ったからです。東京から福島まで歩いて帰るのが嫌ならばもう少し踏ん張って頑張れるだろうと思ったからです。でももう福島には帰れないだろうなと思います。私には妻もいるし子供達もいるし大切な道場も生徒達もいます。自分の大切な物の全てが東京にあると言っても過言ではありません。そのぐらいの時間を私は東京で過ごしましたし、それだけの物を頑張って築き上げて来ました。だからもう泣き言は止めて、東京と言う場所に骨を埋める気持で生きて行こうと思います。明日は家族も帰って来ます。明日はもっともっと元気になると思います。
朝の仕事から始まり、自分のトレーニング、指導と通常の1日を頑張りました。今回の帰省は三泊四日と言う短い時間でした。私も本当に歳を取ったのだなと感じました。若い頃は福島みたいな田舎には二度と帰らないと思っていましたし、東京に戻って来るのもそんなに億劫ではなかったのですが、前回の帰省ぐらいから東京に戻って来るのが、本当に億劫になりました。東京に帰りたくないと思ってしまうようになりました。戦場に戻るのが辛い歳になって来たのかもしれません。家族もまだ福島にいるので、帰っても1人と言う事が寂しさを倍にさせたのもあると思いますが、1人が本当に寂しくて昨日は電気もテレビも付けっぱなしで寝ました。真っ暗で何も聴こえない事にとても寂しさと苦しくさを感じました。それでも朝起きていろんな事に追われて仕事したりトレーニングしたりしているうちに寂しさも忘れ、生徒が稽古に来て生徒と接していると、とても楽しくなり、やはり自分の居場所はここだと思えました。今は家に帰って来て風呂を沸かし、食事を作り、洗濯をし、夕食を取って少しゆっくりとしています。今日もまた寂しい夜を過ごします。
東京へ帰る新幹線の中にいます。今上野をでたところです。もう少しで東京に着きます。また明日から戦いが始まります。私にとって東京は自分の戦う場所だし自分が夢を叶える場所だと思っています。今日は私の両親と妻と長男と次男とで相馬市の松川浦に行き、お寿司や海産物を食べました。そのあと菅野家のお墓参りをして、そのまま両親に福島駅に送って頂き、私は14時16分福島発の新幹線に乗りました。たくさんの友達にも会うことが出来てとても嬉しかったです。私は常に正しい道を自分が歩けていたとは思っていません。人の道を踏み外してしまった時期もあります。でもいつも必死に一生懸命に強くなりたいと思って生きて来ました。だからこそ今は全てが良い思い出となっています。そしてその自分の人生の道中でたくさんの良い友達と出会う事が出来ました。それが私の財産です。皆で集まるたびに誰かの訃報を耳にする事が増えましたし、いつも集まるメンバーも何名か亡くなってしまいました。でもだからこそ皆で集まる1回1回を大切にしたいと思います。この日記を書いている今、東京に到着しました。戦場に戻りました。さあ明日から一生懸命に戦いたいと思います。
世界の平和、日本の平和、福島の平和、東京の平和、私に関わる人の平和、全ての人の平和願います。本心から誰かが不幸になって欲しいなんて誰も思っていないと私は思っています。今日は両親と長男と二本松までラーメンを食べに行きました。帰りにゼビオスポーツによりスイーツを食べました。この記憶を長男がお祖父ちゃんになるまで覚えていて欲しいと思います。夜は友達と飲みました。小学校と中学校の友達に37年ぶりに会いました。その友達は小学4年生の頃に私は先生を筆頭にクラスの皆からイジメにあった時に、由一私と話をしてくれた友達でした。私がその事を話すと、そのあとに私が成り上がって行き中学校で番長になって行く姿を見て、本当に憧れていたと言ってくれました。私は曲がった道を歩んで来ましたが、イジメられっこから、学校一の馬鹿から、成り上がっていく私を一人でも認めていてくれた人がいた事に感謝しました。その人達の期待を裏切らないように生きて行きたいと思います。
今日は今回の帰郷の理由である実家の片付けをしました。10時から初めて途中休憩をして16時過ぎまで片付けをしました。ゴミ処理場に4回ゴミを運び、大きな机を4台外の駐車場に出して粗大ゴミで運んでもらうよう手配しました。なかなか大変でしたが、母と妻と長男と次男と私で頑張りました。夜は皆で父に焼き肉をご馳走になりました。普段だべれないような焼き肉なので子供達もとても喜んでいました。
福島へ帰って来ました。次男は昨日の夜から妻の実家に行っていると思っていたのですが、私を驚かせるために両親と一緒に次男も私を迎えに来てくれました。夜は親友と温泉に行き飲みました。馬鹿みたいに飲んで馬鹿みたいに酔っ払いました。生まれ故郷の福島の町が私を馬鹿みたいに飲ませて馬鹿みたいに酔っ払わせたのだと思います。本当に楽しい夜でした。帰りは友達とタクシーで帰ったのですが、何故か少し歩きたくなり、実家と少し離れた場所で降ろしてもらい、星空を見ながら1人で歩きました。こんな綺麗な星空を20歳までは毎日見ていたんだと思い、何故自分はこんな良い場所を捨てて東京へ行ったのだろうと思いました。もちろん空手でチャンピオンになるためなのは分かっていますが、自分がどうなりたくて東京へ行ったのかを再確認しながら星空を見ていました。
妻と長男が福島へ帰郷しました。次男は私の実家に泊まっていて今日は野口英世記念館や飯盛山や喜多方へ行ったそうです。野口英世記念館は私も子供の頃に行きました。野口英世が19歳で上京する時に「夢が叶わなければ故郷には二度と帰って来ない」と柱に書いたのを見ました。私が小1で初めて読んだ本は野口英世の伝記でした。貧しい家に生まれ、子供の頃に手を火傷して手を開けなくなり、貧乏な事と手の事で虐められてもめげずに生きたお話し、そして野口英世の母は貧しくても頑張って働き子供の教育に力を入れた事など、子供ながらにとても感動しました。飯盛山は白虎隊が自決した山です。私は日本の最後の侍は会津藩の人達だと思います。次男にも戊辰戦争で最後まで闘った魂を感じてくれたらと思います。私はトレーニングをと柔軟体操をして、夜は川崎に国宝を観に行きました。国宝を観るのは2回目ですが、小説を読んだあとだったので、いろいろなことにも気づくことが出来て理解が深まりました。2回観ても涙が止まりませんでした。2代目花井白虎も3代目花井半次郎も花井半弥もみんなそれぞれに狂っていると思いました。芸に生き芸に狂い芸に命を賭け芸に死んで行った凄い人達だと思います。何回観ても色褪せないとても良い作品です。
kanno
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