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木曜日の朝はフィットネスクラスがあります。このクラスには主に女性が参加しています。ストレッチでよく身体をほぐし、途中に休憩で世間話をしたりしながら稽古をしている、わりとゆったりとしたクラスです。このクラスではいろいろな情報を頂けます。映画の話やマンガやアニメや今流行の事の話や健康の話など、いろいろな話を皆ですることで普段は私が知り得ない情報をたくさん頂けます。鬼滅の刃を見るようになったキッカケもここでの世間話がキッカケでした。やはり歳を取れば取るほどに同じような人間が集まってしまいます。会社もそうですし、住んでいる地域もそうです。気づかぬうちに同じような人が固まって行ってしまいます。だからこそ普段自分があまり接点がないだろうという人と話をすると、とても勉強なりますし、新たな発見もたくさんあります。この朝のフィットネスクラスは私の1週間の楽しみなクラスになっています。
これは今に始まった事ではありませんが、死というものを最近、強く意識するようになりました。いつぐらいからそうなったかと言うと2年前の股関節の手術の後からです。もちろん死ぬ事は嫌ですし怖いです。出来るならば死にたくはありません。でも50歳を過ぎて死を意識しないわけには行かなくなりました。自分がいつ死ぬか?も自分がどう死ぬか?も分かりませんが、死ぬ事を想定して生きていきたいと思います。自分の人生の最後をどうするか?を考えて、しっかり目標を持って死ぬ日を迎えたいと思っています。今、決めている事はお葬式はせずに家族で食事して私の生前の話をして欲しいと言う事、私が死んだら私の身体の中にある股関節の人工関節の1つは長男に、1つは次男にもらって欲しいと言う事、お墓も戒名も要らないのでお金のかからない共同墓地に入れて欲しいと言う事、もし戒名が必要なら自分で考えておくのでそれを使って欲しいと言う事、火葬する時は私に道着を着せて初段の帯を巻いて火葬して欲しいと言う事、私が死んだ事は特にお知らせしなくていいと言う事(連絡が来た人には、どんな最期だったかを教えてあげて欲しいです。)もし病気になっても誰にも知らせいで欲しいです。会いたい人には元気なうちにしっかりと思い出を残しておくつもりです。最後は家族にだけ看取ってもらえればと思います。特に子供達には、自分と言う人間の最後と本質を見てもらって、自分の人生の参考にしてもらえればと思います。そんな事を家族にはしっかりと話しておこうと思っています。
琥白のバンドがLIVEENERGY2025の本選で優秀賞を獲りました。4回ある地区予選から選ばれた27組のバンドが本選に出場しました。琥白が所属するバンド、タイガー&ドラゴンはその中で優秀賞なので2位と言う事になります。全員が中学生のバンドなのでなかなかの快挙だと思います。初めてコンテストに出た時は予選を突破するなんて夢のまた夢でした。2回予選落ちで、昨年は予選落を突破して金賞(3位)でした。私が初めて見に行った時に凄く上手いと思ったバンドが今年は入賞出来なかったので、タイガー&ドラゴンはその人達よりも上手くなっていたのだろうと思います。琥白も今回は緊張したそうです。そしてベストギタリストに選ばれなかった事が悔しかったそうです。琥白には、いろいろアドバイスしたい事をあるのですが、琥白にギターの事でアドバイスはしないようにしています。もう私がアドバイス出来るレベルではないのと、余計な事を言って琥白が落ち込んだり反発心からヤル気を失くしてしまったらと思うからです。妻はギターのレッスンを見学しているのでいろいろと先生からアドバイスされた事などを琥白と話しているので、もうギターの事は妻に任せて私は口を出さないで応援だけするようにしています。
今日は休日でしたが朝の仕事が急に入ってしまいました。仕事のあとはトレーニングをしまいました。夕方から長男がお友達と組んでいるバンド「TIGER&DRAGON」が横浜センター北にあるライブハウスで行われるLIVEENERGY2025の本選に出場するので観に行きました。とても良い演奏でした。とてもカッコ良かったです。結果は優秀賞でした。中学生だけで組んでいるバンドなのでなかなかの快挙だと思います。琥白は来年から本格的にギターの練習をするために音楽の高校に行く事になりました。好きな事を3年間学べるのだから楽しいだろうと思います。これからも夢に向かって頑張って欲しいと思います。
私は月曜日から金曜日までの睡眠時間は5時間ぐらいです。私は寝つきが悪いので12時ぐらい布団に入り1時30分ぐらいに眠りにつきます。朝起きるのは6時20分です。なのでだいたい5時間ぐらいの睡眠時間です。途中2度ほどトイレに起きましたが、今日は久しぶりに9時間眠りました。でもおかしなものでいつもの5時間の睡眠より9時間の睡眠の方が起きた時に眠さとダルさがなかなか取れません。今日は休みだと思うから眠くてダルいのかもしれませんし、長く寝ると逆に眠さやダルさが増すのかもしれません。これは以前から思っていましたが、結局は何時間寝ても起きる時は眠くてダルいものです。ヨシッ仕事だ頑張りぞ!と思って起きてしまえば自然と心も頭も身体も起きるものなのだと思います。今日は家族で錦糸町にある母方のお墓参りに行き、錦糸町のマクドナルドで食事をし、次男のリクエストでお茶の水駅で降りて、ミズノショップに行きました。錦糸町のお墓はたぶん母方の親族で私が1番お墓参りをしていると思います。私は東京に32年住んでいるので、母よりお墓参りに来ていると思います。小さい頃、東京に来た時に錦糸町にお墓参りに来るといつも雨が降っていました。だからこのお墓に来るといつも雨が降っていた事を思い出します。そしていつも母が泣いていた姿を思い出します。会った事がないのに何故かおじいちゃんとおばあちゃんの事を思い出すように思う事が出来ます。たぶん小さい頃に、母からおじいちゃんとおばあちゃんの話をよく聞かされたので、それが記憶になって思い出す感じになっているのかもしれません。私が生まれた時のおばあちゃんのエピソードなんて涙を流さずには話せません。その話を思い出すとしっかりと人の役に立って行きていかなければなと思います。
「スタンド・バイ・ミー」を久しぶりに読んでいます。「スタンド・バイ・ミー」を読むのは何度目なのだろう?おそらく5〜6回は読んでいると思います。この作品はスティーヴン・キングの恐怖の四季という作品の秋編です。春編がゴールデン・ボーイ、夏編が刑務所のリタ・ヘイワース、秋編がスタンド・バイ・ミー、冬編がマンハッタン奇譚クラブです。この「スタンド・バイ・ミー」には恐怖の四季の秋編と冬編が載っています。もちろんスタンド・バイ・ミーも好きなのですが、マンハッタン奇譚クラブの方もとても好きです。ちなみに夏編の刑務所のリタ・ヘイワースは映画の「ショーシャンクの空に」の原作です。スタンド・バイ・ミーは映画の方も原作の方もどちらも好きです。ゴールデン・ボーイと刑務所のリタ・ヘイワースとスタンド・バイ・ミーは映画化されていますが、マンハッタン奇譚クラブだけは映画化されていないので、いつか是非映画化して欲しいと思います。スタンド・バイ・ミーに出てくる「ことばはものごとを縮小させてしまい、頭の中で考えているときには無限に思えることでも、いざ口に出してしまうと、実物大ほ広がりしかなくなってしまう」と言う言葉と、マンハッタン奇譚クラブに出てくる「語る者ではなく、語られる話こそ」と言う言葉がとても好きです。
長男の通う中学校の合唱祭を観に行きました。長男の通う中学校には道場の生徒や元道場の生徒や知っている子もいるので、とても楽しく見させて頂きました。私はいつも何故か光を1番最初に見つけます。光も1番最初に気が付いてくれます。今回の合唱祭で光は指揮者をしていました。とても良かったです。結果は2位でしたが、私は光のクラスが1番上手だと思いました。閉会式の合唱祭の実行委員長の子が挨拶で泣いていました。何かを頑張って成功させて感動して泣けるなんて、素晴らしいなと思いました。青春時代は1度しかありません。青春を謳歌している子供達はとても輝いています。その輝きを大人になっても無くさないで欲しいと思います。
縄跳びで2分×2回、1回も縄跳びに引っかからないで跳ぶ事が出来ました。膝を悪くしてからランニングと縄跳びが出来なくなったのでもう4年前の事になります、その次の年にアキレス腱を断裂し、その次の年には股関節の手術をしたので、ずっと縄跳びは出来ませんでしたが、今年の初めぐらいからコツコツと縄跳びを続けていました。そしてようやく2分×2回跳べるようになりました。もう少し体重を落としてもっと幸せに動けるようにしたいと思います。
次男が幼稚園の卒園式のDVDが見たいと言ったので、家族みんなで見ました。本当に懐かしく感じました。幼稚園の先生やお友達やお父さんやお母さんを見て、いろんな事を思い出したり、元気にしているかな?なんて思ったり、しながら見ていました。皆の夢が発表された時は、みんなまだその夢を追いかけているかなー?なんて思いました。次男の夢は空手のチャンピオンでした。まだ空手は頑張って続けているので、その夢はまだ諦めていないとも言えるでしょう。その勢いで長男の幼稚園の卒園式のDVDも見ました。もう遠い昔の事のような感じがしてしまいました。本当に時が過ぎるのは早いです。家族との時間を大切にしたいと思います。
妻と付き合ってから17年が経ちました。よくこんな僕と17年も一緒にいてくれたなと思っています。出会った頃は僕が31歳で妻は21歳でした。この時の10歳という歳の差はとんでもなく離れている感じでした。ジェネレーションギャップなんて言葉では片付けられないぐらいのギャップがあったと思います。それから4年後に付き合う事になるとはお互い思っていなかっただろうと思います。妻に告白する時だって、おそらくフラれるだろうと思っていました。それから17年が経ちました。僕は本当に幸せです。出来るならば、この幸せをずっと抱きしめて、ずっと生きていたいぐらい幸せです。自分の人生で今が1番幸せです。告白した時に妻を思っていた気持は今でも1グラムも減っていません。減っていないどころか増えていっていると思っています。もっともっと幸せに出来るように頑張るので、もう少し待っていて欲しいと思います。
kanno
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