DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
昨年はプロ野球にハマりました。今年もプロ野球は3回観戦に行きました。2025年にハマった物は何だろうと考えて見ました。映画を良く観た1年でした。何度も観ている映画を抜いて、今年初めて観た映画だけでも、思い返すところで、ひとくず、西成ゴローの四億円、西成ゴローの四億円(死闘編)、ねばきば新世界、孤狼の血、孤狼の血LEVEL2、素晴らしい日々、PERFECTDAYS、チェンソーマン、呪術廻戦、ひゃくえむ、国宝、プレデーター、罪と悪、ファンタスティック4、鬼滅の刃、スーパーマン、悪人、とけっこう映画館に行きましたし、プライムビデオで映画を見ました。1番感動したのは「ひとくず」でした。
ついに12月に入ったなー!なんて思っていたら、もう10日が過ぎて、12月も中盤に入りました。今週末に支部の審査会と支部内試合、来週末は東東京大会、その次の週は全日本空手道選手権大会があります。2025年は最後の最後まで忙しくなりそうです。
大山倍達総裁が「これが出来なかったら、明日ご飯が食べる事が出来ないと思ってやれば、出来ない事なんかない!」と言っていましたが、言葉では分かっていても、恵まれていた私には感覚としてその本質を理解する事は出来ませんでした。考えて見ると私の父はその感覚で生きて来た人だと思います。ある時に私が父に「何故、若い頃に野球や格闘技など自分の才能のあると思う事に挑戦してみなかったの?」と聞いたら、父は「毎日どうやって食べて行くかで精一杯だったから、金にならない事をやっている暇なんてなかったよ。」と言っていました。父は毎日必死に頑張って仕事していた人なんだと思います。私が自分で甘いなと思うのは、やはり私は両親に何不自由なく育ててもらって自分の好きな事をして生きて行く事が出来たと言う事なのかもしれません。私は空手の稽古やトレーニングであらゆる苦しい稽古をして来ましたが、本当に苦しい事に耐えて来たのは、父なんだと思います。第二次世界大戦後から高度成長期を作って来た人達の凄みをこの歳になって、その感覚を本質として理解出来るように少しだけなりました。
12月6日(土)に長男の高校の面接が終わりました。いよいよだなと言う感じです。自分の好きな道を進んで行ってくれればそれで良いと思っています。現中学3年生は、残り3ヶ月で皆、自分の道を進んで行く事となります。ここからは本当にその人その人によって行く道が大きく変わって行きます。人生の中で二度と交わる事のない人がほとんどでしょう。長男がどんな人生を生きて行くのでしょう?悔いが残らず自分が納得出来る人生なら幸いです。長男が帰って来て時に私が「どうだった?」と聞いたら、長男は「ほぼ完璧だった!」と言っていました。でも学ランの襟のホックが外れていたと言っていました。「何故、この学校に入ろうとおもいましたか?」「あなたにとってプロとはどういうものだと思いますか?」そんな質問をされたらしいです。
舞浜ビューホテルで行われた曲千葉県北支部の30周年パーティーに参列して来ました。本当に素晴らしいパーティーでした。千葉県北支部の30年の功績を映像で見て本当に素晴らしいと思いました。自分も頑張らなくてはいけないなと思いました。
この日記は日々自分が思った事や忘れたくない事や逆にいつか自分の記憶からこぼれ落ちてしまうだろうと言う事や、いつか自分がこの世にいなくなった時に妻や子供達や生徒達がもしかしたら私を偲んでこの日記を見るかもしれないと思い遺言的な意味でも書いています。今日は私が妻と行った場所で思い出に残っている所を書いてみようと思います。初めて会った時に一緒に食事をした六本木のフライデーズ、初めて2人で行ったディズニーランド、2人で行ったハワイアンズ、初めて一緒にお酒を飲んだ福島にある天麩羅屋の平井、平成最後の日に行ったディズニーシー、令和になる瞬間にいた蒲田の串カツ田中、よく2人で飲みに行った港や、クリスマスに行った六本木ヒルズの屋上と展望デッキ、もっともっとあるんだろうけど、この辺りは何時か思い出して欲しいので書いておこうと思いました。
最近、子供の頃に見ていた漫画をあらためて読んでいます。「風魔の小次郎」「リングにかけろ」が僕が漫画を読んだ原点でした。やっぱり戦うのが好きなんだなと思います。「風魔の小次郎」では竜魔、項羽、飛鳥武蔵、伊達総司、霧風とかが好きです。「リングにかけろ」では竜児、剣崎、影道総帥、石松、志那虎、スコルピオン、ヘルガとかが好きです。「聖闘士星矢」ももちろん好きで、一輝、子竜、瞬、星矢、氷河、釈迦、アイオリア、カミュとかが好きです。
私のスマホの待受画面は妻の写真です。たまに人に見られると恥ずかしい事もあるのですが、そうしています。これには理由があります。その理由を書いておこうと思います。その妻の写真は私と妻が付き合った頃、福島と東京で遠距離恋愛をしている時に妻が送ってくれた写真です。遠距離恋愛は約3ヶ月でした。その3ヶ月のあいだ、その写真を見て、妻が東京に来る準備を頑張っていました。その時の気持を忘れないよう、その写真を待受画面にしています。子供達が生まれてから、子供達を待受画面にしようかと思った事もありますが、やはり妻への感謝の気持を忘れないよう、今でもその写真を待受画面にしています。たまに知り合いと食事する事があり、「何その待受画面?菅野さんの好きなアイドルとか女優か何かなの?」と言われる事があります。「自分の妻です。」と答える時は嬉しい気持になります。
私が生まれて初めて映画館で観た映画を調べて見ました。初めて観たのはどうやら3歳の時に観た「キングコング」でした。2番目が4歳で観た「スター・ウォーズ」3番目が5歳で観た「死亡遊戯」でした。このあとはもう覚えていません。でもこの3作品だけは、ハッキリと見た記憶があります。映画館の中の記憶もありますし、映画館を出た時の記憶もあります。パンフレットを買った記憶もあります。特にスター・ウォーズは母と2人で観に行ったので、母が驚くたびに私の足を叩いていたのを覚えています。本当に映画は大好きでした。映画が好きなのは母の影響です。次男もとても映画が好きです。思い出したのですが私は映画監督が映画の評論家になりたいと思っていた時期がありました。日曜洋画劇場の淀川長治さんの「怖かったですねー!でも面白かったですねー!それでは次週をお楽しみください。さよなら、さよなら、さよなら。」というのと、水曜ロードショーの水野晴郎さんの「イヤーッ!映画って本当にいいですねー!」っていうのを、何度真似したか分かりません。
もっと欲しい物はたくさんあります。お金、家、車、でもそれは子供の頃に自分が本気で欲しいと思った物ではありません。大人になって、もっともっとと欲が出て欲しくなった物です。人が持っているから羨ましくなり欲しくなったと言うだけの物です。自分が子供の頃に本気で欲しいと思った物はもう手にしていますし、子供の頃に本気でなりたいと思った自分にはもうなれています。その事に気付きました。もし今の自分がお金や家や車を手にしていたとしても、今の自分になれていなかったら後悔していたと思います。本当はこうなりたかったんだと思って後悔していたと思います。でもその後悔はありません。だからやはり自分は正しい道を歩んで来たのだと思います。
kanno
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