DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
次男の真白の小学校の卒業式でした。入学式はコロナ禍真っ只中だったので、校庭で入学式をしました。凄く遠くから次男を見ていた記憶が残っています。あれから6年も経つなんて本当に時が過ぎるのは早いなと思います。可愛さが残る子供達もすっかり大人っぽくなっていました。真白は私のスーツを来て卒業式に出ました。なんと私のスーツがピッタリでした。私は身長が172センチあります。なのでズボンの裾が長いかと思っていたら、ズボンもピッタリでした。次男の身長は160センチなので、私が足が短いのか?次男が足が長いのか?だと思います。次男の成長のあれこれを考えていると涙が止まらなくなりました。次男が健康で大きく育ち小学校を卒業出来た事を妻に感謝しています。子育ては妻に任せっきりだったので本当に妻のおかげだと思っています。学校の先生方やお友達やご父兄様や地域の方々にも感謝しています。次男がどんな大人になるのか?とても楽しみです。楽しくて優しくて強い人になって欲しいと思います。気は優しくて力持ちと言う人になってくれたら嬉しいです。「真白が生まれてからパパはずっと幸せです!真白には、たくさん笑顔にしてもらいました。パパも辛い時もあったけど真白がいたから笑顔で頑張る事が出来ました。いつもパパにパワーをくれる真白に感謝しています。いつも家族に笑いを提供してくれる真白は菅野家のムードメーカーです。これからもたくさんの人を笑わせて下さい。真白の彼女も見れて幸せな気分になりました!真白、健康に大きくなってくれてありがとう!」
昨日の夜に親友からLINEのテレビ電話が来ました。親友も飲んでいて、私も飲んでいたので、20分ほど、飲みながら2人でいろいろと話をしました。本当に嬉しかったです。友達は本当に良いものです。持つべきものは友と言いますが、本当にそう思います。友達は、お金では買えない物の1つだと思います。友達は、お金では買えない大切な財産と言える宝物だと思います。今の私にそう言う友達が何人かいますが、そんな友達が今の私にいるのは、その親友のおかげです。私が曲った道を行ってしまった時に、私を面と向かって怒って、私と喧嘩してくれました。私もその場では言い返しましたが、親友に言われた言葉は私にガツーンとショックを与えてくれました。その時に私は反省し自分を変えて行く事が出来ました。そのおかげで友達みんなから愛想を尽かされずに済みました。本当に感謝しています。私も友達と話している時は気持も言葉も昔に戻ってと言うか、本当の自分に戻って気兼ねなく話す事が出来ます。こんな自分にも友達呼べる人がちゃんと残っていて本当に良かったと思っています。
今日は私の運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の2026年春季昇級審査会および2026年春季極真ルール組手競技支部内交流試合を行いました。出場した選手の皆さん、お疲れ様でした。怪我があればしっかりとケアしてまた稽古に励んで行きましょう。子供達のためにあたたかい声援を頂きましたご父兄様にも感謝を申し上げます。
卒業シーズンですね。卒業と言えば思い出す曲は「マイレボリューション」これは謝恩会でクラスの皆で歌ったからと当時、私が好きだった女の子が泣きながら歌っていたので、その情景が頭に浮かびます。次は「仰げば尊し」卒業式で泣きながら歌いました。次は「蛍の光」在校生が歌う蛍の光は心に響くものがありました。次は「タンホイザー行進曲」卒業式で卒業生が歌いました。メチャクチャ怖かった音楽の先生が泣きながら指揮をしている姿を見て、福島第三中学校の不良少年はみんな涙を流しました。次は「贈る言葉」です。この曲も卒業シーズンに流れるので泣いてしまいます。次は「じゃあね」です。これも別れの季節には泣ける曲です。もう大人になって聴いたのですが、その頃の自分を思い出してグッと来てしまう曲は「3月9日」です。私が泣いた卒業式は中学校の卒業式でした。中学校の卒業式はみんなで泣きました。仲間達との別れを思い、好きな人との別れを思い、過ぎて行く時を寂しく思い、あの時に一緒に涙を流した仲間達は会うことがなくても私の心の中にずっと残っています。
私は1993年3月に東京に上京する前に、アパートを決めるためと所属道場を決めるために、1992年の冬休みに3泊4日で東京に来ました。その時に見学をした道場は城西支部阿佐ヶ谷道場と城西支部三軒茶屋道場と城南支部恵比寿道場でした。結局、私は黒澤浩樹先生の城西支部阿佐ヶ谷道場を選ぶのですが、その後、城南支部恵比寿道場の指導員になったり、城西支部三軒茶屋道場へ出稽古に行く事になりました。やはり縁があったのかな?と思います。
長男の琥白の中学校の卒業式に妻と参列しました。入学式が少し前の事のように感じるのに、今日はもう卒業式です。入学の時は私の方が長男より背が高かったのに、3年であっという間に抜かれてしまいました。長男はけっこうドライなのに、卒業式の退場の時は泣いていました。卒業式の受付で、琥白から私と妻への手紙を受け取りました。その手紙の封筒には、「Dear Mam&Dad」「菅野琥白」と書いてあり、手紙には「卒業式へようこそ この式が終わったら ついに念願の高校に入学することができます。高校に入学したらギタリストとしてプロになる活動をしていきたいと思っています。世界へ羽ばたくギタリストの第一歩をごらんください。」と書いてありました。どこからその自信はくるのだ!?と言う思いもありながら、根拠のない自信を持って夢に向う事が、夢への第一歩だと思うので、それはとても良い事だと思います。そしてその手紙を読んだ瞬間、私はやはり琥白は僕の血をしっかりと受け継いでいる事を感じました。私の父も中卒で大きな夢を持ち会社を設立しましたし、私も空手のチャンピオンになって空手で飯を食っていくと言って東京へ出てきました。そこに根拠なんてありませんでしたが自信はありました。琥白にもその血が流れていたのか?!と思って熱い気持ちになりました。こうなったら、琥白の世界へ羽ばたくギタリストの第一歩と言うやつを特等席で見せてもらおうと思います。その夢の結末がどうなるか?は分かりませんが、最期までとは行きませんが、何処まで行けるか?私の命があるうちは見ていてあげたいと思います。妻がファン1号だから、私はファン2号の座を頂きたいと思います。私も自分が中学校の卒業式を思い出したりして、涙が止まらなくなってしまいました。「琥白!卒業おめでとう!世界へ羽ばたくギタリスト!パパはファン2号として特等席で君の人生を応援して行くよ!」
城南支部には出稽古に来る人がたくさんいました。私が覚えているのは、ギャリー・オニール選手、ウォルター・シュナーベルト選手、ニコラス・ペタス選手、田中健太郎選手、福井裕樹選手、小坂武史選手、ケビン・ベイカー選手、ロビン・ハモンド選手、その他の格闘技の選手も出稽古に来ていました。ここに書かせて頂いた方とは組手もさせて頂きました。城南支部にいたおかげでけっこう強い選手と手を合わせる事が出来ました。試合でもたくさん強い人と試合をさせて頂きましたが、やっぱり城南の先輩方は本当に強かったです。怪物のような先輩方と普段から稽古していたので、勝ち負けは別としても、その強い選手達と試合や組手をしても恐怖を感じたり倒されたり心を折られるほどやられた事はなく普通に受け返しをして組手をする事が出来ました。城南の組手はどっしり構えて練足で動いてしっかり受けて返す組手だったので、しっかりと組手が出来たのは、それもあったのかもな?と思います。その経験は私の宝物として財産になっています。
城西支部阿佐ヶ谷道場に所属していた時に根本先輩にもとてもお世話になりました。根本先輩は黒澤先生に対しても、もっとこうした方が良いと思います。と言う感じで、しっかりと意見を言う先輩でした。根本先輩にもいろいろとご指導頂きました。今でも教訓になっている事がたくさんあります。根本先輩に言われた言葉でとても嬉しかった、今でも覚えている言葉があります。私は黒澤先生と一緒に行動する時間が長かったので、可愛がって頂いた反面、厳しく叱られる事もたくさんありました。根本先輩が他の茶帯の人達に「菅野は黒澤先輩によく怒られているけど、それは菅野は一生懸命にやっているから怒られるんだ。お前らが怒られないのは菅野よりしっかり出来るからじゃなく、黒澤先輩に相手にされていないだけだ。」と言いました。その言葉を聞いて、とても嬉しかったです。
3月も後半に入りました。子供達も卒業式、終業式、春休みが始まって行きます。別れと出会いの季節ですが、別れの悲しみや出会いの喜びに左右されすぎずに毎日を変わらずに元気に過ごして行こうと思います。
私は極真空手に一生懸命に取り組んで36年が経ちました。そして私は今、こう思っています。何かに一生懸命に取り組んだら、どんな人間だって忍耐の精神が身に付きます。何かに一生懸命に取り組んだら、どんな人間だって礼節を覚えます。何かに一生懸命に取り組んだら、どんな人間だって尊敬と感謝の気持が芽生えます。何かに一生懸命に取り組んだら、どんな人間だって神の存在を大切にするようになります。何かに一生懸命に取り組んだら、どんな人間だって、その取り組んでいる事の伝統や風習や仕来りを重んじるようになります。そこまで行って初めて武道を語る事の出来る人間になるのではないかと思います。私も36年間、一生懸命に取り組んだおかげでこのぐらいの事は言えるようになりました。しかし自分の心と身体の芯まで、その本質を理解しているか?自分の存在からその薫習が出ているか?と言われれば、それはまだまだ、だと思っています。
kanno
|