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長男も次男もいろんな事を知っています。そんなに勉強が出来る方ではないのに私が知らない知識をたくさん知っています。そしてそれなりのマインドと言うか、フィロソフィと言うか、ポリシーと言うのか、そんな感じの物をもう持っています。本当にびっくりします。この前も、次男に「パパ、その考え方は古いし、間違っているよ。」と指摘されました。確かになと思いました。長男にも私の知らない事を教えられました。私達の世代もどんどん古くなって行くのだろうと思います。でも古き良き物もあります。それを大切に今にアジャストさせて行きながら今の世代の人達に伝えて行きたいと思います。
極真空手をやったおかげでたくさんの師範、先生、先輩、同輩、後輩と出会う事が出来ました。城南支部蒲田道場時代は福岡出身の久保、大阪出身の馬埼と私と3人で稽古をしたり食事をしたり風呂に入りに行ったりして兄弟のように一緒にいました。若かったので馬鹿な事もたくさんしました。三馬鹿トリオでした。何処に行っても自分と同じような人間と一緒にいるのが心地良いみたいです。3人で一緒にいたのは、私が21歳から23歳までなので、たったの3年なのですが、3年とは思えないほど思い出がたくさんあります。たぶん濃い時間を過ごしたんだろうと思います。その後、久保も馬埼も地元に戻ったので、10年ほど疎遠でしたが、私の現役最後の試合だった2007年に大阪府立体育館で行われた全日本ウエイト制空手道選手権大会に久保が観に来てくれていました。会場から帰ろうとしている久保に入口で偶然会い「オー久保、何でこんな所にいるんだよ!」と言うと「先輩の応援に来たに決まってるじゃないですか!」と言いました。「声ぐらいかけてくれよ!」と言うと「先輩も試合後でいろんな気持があると思って、そのまま帰ろうと思いました。」と言いました。10年ぶりの再会でした。聞けば全日本ウエイト制空手道選手権大会は毎年観に来てくれていたそうです。本当に感謝です。自分の知らない所で意外に自分は助けられていたり応援して頂いたりしている事をその時に知りました。どうやら久保と馬埼はその後も一緒に住んだり一緒に働いたりして繋がっていたそうです。馬埼は私の結婚式にも来てくれてましたし、城南支部の同窓会や廣重師範のお別れ会にもわざわざ淡路島から来ていました。情の熱い優しい人間です。その後、久保も馬埼も私の雑色の家に泊まりに来てくれました。また3人で飲んでバカやりたいなー!なんて思う事もあります。そう言えば久保の結婚式の3次会に行く時に昔に戻って3人で肩を組んで酔っ払って大阪の街を歩いて馬鹿をやりました。毎年毎年、誰かの訃報を聞く事が増えて来ました。元気なうちに、また皆で飲めたらと思います。
歳をとってから空手を始めた人は特にそうなのですが、空手の稽古をする時に、これはしない方が良いという事があります。それは自分と人を比べる事です。上手い人を真似る事は良い事ですし、その人のように動けるようになりたいと意識して稽古する事はとても大切なのですが、誰々より強くなりたい、誰々より上手くなりたい、と言う誰かと自分を比べた目標を持って頑張ってしまうと、もうその人には勝てないと思った時に稽古に対する意欲がなくなってしまいますし、もしその人に勝ったとしても、その事で自分に奢りが出て謙虚な気持が無くなってしまったり、目標を達成した事で稽古に対する意欲が無くなってしまったりします。毎日コツコツと当たり前のように稽古して行けば必ず上達して行きます。自分の中に新しい感覚や気付きが起きます。空手の稽古は畳1畳の場所があれば出来る稽古はあります。出来る事をコツコツと続ける事が大切です。もう少しやりたい事が増えた時に少し増やせば良い事です。そして道場に稽古に来た時に、自分で稽古の成果を試し、また稽古で見つけた課題を意識して、またコツコツといつもの稽古して続ければ良いと思います。あれもこれもやるのではなく、同じ事を続けると良いと思います。私は毎日稽古するなら柔軟体操と基本稽古をお勧めします。
稽古というものは、やればやるほど、やらなければいけない事が見つかり、稽古をやりたくなるものです。逆に1度止めてしまうと、自分がいた場所からズリ落ちてしまうので、やりたくなくなってしまいます。ロールプレイングゲームを3分の2ぐらいまで頑張って進めたのに、コンテニューしたデータが消えて元の木阿弥になって、始めからやり直しになったとしたら、それはもう1度やるのはとてもしんどいと思います。だから少しずつでも良いから毎日続ける事が大切だと思います。少しずつでも毎日やって生けばコンテニューして行くので少しずつでも前に進んで行きます。大山倍達座右の銘11箇条でとても良いことを言っています。「武の道は断崖をよじ登るが如し、休む事なく精進せよ」この言葉を胸に私も毎日稽古に励んでいます。
私は、言ってみれば子供の頃から男の世界に生きてきました。なので強い男やカッコイイ男をたくさん見て来ました。そこで見て来たカッコイイ男と言える人には共通点があります。苦しい時に、やせ我慢をしてでもカッコつける事が出来る人です。それは喧嘩の強さとかだけではありません。お金がない時にでも後輩にジュース1本でもいいからおごってあげられるような人です。そんな無理をしてでもカッコつけてくれた人の姿は一生忘れないものです。そんなカッコイイ男の姿を私はたくさん見せてもらいました。その方々には今でも感謝しています。
長男を見ていると、やはり私の遺伝子が繋がっているのだなと思う事が多々あります。似て欲しくなかったのになと思う事もたくさんあるのですが、それは仕方ないのだろうと思います。長男は少し前に髪をピンクに染めました。自分で働いたお金で、自分で床屋さんに相談してやったそうですし、学校もバイト先も髪を染めても問題ないと言う事なので、もう親が口を出す事ではありません。長男は働くのが楽しいらしく、夏休みは、ほぼ毎日5〜8時間働いていました。ビックリするぐらい稼いでいました。あと数年で本当の意味で親離れしていくのだろうと思います。
53年生きて来て、自分と言う人間の本質と自分と言う人間の持っている能力と自分と言う人間の価値を理解した上で、今まで生きて来た自分の人生に満足しているか?今までの人生に後悔はないか?人生をもう1度やり直したいか?もう1度自分に生まれたいか?と考えると、もっとあの時に頑張ればよかったなー的な事はまあまあありますが、自分の人生に満足もしていますし、自分の人生に後悔はしていません。人生をもう1度やり直したいか?と聞かれたら、それは絶対に嫌です。今までこんなに頑張って来たのにやり直しなんて絶対に嫌ですし、今以上に上手く生きて来れる自信がありません。もう1度自分に生まれたいか?と言うのは、生まれ変わる事が出来るのなら自分じゃない人間がいいです。でも自分に生まれないと、極真空手に出会えなく、妻と出会って結婚出来ないのであれば、やはり自分に生まれて来たいなと思います。
53年も生きていると、今までの人生に感謝の気持ち以外は何もなくなります。これは本当の気持です。53年も生きていると、自分と言う人間の本質や、自分と言う人間の能力や、自分と言う人間の価値の全てが理解出来ます。若い頃は自分の本質を変えたい、自分の能力を伸ばしたい、自分にはもっと価値があるともがきましたが、今は自分と言う人間は、自分以上にもならず、自分以下にもならないと言う事が分かってきました。この人生の中で出会ってくれた方々には本当に感謝しています。私と親友になってくれた方々には感謝などという言葉では表せない気持を持っています。そして妻に対しては「ありがとう」と言う言葉しか見つかりません。これからの人生の中でやらなければ行けない事は、自分の周りにいる人を大切にすること以外はないと思います。そしてこれから未来のある若者の役に立ちたいと思います。自分が本当に素晴らしいと思うものを残していけるように生きて行きたいと思います。
朝が涼しくなって来ました。それもそのはずでもう今日から9月です。2026年の第3クールの最後の月です。鷲神社に参拝し道場の神前の榊、米、塩、酒、水を替え、道場が今まで無事に活動出来た事に感謝の心を示し、これからの道場の発展と道場生が健やかに成長出来るよう祈願し、二礼二拍手一礼をしました。そして恒例の大山倍達座右の銘11箇条を唱和しました。月の始めの日に、2人の体験者がいて、1名さっそく入門してくれました。幸先のよいスタートを切れたと思います。今年は本当に入門者が多いです。とても嬉しい事です。今月行われる通い合宿も一般部の参加者がはやくも4名になり、とても嬉しく思っています。2026年も残り4ヶ月です。今年も良い1年だったなと皆で言えるよう活動していきたいと思います。
私が試合をした相手で、その後に他の格闘技で活躍していた選手がいます。野地竜太選手はキックボクシングや総合格闘技のDEEPやPANCRASEの試合に、清水賢吾選手はRISEのヘビー級チャンピオンに、菊野克紀選手は総合格闘技でDREAMやUFCの試合に、外岡真徳選手はキックボクシングや総合格闘技のDREAMの試合に、前田誠選手は修斗の試合に、そして戦績は3勝2敗です。私は極真空手を始める前に魏桜流拳法という流派で始めたので硬式空手、新空手など顔面アリルールの試合に出ていたので、特に顔面パンチに苦手意識はありません。私が空手を始めた時代は顔面アリルールの空手よりも極真空手の方が強かったから、強いと思う方を選んだのです。もちろんルールで勝ち負けやいろいろな物が変わるとは思いますが、私の時代の極真空手の選手は他の格闘技の選手に体力では負けていなかった思います。何故そう思うかと言うと他の格闘技の選手が出稽古に来た事が何度かありましたし、ウエイトトレーニングのジムも一緒でしたが、私はその人達より体力がありました。ウエイトトレーニングもその人達より重い物が上がりました。だから私よりもっともっと強い極真空手出身の選手がK−1で大活躍したのは当たり前の事だと思っています。大切なのは限界を超えるような稽古をする事だと思います。
kanno
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