続々・不良主婦と呼ばれて@USA
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米国在住数十年国際結婚美人妻<←嘘>自堕落日常日記
毎年必ずあるクリスマスやサンクスギビングには集まれなくても、一生に一度の高校卒業式 には全家族が集まる。 ってくらいの一大イベントだから、旦那の下の兄弟3人の時も、甥っ子の時も、遠路はるばる 全家族が集まってきた。 今回のうちの息子の卒業も然り、最大時には我が家に15人が宿泊した。 義妹家族に至っては、なぜか11泊もしていった。 結婚して19年、義理家族についてはよく知っているつもりで、来る前から大変なのは相当覚悟してた。 旦那の弟妹達は年が離れているので彼らが小学生の頃から知っている。 そんな彼らも29歳とか34歳とか、そんな年齢で子持ち。 よくもあんな大人に、あんな親になったもんだ。 非常識極まりない、手も出さなければ金も出さない(出さないどころかたかってくる)、 子供は放置でやりたい放題させて親は自分のことばかりで(ある意味ネグレクトに近い)家は ひっちゃかめっちゃか。 旦那の兄夫婦も結構曲者。来る前から滞在中も、何かにつけてずーっと文句ばっかり。 去年あんなに甥っ子の卒業パーティー手伝ったのに。。。来年の姪っ子の時は手伝わないから。。。 (やり返す気満々) もう帰る前日には、あまりのあり得なさに私も怒りを露わにした。 べつに嫌われてもいい。てか、もう一生泊まりに来ないで欲しい。出来る限り会いたくない。 遠くに住んでてよかったー。
息子の卒業パーティーを開いた。 テント、テーブル、椅子などをレンタルして、家の庭で。 チップス&ディップス、枝豆、サラダ、餃子、ジャンバラヤ、ブリスケット、 ハワイアンチキン、マカロニチーズ、キャンディヤム、フルーツ、バナナプディング、 クッキー、ケーキ、、、、 とにかく、このパーティーがもう半年以上も前からの悩みの種で、私の中では卒業式が 終わってからが一大事、という学校の卒業式以上の大イベントだった。 メニューやドリンク、デコレーションや招待する人やセッティングなど、悩みに悩んで、 お金も掛かって、一生懸命にやったつもりだけど、、、ちょっと想像していたのと 違うものになった。 何事も計画通り、想像通り、期待通りにはいかないものだ。 でも、いいんだ。もう終わったし、頑張った。 パーティーが終わって、もう準備に悩み奔走することもないんだと、張り詰めていたものが 緩んだというか、肩の荷が下りて心身が楽になった。 やっぱり私はパーティーを開催する側、ホスト役は向いていない。
無事に皆と卒業出来て良かった。 最後の最後になって、必修の数学がFだなんてサプライズ、心臓に悪いわ。 高校卒業なんて当たり前なのかもしれないけど、でも12年間の義務教育を無事に 終えて、よくやったと褒めてあげたい。 高校3つ、中学2つ、小学校3つ、転勤によく耐えてくれた。 凄いよ息子。 花嫁さんが、結婚式にはなぜか(って。)いつもより異常にキラキラ綺麗に見える 様に、ガウンとハット姿の息子は、いつもと違って大人で格好良くて眩しいほど 輝いて見えた。 本当に本当におめでとう!!明るい未来に幸あれ。
下の子も、同じ日に中学を卒業、8月からは高校生。 アメリカでは高校卒業が超一大事で、その他の卒業は埋もれがちだけど、 中学卒業おめでとう!! 十分にいい成績なのに、いつも期待しすぎて、厳しすぎてごめんよ。 高校でもバスケ頑張って。
卒業式の2週間前、息子のプロムがあった。 プロム参加には、チケットを買ったりタキシードを準備したりと、色々な準備やお金が必要となる。 ちょうどそのプロムの準備時期、学校から「必修科目の数学の成績によっては卒業出来ないかもしれません」 という手紙が届いて、息子には「I'll kill you if you can't graduate.」という言葉を送っていた。 (結局卒業出来たからいいものの、この時期は本当にどうなるものかと気が気でなかった) 付き合って8カ月の彼女のプロムチケット、彼女のピンクのドレスに合わせたタキシードレンタル、 さらにそれに合わせたペアのコサージュ、彼女の分のディナー代、そして会場となるホテルへの往復リムジン代。。。男子がエスコートするのがプロム! 女子も女子で、ドレスやヘアメイクやネイルで色々お金がかかるのだけど、、、まぁ男子の負担大。 一世一代のプロム、ここまでは親が贈り出すけど、高校卒業したらこう甘くは無いからね、覚えといてよ。
2016年03月31日(木) |
最期は急で。永遠にさようなら |
クライアントだった女性のメモリアルサービスに出席してきた。 最後に会ったのは3週間前。 覚えているのは、精神的に辛そうでとても弱気になっていて、泣いていた姿。 引越が決まって、今後の生活に変化が予想される時だったから不安定になるのも 仕方がないと、話を沢山聞いて明るく慰めた。 いつもの様に「また来週ね」とお互い笑顔で家を後にした。。。3週間前。 その数日後、一人で歩いている時に転倒して骨折、ERに運ばれた時に使用した薬が 原因でICUに入り、そのまま帰らぬ人となってしまった。 連絡を受けた時は、あまりに急で、想像もしていなくて、信じられなかった。 3月30日、偶然にも彼女の誕生日にメモリアルサービス。 家族肉親のみのセレモニーだと聞いていたけど、息子さんから出来たら来て欲しいと 連絡があり、一人で初めてアメリカのメモリアルサービスに出席してきた。 2人の息子さん以外誰も知らないし、誰も私に近寄ってこないし、隅のほうで小さく なっていた。 もしかして、プライベートなセレモニーにしたのに一人だけ他人(私)が居て、 違和感を感じられていたのかも。遠慮しとけばよかったかな、、、 でも、最後にさよならが出来てよかった。 Susan、安らかにお眠り下さい。あなたと出会えたことにありがとう。
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