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2005年03月18日(金) |
涙目は、花粉のせいです。 |
いろいろあった。 考えることも感じることも沢山あった。
先月の今頃は、あやぽんの受験の真っ最中で 親子で地獄の日々を送っていた。
悲喜こもごもの卒業式も終わり 幼い頃からの友達とも別れ しばしの休息。
かずぴーは、唯一のよりどころであった部活動が上手くいかず 退部するだのなんだのと泣き(本当に泣いたのだ。母は戸惑った。) 顧問の先生に見放されつつある現状を知った私も 彼と同様に切なくなり 詳細は省くが、端的に言って 勉強が上手くいかないことが多岐に与える影響の大きさを 今さら思い知る。
そして今日。 かずぴーの学校に呼ばれて 進級に関する警告とやらを受けた。
このままでは高校への推薦が困難と判定されました。 来年度の学習生活の充実と成績の向上を期待します。 ・・・・・・。
その高校を、今年卒業した面々を見て 果たしてかずぴーが 必死になって進むことがいいのかどうか、思うところも多い。 本人の希望が何よりなのだが 別の道があっても良いのではないかと、母は秘かに思っている。
先月 自分の言いたいことをぐっとこらえ とにかくあやぽんを応援し続けたように しばらく かずぴーのことも見守ろうと心に誓う。 言われることは、本人が一番よくわかっているはず。
明日はあやぽんの卒業式だ。
あやぽんは三学期に入ってから学校に行っていなかったので 今さら卒業の実感がないと言う。 もう卒業してしまった感じだとか。 そうかもしれない。
私はと言えば、長年お世話になった学校とお別れするのがなんとも寂しい。 華々しく卒業して行く旧知のお嬢さん達を見ながら めでたいめでたいと卒業式を迎えることに複雑な思いもある。
私の胸中を察してか モモコさんが、一緒に卒業式に行こうと誘ってくれた。 彼女がくれたメールには思わず涙がこぼれた。 「幼稚園の窮屈な椅子に座って謝恩会をしてからもう12年だね。 一緒に式典に出るのも、これが最後だね・・・。」 彼女とは、日常はもちろんのこと 節目ごとに、一緒に過ごした沢山の思い出がある。
あやぽんよりも、私の方がすっかり卒業式気分でいるのかもしれない。
まだかずぴーが通っているが 彼の方では何かと学校との接触を避ける傾向にあるので 学校への愛着は少ない。 同じ学校なのに、な。
あやぽん、次々と試験に落ち続け 今日、最後の発表があり、浪人が決定した。
まだ、受験できる大学もあるのだが 本人の意思により、今から受験できる大学には行きたくないとのことで 進学先は代々●ゼミナールである。
この一ヶ月弱 いろんなことがあった。 親というのは、子どもに泣かれるのが何より辛いらしい。 『泣く子と地頭には・・・』と言われた時代もその前も 親というのは、そういうものなのだろう。
試験の結果を聞いても 彼女が案外平気な時は私も平気なのだ。 彼女が落ち込み、途方に暮れていると 私もどうしていいかわからなくなる。
昨日は、ほぼ全滅が決定していたので 予備校の授業料を払いに行き 帰りには、卒業式用の服を買い、春からの私服も若干買った。 「こんなにしてもらって申し訳ないね」そう言うあやぽんが、また不憫に思え 「なんだか虚しいよね」などと言われて私も落ち込み それでも、なんとか気に入った服を買った頃には 春からの生活に向けて、気分が上向いた。
が。 万が一、という期待が 今朝、ものの見事に崩れ落ち 暗い気持ちを抱えたまま、あやぽんは 以前から約束してあったお友達との待ち合わせ場所に出かけて行った。 「がっかりして、車にぶつかったりしないように、気をつけて行きなさいよ」 と、声をかけたが、その後ろ姿が、どうにも切なかった。
私にとっても試練の数日だった。 幼稚園から一緒だったお友達は、すんなり内部進学をし お化粧の練習や車の免許取得など、大学生活に向けての準備に余念がない。 あやぽんだって、なんの無理もなく、ああできたのに・・・とは 思っても口にはできない。 もう、動き出してしまったのだから、前に進むしかないのだ。
どんなに苦しくても、とにかく進むしかない。 進まないことには、苦しい状況から抜け出せない。 本当に辛くて苦しいのはよくわかるが、もう、後戻りはできないのだ。 そう、娘にいい聞かせながら、出産の時を思い出した。
陣痛が始まって、もう産むしかないのに、あまりの苦しさに 「家に帰る!!!もう、いやだ!!!」と叫んだ25の私・・・。 その結果、世に生まれ出た我が娘と、今こうして苦楽を共にする。 なんだかなぁ。
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