「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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こういうのをなんと表現すればいいだろう。
私は自分の眼を通して世の中を見ている。でもその私よりも先に、同じものを見ている誰かがいる。ほんの数秒の違い。私は自分が先に見たいと思う。別の誰かが自分達の部屋をぐるりと見渡しているその後ろで、私は自分が前になるきっかけを探そうとする。 「 あーそうだ、この字は私が書いた字だ 」 私は目を閉じ別の誰かを押しのけて前に出ようとする。すると私の意思とは関係ないところで、私達のまぶたが降ろされる。「頭が痛い」頭全体が痛い。目を開けたいけれど開けられない。「そうか、私は出られないんだ。何故こうなっている?どうすれば?」
昨日の朝も同じことが起こった。何故?
ある本に、『書くことで真実が明らかになることはない』と書かれてありました。そうかな。そうですね。私は生き延びてきただけだから。私はどうすれば?今は何かがずれている。7:07
| 2004年05月19日(水) |
自分をあきらめる辛さ 繋がった過去 |
時々私を突然覆う異様なけだるさと無力感にふと疑問を感じた瞬間、現在の私と過去の真実の一部が繋がり、私は仕事中だったにもかかわらず、思わず声を上げました。 その人は遠い過去に、自分の “ 生 ” に対する執着も小さな希望も完全に捨てきった人格でした。「痛み」とか「辛さ」とか、その逆に例えば別人格 “ Reina ” のように「無感覚」であるとか、そんな問題とは明らかに違う次元に生きていた人格。訴えることも泣くことも、自分が試みる全ての事が、自分には全く無意味だと感じたときの無力感。力の無い自分とそんな自分の命に対する諦めは、無気力と無表情という形をして現実の中に現れていました。それは言葉で表すのなら、目の前で麻酔もなく生爪を剥がされる痛みと、そんな自分を見せられる苦痛と同じです。その時私はどうしたでしょう。そうです。自分が感じる全てのモノ、痛いと感じる自分自身さえも、「もうあきらめた」と完全に投げ捨ててしまったのです。
少し前の朝日新聞に、「虐待された子どもの顔は鬼面だ」と言う説が載っていました。「鬼面?!怒りを表していると?!」 子どもの頃の私にはそんな力は残っていませんでした。ただ自分をあきらめて、ただ自分を痛みと辛さの中に葬って、ただただ本当に生き延びていくだけでした。そのまま二十年も時を経て、私は今日始めて、自分が感じるけだるさはその人格が現実に顔を出しているからだと知ったのです。更によく考えるとそんな “ 無気力な人 ” は20歳の頃から現実にちょくちょく顔を出し、私たち自身を混乱させていたのです。
私の頭にも、小さく記憶にある現実の彼女。
そして彼女の事を文章に出来ている私は、もしかするとそんな彼女の後ろで度々自分自身を見ていたのかもしれません。 さらに、私がこの事を知ることが出来たのは、そんな彼女との壁が薄くなったからかも知れません。
実はひとつ感じていることがあります。 今日知った事実は、これまで見えていた過去の傷が彼女を知るためのパフォーマンスであったかのように、あまりにも重たく私の心底を刺激しました。そんな事を考えるとき、私達は真の痛みの部分に近づいてきたのかも知れないと、そんな風にも思えるのです。
岸和田の少年虐待事件は記憶にありますか?虐待と飢えの中を弟は逃げ出し兄は衰弱したまま逃げ出す事が出来なかったのですが、彼は私と同じ選択、つまり無力な自分を痛みの中に放置したのだとは、事件を知ったときの私の中の直感でした。自分の考えを知っている年齢の子どもが虐待され続けているのであれば、彼らの多くは私と同じ選択をするでしょう。それが唯一自分達が生き延びる方法だからです。
私は・・・自分の一部分であるそんな彼女に、ただ 「 もういいよ 」 と、 「 辛かったよね 」 と言い続けます。ただ 「 限界があって当然だったんだよ 」 と自分自身に言い続けるのです。小さな安堵を感じながら 。
ある本を読んでいて、魂と言う言葉が浮かびました。 “ 魂 ” というと宗教的な意味合いが強くてあまり好きではないのですが、私は “ 精神や心 ” の見解の基に思い浮かべました。私達は過去に魂を殺されていたのです。親が子どもを自分の理想に当てはめようとするのは、まさに “ 子どもの心を殺している ” のと同じことなのです。では子どもは何時から心を持っているのかというと、これは言うまでもなく親が受精卵として子どもの命を宿らせたときからだと思います。その時に望んだ妊娠でなければ既にそこで子どもの心は大きく傷ついているのです。ですから、本当に命の初めの部分とでも言うか、まさに、目に見えないほどの形でしかない受精卵に宿っている心の事を“ 魂 ”と言えるでしょう。そしてその状態で始まった命は初めから、命としては控えめなのです。「私は生きても良いの?」と常に確認しているのです。それが、少し飛躍しますが小さな赤ちゃんの夜鳴きであったり、他のいろんな事に起因するのではないかと思います。
私の親は、前述のとおりに私の魂を殺していました。加えて繰り返し虐待を受けていましたので、大人になっても、どれが自分で何が真実なのかが分からずにただ日々生き延びているだけでした。
そして残念でかつ本当に申し訳ないことですが、私は自分の子ども達の命を心の底から純粋に望んでいたわけではありませんでした。一言付け加えておきますと、此処で伝えたいことは 「 生まれた命の価値 」 についてではないのです。 私は過去に母親と言う役割が欲しかったのであり、自立した人間として 「 子どもを生み育てたいと心の底から思ってはいなかった 」 という事のみです。
私は過去に不安定なまま母親になってしまったことで、さまざまな問題が生じてしまったのです。長くなりそうですので、今日はここら辺で・・・。
私はもうすぐ離婚から1年を迎えます。そしてこの頃の私は、実は1ヶ月以上もかけて、自分はこれからどんな風に生きようかと毎日のように考えています。私の離婚はただの離婚ではありませんでした。ただの離婚ではない理由は・・・こちらも中途半端なのですが後日ということで。
今日は久しぶりにプールへ行きました。今日の私は水中で水と戯れる人魚ではなく、水を使って遊び、運動をする人でした。クロールで泳げるようになりました。(笑)
| 2004年05月17日(月) |
「 不登校すること 」 と 「心の叫び 」 |
今日、不登校をしている子ども達の機関紙『こみゆんと』に書かれた心の叫びを読みました。私の娘は不登校をしていました。今はそばにいないので、彼女たちの様子に付いては何も分かりませんが、当時、子ども達は身体を張って不登校する事で、自分たちが抱える辛さを表現していたのでした。 “ 身体を張って ”と言う言葉は過大表現ではないのでしょう。何故なら彼女達は、自分たちが私と言う母親から否定されてしまっては生きていけない事を知っていながら、それでも自分の辛さを訴えようとし続けたのですから。私は過去にはそんな子ども達の辛さを真に理解することは出来ませんでした。そして学校に行かない娘と自分のと間に流れる空気の重さにただ苦しむのみでした。もちろん、空気を重たくしていたのが私であることに間違いはないでしょう。
初めその中に書かれた文章は、今の社会に生きる子ども達の心の姿に見えました。もう少し読み進めているうちに、一つ一つの言葉が過去に不登校していた娘の心の底の苦しみと重なり、私は 「 子ども達に酷い事をしてしまった 」 と、自分を悔やまずには居られませんでした。そして更に読み勧めているうちに、自分自身の子どもの頃の辛さが浮かび上がってきました。
そうだった。私は過去に学校でさまざまな規制を受け、レッテルを貼られ傷つきながらも、その辛さを誰に言うことも出来ずに、大人に強制させられるままに通い続けていたのだった。そしてその私は自分の子ども達と同様に学校に行かない事をしようとした時期があるのだった。さらに私がいつも自殺しようとしていたのは、幸運にも欠席することが出来て一人家に残された日中のことだったのだ。
あの時の辛さを抱えたままの私が、どうして自分の子ども達に「休んで良いよ」と.「不登校してくれてありがとう」と言えただろう。どうして自分が抱える辛さに巻き込まれずに子ども達の心を見つめて上げられただろう。
私はどんなに「不登校する理由」を理解していても、そうしなくてはならない子ども達の辛さを心の底から認めることは出来ていなかったのですね。
私は此処で何をしているのでしょう。
私は過去にあれほど生きづらかったのは何故でしょう。地獄のように感じていたあの家から離れても辛かったのは何故でしょう。大人になり安定した収入を得ても、結婚して子どもを生んでも辛かったのは何故でしょう。
妻になっても母親になっても、何をしてもいても拭いきれなかった不安と辛さの原因を、私はまだまだしっかりと見つめて生きたいと思います。
これから何をしていけば良いでしょう。
私は自分が過去には傷付けられた子供であった事を知っていたいです。
今も時々、マイナスの視線で社会を見てしまうことも知っていたいです。
そしてこれらを知る私は、過去に巻き込まれない、真の強さを身につけたいと思います。 「自分を大切にして生きたい」と何処の誰にでも語れるように。
| 2004年05月15日(土) |
ピエロ役 秘密の重たさ 共依存 私 |
私達は、過去には自分自身を笑いのネタにすることがありました。こういう事も自分を傷つけていたことになるのですね。それは子どもの頃に学んだピエロと言う役割でした。過去の家の中には、談笑するとか語り合うと言った雰囲気は一つもなく今にも切れそうな糸がただ張り詰めているだけで、私は何時の頃からか、家族が集まったときに流れる空気の重さに耐えられなくなっていたのでしょう。私が笑いを取ることで少しでも空気の流れが変われば、その場を通り過ぎることは出来るわけですから、私は率先してピエロ役を引き受けたのでしょう。けれど・・・私の中の “ 元ピエロ役 ”の人格は私と出会った頃からずっと「本当はこんな風にしたいわけじゃない」と言い続けていました。当然ですよね。そして彼女もまたそんな自分がいつも疲れている事を昨日になって知ったようでした。
秘密は『秘密』だと思う事から傷が深く辛くなるのかもしれません。「誰にも言えない」と思うから、「秘密」を守ることにエネルギーを使ってしまうのかもしれません。「誰にも言えない」と言うことは、「 知ってる 」 事を 「 知らない 」 と言う必要があるからです。嘘を付く為のエネルギーが要るのです。
私は、自分たちが過去に受けた虐待に関する傷を、これから少しずつ社会に何かを訴える時の材料の一つにして生きたいと思っています。
今日も世間はマイナスの嵐でした。私は、能力を意識して社会に出たつもりだったのですが、“ つもり ”なだけだったのかもしれません。もっともっと楽に生きたいなぁと思います。明日から社会に出るときに何を意識して行けば良いのかな。私は “ 私 ” を意識するのでした。私は自分のすることに意識していくのでした。
私は過去、自分のパートナーに、子どもに、家やお金、目に見えているだけの物的なものの全てに依存し続けていました。そして心を見つめ傷を癒し続けようとする今も、まだまだいろいろものに依存しようとする私がいます。それは食べ物であったりファッションであったり、時に社会の人であったり。
でもね、私は依存する自分を知っています。そして依存しない自分・・何にも依存しないで自己を確立して生きていこうとする自分が居ることも知っているんです。私は少し前に『権利条約の本』を読みましたが、その時に初めて、私達は国の経済を成り立たせる為に国と言う組織に利用されている事を知りました。私が過去に価値を置いていた「自分の家やマンション、銀行に貯金すること。何かを買う。雑誌の中のファッション。高い化粧品。テーマパークや、ラーメン屋もファミレスも、父の日も母の日もこどもの日」さえも、何もかもが国を栄えさせる為に利用されていたのです。お金とは世間とは、社会とは国とは、私が自分の心を殺して目の前の集団や話題に溶け込もうとすることは、私が生きる為には何の価値もないのだと知ったのです。そしてその背景には、過去の大量生産の中で皆が足並みそろえて同じ色に染まると言う事を要求されていたのだと。その事を知った後の私は “ もう何処の集団に属する必要も感じない。私はただ自分を楽しむ事だけを意識して生きていこう。 これが自己の確立に繋がるのだ”と言う気持ちが私の心に自然に浮かび上がっていました。そうです。私はそんな一面も持ち合わせています。
これからどうやって生きますか?私はこの一年間と同じように、ひたすら自分の心を見つめ続けて生きていこうと思います。今日も職場では、私には関係のない話を囲む人々の姿が見られました。それはそれで構わないのです。私は・・・。ただ一人で座ってた。良いんです。私はその話題を必要とはしていないのだから。
巻き込まれさえしなければ、私は “ 私 ” を意識して自分の大切なものに付いて、いつも考えていられるのです。23:55
| 2004年05月14日(金) |
Sofyを手伝う 上下関係 不必要な順位 |
もう一人の私が確実に前を向いていこうと決めたことで、私は2日間ほど自分の方向性を決められずにいました。間違いなく私の一部である彼女を手伝っていくに対して、私の中で小さな違和感が抜けなかったのです。その違和感は昨日の朝の時点で「私が彼女を肯定していない」事なのだとわかり、さらにそんな私の気持ちは簡単に彼女の部屋に居る他の人格にも伝わってしまい、私は昨日一日巻き込まれないように意識することに大きなエネルギーを使いました。そして夜になり、私は自分の中に違和感を抱えたまま彼女のスペースに無断で入っていきました。彼女は激怒し、私Mamoに対して「私はあなたの領域に無断で入る事を許されなかったのに、あなたは勝手に私の場所に入り込んでくるなんて!」と言い、その言葉は私の心の底にある気持ちを明らかにさせてくれました。私は心の底では彼女を肯定していないまま「教えてあげる人」として彼女の中に入ろうとしていたのです。こんなことって本当にあるんですね。自分の中に住む別の自分、私と同じ体と頭を使っている人。けれども許可無くしてその人のスペースには入れない。あれ?そっか・・私も過去にはそうして他の人を拒否していたことがあったのでした。
さて、気が付けたことで私は彼女に謝罪をする事が出来、私は彼女を手伝わせてもらうことにしました。自分で自分の成長を「手伝わせてもらう」と言ってる事だけでも面白いと思えますが、実際に一つの頭の中でこれから変わろうとする人を手伝わせてもらうことで私自身の成長の確認が出来る上に、更に多くの気付きを得ていくのですから、どんなテレビドラマよりも面白いのではないかと思います。
そんなわけで今日は彼女(ちなみに彼女の名前は“ Sofy ”と言います)を手伝う為に外に出かけ、約一年前の、一人で買い物が出来なかった自分を思い出しました。
車に乗ったらシートベルトをする。信号だけは必ず見る。銀行に行き窓口で税金を払う・・銀行に入って整理券を取り順番を待つ。名前を呼ばれたら窓口に行く。窓口に言ったら、用件を話す。こんな事を私は彼女の後ろで言い続け、彼女は私の言うとおりに行動するのです。デモ。。実は私も銀行の窓口などは慣れていない、買い物が一人で出来て、公共機関に混乱せずに乗れるようになった、という程度なのですが、私の場合、これだけでも外出するには十分に大きな能力になり得るのです。そして今はただ言われるままに動いている彼女も、いずれは今日の私のように、誰かに教えている姿があるのだろうかと思うと、本当に不思議な世界だなぁと思います。
一年前には別の誰かに教えてもらいながら、何度も混乱しながら社会で生きていく方法を学んできた私ですが、今日は始めて自分が他の誰かに伝えていくと言う事をしてみて、私はあることに気が付きました。
私は生活に必要な技術を教えることは出来るけれど、心の問題に付いては何も教えることができないのだと言うことです。私達が抱える心の問題のすべては、私達の中の一人一人が自分自身で考え汲み取っていく必要があるのです。私は何をして居ればよいでしょう。私はただ自分の事をし続ける。そして彼女が私を必要としたときにのみ私は彼女を手伝うことが出来るのでしょう。私が「手伝いたい」と思うことが、彼女を手伝える一番目の理由にはならないのです。20:00
私は今日まで自分の中に、そして自分と他者の間に上下関係を作っていました。自分の中で勝手に誰かと比較しては一喜一憂していたのです。
人と人の間に上下関係はありえないのですね。例えば学校の中で、会社の中で付けられる順位も本当はまったく必要のないものなのですね。何かを成す時に、そこに順番や順位が生じるのは自然なことでしたね。問題は順位や順番で私たちの人格、命そのものを評価されてきたことなのですよね。私達がその傷を抱えたまま社会に出る事で時間にせかされ更に完璧さが加わって、大切な事を忘れたまま「早く早く」と自分を終わりのないゴールに追い込み続けてきたのですね。
そして今の社会の多くの人は過去の私と同じように、時間に追われて生きている自分に気が付かないまま生きています。
私は・・私はどんな風に生きましょうか。私は私を見失わないように、毎日自分を意識して生きます。ずっとずっと。
実はこのことは、私とSofyさんとの間に上下関係を作っている自分を発見して考えられたことでした。どんなことも考える為の材料になるのですね。
今日から新しい本を読み始めました。私は、今までのものとは違う良質の本を読み、考える為の材料にしたいと考えています。本を読んだり、新聞を見たりすることは、私の知らない事を知るチャンスなのです。そして自分が知らなかった事を知った瞬間の私は、とてもワクワクするのです。21:49
| 2004年05月12日(水) |
私がやっていくこと。 自由に生きてる。大きな変化の予感 ?さんへ |
ただ自分を意識して、でも時々この私のすぐ後ろにもう一人の私の気配を感じて、それがしばらくすると、もう一人の私の中の又別の一人なのだと気が付かされる。それは大人であったり子どもであったりする。いったい何人いるのか分からない。もう一人の私は「100人」とか「とても数え切れない」という言い方をする。私は始めこの人数に驚いた。でもこれが現実だから仕方がない。変えられない事実なのだ。そして私は私を意識する。朝起きた瞬間からそう思う。足を前に出す、自分のつま先が床に付く瞬間を感じようとしてみる。今日の私は何と出会い、何を考えるだろう。楽しみだ。
もう一人の私は、多分私に名前を付けて欲しいと感じているのだろう。それは十分分かるのだけど、何も思いつかない。思いつかない理由がほんの少しだけ分かる。そしてそこを見ていても進まないので、とりあえずいつもと同じように生きてみる。
もういいよね。影のように空気のように生きる事はしなくても良いよね。私はあなたが生きている事を知ってる。一緒に生きる事が出来る・・・かもしれない。7:20AM
部屋の模様替えをしました。何を模様替えしたのかというと・・・。私のこれまでの能力を整理したのです。中には今の考え方として「ちょっと違うなぁ・・」と思えるものもありました。でもそれはそれで良いのです。あの頃はそれらを考えられる私を信じることで生き延び、成長してきたのだから。何個かの能力のリストを剥がした後、現在の私Mamoが全身で感じられる能力を書き足していきました。
過去に感じた能力の中に「過去を捨てられる」と言うものがありました。過去を捨てられる・・・。そうですよね。過去は捨てても構わない。そして今は、過去は過去で存在しても構わない。この過去を持つ私が今此処で生きているのかなぁと感じていますが、どうでしょう・・・。
実は、この先の何日かの間に、私の中でとても大きな変化が起きる予感がしています。それはまるで、私の中に隔たっている分厚くて固い壁が音を立てて崩れようとしているかのようです。壁の向こうに居るのはもう一人の私ですか?私はこれまで、自分と彼女の間にこんなにも分厚い壁がある事を知りませんでした。・・・と書いてみましたが、実際には壁の向こう側には誰もいないのかも知れません。此処のところは分かりません。
でもね。ホントウはですね。私は何かを見る方向を逸らしているのかもしれません。何かが大きく音を立てていて、それはもうすぐそこでトグロを巻いていて、でも私はそれらを簡単に押しつぶせるように思えるのです。
今日私は同じ職場で働く一人の女性に「自由に生きているように見える」と言われました。「この私が自由に見える?!」私は何だかくすぐったくなりました。・・今の私は社会の中でそんな風に移ることがあるのですね。過去には何とか楽に生きたいと、そして何とか自由になりたいと、それだけを考える私でした。4ヶ月前には「優しく生きたいよりよく生きたい」と思う私でした。そして今は、社会の中で自分を遊ばせてあげる楽しさを知り、そんな私はいつの間にか、ごく当たり前に自由を感じて生きられる時間を持てていました。もちろん傷が癒えた部分だけですので、何時もいつもではないことは感じています。だから私はこれからも自分を見つめていくのです。心を見つめることは、何をするよりも楽しいことだと感じます。私のする事の一つ一つが、自分の心の問題の成長と繋がっていくのです。
私を自由だと言ったその人は「自分もそうしていたいけれど、ついつい自分を造ってしまう」と言いました。そうですよね。過去の私もそうでした。そして現在でも過去の傷に巻き込まれて偽者の私を演じる瞬間があるのです。そんな私がその方に語れたことは「みんな楽に生きれると良いですよね」の、一言のみでした。本当に私はまだまだ楽に生きたいと思います。
あっ!書いてみて分かる。私は私の事のみを語れば良いのに、“皆”の事として語ってしまいました。まっいいか。・・・これから先同じような事を言われる事があったらなんと言えるかな。
「私は楽に生きたいのです。・・・自分を大切にしたいのです・・・自由に生きたいのです」うーん。どんな風に自分を伝える事が出来るでしょうか。今のところは「私はもっともっと楽に生きたいのです」かな。こんな事を考えてみる事もまた、とっても楽しいのです。22:43
M ゆっくりで良い。慌てなくても良い。私はあなたを知りたいと思う。私はあなたを知るというよりは、私という別の私を知るのだと思う。知る必要があるのだと思う。ACの本は自分と照らし合わせながら、読めるときに読んでいけば良いと思います。23:00
| 2004年05月11日(火) |
もう一人の私が決めたこと。手伝う私に出来ること |
部屋の中に大小の紙が散らばっています。この1年間で考えて綴り、あるときには書きなぐってきた物を広げて、私は今ある事を考えています。もう一人の私は今日、「前を向いて生きたいから手伝ってほしい」と言いました。私は・・・そんな彼女がこれから取り組んでいく癒やしの作業を手伝ってみようと思っています。私Mamoが自分の心の問題の大きさに気付いてから3年。離婚と共に一人になってからの私は、自分の苦しさから逃れる為に無心に自分の心のことだけを考えてきました。そして今・・・。 実は3日間くらい混乱していました。もう一人の私が、現実を信じられるようになったことで、突然彼女の部屋にいた子どもの人格が何人か現れ始めたからです。実際には安全な場所にのみ出てくるのですが、出てきた人格を眺めることは出来ても、入れ変わることが出来ずにいました。そして何よりも今になって新しい人格の登場ということが私を混乱させました。けれどこの頃の私は自分の中の混乱を引きずることよりも、今の自分に何が出来るかを考えたくなっているのです。
そんな中で、少し前から「これからどう生きれば良いのか?」を考えていた彼女と、ちょうど同じような時期から「私はこれから何が出来るかな?」と考えていた私。これはただの偶然でしょうか。私は少し前に、自分の持っている風呂敷を広げてみれば、自分が何を掴んで生きているのかが明確に分かると感じていましたが、実際に広げてみることはなく、ごく自然に自分を楽しませる事を楽しんでいました。今考えると風呂敷を広げる役目は私ではないのかもしれません。
もう一人の私の部屋の中の作業を私が手伝う。実際に私が出来ることは何でしょう。それは多分強制でも押し付けでもない。ただ私Mamoが私自身を楽しませて生きることのみなのでしょう。彼女は自分の中のもう一人の私です。今は別の人格。そして彼女は私の一部であり私も彼女の一部。そんな彼女を手伝おうとする私に出来ることは、きっと私Mamo自身を見つめて行くことだけですね。
何かが大きく変わる予感がしています。それはもしかすると私の心次第かもしれません。今の私に何が言えるのかな・・。丁寧に、一つずつ、事実だけを受け入れて、やっていくことが良いですね。それから、小さな気付きや心の中に沸いてきた思いを出来るだけ書きとめて生きましょう。書き表すことで心の整理が出来るますから。
名前を考えています。私と同じでは混乱の元になるので、何か素敵な名前がないかと・・。でも本当は名前を考えることの出来ない私が居て、その理由を私は自分で知っています。私は自分の事を整理する必要がありますね。彼女は前を向いて生きたいと痛感しているのだから・・・。Mamo 22:30
| 2004年05月10日(月) |
心を通過した風。自分に何かをさせること。役割 ミナミの傷さん |
2004年5月10日(月) 心を通過した風 なんとも言えない夜勤だった。仕事が始まってすぐに、一晩のペアになる方があなたメッセージで言うけれど、私の話を聞いてはくれないと分かった。それでも私は分からないことは聞いていこうと思った。 私は夜勤の始まりから利用者の食事を間違えて配るというミスをした。私は傍にいた職員に謝罪してどうすればいいか尋ねるときつい言葉が飛んできた。私は自分が間違えたから仕方がないと切り替えて次の行動に移った。 深夜になり、ステーションで翌朝の薬の準備をしているとナースコールが鳴った。私はコールを取ってちょうど薬をつめていた。「ちょっとお待ちくださいね」と言って、薬をつめる手を急がせた。そこにペアの職員さんがやってきて 「あなたはそこで待機してるんじゃないんですか?ナースコールがなるってことはこの部屋の人は寝てないんだってことがわからないんですか?待機ってコールを取ればいいってわけじゃないでしょ」 私はその人の言葉の意味をすぐに理解できず、何かを尋ねる事も出来ず混乱した気持ちを切り替えようとすることで精一杯だった。それに、ペアになる人によってはすぐに行かなくても大乗という人もいるのに。 自分は今、自分を無視したのか切り替えたのかも分からない。ただ長引かせないで楽しく仕事をしようと思う私が居た。「怒りを引き伸ばすのは自分だ」という言葉を思い出した。怒りを持続させているとつまらないし辛くなるのは分かっている。切り替えてみたかった。私がこれまで学んで来た事を確認するチャンスのようにも思えた。同時に“楽しく仕事をしたい気持ち”と“戸惑っている自分に何かを言わせてあげることが出来るのかな?”という小さな好奇心も持っていた。私は楽しみたい。そして楽しんでいる自分の動きを見たい。“楽しく仕事をしたい”は、自分に優しく接することである。 私はペアさんに、少し警戒しながら「ペアになる方によって方法が少しずつ違うので、こんな風にして欲しいというのがあれば伝えて下さい」と言った。ペアさんは始め怪訝な顔に見えた。私が「出来るだけスムーズにお互いの仕事が流れると良いなぁと思って」と伝えるとペアさんは「その日によっていろいろと違うからね」と言い、私にはそんなペアさんの顔には少しだけ笑顔があるように見えた。私は安堵した。人の笑顔はそれを見た私にも心地よい。 さて、夜勤のクライマックス。朝のおむつ交換の時間がやってきた。この時間も“ 介護さんに聞いていきながらやっていく ”という基本形がある。介護保険施設では介護士さんがプランを立てて動いている場所なので、私達は身体の観察以外の殆どをケアさんに確認しながら動くものだと捉えられているからかもしれない。けれど、ここでも又また否定の言葉が飛んでくる。いいと思ってしていることがそのペアさんにとっては間違いになることがある。「えーっ。もう何回もやってるんでしょ?まだ覚えていないんですか?いちいち教えながらやっていかなきゃならないの?ちょっと待って下さいよ。本当なの?」エトセトラエトセトラ・・・。 「 またか・・・。ドウシテ?? いつもと同じ事をやっているのに・・ 」 本当は思い切り反論したい気分なのだ。 「 二度と夜勤はやらない 」 とさえ思う。でも、ここで原因を考えていると私は朝の忙しい時間に混乱してしまう。それではいけないと又切り替えて・・・。分からないことを尋ねると否定されるので、聞かずにおぼろげな記憶を頼りに動いてみる。それでも少しでもずれると否定される。聞いてからするほうが確実だと思って再び聞きながらやってみると、それも否定される。私も限界になってきた。尋ねる自分の声が怒りを含んで投げやりになっているのがわかる。それでも構わない。 目の前の人には私の怒りも通じないかもしれないから。 怒りに巻き込まれて大切な自分の業務が遅れ気味。おまけに今朝は採血する人の血管が細くてなかなかうまくいかない。焦る気持ちを切り替えるよう意識しながら何とか業務を進めていく。この後には食事の為の離床作業が待っている。臥床している利用者さんを車椅子に乗せて食堂まで連れて行くのだ。看護の仕事を終えてようやくケアさんを手伝いに行く。ここでも人によっての進め方があるようだから 「どんなふうにしますか?」と聞いていく。ところが又もや否定の嵐が待っていた。「 えーっ。まだ覚えてないの?ちょっと大変だヮ・・」その人は困ったようにため息をついた。心に貯まった言葉が浮き出てくる。「あなたは150人の情報を全部一度に思い出せますか?」(ちなみにその人は固定した場所で40人だけど)私はその言葉を飲み込んで、「 それでも教えてもらえると楽しく仕事が出来るし・・ 」 と返した。するとペアさんは「冗談じゃないですよ。楽しければ良いなんて、私達は必死なんですよ。皆必死で夜勤をこなしているのに、楽しく夜勤するなんて勝手なことを」 私の限界がやってきた。どうにも虚しさがこみ上げて抑えられない。怒りではない。怒りという感情を通り越して虚しさとか寂しさとかそんなものがこみ上げてくる 「どうしてこんなにも否定ばかり。これ以上私を責めないで下さい」 。私はそう言って部屋を出ようとしたけれど、踵を返してその人の前に立った。 「私は入職したときに“ペアになる介護さんで方法が違うから確認しながら動くように”と指導されているんです。私も介護さんも動きやすく出来ればと思うから、私のわからないことを聞いているだけです」と言った。そして 「楽しければそれで良いとか、ただそれだけで良いということは少しも思っていない。そう捉えられるともう何も聞けないし出来ない。聞かなければ方法がずれて二度手間になる。聞けばまだ覚えていないのと言われる。私は介護さんの手を煩わせる目的で聞いてるわけじゃないんです 」 介護さんは私に何か言った。途中の言葉は私の耳を素通りし、最後の部分だけが心に届いた。「 でも私達も聞かれてわからないこともあるし、看護婦さんによっても違うから・・」 そうだったんだ。介護士さんも戸惑っていたんだ・・。私は「お互いにわからない中でやろうとしていたのですね」と言った。私の中に、この一晩で否定の嵐を受ける原因があったかどうかわからない。介護さん自身の戸惑いが私を否定しても良い理由になるとも思えない。今分かるのはお互いに相手に自分を合わせなくてはならないと感じる重荷の為に苦痛を抱えて仕事をしていたという事。私は(それなら残りわずかの仕事時間を私は目の前の人と話し合うことでやっていってみよう」と思った。 勤務時間が終わった。「お疲れ様でした」と伝える私。ペアさんは「お疲れ様、又よろしくお願いします」と笑って言った。 少し前に、「自己を確立させる事を意識できていれば、自分と違う他者も受け入れられることを知った。受け入れる? そのイメージには追いつかない。そしてこの出来事は、マイナスの社会でどう生きるのかと言う今の私のテーマの大きなヒントになった気がしている。後は考察していく事なのかな。分からない。私は今回のような経験を何度もしていく中で何かを確信するのだろう。
自分に何かをさせてあげるというのは、どんなときにもそう考えていて良いのかな?マイナスの状況ではなくても、いつでもそのように捉えていれば、“壁を背にして自分を眺める”という言葉が使えるのかな?
PCに残した子ども達の絵を消せずにいます。私の手元に残っている、子ども達に関するものはこの絵のみ。これを消してしまったら後には何も残らないと思っているのです。それにしても、消してしまうことで何も残らなくなるとして、では消していない今の私が持っている“何か”とはいったい何でしょう。よく考えてみると、私が大事に持っておきたいと思っているのは、“母親”という役割を持つ自分でした。ただの役割、今は子ども達を傍で見ていることが出来ないと知っている私が、それでも持ち続けようとしている役割。この役割を行き着くところまでたどっていくと、美奈子という人格の存在に辿り着くのです。そんな事をしていたら、ミナミの傷さんという、“ 美奈子の傷ついた感情を持つ人格 ” が現れて、「 私も傷を癒やしたいのでチャイルドを引き出す方法を教えて欲しい 」 と言いました。 でもね、分かるんです。ミナミの傷さんにチャイルドは癒やせない。自分自身が傷なのだから、誰かと一緒になる必要があるのです。そしてその誰かは、もともと同じところにいた美奈子が最善なのです。更にその美奈子は今は何処へ? もしかすると私が美奈子かもしれませんね。実は私は美奈子でありMamoだと思えるのです。それなら私がミナミの傷さんを受け入れて、一緒になれば良いのですよね。やってみようかな。どうやって?美奈子から切り離されてしまうくらいだから、とても大きな傷なのでしょうか?それとも美奈子はもともと小さな傷にも耐えられるようには出来ていなかったのかもしれません。本当はどうか・・わかりません。そして方法は考え付いたけれど、今はまだ過去のことが何も見えてきません。けれど何時の日かきっと分かりますね。そしてその傷が癒やせたなら、私は本当の意味でこの役割を降ろせるのでしょう。ん?役割を降ろして生きている私も居るわけだから、そのままをやってみれば良いのかもしれません。ん?ではミナミの傷さんのことはどうするの?いろいろと考えると、自分の将来がとても楽しみで何だかワクワクします。21:00
| 2004年05月09日(日) |
成長する自分の傍に。 |
周囲の誰かと一緒に成長するとはどういうことだろう。私は心の勉強をしている。少しでも楽に生きていきたいから。よりよく生き、自分の人生を全うして死んで生きたいから。私の細胞の一つ一つを使い切って生きたいから。
私が自分の心を見つめ自分を大切にし続けて生きるときに、偶然にも自分の傍に同じような志を持ち実践している人がいれば良いだろう。たまたまそこに居る他者と心に付いての何かを語り合うことで、お互いが成長出来ればそれも良いだろう。そんな誰かが居ないとしても、私は私でやっていけば良いのだろう。共に成長するというのは、結果論として現れる偶然みたいなものだろう。何故ならいつも人生の主役は自分で、たまたまそこに居る人と語り合うだけなのだから。
おそらく私は一人でもこのまま自分の心を見つめる事を止めないで居るだろう。心の問題以外に私の心を魅了するものは、当分の間は現れないだろう。
それから仮に少し道がそれたとしても、プラスの世界はとても楽な事を私は忘れないだろう。16:15
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