「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2004年07月20日(火) 性 好奇心

 7月18日付け朝日新聞に、「性同一性障害」と自覚する方の講演会が名古屋で行われると掲載されていた。外見と違う内面をもつ人たち。私は以前から、性同一性障害と言う言葉が気にかかっている。

「性同一性障害」も「解離性同一障害」も、その根源は同じだろう。
とすると、どちらも 「障害」 ではなく 「傷」 なのだ。
私の中にも、女として生まれた私を否定された分だけ、彼らと同じ側面があるのではなかろうか。

そうだとしても、私はこれまでと同じように 「私」 の人生を歩いていけば良いと思う。8:30


  海で出会った一組の姉妹。年は聞かなかったけれど、小学校高学年かな。彼女達は私の一人遊びを傍で見ていた。 「何か見える?」 と聞いてきた。見えていたものは小さな魚と永遠に続く海の底。砂に埋もれたゴミさえも私たちには遊び道具。私は 「私」 の人生を、体の中心から湧き出る好奇心を使って楽しむ。彼女らもまた、自分の人生の一こまとして 嬉しそうに「私」 を見る。このひと時の 「空間」 の何処に辛さがあるだろう。子どもと遊ぶことがこんなに楽しい事を、私は今まで知らなかった。


過去に子どもと居た頃の、殆どの事は間違っていたんだね。私は自分の人生を放ったまま、子どもの人生を何とかしようとしていたんだね。本当は子どもの存在を疎ましいと思うことさえあったのに。その後ろめたさを隠すように、何かをかぶせてきたんだね。苦しかったから仕方が無いね。どんな過去も見つめていこうね。そこから何かが見えるから。22:00



2004年07月17日(土) セミの命 

 今私は心の底からスポーツを楽しみたいと感じています。体がそのように訴えているのです。自分の体型を考えると、私は体が小さいので飛んだり跳ねたりするにはちょうど良いのではないかとか。そして実際に走ったり飛び跳ねたりしてみると、心地よさが私の体の中まで浸透してきます。私は過去に出来なかったスポーツをもっともっと楽しんでみたいと思っています。過去にやりたい事をとめられたままでいると、それは苦手なものになってしまうことがあるのですね。私の中にも子どもの頃スポーツを楽しみたい自分が居たのです。そしてこの 「 身体を動かしたい 」 という自然な気持ちを、育ての親たちによってしっかりと止められていたのです。

 公園に行ってきました。
公園は木陰がたくさんあり、木々から溢れる木の香りと森林独特の空気に懐かしさを覚えました。たくさんの木から放たれる、「 暖かさの中の冷たい空気 」 とでもいうか、そのような不思議な空気の感じが私はとても好きなのです。
木陰を歩いていたら、殻から抜けたばかりのセミが仰向けになって起き上がれずに居ました。私はそのセミをそっとひっくり返してすぐ傍の木に止まらせました。つかんだ時の感触で、生まれたてのセミの体は柔らかい事を知り、私の力でその身体を潰さないように本当にそっとそっと木まで運んで上げました。ところがセミは羽を痛めて飛びたてず、木から落ちてしまうのです。 「 このセミは死んでしまうだろう. せめてこのセミを木の上で死なせて上げたい 」 と思うのは私が人間という 「 いきもの 」 だからだろうか。7年間地中で過ごし地上に出てきたけれど、セミとして飛ぶ事は無く死んでいく。それが、このセミの命。そしてそのセミは他の生き物に利用されて次の命へと引き継がれる。命とはそういうものなのですね。

セミは 「 セミ 」 としての命を生きる。飛べないままでもセミは何一つ嘆かないまま死んでいく。そうですね。人間以外のいきものは、自分の存在も人生も何一つ嘆くことはありません。

 もう少し歩くとセミの抜け殻をたくさん集めている女の子に会いました。私は、女の子が自分の頭より高い木にある抜け殻を取る、その技をしばらく眺めていました。女の子は私の姿に気が付くと、自分で採ったたくさんの抜け殻を私に見せてくれました。
「 たくさん採れたね 」 私がそういうと女の子はにっこりと笑いました。
口元からこぼれそうなほど大きくて白い歯を見せて、ニコニコと笑うその表情がとても印象的でした。
子どもとはこんな風にして自分の小さな能力を確かめていくのですね。大人である私はそんな子ども達の姿を見守っているだけで良いのですね。
私は過去、うんと間違っていましたね。そして仕方が無いですね。その方法しか知らなかったのだから。

 『愛すると言うこと』という本の中には今の私にとって興味深いことがたくさん書かれているのです。
2年半前まで自分を愛することことすら出来なかった私は、今はこんな本を読んでその内容に共感している。本当に不思議です。私はこれからも社会の中にあるラブストーリーやラブソングではない 「 真実の愛 」 を意識しながら生きていきます。とても大切なことだと思うから。そしてとても楽しいことだとも。

 デジカメの調子が悪いのです。ピントがうまく合いません。明日修理りに出すつもりですが、これからは機械を優しく丁寧に扱う事を意識します。自分の身体だけではなく、自分を取り巻く全ての事物を優しく丁寧に考えていくのです。まずは自分からね。自分を意識することからですね。

 私はこれまで海には行っても日焼けをしない人でした。実は20代の頃無防備な日焼けの後、日焼け部分は火傷と化し高熱で苦しんだ記憶があるのです。
そしてそれ以来私は肌を焼けない人になっていたのです。
今年は肌を焼いてみようと考えています。少しずつ肌に負担がかからないようにね。小麦色の肌もきっと素敵なことでしょう。21:50


2004年07月15日(木) 空に浮かんだダイアモンド  海底

 昨日の夕方、車を運転中の事、遠くに浮かんでいる雲の真ん中に何かが光っているのを見つけました。運転中なので凝視することが出来ませんが、「何なのぉ?!」と目をパチパチさせながらその光りを追い続けていました。

光りは真っ白くて分厚い雲の中でとても大きく輝いて見えたので、飛行機?とか雲のかけら?(そんなことは無いか・・・)とか、一人で想像をめぐらせていました。

飛行機にしては動きが無い・・じゃやっぱり雲のかけら?! 水蒸気?
目に見えるはずが無い・・。 どうして動かないの?

と・・・この独り言を時間にするとほんの2分くらいのことなのですが。

暫く走って道を曲がり、その光りを見る方角が変わったとたん・・な、なんとそれは私の眼に大きな飛行機として飛び込んできたのです。ホントに驚いてしまい、走る車の中で一人「何でぇ!」と声を上げた私です。

後になって、私の眼に光り輝いて見えたのは何故かを考えてみました。まったくの想像ですけど、私は東に向かって走っていて、後ろに出ていた太陽の光り(西日)が飛行機に反射して光って見えた。(太陽光線が飛行機に直撃していたの?)発見した時には飛行機はうーんと遠くを飛んでいて普通は見えないような距離であったのに、太陽光線の反射によりその姿が見えた、とかね。これを読んだ人は私の想像があっているのか教えて下さいな。

 

 時計の後ろの歯車を見たことがありますか?昨晩時計の後ろに隠れている歯車を改めて眺めてみました。歯車は3つあり、そのどれもが微妙に、けれどしっかりとかみ合うように作られているのですね。そしてそのどれかが壊れてしまうと、私の時計は「時計としての機能」を果たさなくなるのですね。

人生を表現する時に「歯車が狂った」という表現を聞くことがあります。どこから歯車が狂ったのだろう、とか。私も過去にそんな言葉を使ったかもしれません。今は、私の人生を歯車に例えることは出来ません。それでも言うとするならば、私の人生の歯車は自分が生きたように動いているということですよね。軋みを持たず潤いを持ち、少しずつ確実に動いているのです。7:00


  
 海へ行ってきました。海の底を水中眼鏡で見ているうちに又また海の底で寝てみたくなりました。
最初ゴツゴツして硬いように見えた海底の岩たちは、実際に身体を付けてみると、岩に藻が付いていてとても柔らかいと知りました。
海の底に身体を沈めると、水上の音が何も聞こえなくなります。ぷくぷくと小さな音、そしてずっと遠くのほうで水面を通る波のザーッという音が、本当にかすかに聞こえます。私はまるでずっと前から、今自分が寝ている海底で暮らしていたかのような感覚になり、そしてなんともいえない安らかな気持ちになりました。この気持ちはいったい何でしょう。プールの底で寝ている時も同じですが、本当に「水」の感触が私の肌にとても心地よく吸い付くのです。

海の水は塩水、私が間違って飲み込んでしまった海水も、自然に生まれた塩の力で、私の体の中をきれいにしてくれることでしょう。
水中で上を向いてみました。小さな気泡がいくつも浮かんでいてとても面白い。そして私が身体を沈めているその下には布団が敷かれているようにも思えました。
水中で小さなふぐが一匹泳いでいました。泳ぐ魚の背中に触れてみたくてひそかに追いかけていましたが、私は彼らを脅かしてしまったかもしれません。次回はそっと傍で見守るだけにしようかな。


 私が自分自身の好奇心を満たそうとする時、自分の中にある年齢や性別の固定観念が大きな弊害になっている事を知りました。これらのものを取り除いていく為に過去のものを捨ててプラスの思考を使ってやってみると良いのですよね。私たちは、本当は年齢や性別に関係なくいろんな事をしてみても良いのですね。
 私は過去に「女だから」という固定観念を植え付けられ、そして何時しか私自身も「女としての限られた領域」の中で生きることをしていたのです。
これからは、社会の中そして私自身の中で「男性の領域」と捉えられている事をやってみるのです。

そして少しでも前に進めると実際に「性別や年齢の問題」はまったく無意味な事を実感出来るのですね。そして自分の体の中で、自分が持つ性としての限界を感じたら、その時に考えていけば良いのですよね。何しろ体の自然な老化だけは、自然に生きる「いきもの」として、避けることは出来ないのだから。

 女性が外見を飾る事は無意味だと知っていても、癒やせていない部分では社会と同じ事をしている私が居ます。

 やってみるとわかる。何でもやってみると分かるのですね。私はこの頃、この言葉に心の底から納得するのです。過去のものの殆どは間違っていて、そして私たちの人生をとても生き辛いものにしていたのです。


2004年07月14日(水) 意識 素朴な世界

 夜勤でした。仕事をしながら何となく 「 あーこの感覚だ 」 と思いました。その時の私は何故かとても楽だったのです。私は仕事の為に此処に居るのだから、仕事を、それだけをしていれば良いのだと。

実は仕事することだけをしているのなら、私はとても楽だったのですね。私が、他の誰でもない「私自身」を意識できている時、私はとても楽に生きられるのですね。そして感情とは離れたところでプラスの思考を使って、吟味することが出来るのですね。

いつも “ 私 ” を意識する自分で居られるように、毎日毎日小さな戸惑いを見逃さずに、ひとつひとつ丁寧に見つめていけば良いですね。

大切なのは「今を生きてる私」なのだから。10:00


 
 ある女性達の視線の中に 「 素朴さ 」 を見ます。小さな子どものように、現実を疑う事を知らない視線をしています。その素朴さは、私がこれから 「 人 」 として生きていくのに、大切なもののひとつだと思えます。
私は疑うことしか知らなかった過去、自分すらも信じる事が出来なかったけれど、今は目の前の現実をいつもいつも信じています。信じるも信じないも無く、現実に私の人生の一ページとして流れている、という事を知っています。これが 「 生きている 」 ということだと思います。そして私の現実は何時もいつも変化しています。過去に戻ることは無く、何時もいつも前を向いて進んでいます。


 純粋とか素朴さというのは、本当は誰でも持っているのに、過去の傷がそれらのものを覆い隠しているのですね。
純粋さや素朴さが見つめられる世界と、何かに覆われてしまったまま真実の見えない世界があるとしたら、私の生きる世界は前者以外にありえません。

だとしたら、私はもっともっと丁寧に過去の傷を癒やしながら、きらきらと輝く眼を取り戻すつもりです。
私は水のように透き通っていて、そして柔らかい世界をもっともっと広げて生きます。
生きていくのに大切な 「 素朴さ 」 も忘れないようにしながら。



 私の中の何かが昨日から今朝にかけて大きくつみあがったような気がしています。
今私は心の中で、「これで良いのだろう」と、「こんな風にただ前を向いて生きていけばいいのだ」と、これまでよりも更に強く感じています。

もう・・本当に過去の思考を全て捨てても、私は居なくなることも消え去ることも無い。埋もれてつぶれてしまう事も無いのです。

そしてその逆に私は「過去からずっと生き続けてきた結果の“新しい私”」として生きていくのです。

「このように生きることが大切なのだ」と何度も何度も心で感じながら。

20:00


2004年07月11日(日) 選挙記念日 動き始めた心

 今日「2004年7月11日」は、私の歴史の中でとても意味深い日となりました。私が一人の人間としての意識を持ち、ほんの少しではありますが、政治というものに関心を持った視線で選挙投票をした日。私は社会のことに関する知識は本当にまだ少ないけれど、何しろ一人の人として政治に参加する権利を使えたことがとても嬉しいのです。まるで生まれて初めて選挙に出かけた心境なのでありました。

選挙会場までの散歩の道のり、近くの幼稚園の園庭の端っこにはローズマリーがぎっしりと植えられていて、その中に小さくて白い花がかわいらしく咲いていました。「これはローズマリーかな?」と、自分の鼻を近づけてみると・・確かに今を生きる私の記憶の中にあるローズマリーと同じ香がして、何だか嬉しくなりました。

 両サイドを仕切られた投票机の中に入ると、そこはとても神聖な場所のように思えました。さてさてその場所で何を書いたかというと・・・ここは秘密です。静かに投票を終えた私に手渡されたものは日付が書かれた「投票済証」でした。管理の為に作られたものなのだろうとは思いますが、私には今日という日、私が“私自身”として生き社会の動きに参加した証のように思えました。

 夕方蜂の巣退治をしました。これがものすごいスリル満点で・・。どういう風にやるかというと、頭に帽子、その上に白い洗濯ネット、身体には白い雨がっぱと緑のゴム手袋をして、それぞれ出口をしっかり塞ぎます。間違っても体の中に蜂が入ってこないように防御するのです。それから氷で冷たく冷やした水を霧吹きに入れて、いざ出陣。 (蜂の巣退治スタイル)
生身のいきものである私が、生身のいきものである「蜂の家」を撃退しに行くのですから、真暗なお化け屋敷に入るよりも数段楽しめる一大イベントだったのです。蜂の巣に霧吹きで水をかけると蜂が逃げていきますが、途中で引き返してくる蜂も居るので、自分の傍に蜂が寄ってきたら急いで蜂に水をかけます。何かの弾みで蜂に刺されるかもしれないし刺されれば痛いことは想像がつきますから、それはもう本当に終了するまでの数分間、半分は命がけなのでした。それでも、出来てしまうのですね。蜂に刺されるのを避けるためにしっかりと身体を保護していれば、蜂の巣も退治できるのです。蜂の巣に関しては次回のチャンスが楽しみになっている私です。そして私は自分の身体を守る方法を知っていれば、どんな場所に居ても大丈夫なのですね。

 私はこの頃、性知識の部分でも過去に持たされたままの間違った固定観念の中で生きていた事を実感しています。私の場合トラウマに囲まれたままの思考では、「白か黒かの世界」のみで物事を考えてしまうのです。性の部分に関しては、乱暴な性の中に自らの体を放り投げるか、又は囲いの中に完全に閉じこもってしまうことしかできて居なかったのです。そんな私が子どもを生み育てていたのですから、本当に大変なことだと思います。しかもこれらの事は過去には私の深い部分に抑圧されたままだったのですから。

ある本によると、どんな小さな子どもでも性的に快感を得る場所があるそうです。それは社会の傷を抱えたままの大人が想像するようなものではなく、体が心地よさを感じると自然に骨盤内の血流が良くなり、そのように反応を示すということだと書かれていました。

まったく違う知識を知る機会が増え、私は過去に多くの事を知らないまま生き、子どもに対して過去の固定観念の中で多くの自由を奪い続けた母親であった事を何度も何度も折に触れて実感しています。



 心の部分が動き始めている。この感覚をどのように伝えれば良いのか・・。
過去のことに対して「もう良いんだよ」と私の心が語っていて、その自分の言葉に私自身が大きな安堵を覚えているのです。
私が“一人の私”として生きるときには、私の中に思考と感覚とそして大切な心がひとつにまとまって生きています。私の思考と心が一緒に存在する時、過去の何もかもは本当に酷い状況で私は本当に生きるしかばねのように自分が無いまま、ただフラフラと生かされていて「辛さ」以外の何者でもなかった事を実感できるのです。

1年半前、まだまだ心に蓋をしていた頃には意味がわからなかった本などを、私は今自身の心を通して読み進め、過去に自分が居た状況の最悪さを全身に感じ、そして今変えていく必要があることもまた痛感している毎日です。

 家の庭に生まれてまだ日も浅い「かまきりの子ども」が居ました。小さな身体で私を威嚇していて、威嚇するスタイルと、顔のひょうきんさとのアンバランスがなんとも言えませんでした。小さなかまきりも生きようとしているのですね。自分を守る事をしながら・・・。7:31


2004年07月10日(土) 一匹虫 

 久しぶりに、「離婚して此処で暮らしている理由」を考えていました。
実は昨晩、社会の女性と自分の生き方の違いに改めて驚いたのです。
社会では女性は家庭を持ち子どもを育ててる人という固定観念が存在します。私は過去、辛さの中に押しつぶされていた自分を救った結果で今此処に居て、社会の中に生きる女性の価値観とは違う生き方をしています。
その私はこれから少し静かに生きようと思います。
ただ毎日を静かに生きます。その中で自分を語ることだけを意識していくとどうなるのか、こんなことがいつも出来ていれば私はとても楽に生きれるのではないかと思います。

 政治や社会の仕組みを知りたいと思っていますが、社会や政治の事を知るためには多くの時間が必要だと実感しています。
私は子どもの頃から社会を知りたいと思える環境に居る事が大切だったのです。
自分が社会の一員だと思えるためには、社会の中に肯定され一人の人として心を大切にされている必要があったのだと思います。自分の存在を「人として」大切にされていてこそ、心から自分が心地よいと感じる世界・自分の生きる社会について知りたいと思えるような気がしています。8:00




 誰が私に他者と同じ色に染まる事を強制したのでしょう。
 誰が私に集団の色に染まる事を強制したのでしょう。


少し前から、社会を基準にしている自分は辛い気持ちを抱えたままであることが分かっていました。そしてそれでも、そのままの生き方をしてしまう自分を見ていました。
心に蓋をして優しい人をしていた頃の私は、仮面のように何時も同じ笑顔をしていたのではないでしょうか。私は自分を傷つける過去の優しさを丸ごと捨てるのです。
自分を意識していれば、優しく生きようと意識することも無くても、自然に優しい自分になっているはずだから。

 もう良いのです。私は社会の中で一匹狼になります。“狼”だとちょっと激しい気もするので、“一匹虫”になります。巻き込まれたら、いつでも原点に返ります。私は過去の価値観の全てを捨てます。私は社会に蔓延する固定観念を全て捨てます。

 今日は職場の夏祭りでした。主役は利用者の方、私は焼きそばの係りになりました。祭り自体は何事も無く経過しその後で反省会が行われました。私にとっては初めての夏祭りで初めての反省会でした。そしてその内容は、「事前の連絡ミスのせいで数人が気分を害したまま祭りを終えてしまった」という内容でした。

私は自分の職種の代表として反省会の席に座っていましたが、何しろ初めてのことで、自分の欲しい情報を得ることで精一杯でした。ただし、忙しさの中で行われた準備からお祭りを終えて、明らかに連絡不足が起きていたことだけは一目瞭然でした。言葉は大切なのですね。

そして連絡ミスが起きたもともとの原因は、役職の異なるもの同士が共同で働く場所に居てその役割分担を明確に出来ていないことにあるように思えました。けれど私は今はまだその事を語ることは出来ません。私は職場に付いて、まだまだ多くの事を知る必要があると思うのです。そして私は昨日、「静かに力強く生きること」を決めたのだから。21:51


2004年07月09日(金) 好奇心 自分を語ること 戦争に付いて 生きる環境に付いて 生き方

 休日の朝、仕事の日と同じように眼が覚めたので、以前から気になっていた「エアフロントオアシス」という場所へ行ってみました。名古屋空港のすぐ傍にあり飛行機の離着陸が間近で見られる場所なのです。私の他にとても大きなカメラを持った男性が何人か居ました。女性は私一人でしたので一瞬躊躇しましたが、それでも私の眼はすぐに始めて飛行機を見たときのように大きな飛行機に釘付けになりました。飛行機って本当に大きいですね。そして離陸時のエンジン音には不思議な魅力を感じます。あのような大きなものを子どもの頃にしっかりと自分の眼に焼き付ける機会があったなら、私はきっと「パイロットになりたい」と思っていたことでしょう。
飛行機を待っていたらなんと、透かし羽とクマバチが花の蜜を吸いに来ました。私は暫く飛行機の事を忘れてクマバチの黒くて可愛らしいお尻を写真に収めることに夢中になっていました。


 「優しさ」とは何でしょう。広辞苑で「優しい」という言葉を引いてみると、「周囲に気を使って控えめである」とあるのです。そうですね。過去には私の中にそのような人格が存在しました。そしてその時とても疲れる生き方をしていました。例えば他者と同じ場所に居て、私が相手を傷つけないように考えながら語るとき、そこには「そんな私を受け入れられたい自分」も存在するのです。評価の世界ですね。私は私を語るだけでよい事を知らずに生きていたのです。

私は過去、優しさを持って人と接していた頃、心の無意識の部分に「目の前の人に受け入れられたい」という欲求が存在していました。当然受け入れられるので「優しい私」で居ることが私の生き方のひとつになっていました。けれど実際は「本当の私」ではありませんでした。そして考え続けているうちに、過去の傷の中で学んだ優しさは自分も他者も傷つけるのだと知りました。あれから半年。私の中で何が変わったでしょう。例えば他者と語るときには、私は何を考えているでしょう。私はただ私の事を語ればよい。他者と語るときとても大切で、そして楽なことなのですね。自分を語る事をたくさん取り入れて、日常の生活の中で練習していけばよいですね。



 戦争は人と人との私利私欲が始まりなのですね。誰もが皆生きていく分だけのモノに満足していられたら、
誰もが皆穏やかに隣の畑を見つめていられたら、戦争というものは存在しなかったのですね。
私たちもクマバチや糸とんぼと同じ 「 いきもの 」 であるのに、私は過去に生きる分以上のものを欲しがってきたのは何故でしょう。私は過去、私の欲求するモノの何もかもを満たされていませんでした。満たされないままの私で居た頃、私は子どもが望む自然な欲求を無視し続けました。自分がされてきたように。そして現実では必要以上に何かを欲しがる大人として生きていました。子ども達はそんな私の生き方を見ていました。そして今、私は自分の欲求を知り本当に必要なものだけで生きる事をしています。

 
 いろんなことをしてみたくなっています。私は自分に沸き起こる欲求を一つずつ満たして行ってみようとしています。この欲求を感じることがとても大切なのだろうと思います。
この何日かの遊び心の中に見えるものは、過去に満たされていなかったという事実と、本当はうんと小さな子どもの頃、私は自分の知らない多くの何かを心行くまで掴んでいたかったのだという事実です。

 海に落ちている貝殻は丸いのです。パキッと割れたのだろうと思える切断面すら何となく丸く柔らかいのです。水は本当に不思議です。水道の蛇口から流れるどんなに細い水も、流れる時間の長さに比例して、落ちた先を溶かしていくのですね。細くて長い水に冷たさはありません。あるのは柔らかさなのです。

海岸に落ちている石ころの丸みは水の優しさを知る機会になりました。夜の星空を眺め海の向こうの島を見ることは、自分が今立っている地球を知るきっかけになりました。小さな子どもが目に映る全てのものを手に取りその感触を確かめ、小さな不思議を見つけていくことは、自分が生きている事を知り、自身の可能性に心を輝かせるチャンスなのですね。

 私は今一人で生き、自由な時間を持ち、常に自分の心を意識しやすい状況が出来上っています。時間に追われ殺伐とした社会の中で、ゆっくりと生きる事が出来ている自身の環境を踏まえて、私はこれからも静かに自分を見つめながら、より多くのプラスの経験を心に積み重ねると共に、心を癒やす作業を進めていきます。静かに そっとね。21:00


2004年07月07日(水) 双眼鏡 人生を楽しむこと 社会の中に生きる大人 生きる意味

注文していた双眼鏡が届いたので夜空を冒険してみると・・星が輝いていました。星の名前は分かりませんでしたが、ひとつは青くひとつは緑色、そしてもう一つはオレンジに輝いているように見えました。
そして今日は、なんと蜂の巣を退治するシーンに出会いました。蜂は水に弱く白いものには反応しないらしいのです。白い服に実を纏い、水を使えば私も蜂退治が出来るかもしれません。

ところで玄関の前に藤の花がありますが、どういうわけか今頃花が咲いていて、今日くまばちが蜜を吸いに現れたのです。熊蜂のお尻を見たことがありますか?真っ黒につやつやと光っていてプックリと膨らんでいて、本当はとてもかわいいお尻なのですョ。



 殆どの事を仕方なくやっているように見える大人が多い中で、何でも楽しんでいる大人を知っています。本当は人はこんな風に目の前のことに常にプラスの発想をしていきながら楽しんで生きていくのですよね。私の親は自分の人生どころが人の人生すら疎ましく思って居るように、私の眼には映っていました。


私を育てた親は何をしていたのでしょう。これから生きようとする私の目の前で、人生に投げやりに生きることの見本を見せていました。

もしも苦しくて辛くてそれでも何かを頑張り続けるのが人生だとしたら、私たちはいったい何の為に生まれ何の為に生きているのでしょう。私は苦しむ為に生まれてきたのではありません。生きて、自分の人生を使い切る為に、自分の細胞を使い切る為に、その為に私はここに居るのです。私はもっともっとたくさんの事を楽しみたいと思います。

私の楽しみ方はこれまでの遊び方とは少し変わるように思えます。何故なら、今の私は遊びを通して成長している自分を感じるから。私は遊びの中に知識と知恵を取り入れるのです。そして自分の持つ価値観をより確かなものにしていくのです。おそらくはそれが社会に出て感情に巻き込まれないことに繋がるでしょう。

本来はこのようにして遊びの中で成長していくのでしょう。いろんな知識は遊びの中で自然に吸収され、そして自分自身が生きていくための知恵として変えていくのでしょう。知識も知恵も生きていく中でごく自然に吸収されていくのでしょう。子どもとはそういうものでしょう。私は今まで何をしていたでしょう。私は今まで本当に遊んだことが無かったのかもしれません。私のこれまでの遊びの殆どは現実の辛さから逃避する為に存在していたのでしょう。子どもの頃の水遊びも成人してから見た映画の一つも。けれど例えそうであっても、私の五感には子どもの頃に感じ続けた土の匂いが染み込んでいるのです。

 職場の宴会を断りました。私自身の歓迎会も含まれていたのですが、何しろ煙草の無いところに行きたいのです。職場では辛抱しながら仕事をしている私です。いつも職場の中でしか出会わない人たちに興味が無いわけではないのですが、心が悲鳴を上げるとでも言うか、私の心に意識を向けてみると、とても行きたいとは思えないのです。不思議ですね。私は自分の気持ちを大切にしたいのです。そして私は自分の時間を大切にしても良いのです。それはどんな時もです。

 私の中には実にたくさんの感情が常に入り乱れています。それらの殆どは過去に持たされた中でのマイナスの感情です。そして社会に出た時、癒やせていない部分はマイナスの感情に巻き込まれています。巻き込まれない為に、プラスの好奇心とプラスの思考を使って生きるのです。


 よく考えてみると、この家の中も社会の一角ですね。そして私は社会の一員ですね。そして私は社会に生きる大人の一人ですね。人間の大人が持っているのは感情とプラスの好奇心、自分で掴んだ知識と抑制力、知識を知恵に変える能力ですね。では人間の大人は、これらを使いどのように生きてるののでしょう。私は今はどのように生きているかな?

 私の細胞レベルで「きっとそうだろう」と思えることが、ひとつ頭に浮かんでいます。今はまだ書きません。私が持っているものは私の思考と感情の部分で確信へと変わるまで、私は自分の中で吟味し続ける必要があるのです。これも人間の大人の知恵かな・・。8:00


2004年07月05日(月) 「児童憲章」と「児童虐待防止法」

「児童憲章」は1951年に作られていたのですね。私は児童憲章が作られた15年後に生まれ、この法案を元に人として大切にされるはずでした。ところが私の育った環境は私の人格を破壊しました。そして破壊されたまま大人になり子どもを生み育てようとした私が、自分の生き辛さに押しつぶされていた、ちょうど2年前に「児童虐待防止法」が作られました。

私は2年前に新聞で児童虐待防止法を知った時の、次の気持ちを覚えています。
「私が子どもの頃にこの法律が出来ていれば、私はすぐにでも救われていたのに・・」
自分の子ども時代の社会に私を救う為の法的手段が無かった事を悔しいとさえ思いました。

でも、実際には私が子どもの頃にも「児童憲章」というものがあった事を知り、私は心底驚いてしまいました。何故なら、児童憲章を元に当然救われているはずの私が、人格をばらばらにされたという事実が今もあるから。

私はこの二つの法案と、これらを作ってきた社会の流れをどのように解釈すれば良いのか暫くの間考え込んでしまいました。

そして今は「児童虐待防止法」です。これからの社会はどうなりますか?私には分かりません。私は何をすれば良いでしょう。ただ自分の事をしていけば良いのですね。「今」を生きるという事を。

人の頭の中は感情と思考で出来ているのかな。私は過去に、感情の中だけで生きていました。そして今、私は思考の部分で生きる事を練習しています。思考をプラスに活用していく為には傷に巻き込まれないだけの能力と癒やしの作業が不可欠です。社会の人はたいていの場合、感情の中で行動しているのではないかと思えます。
私はよりプラスの思考を使って生きる練習をします。それが私Mamoの生き方です。

私の眼に映るものは見ようとしなければそれはただ見えているに過ぎませんね。見ようとすると「私が見ている」事になるのですね。

22:00


2004年07月04日(日) きつい言葉 小さな戸惑い 確かな能力 プラスの思考の大切さ  

2004年7月4日付の新聞の中に「きつい言葉が勝つ」という言葉を見つけました。私は冷房の冷たさから肘を守る為にサポーターをして仕事に行くことがよくあります。
職場の中のある人は白いサポーターを見て 「 若い振りしてカッコつけてぇ 」 と私に言いました。私はこの言葉に怒りを感じ、そしてこの言葉を無視しました。過去なら、私はこの言葉を笑うことで吹き飛ばしていたかもしれません。そして今、私は身体を守りたいだけなのです。私は私がしている事を他の誰かに評価される事は嫌なのです。そして私は今、自分の心に正直に生きる事をしているので、私の行動に心の無い言葉をかけて欲しくないのです。

それにしても社会ではこのような言葉が蔓延しているように思えます。そしてこの言葉を乗り越える為には、より強力でより「きつい言葉を」なのですね。

社会ではこんな事を「勝つ」と表現しますか?

私は「抑圧された悲しみ・痛み」と捉えます。私自身は上の言葉に「小さな戸惑い」を感じたのだろうと思います。過去にはこのような言葉の中で私の心はロボット化されていたのですね。家の中や学校や成人してからの職場の中で。やはり小さな戸惑いをより早くキャッチする必要がありますね。

私は・・。私は自分を大切にしよう。自分の感覚を感じ、情報を吟味し、自分が何を語っているのかを知っている自分でいよう。



一昨日から私の中で何か違う感覚が起きています。何とは言いがたいのですが、「交わり」とか「ふれあう」とか「溶ける」とか、そんな言葉が適当なのだろうと思います。私たちは今、ひとつの頭の中ではっきりとそれぞれの思考が必要だと感じているのです。私は私の中にある多面的な部分を、私のプラスの思考を使い、私自身がより生きやすくなるようにやっていけばよいのですね。そのためには私自身が現実で生き、より確かな能力を確信することがとても大切なのですね。そして現実の中で生きる為にはプラスの思考を持っていることがとても大切なのですね。

さまざまな感情を持つほかの人格に振り回されていたのは、過去にマイナスの感情の中で生かされ生きてきたからですね。



2日前に、職場で苦手な人との仕事を経験したことが私の中で大きな能力になりました。私は今「私は何を感じるか」「私はどう生きるか」を考えることがとても大切である事を実感します。すべての事は私が基準でよいのですね。目の前の人に受け入れられる事ばかりを考えて生きていた頃には、自分の中の「受け入れられたい」欲求に対する答えを探すことに疲れ果てていたように思います。

 能力は現実の中で自分が生きられる事を確信する事で、揺るぎないものとなり自分の中に吸収されるのですね。出来ている部分にさえもマイナスを探していた私はもう居ません。これからは出来ている部分を基盤にして、より確実な 「 私 」 の基準を作り上げていこう。
「 私の価値観 」 と言っても良いのかな? もちろん柔らかさを忘れずに。7:40


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