「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日、自宅の“牧場”で、トカゲちゃんに出会うべく待ち構えている私の目に、きらりと光るものが通り過ぎました。 こんな時に慌てて近寄ってはならないのです。
「玉虫でなくても良いから、きらきら尻尾の“バーバートカゲ”(←と言う名前らしい。私は3日前その姿を見かけたのです)に出会いたい。」 私がそう思いつつ首を伸ばしてみると、目の前に出てきたのはトカゲの赤ちゃんと思える小さな小さなニホントカゲでした。そのトカゲは生まれたばかりではないようですが、全長は私の小指の半分ほどだったので・・2センチくらいでしょうか。雨に濡れているためか身体がつるつるに光っていてひょうきんな顔つきをしていました。
私が調べた結果によると、我が家の庭のトカゲたちは、同じく共存しているらしいバッタを食べて成長しているようです。今日はトカゲの赤ちゃんの他にも、たくさんの生まれて間もない生き物たちに出会う事が出来ました。私が生きているすぐ傍で新しい命が生まれている事を考えると、私の心もほんのりと温かさを感じます。私は全ての生きものと共に暮らしているのですね。
ところで私たちのファシリテイターは、我が家の“牧場”に除草剤を噴霧する計画を持っていたようですが、私が「計画延期のお願い」をする前に、除草剤噴霧を中止した事を私に伝えてくれました。良かった良かった・・。これで又、私は元気なトカゲちゃんに会うことが出来るでしょう。15:00
今日は夕方プールへ行ってきました。 私はプールで泳ぐのは久しぶりなのですが、今まで最も身体の軽さを感じました。そして「こんなに身体が軽いのは何故だろう」と考え気が付いた事は・・私が人の視線を気にしないで「泳ぐ事だけ」をしているということ。これまでに何度でもプールに来て水に身体を浮かせ水と戯れていた私。でも過去には殆どの場合、どこかで人の視線を感じながらの行動だったように思います。実際の私は過去にプールへ来る度に、「クロールの練習をしたい」 と考えていましたが、これまで一度も一人で練習する事ができずに居ました。そして今日、私は一人でクロールの練習を楽しみ、水中にもぐり、疲れたら途中で止まって休み、自分の感覚を感じながら、水と触れ合う事が出来たのです。 私は水の中で身体が冷えてきた事を感じつつ、最後に幼児用の小さなプールに入ってみました。そこには1ヶ月くらい前、プールの端で立ちすくみ大きな声で泣いていた女の子と女の子のお母さんが居ました。今日、その女の子はプールの端から端まで楽に大きなしぶきを上げて泳いでいました。私は水中に身体を沈め、女の子の動きと一緒に沸き立つアブクも眺めて楽しんでいました。そしてふと水中を見渡すと、室内の電気が水の中で反射して、水中全体がアブクと一緒にキラキラと輝きながらゆれていました。それはとてもきれいで、私は自分の体の上にも降りそそいでくる反射の光りを、一人水中で楽しみました。それから水の中で身体全体を伸ばしてみると、水が私の身体に吸い付いてくるようで、私は水という衣服でこの身をまとっている事を想像し、「着ていても分からないほど心地よい衣類があるだろうか」 と、とりとめの無い事を考えては心でくすくすと笑っていました。 水の中・・。 私の身体は、水の中で浮こうとします。本当は人が水中で浮くことよりも沈むことのほうが難しいのですね。私は水に浮いた時、自分の体が水に浮いている時の、水面と空気との境の感触を肌に感じて楽しんでいます。この感触は、「こそばゆい」 とか 「くすぐったい」 とか、とても表現しずらいのですが、とにかく心地よく、私は水面に半分だけ身体を出してくつろぐ事が好きなのです。 心の底から満足してプールを後にし、私はもうひとつの冒険・「一人でラーメンを食べに行く」事をしたくなりました。でも・・一人でラーメン屋さんに入るのには抵抗がある・・けれど・・今日はそれをしてみたい。そして出来るような気がしたのです。 私は家に向かって走っている車の方向を急遽変更し、数分後にラーメン屋さんのドアを開けました。入ってカウンターに座ると店員さんが私にメニューを聞いてきました。「大丈夫、慌てて決めなくても良いはず」 話しかけられた私の戸惑いはいつもよりもうんと小さいものだと感じました。私がふと前を見ると、カウンターの奥に、慣れない手つきで大きな中華なべを揺すりながらチャーハンを炒めている男の子がいて、その隣には大きなお鍋と慣れた手つきで麺をゆでている人が居ました。私にはそのどちらも楽しそうに見えました。
社会にはいろんな仕事があり、そのどれも、その場所では大切な作業で、そのどれも私が経験を積む事で出来てしまうようにも思えました。現実には私にその仕事は不可能だとしても、私が目の前の事を肯定的に、発展的に見られることが大切なのだと思います。それは私自身が目の前の事を楽しんでいるということなのだと思えます。23:00
私は小学校低学年から時々頭が痛くなるようになり、以降は頑固な便秘と過換気発作や貧血を繰り返すまま大人になりました。 私自身が自分の身体の不調を「自分の問題」として意識したのは27歳・長女を出産した後の拒食状態の自分に気が付いた時、そしてその気付きから更に 4年後、私は心の不調から医者に駆け込み「うつ病」という診断を付けられる状態となりました。その後の4年間、私は薬を持ち歩き、何かあれば医者に駆け込み「医者と薬に依存した人生」を送ったのですが、その中で「薬をやめたい」 と思えた理由のひとつは、心のどこかで自分の心のストレスが過去の虐待によるものだと感じていたからかもしれません。 自分の身体の不調をを医者を頼らず自分で取り組んでいこうと決めた後にも、過去と同じように頭痛や歯痛や慢性疲労などを繰り返しながら生きてきましたし、症状としては現在でも小さい形で私の中に残っていることを感じています。 これらの症状は、左半身に左半身に感じることが多いのですが、私には親からの虐待を主に左側から受けていたということ実がありますから、私は危険を感じると左半身を硬直させ危険から自分を守ることをして生きてきた経験を通して、現在も過去と同じ方法で自分を守ろうとするのだと思えます。
仮に歯痛などは奥歯をかみ締めることで起きるのであり、例えば私は2004年7月のロス留学時に酷い歯痛で辛い経験をしましたが、 「言葉が通じないことへのストレス」を感じていた私が「何とかなるね・・」という心になれた時歯痛がなくなったというようなことは、私の中では日常の出来事でした。つまり私の場合、外傷など直接の原因が無い痛みに関しては、筋肉の過度な緊張で起こることが多いと言えると思うのです。更に眼精疲労の延長で頭痛が起こることや、肩こりと歯痛と頭痛の繋がりなどは世間一般でも知られていることだと思います。 重複しますが、私がたびたび身体の不調を感じることになっていた直接の原因は過去の親から受けた虐待です。 その私が今、身体の不調の根本原因である心の傷を癒やす作業と共に取り組んでいることは体力作りです。 私は毎朝ストレッチと腹筋をしていますが、その時出来るだけ全身の力を抜き自分の呼吸を意識し、自分がどの位置に酸素・血液を運びたいのかを意識しながら取り組んでいます。このことは思考が飛びやすい私にとって、意識を集中させるための練習にも繋がるので、特に大切にしています。 もうひとつ大切なことは骨や神経を守る為の筋肉をつけることだと思います。その為に私は適度な運動を取り入れていますが、運動に関しても自分の身体の状態と相談しながら、ゆっくり優しく取り組むことです。
過去には・・。バスに乗れば不安に襲われ今にも飛び降りたい衝動に駆られ、デパートで店員さんと話をすると動悸がしていた私。その時の私に出来たことはトイレに駆け込み心が静まるのを待つことか、持っている薬を飲み込み時間の流れを待つことかのどちらかで、それでも外に出ることをやめなかったのは、「自分の生活の中に子どもが居る」という母親としての思いのみでした。
今、私が他者ではなく自分を意識し自分の心の状態を知り過去と対峙し続けていくことは、私の中にある 「自然治癒力」 をより豊かにするものだと確信しています。私は「自然治癒力」 を 「私の命を守る為に私自身に備わっている・私をより楽に生かそうとする力」 だと考えています。 そして私が 「自然治癒力」 を意識したうえでのさまざまな取り組みは、私自身が自分の心を一番大切にし、常に自分に優しく丁寧に生きていく為のひとつの方法です。
今日は夜勤明けです。 夜勤も終わりに近づいた朝5時。今回のペアとなっていた看護婦さんが急に体調を崩されたので、私は急遽、二人分の仕事をすることになりました。この事は 「人手が無い事」 とは別の問題で、体調が悪ければ休むのは当然であり、私は自分が出来ることだけをしてみようと思いました。今回はたまたま具合の悪い利用者さんが少なく施設全体が楽なペースで仕事を進められていましたので、私も躊躇することなく介護さんに協力を求めることが出来ました。そして私自身はいつもとそれほど変わらない形で作業を終え、さらにフロアの行き来の為に階段を往復した事で朝から適度に運動が出来てしまったのです。そんな私の仕事を終えた後の疲れは、いつもと同じくらい心地よいものでした。
一人の利用者さんは今朝私に 「離婚したから寂しくなったでしょう?」 と言いました。私は離婚したことで「寂しい」と思ったことが一度もありませんが、社会では離婚がまだまだマイナスのイメージで捉えられているのですね。 そして、社会には 「寂しい」 という言葉があったのだと考えている自分を眺めて・・その言葉が頭から外れていた自分に不思議な感覚を覚えました。私の場合は当時の辛さから自分を救う為に離婚しましたが、初めから 「前向きな離婚」 だと思っていましたし、今これほども自分を感じて生きることが出来ているのだから、離婚に関してマイナスの発想はありえません。
最近の私は寝る前に自然に「明日は何をしようかな」を考えられるようになっています。いろんな思考に振り回されていたのはつい一週間前のことで、私は自分が日々成長している事を実感します。そして今 「考える事よりも動くことが先だろう」 という気がしています。「行動し、結果を見て必要があれば考える」ということかもしれません。そしておそらく動く為に最低限必要なことは、これまでの経験の中で無意識に考えられているのではないかと考えられるので、これから私が何かを考え続けている時には、マイナスの思考を遣っていると思っても良いのかもしれません。何故なら、私が今を生きているならば、次の事をするために浮かぶ思考の全ては更に次のことへと発展し、浮かんだ事を頭の中に止めておくことなど到底出来ないはずだから。 そして子どもは常にこの状態で生きているのではないかと思います。プラスの中で生きる子どもは目に映る全てのことに興味を持ち次々と新しい発想を展開していくのです。そしてその発想は全て生きるためにプラスに浮かぶはずなのですが、社会から否定され、「生き延びる為に」マイナスの発想を学習してしまうのですね。
こうして考えてみると、私は自分の頭が以前とはかなり違う状態にあり、過去とは違うレベルで楽に動けている事を感じます。この状態を長続きさせられるように、更に次の行動へと動く私です。20:00
今日は夜勤入りなのです。最近ようやく夜勤の前の「朝寝」が出来るようになり、今日は10時過ぎまで布団で過ごすことができました。それからゆっくりと朝食を摂った後、銀行へ行き所要を済ませ・・。 このように一日を一人で過ごしていると、いろいろな事を思います。一人で過ごす時の私の思いは 「今日は曇りだ」 という小さな事から始まり、職を変える時期を何時にしようかとか書きかけの記事をどうしようかとか、それから部屋の能力のリストを見渡したり、メモ書きを眺め 「今は何を優先しようか」 と考えたり・・。そして私はいろんな事を考えながら、これが 「今を生きている自分なのだ」 と実感します。その中でちらりと職場の事を思ったりすると・・その途端に自分を忘れる私になっていたりするのです。傷があるとはこういうことですね。そんな時、私は過去の思考をポイッと捨てて新しい私を取り戻すのです。
ところで先日、何年かぶりにイチジクを買ったのでインターネットで検索してみました。 イチジクは意外に栄養価のあるフルーツなのですね。そして私たちが食べているのは イチジクの 「実」ではなく「花」の部分だそうです。私は子どもの頃イチジクをたくさん食べた記憶がありますが、このようなことは始めて知りました。自分自身が現実に興味を持っていると、こんな予備知識も得て、そこから更に新たな興味が沸いてくるのですから、毎日が小さなワクワクの連続のように思えます。
昨日は仕事の帰りにバッティングセンターに行きました。私はボールをバッドに当てることは出来るようになってきたのですが、どうにもへっぴり腰の気配です。野球に詳しくないので本当の事はわかりませんが、理由は「ボールがこちらに来るまで待てない」ためかもしれません。 心に焦りを持たないで、ゆっくりとかまえると良いかもしれません。 今はもう、私に関する全ての事が私の判断を待たずに事が運ばれることはないのだから、私はいつも自分の心を見つめながら、ゆっくりと落ち着いて考えていけば良いのです。15:33
私は8月20日の夜、「自分を責める自分」を見つめた。以降自分を責めない練習をしている。 今日の私はどうだっただろう。因みに私は日に何度かは 「やってしまった・・」 と思うようなことをするが、今日はそんな自分をも肯定出来ただろうか。今日一日を振り返ってみよう。
私は今日、より早い心の切り替えを心がけた。やさしく自分を意識することを心がけた。最近はずいぶん「自分」の感覚を常に感じられる時間が増えている。そんな自分も意識した。
もう今は、仮に何かを 「やってしまった」 としても、私は「間違い」とか「失敗」という言葉を使わずに過ごしたい。何があっても自分を責めずに、そこから自分を意識していけばよい。世間で言われている「間違い」や 「失敗」は私の中では全てプラスの始まりとなるのだ。 いつも自分を意識して、全てがプラスに動くように考えていくのは当然のことなのだ。
もしも今、私の中にマイナスの人格が存在するのなら、私がマイナスをプラスに変えていくことが大切なのだと実感する。私を変えていけるのは私一人だけなのだから。
それから、今私はスポーツを通して集中力と体力を高めうとしている。能力になった集中力と体力を癒やしの作業に活用しよう。私は必ずそうしよう。私の動きの何もかもが、癒やしの作業の役に立つ。今心の底からそう思える。
今は野球が楽しくて仕方がない。というよりも、あのグランドに立ちバッドを振って走りたい。 その為に何をすればいいだろう。毎日素振りをして、毎日グローブとボールを持って、毎日イメージトレーニングをしよう。
夜、何処からか花火の音が聞こえてきたので、花火の音の方向へ車を走らせてみました。花火は家からそれほど遠くないところで見つけることが出来ました。花火が打ち上げられている場所は距離的には遠いようなのですが、暗い空に輝く光りはとても大きくてきれいでした。私はいつの間にか集まっていた近所の人たちと一緒になって 「きれいですねぇ」 と声を上げていました。そして豪快に上がる花火を見ながら「花火が見たい」と感じた自分の欲求を自分自身で満たす事が出来たことに、「小さなステップアップ」を感じていました。それは、過去には自分の中のいろんな欲求に振り回され、優先順位を確認することまで出来ては居なかった私が、今日は「私」の心で感じた事を、私の意志で優先出来たという事によるひとつの達成感かもしれません。
花火は予想以上に長い時間上がり続け、やがて私は最後まで見届けたいという気持ちと帰りたいという気持ちを感じるようになりました。自分の身体が冷えていたり眠たくなっていたり、そして家に戻ってやりたいこともあるのです。「どの気持ちを優先すれば満足するのだろう」・・私は心の中で「自分」を確認した上で家に戻ることに決めました。
私が家に戻り10分もすると、今度はシトシトという音が聞こえてきて雨が降り始めた事を知りました。「さっきの音は花火の音で、今聞こえるのは雨の音・・」私には、違う音を聞き分ける自分の耳すら不思議に思えました。実際には・・「花火を見てきた」というそれだけのことなのですが、今夜この小さな現実にたくさんの事を感じた私には、楽しいひと時となりました。22:00
私は、スポーツをする人は心の切り替えが早く出来ているのだと思います。例えば試合中にミスをしたとして、その事を引きずっていたのでは後のゲームに響きますから、自分で切り替えて自分の成長へとつなげているのですね。つまり私が今スポーツを楽しむ事は、基礎体力を作るうえに心を成長させるための大きなきっかけになるのですね。私はますます自分の今後の変化が楽しみです。
夕方になり久しぶりに滝の水公園へ行きました。今回は望遠鏡を持ち、港の景色を眺めてみました。これまでには部屋の中から月を見ようとした事がありますが、ピントを合わせる事が出来ずに終わっていました。今日は遠くの景色を眺める事が出来たので次回は月も見えるだろうと思います。こうして日にちをかけて何かを達成していく過程も楽しいものですね。 公園では若い男の子がラップダンスの練習をしていました。以前の私であれば、近寄れないか近寄りたくないか、いずれにしてもマイナスのイメージで見ていた事と思いますが、最近では誰かと目が合うと思わず話しかけたくなるような心境で歩いています。実際に話しかける事は少ないのですが、ニコニコと微笑んで歩く自分の姿が見えているのです。因みに手を大きく振って歩くと自然に足が付いてきて楽に歩ける事を知りました。22:00
職場では人手不足の中で更に人が辞めていきました。そして今は、何人かの人が辞めた人の分を掛け持ちしたり皆が無理をしている為に、安易に言葉をかけることが出来ない険悪な空気が流れているのです。私は今日、マイナスの空気に巻き込まれないよう意識しながら自分がしている事を忘れないようにすることで精一杯でした。
今日は利用者さんを連れて他の病院を受診しました。その病院の外来は混雑していて、順番を待つ患者さん達の前を看護婦さんは忙しそうに行き来されていました。私たちは予約をしていたにもかかわらず、自分たちのわずかな情報すら行き交わされないまま30分待ち、その間に同じ場所を3度往復する羽目になりました。 私は時間に追われる事情が把握できてしまうのですが、その対応のまずさと長い待ち時間に怒りを感じました。しばらくすると、そこで働く人々も長いすに座り順番待ちをしている人々も、自分で生きる事を忘れているように見えてきました。病院だけではありません。社会に生きる人は皆過去の国の政策に染まる事を強制され、自分の事よりも他者の世話をする事を当たり前と思わされ、自分を忘れて「本当の自分」を見ずに生きる事を強いられてきたのです。経済主義を求めてそのような人格を強制してきたのは過去の社会ですから、今を生きる私たちはこれから自分を生きられるように声を上げていく必要があるのだと思います。
ある女性は半身麻痺で車椅子生活をしていて、終日ベッドに横になったまま、お通じが出ない事に心を奪われ下剤依存になっていました。私は約2ヶ月前その方と、お通じの出る身体になるように 「一日にお茶をたくさん飲む」 という約束をしました。次には 「お茶を2杯飲む」 事が決まりました。更にその次には 「お通じを出す為にはお茶を何時飲むのが良いか」 になり、そして一週間前女性は 「自分でお茶を飲みたい時に飲みに行く」 と言いました。私は女性が自分から動く事を始めたのだと感じました。そして今日・・女性は私に 「下剤を下さい」 と言いました。私は振り出しに戻ったような気がしました。そしてよく考えると、私はこの女性の年齢や背景からまだまだ動ける力があると思えたので言葉かけをしてみたのですが、それをどう受け取るかは女性側の問題なのですよね。私の中には 「自分を意識しながら仕事をした」 という事実がある・それだけで良いのですね。私はこれからも自分を大切にしながら他者と関わる事をしていきます。
私の職場はフロアが4つに分かれていて、利用者の介護度や痴呆度により選択され、私たちはそれぞれのフロアをローテーションで回ります。そして私は、仮にある方が高度痴呆を持っていたとしても、その方が自分でやろうとする事を手伝います。さらに私は常に私の 「より良い人生」 の為に動き、そして 「結果」 ではなく 「私が今をどう生きているか」 を大切にするのです。
夕方暗くなってから心友と4人で公園に行きました。私は子ども用の小さな遊具の中を笑い転げながら渡り歩き、心の底から無邪気な気持ちになりました。そして木登りをしてみたら、登ることは出来たのですが、下へ降りれなくなってしまったのです。私はしばらく考えてから 「木から降りられない」 事を伝えました。下に見える地面がとても遠くに見え、心の底から不安を感じたのです。私は心友の一人に手を借り、別の二人がじっと見つめる中で、地面に降りることが出来、そこでふと思いました。私は今、出来ない事を 「出来ない」 と伝える時、自分の中にバリアを張らなくても良いのですね。これまでは、出来ない事を責められないように自分に囲いを作っておくか、出来る振りをする私で生きていたのかもしれません。
そして私は潜ったトンネルの中で・渡り歩いた網の上で自分の身体が今はもう大きくなっている事を実感しました。私はもう子どもではない・・。私は私の感覚を感じながら、大人の身体と大人の心を持ち、プラスに動く生き方をしているのです。20:00
「全てのいきものは感覚を感じて生きている」と、私は思う。 私も 「いきもの」 であるから、本来なら感覚を感じることで、その後の自分の行動を自ら決めていけるのだ。自分を意識できていれば、この 「生き物としての感覚」 をどんな時でも感じていられるのだ。むしろ自分の感覚をいつも感じていられなければ、私たちの命が 「きけん」 ではないかと思う。ただし私は人生の初期に自分を守る為の感覚を麻痺させられたのだから、これまでのことは仕方がないだろう。そして今、私は 「感覚を持つ自分」 を感じるたびに力強い気持ちになる。
私を含めた全ての人が心を無にして自分の内側を見つめることは、 「自分の感覚を取り戻す」 うえでとても大切な作業なのだ。もしも社会の雑音に巻き込まてしまうのなら、1.2年はカプセルに入った気持ちで 「ひとり」 になるのが良いだろう。因みに私は3年以上の間 「自分の苦しみから開放される事以外何も見られない心境」 にあった。そしておそらくこれからは少しずつ社会を覗きに行くことが出来るだろう。どのような社会に居ても、傷のない私であれば「ありのままの自分」で生きる事を知ったからだ。
私は 「自己」 のまま社会に立っていられるかと思えば、別の場面では簡単に否定的な言葉に巻き込まれる。私が今 「否定的な社会でどれだけ自己を見つめていられるか」 は、心の傷をどれだけ癒やし、 「感覚を感じられる自分」 をどれだけ持続できるかによる。私は 「自分が生きている感覚」 を知っている。それならば、この感覚を何時までも持続させよう。私は 「いきもの」 だから、自分の身体も自分の心も自分で守る事が出来る。私はその力を持っている。
私はこれからも自分を守る事をしながらさまざまな社会を見る。「生きている自分」を感じることで更なる能力へとつなげていく。巻き込まれた時には「無」になり自分の内側を見つめることをする。22:00
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