|
「生きていくのに大切なこと」こころの日記 DiaryINDEX|past|will
私は今日になって、この何日かの自分の行動がおかしかったことに気が付きました。それは職場で 「一人で生きる私」 を否定された日から始まっていたようでした。否定されてしまった私は過去の生き方のように 「私を評価してくれる誰か」 を探していたのだと思います。今夜、部屋にある能力のリストを見回して、又初めから、今はたくさんの能力を持ち生きている私が、社会のマイナスに巻き込まれていた事を実感し、今夜から又、丁寧に傷を癒やしていくのです。21:00
雨降りの休日です。
私はいつも新しい私で生きています。過去の傷を抱えて人生を嘆くのではつまらないから何時も何かの始まりである自分の現実をしっかりと見つめて、丁寧に進んでいます。時に大きな出来事に出会うことがありますが、そのように生きている自分をしっかりと見据えていくことが大切なのですね。
子どもの頃の私は、自分の家族の問題は全て「自分が生きているせい」で起こっていると考えていました。大人になった私は他者との境界線・子どもとの境界線を越え、人の問題も抱える生き方を続けていました。
休日。今日私は朝早く自転車に乗り、介護のチラシを配ってみました。よそ様の家の玄関口に立ち、お手製のチラシをポストにそっと入れる私は、これからの自分にどんな素敵な出会いが待っているだろうと考え、心の底からワクワクしていました。
先日、職場で半年毎の決まりとなっている配置転換が行われました。
ファシリテイター育成会。 | ||||||||||||||
|
| 2004年09月17日(金) | 輝き |
今日は痴呆フロアで仕事をしました。
私が気になっている女性の一人・Yさんのベッドを訪れてみると、彼女はいつもと同じように自分に付いて語った後、 「こんな身体で生きてたって・・」 と言いました。
「生きていたって・・・」
半身麻痺を抱える彼女・痴呆ではない彼女が日常で見る、自分と同じ年代であり痴呆を抱える人々の姿。 「痴呆」 と言う病名を付けられ区別されている方々のお世話をする私たちの動き。毎日同じ光景の繰り返しと思われる施設の中で彼女が 「生きていたって・・」 と言い放つ気持ちが私には理解できました。そして心が 「死にたい」 と願っても体が生きる選択をする以上、私たちは生きていく必要がある事も感じました。
幸い今日は天気が良かったので、私は彼女にベランダへ出てみる事を提案しました。施設のベランダには花や野菜が植えられていますし、私には彼女が太陽の光りや土の香りを感じる事も必要だろうと思えたのです。
私がプランターの土を彼女の手の平に載せると彼女は 「土は柔らかいんですね」 と言い、赤ピーマンを手の平に載せると 「赤いピーマンの料理を作ったことが無い」 と言いました。
ベランダの奥へ進むとそこには、私が子どもの頃に甘い蜜を吸って楽しんだ花がたくさん咲いていました。私がその花を手に取り蜜を吸って 「甘いよ」 と言うと彼女は私と同じように花の蜜を吸いました。いつもうつむいて涙を流す事の多い彼女が 「ホントだ、Mamoさんの言うように甘いねぇ」 と言って笑いました。Yさんが入所してきて1ヶ月と2週間目、私は彼女の笑った顔を今日始めて見たのです。そうしている間にその花に大きなチョウが飛んできたので、私は私自身の声がチョウを刺激しないように気をつけながら 「Yさん!大きなチョウチョが来てるよ!見える?」 と彼女に伝えてみました。目の悪い彼女は最初、全長7センチほどのアゲハチョウを視界に入れる事が出来ませんでしたが、チョウが何度か飛び立っては私たちと同じように花の蜜を吸いに来るうち、ついにその姿を彼女自身の視界に入れることが出来たのです。 すると彼女は 「本当だ大きいねぇ」 と言った後 「チョウチョにおすそ分けをしてもらった」 と言いながらもう一度花の蜜を吸い、私たちの周囲を飛んで回る蝶の後を追うように首を傾ける事をし始めました。
私は・・彼女の心がほんの少し輝いたような気がしました。
「生きる」とは。生きるとはこういうことではないかと思います。現実にあるものに意識を傾け、プラスの好奇心でそれを眺めていくのです。
二人で外に出ていた時間はわずかに15分。彼女には彼女のプランがあり、私には私の業務が残っていました。「もう少し自由な時間があれば・・」そう思いつつベランダの戸を閉めた時、彼女は「Mamoさんと又此処へ来たいゎ」と語りました。21:15
| 2004年09月14日(火) | 無所属の “私” |
夜勤明け。
一緒に夜勤をした女の子が私に 「この職場には誰も信じられる人が居ない」「男の人は怖いのにすぐに男の人と噂を立てられる」 と言いました。・・そうだったの?! いつも笑顔で話をしていたのに・・。
今日で職場を辞めていく男の子も言いました。 「俺は此処で信用できるやつ居ないっすよ」 ・・あなたも?! いつも一緒に遊んでいるあの子は?
あるテレビの中でインタビューを受けていた中学生が言っていました。 「学校には信用できる人はいない、楽しく話してたって、陰でアイツはうざいみたいなこと言ってる」
・・今の社会に生きる人は、本当の自分は何処かへ隠し上辺を装う生き方をしているのでしょうか。私は始め職場の二人の言葉に少し驚きましたが、テレビの女の子を含めた3人の語りは根底に同じものを抱えていて今の社会を写す言葉なのかもしれないと感じました。
職場の彼女は話の中で私に 「Mamoさんはどのグループにも所属しない人なんだね」 と言いました。私自身はいつも自分の事で精一杯で、職場の中にグループが存在することすら知らなかったのですが、何処にも属さない私だから、集団に染まる事のおかしさ・社会のおかしさが見えているように思え、私が今集団に染まらず 「私として生きること」 は大切な事だと確信します。
夜勤が終わった帰り際、彼女は私に 「Mamoさんって何か、良い感じだよね・・」 と言いました。私はその言葉を聞きながら、いつもいつも 「自分を大切にしていこう」 と思いました。
夕方、自転車で天白公園に行ってきました。今朝仕事の合間に見た空は透き通る青さをしていて、その中を面白い形の雲がフワフワと浮いていました。夕方になって見た雲は今朝ほどの面白さはありませんでしたが、私の上を通る飛行機に私の心はワクワクしました。視線を下に落とすと名前も知らない花が咲いていてその小ささや鮮やかさを見て時を過ごしました。いつもプラスの好奇心があればこんな小さな自然の中でも思い切り楽しむ事が出来るのですね。
18時半頃には西の空一面に夕焼けが広がり、鮮やかな朱色を眺めながら 「今日も一日楽しかったなぁ」 と思える私が生きている事を実感しました。18:56
![]() |
| 2004年09月12日(日) | 生きること |
夜勤明け。
この頃の私は自分のペースを守りただ黙々と仕事をしています。私が他者の話に参加せず、自分が必要な時にのみ意見を伝えることをしていても、私を否定する人は居ません。過去、集団に染まる生き方をしてきた私が今は孤独を楽しむ事が出来ているのだと思います。私が孤独を楽しみながら生きることは「生きるための原点」ではないでしょうか。私は誰が居ても居なくても自分のことを考えつづけていて良いのだし、この環境の中で何かを吸収し自分について考え、常に自己実現へと繋げていく。これが「生きるということ」のように思えます。
今読んでいる本の中に 「体制順応主義者」 という言葉があるのですが、過去に男性は社会の中で、女性は家庭の中でそれぞれの価値観の中に入ることが大切なのだと学んでしまったのですね。私は過去、一人の男性が持っていた価値観に染まる事をし続けその中で評価を求めていましたから、私も家庭という社会の中で、「体制に順応するべく生かされ・生きてきた」 ということなのですね。因みに私は今、離婚し更に職場の中でも “私” として生きていますが、社会の人は私に対して 「独り者の気楽さ」 とか 「強さ」 という評価をしているようです。私自身は今の自分に 「強さ」 ではなく 「確かさ」 を持って生きている事を感じていますから、これからも自分のペースを心で感じながら 「生きること」 をしていくのです19:40