「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2005年04月01日(金) |
自分にしてあげられること |
午前中職場で 「働く自分」 を見ていました。「楽しんでいる自分」 と「つまんないと思っている自分」 が居ました。同じ空間に居て同じような事をしている私に 「両極端な感情」 が行き来している事の 「理由」 は 「何だろう」 と考えてみると 「現実が受け入れられる時」 には 「楽しんで」 いて 「現実が自分の考えと反する時」 には 「つまんない」 と感じている自分が居るからでした。本来私は 「どんな事」 も楽しんでいけるはずなのに、おかしいですね。さらに考えていて気が付いたのですが、「社会に自分の気持ちに反する現象は往々にしてある」のですよね。そして私は 「さまざまな現実」 の中で、 「自分をより楽しませてあげられるよう」 に 「自分の気持ち」 を切り替えていけばいいのですね。今日は仕事中にこんな 「小さな気付き」 を得て、何だか嬉しくなりました。私がその後一日を通して 「仕事を楽しんだ」 事は言うまでもありません。
午後 「姉への手紙」 をポストに投函しました。二日後には 「九州」 に暮らしているはずの 「姉」 の元へ手紙が届けられることでしょう。私はこの一週間 「手紙」 を書きながら実にたくさんの事を思い出していました。そしてそれらの殆どは 「傷を癒やすきっかけ」 となりました。 子どもの頃 「父に殴られうずくまっている母親」 を庇うように父の前で両腕を広げ、父親に向かって 「弱いものいじめをしたらいけん!」 と叫んでいた 「姉」 ・ 大人になってからいつもいつも父を嫌い続けた 「姉」。 そして逆に 「母が一番悪いのだ」 と母を嫌い、父に関しては 「たった一度の肩車された記憶」 にしがみつき、大人になってからも 「空想の中の父」 を追い続けた 「私」。 ある時 「姉」 は、「母親と同じ宗教」 に依存していた 「私」 に、 「どんな親でも尊敬せんと幸せになれんの?」 と聞いたことがありました。私はその頃 「自分の苦しさに気が付いていなかった」 から、「そうだよ」 とはっきりと答えていたのです。本来 「自分の価値」 を知っている私たちなら 「姉の疑問」 も 「私の答え」 もあるはずの無いことでした。私の育った環境に 「父親・母親」 は存在していなかったのですね。「姉」 は私の手紙を読んで何を思うでしょう。わかりません。そして私は 「私のしてきたこと」 を整理し確認することが出来たから、これでいいですね。
夜には 「プロ野球」 を観戦しました。私は「野球」を観戦するのは「初めて」なのです。驚いた事は選手達の 「下半身の筋肉の大きさ」 です。バッターボックスに立って構えた姿はかっこいいですね。大きく突き出たヒップに太ももが続いている「安定した身体」で「軽がる」とバットを振っていて、「無駄な動き」 は1つも無いように見えました。「シンプル」 ですね。そして 「リプレイ」 で流れる映像では、選手たちは 「バットが球に当たる」 瞬間を見ている 「視線」 がよく分かりました。こちらも凄いですね。私ももっともっと 「飛んでくる球を見つめられる」 になりたいですね。 それからそれから・・・。今私は 「私にどこまで野球が出来るのか」 を想像して楽しんでいます。「楽しい想像」 は何時かは実現するような気さえしています。そして私もこのまま 「野球」 を続けていると、あの選手達と同じような体つきに変わってくるのかなとも考えます。とするとやはり 「マッチョな世界」 が待っています。私は 「マッチョな自分」 もイメージして遊んでいるのです。
面白いですね。生きることは「楽の大小」なのです。そして私は何時も「自分にしてあげられること」を考えているのです。23:00
何故か今日、「自分にあった重たさ」 が取れました。「一日の自分」を思い起こしていて突然 「もう頑張らなくてもいいんだな」 と感じたのです。そしてこの 「ゆるやかな気持ち」 を 「いくつかの人格を持つ私」 としてではなく、「世界にたった一人」 の 「私自身」 として 「心の底」 で しっかりと感じたのです。この頃は 「プラス」 が持続するようになっているけれど、時に「吸い込まれる」 ように 「眠りの世界へ入っていた私」 はどこかで 「頑張っていた」 のだと思います。 本当は少し前に「一人の私自身」 であることを 「小さく」 感じていた時期がありました。けれどその頃私は 「一人の私」 を感じることに 「怖さ」 を持ち、自分の 「気付き」 を否定していたのだと思います。ですからある時期から今日まで 「人格」 について 「語ること」 を止めていたのだと思います。 そして、もういいのです。私はいつも「私自身」 を 「心」 で感じていけばいいのです。どうやって? 方法は何時も私の 「心」 にあるのです。もしも今後私に 「あなたは複数人格を持っていますか?」 と尋ねる人がいらっしゃるのなら、 私は 「過去には・・・。そして今は “私自身です” 」 と答えます。長い間 「頑張らせてきた自分」 に 「ごめんね」・そして 「もういいよね」。
「今日」 は 「私」 の「巣立ち」の日。 「巣立った私」の新しい名前は「マチョ」にしようかな・・・なんてね。
| 2005年03月27日(日) |
Baseball 5 「動体視力」 |
野球5試合目。今日は 「8番バッター」、守りは 「ライト」。本日の相手チームはヒットをたくさん出しましたが、大半の球は 「サード方面」 へ飛んでいきました。私は 「球」 が飛んでくるのを待ちながら 「スローイング」 の形を 「イメージトレーニング」 していました。頭では「要所」を理解できるのですが、私のイメージした 「上半身」 と 「下半身」 がひとつに繋がるまでにはもう少し練習が必要なのです。きっと何度もやっているうちにいつか自然に繋がってくるのですよね。 さて今日の成績は・・・。今日は2打席。私は朝から 「今日の試合で自分の方へ飛んでくるボールが見えるようになろう」 と思っていたので 「バッターボックス」 の中では 「バットに当たる瞬間を見る!」 事を意識していました。一度目は見送り三振・2度目の打席で私の打ったボールは 「ピッチャーの上を通過」しました。実は私、この時も 「ボールを見る事だけ」 を意識していたので、「ボールが当たった音」 がした次の瞬間に 「私の打った球」 が 「飛んでいった」 のを見て、慌てて 「当たったんだっ!走るんだっ!」 と一塁に向かって駆け出したのです。ですから「ファーストベース」を踏む前に 「アウト」 になってしまったのですが、それでも私としては 「走れるところまで走ることが出来た」 から又「一歩前進」なのです。私は「飛んでいるボール」を 「見る力」 が付けばどんな球も見分けることが出来るのですよね。 「動体視力」って凄いですね。 そして 「何かをしてみること」 は必ず 「何かの能力」 に繋がるのですね。だからこそ 「思いついた事」 を 「やってみる」 ことが大切なのですね。私は今日の試合で 「いくつかの課題」 を見つけたから、来週の試合に向けて又また 「ボールと戯れておく」 のです。 「野球」 は 「楽しい」・「スポーツ」 は 「楽しい」・ 私にとって 「身体を動かすこと」 自体が 「心地よい」 のです。「心地よさを感じられる」 から 「楽しい」 と思えるのですよね。因みに 「野球」 を始めてから 「身体の筋肉の構造」 が少し違ってきました。これまでとは違うところに新しい筋肉が付き 「体の線」 も変化しているようなのです。「私」 はこのまま野球を続けていくと 「マッチョ」 になるかもしれないと思ったり「マッチョなボディ」 も素敵ではないかと思ったり。そういえば私は「Mamo」ですが、「名前」 を 「マチョ」 へと変えてみようかと想像して一人で笑っている 「私」 です。プラスの生き方は 「プラスの発想」 が浮かび続けるのですね。・・・・・・。 21:30
1月18日、病院へ「イボの治療」に来たけれど「嫌だ」を主張して治療を断念した女の子が、再度診察にやってきました。けれど今日も、前回と同じように「嫌だ」を主張してなかなか治療が進められません。先生は又「別の部屋で待ってみて」と言いましたので、私は女の子と絵を描いて遊びました。私の開いた手の平に「鳥の絵」が現れると、涙のたまった彼女の瞳がパッと「輝き」ました。絆創膏に書かれた絵は「空」を飛びました。「宇宙船」に見立てた「手術灯」は彼女の身体を「探検」しました。そして女の子の身体にあった10個の「イボ」は「宇宙船」に乗っかって「プチン」と取れていきました。泣いていたその顔が輝く瞬間は素敵です。子どもの笑顔は純粋です。そして私達大人も本当は、彼女と同じ純粋さを持っていると思うのです。私は自分の中にある純粋さを大切にしていきます。私は心のある社会を作り、いつも自分を感じて生きていくのです。私が作る社会は、ほんのり温かいぬくもりを持つ空間です。そこで日向ぼっこが出来そうです。私は今、将来「子ども」と関わる仕事が出来ればいいなぁと感じています。
休日。 午前中 「バッテイングセンター」 へ行きました。私はもっと野球を 「楽しみたい」。今日も又 「新たな課題」 を見つけたから、練習していくのです。 午後、小雨の降る庭で 「木」 を切って遊んでいて大きな 「カタツムリ」 を見つけたので 「お料理」 してみました。料理前に 「3センチ」 位の大きな殻をしていた 「カタツムリ」 は湯がいて殻をむいてみると、食べられるところは 「1.5センチ」 くらいでした。そしてその香りは 「海鮮風」、「身」 の部分を手で触った感じも歯ごたえも、まるで 「さざえ」 と同じでした。その後更に庭を探検していたら、今度は雨に濡れた土の上に 「キラッ」 と光るものを見つけました。拾ってみるとそれはまるで大根の形をしていてその先に 「貝割れ大根」 のような 「葉」 が付いていました。夜になってその 「光りもの」 をかじってみると、何とも 「甘い味」 がしました。そしてよく考えてみると、それは確かに昨年冬に私が植えた 「二十日大根」 だったのです。昨年初冬、庭の3箇所に分けて種をまき丁寧に水遣りをしていたのだけれど少しも芽が出る気配がなく、そのうちに私もすっかり忘れていたのです。こんなに遅れて収穫することが出来るとは、「自然」 いつも 「予測不可能」 な 「未知の世界」 なのですね。 因みに 「古板」 の下には 「だんご虫」 がたくさん居ました。もう本当に 「春」 ですね。 雨降りの休日・ 「バッティング」 に行き、「庭」 で木屑を作って 「遊び」、「エスカルゴ」 と 「透明の大根」 を食べ・・・何とも 「のどかな一日」 でした。もう一度 「二十日大根」 の種をまいてみようかな・・・。 「二十日大根」
私はこれから 「姉」 に 「手紙」 を書き 「私」 を語り、次いで 「私の死後献体」 の遺志を 「親族として合意しサインする」 事をお願いしてみようとしています。 私と姉は同じ親を持ち 「似通ったマイナスの環境」 の中で育ちました。そして私は「過去が余りにも苦しい」から、「2002年8月」の帰省を最後に 「家族の誰とも絶縁して生きていこう」 と決めました。 一度は 「絶縁」 してきた姉に「手紙を出す」、結果を思う必要はありません。この事を「やってみること」 で 「何か」 のきっかけになる事は 「確信」 しているのです。 過去に 「私たちが育ったあの家」 で、 「私たちの両親が自分を省みなかったこと」 から起きた 「私たちの悲惨さ」 と、そして 「今、姉と語りあってみたい」 と思っている 「私」 について、何を何処から書いていこうかと思いをめぐらせながら、自分がやっていこうとしている事の 「重み」 を実感している「今夜」です。 時は「2005年3月21日」なり。22:00
| 2005年03月20日(日) |
Baseball4 集中力 |
野球・4試合目。 今日は初めて 「フル出場」 でゲームに参加してきました。 出発時間のミスで試合開始ぎりぎりにベンチ入りした私に届いた 「Mamoさんはライトね」 の監督の声。私は思わず声を上げましたがその直後、頭の中は 「好奇心」 の塊へと変化し 「心」 は踊りました。 グランドを飛び交う 「練習球」 を目で追う私の頭に 「好奇心を交えた思考」 が膨らんでくる感覚が分かります。 「毎日素振りをした。イメージトレーニングもした。心の傷も癒やした。後は出番があることだけ」 、そう思いながらグランドに駆け込んだ私に突然の 「チャンス到来」なのです。 さらに 「試合直前に駆け込んだ私」・「心の準備・頭の準備」 をする時間のない今この時、「私は何処までやれるのかな」、 そして感じるのは 「やれる・楽しめる」 という 「確信」 にも似た感覚なのです。
さて 「相手の先行」 で試合開始です。うれしい興奮が冷め切らないけれど今は 「感情」 を持ったままでは 「私の思い描いたゲーム」 が出来ないから、思考を 「守りモード」 に切り替えていざ出陣。私は 「新品の匂い」 が残るグローブをはめて 「ライト」 の位置まで一気に走りました。「走ってる自分がかっこいい」 私の 「心」 は再び躍りましたが、ここで「心」 を躍らせたままでは 「球を拾うこと」 が出来ません。ですから再度 「思考」 を 「守りモード」に切り替えて・・。そして「知っているルール」はごく数えるほど、だからこそ 「ボールと仲良くしていく事」 も頭に入れた私でした。 こうして私は何度も何度も自分にある 「集中力」 を意識して 「思考」 を切り替える事を意識して 「オールゲーム出場」 を果たしたのです。守っている 「私」 は 「球よ来い来い」 と思っている私。バッターボックスに立った 「私」 は 「腰を入れて、ヒットヒット」 と思っている私。結果は 「念願かなってライトまで飛んできたボール」 を一回 「はずして」 してしまいましたが、それでも私はバッターボックスに立ち 「ボールを見分けて」 フォアーボールで一塁ベースまで出ることができました。 因みに私の成績は「三打席で三振・フォアーボール・三振」です。そして私は一塁ベースまでいくことが出来ましたから「次の目標」ができました。
実は先週3月16日水曜日のこと、公園での練習では思うように動くことが出来ませんでした。その時私は 「いつも何時もとは言わないから、野球の時だけでも自分で思考を切り替えることが出来れば・・・」という「思い」を抱きました。 その日から4日間、私が持った 「テーマ」 は 「意識」 と 「集中力」。一人で素振りをしながら 「集中力」。仕事をしていても 「集中力」。 これまで「生き延びてきた私」に「必ずある」はずの「集中力」。 自分で直感した事を腹を据えてやって居る自分・仮に別の方向から弊害が出るのなら 「出た事」 を元に考えていけば良いのだと、さらに 「目的を意識しなおす」 形でひたすらこの事だけを意識していたのです。そしてこの取り組みに 「付随する」 形で 「傷を癒やせたこと」は言うまでもありません。 ですから今日の私は 「成績」 に関わらず、 「自分の直感」 を信じ 「取り組んできたこと」 の結果を自身で実感出来たことが嬉しくて仕方がないのです。23:30 「洗堰公園グランド」
「春の到来・つくし」
| 2005年03月19日(土) |
「人生」の主役になろう |
今日栄の本屋 「丸善」 に行った帰り 「地下街」 を歩いてみました。夕暮れ時すれ違う人々は大きな紙袋を肩に提げてその表情は満足げに見えました。通路の端には携帯を片手に 「人待ち顔」 の若者がたくさん居ました。週末の夜、彼らは恋人や友人と楽しいひとときを過ごす計画なのかもしれませんね。けれどその 「光景」 は今の私の 「興味の対象」 とは重なりませんでした。行き交う人々を見ている私の頭は 「買い求めた本」のことでいっぱいだったのです。自分らしく生きるために 「出来ること」 を探し続ける「私」・今回買った本はそのための 「材料の1つ」 です。電車の中、私は時間も空間も忘れるほど 「本」 に没頭し 「自分の将来」 を思い描いていました。 「私の人生の主役」 は 「私自身」 なのですね。
夜、ルームメイトの青年と話をしました。彼はその中で「僕は人を嫌いになるという感覚が分からないから・人を嫌いになったことがないから」と語りました。いつも楽しい話題を披露しながら自分の「心」を小さく語る青年。私も過去に彼と同じ事を思っていましたから、彼の語る言葉の「意味」は十分理解できました。 幼少の頃お母さんと別れた彼。私にも息子が居ますが、私は息子が5歳の時に家を離れてきましたから、時に「21歳の青年」と「自分の息子」が重なります。そんなときには今を生きる自分を意識して「青年」は「青年」・「息子」は「息子」。そして「私」は「私」と言い聞かせています。 いつも「私」は「自分」を生きればいいのです。日常のいろんな事は何かの気付きになりますね。
仕事。昨日私は「自分」を主張してもいいと知りました。新しいことを知った私はそれ以前よりも楽に、柔らかく動いているように思えました。 私よりも一ヶ月後に就職された同僚はご自分のペースでゆっくり「気付いたこと」から1つずつ仕事を進めていて、横にいる先生は何時ものように椅子に座りその視線は患者さんとカルテの間を行き来していました。私はその間、自然に患者さんへ語りかけ小さな事で笑いあい、そしてペンを走らせる先生の目元も緩み「くすっ」と笑い声が漏れました。私にはその空間に社会にある隔たりが無いようにも思えました。 同僚はすれ違い際、私の背中に触れ「Mamoさんは痩せてるけど肌が柔らかいねぇ」と言いました。私はその言葉に「心」を付け足してお返しし、二人でくすくす笑いました。 4日前先生の言葉に「小さな痛み」を感じた私と、今日「肩の力」を抜いて笑いあった私。見ているものは同じ光景だけれど「受け取る私」はまるで違う「心」でした。本当は先生と患者さん・そして同僚も誰も皆いつもと同じように生きていて、その光景を見ている私の「心」が現実を「違うもの」に「変えている」という事が往々にしてあるのだと思います。こんな「気付き」は素敵ですね。これから又成長していく「私」が楽しみです。 緩やかな時間の中で仕事を終え、夜空に出ると星が輝いていてお月様はきれいに割れた「半月」でした。「月」や「星」・「自然」は何時見てもそこにあります。美しいですね。 そして本当は私たち人間の「心」も。
6歳の男の子がイボ焼きにやってきました。今日は10回焼く事を目指していたらしくニコニコ顔で処置室に入ってきましたが、やはり痛みは辛いから、治療の初めは話を逸らしてなかなか先に進みませんでした。私は男の子のペースに合わせてゆっくりと進めていると男の子は自分から焼いていく数を数え始め、やがて「数が増えていく事」を楽しみにし始めて、ついには26回もイボを焼く事が出来たのです。(通常大人でも10回程度なのです) 男の子は帰りに「今度は30回焼くからね」と言っていたので、「このまま数が増え続けるとどうなるのかなぁ」と密かに考えている私です。 5歳の女の子もやってきました。私は1ヶ月ほど前女の子に「なぞなぞ」を渡しました。彼女はその答えをお家で探してくるのですが、答えはなかなか見つかりません。女の子のお母さんは「なぞなぞの答え」を知っていますが、女の子が自分で見つけた「答え」を持って病院に来ることを手伝っています。実は女の子、私が出会った頃は「ばか〜人の手に触んないで〜」と大きな声で叫ぶ女の子でした。けれど最近は何故か何時もニコニコ顔です。子どもさんの笑顔は本当に純粋で、その世界は面白いことばかりです。 小さな子どもは「自分の戸惑い」をいろんな形で傍に居る大人に知らせます。私は「何が問題かな?」と思いつつ子ども達にゆっくりと話しかけます。場所は病院の処置室ですから周囲は慌ただしく動いていますが、私は緊急の場合でなければ、「自分のしている事」を大切にします。私が病院で「自分のしている事を大切にする理由」は「大人の都合で子どもを急がせてはならない」からです。私自身は過去に「自分の子ども達」と関わっていた頃、何時もハッキリとした理由のないまま「時間との戦い」の中で「子ども達」を巻き込み続けていて、そんな時には「子ども達の小さな戸惑い」に気が付くことは出来ませんでした。けれど今は「私自身」が子どもの頃に「理由の分からない事」を強制させられてきたことこそが「私自身の傷」だったのだと知ったから、いつも「目の前にある事の意味を語れる大人」として子ども達を見ていたいのです。 大人が「子ども達」をゆっくりと丁寧に見守っていくことの「先」に見えるものは計り知れません。そして私も・子どもも・誰も皆、「先」にあるのは「無限大の可能性」です。
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