「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年05月15日(日) 私の世界

 休日。オーストラリアへ旅立つ男の子と2人の心友を見送る為に車でセントレアまで行ってきました。私はルームメイトを乗せて車を走らせながら、「自分を意識すること」を意識しました。ルームメイトに「ナビ」を頼んだり、「心のこと」を語ったりしながら、車の少ないその道を迷うことなく快適に走り、私たちはあっという間に空港付近まで着きました。私たちは予定より早く到着できると判断し、新舞子海岸へ寄ってキャッチボールや空手をして遊びました。海岸には水着姿の人も居ましたから、今年も「海の季節」がやってきたのですね。去年はつぶ貝採りに嵌っていた私、今年は・・想像するだけで心が躍りました。
 空港で3人を見送った後、男の子のお母さん女性と「心の話」をしました。女性は元看護師さんなので、私たちは「医療の世界」のおかしさを語り合うことが出来ました。女性は「医師は病院の世界のことしか知らない」と仰り、私もその意見に共感しました。私は女性の話を聞きながら、「患者さんの中には心を持って生きる私を知ろうとする人も居るのだ。私はいつも自分を大切にすればいいのだ」と考えていました。
 女性と分かれた帰り道、私は一人海岸に降り、離れて遠くなったセントレア空港を眺めました。私がマイナスの社会に巻き込まれることなく自分の生き方をしていく為に、本当に必要なことは何だろうと考えていました。そして私はこの2年間と同じようにいつも自分を見つめていけば良い。そうすることが一番良いと自分の気持ちを確認して常滑の海を後にしました。時間はちょうど夕暮れ前、海面は太陽が反射して海面の様子が見えないくらい輝いていました。
 私はいつも今を見て前を見て、自分を大切にして生きていこう。そして心の傷を癒やしていこう。私がいつも自分を見つめて生きるのなら、私はいつも過去とは違う新しい生き方が出来るだろう。私の世界が出来るだろう。うん。そうしよう。

 飛行機・大好きです。
「海」大好きです。 「新舞子の風車」・昨年はありませんでした。


2005年05月12日(木) 「レッテル」を剥がそう

 去る5月8日、引きこもりの方を支援している団体のHPを見ました。ページが開かれると同時に画面の表紙に3つのアルファベットが浮き出てきました。その文字の意味は「強迫性神経障害」「被害妄想」「人格障害」の頭文字でした。私は心のことに関する社会の理解の無さに心底驚き、さらに会が全国ネットであることには心の底から落胆しました。そして自分にあった過去を思い出しました。
 私が心に病を持たされ生きていた頃、小さな気持ちの変化を「精神の病」という計りでひと括りにされ、マイナスの意味で納得されてしまうことがどれほどの悲しみ・苦しみであった事か。社会から普通ではないとレッテルを貼られることでどれほど心が傷付いてきたことか。そしてこのような社会の偏見がどれほど私たちに無力感を植え付け生きる力を奪った事か。
今考えてみると、私は決して困った人ではありませんでした。「NO」と言う方法を知らなかったから、「体でNO」を訴えました。感情を持っても良いと知らなかったから怯える自分に更に怯えました。語り合うことを知らなかったから乱暴に自分を表現しました。そして真の自己を表現することが許されなかったから泣いて叫ぶしかありませんでした。
 落胆したその日から、何度かに分けて同じHPを覗いてみました。どこかに少しでもいいからプラスが書かれている事を期待していたのです。けれど何処にも探せない。引きこもりの会を立ち上げている人々は引きこもっている方々や心に病を持たされていた私の目線に腰を下ろし、私たちの息を感じたことがあっただろうかと疑問が沸きました。彼らが心で私たちの苦しさを知ろうとしているのなら、会の名称にマイナスの文字を使って、私たちを新たな不安に駆り立てることなど出来ないはずなのです。
 私は今、ただひたすら自分だけを見ています。私が今社会に視点を合わせたら、私は再び傷つく。だからいつも自分のことをしています。「社会に貼られたレッテル」を自分で剥がしていくのです。


2005年05月11日(水) 「自分を生きる楽しみ」

 休日。午前中 「名古屋市中区の問屋街」 まで出かけました。町にはいろんなお店がたくさん並んでいました。過去には 「デパート」 に出かけても同じ場所を何往復するばかりで、買い物が出来ないまま疲れて帰宅することの繰り返しで、何時からかそんな自分が嫌で町に出ることもなくなっていた私です。そして今日の私は 「自分の心」 に任せて 「町を散策する」 事もやってみたいなぁと思いました。これからは暑い季節がやってきますから、お気に入りの帽子をかぶって 「アイスクリーム」 を片手にぷらぷら歩いてみるのもいいかもしれませんね。帰り道、「なんじゃもんじゃ」 の木を見ながら、目で 「森林浴」 をして帰ってきました。 「なんじゃもんじゃ」 は白くて小さなお花をたくさん咲かせるので、まるで 「木の上に雪がかぶっている」 ように見えました。
 午後、庭の畑に 「トマト」 の苗を植えました。トマトは 「ミニトマト」 と 「普通のトマト」 の二つを交配させて「中トマト」が出来るらしいので早速2種類の苗を植え 「中トマト作り」 を楽しむことにしたのです。それから 「ルコウソウの種」 を撒きました。「ルコウソウ」 は赤くて小さな花びらを何十個も咲かせ、実に 「可愛らしいお花」 です。去年は家の入り口に撒き、いっときの間 「玄関前」 を華やかに飾ってくれました。今年はキッチンから見える場所に撒きましたので、「素敵な空間」 を家の中から眺められるようになることでしょう。夕暮れ前には 「バッティングセンター」 へ行きました。今日の私は自分でも驚くほど 「バッテイング」 を 「楽しむ」 事が出来ました。ボールが出てくる瞬間に 「自然に緩んだ口元」で 「ボールちゃん・おいでおいで!」 と呟いて、「純粋」 に 「バッティングを楽しむ自分」 だったのです。ですから 「うまく素振りが出来た」 とか 「うまく打てた」 とかではありませんが、バッテイングセンターを後にする私の 「心の満足度」 は 「120%」 なのでした。夕方には 「車の買取やさん」 を訪ね、「私の車がいくらで売れるのか」という 「査定」 を出してもらいました。因みに私の買い替えの予算は30万程度・「買い替えの資金」 としては少ないのかもしれません。そして 「理想とする車は買えないだろう」 と思っていましたが、車屋のお兄さんは 「私の要求」 に近い形を作りながら親切丁寧に話を進めてくれました。今は車屋さんも 「オークション」 に出されたものを買い取っていくのですね。話を聞いているうちに 「オークション」 に参加する」 のも 「面白そうだなぁ」 と思いましたが、もう少し 「査定してもらうこと」 を楽しむ事にして、今日はお話を聞いただけでお店を後にしました。

 今日の私の一日は、「心の底から楽しい楽しい一日」 でした。 「プラス一色の好奇心」 で 「目を輝かせ続け今を楽しむ自分」 を見ながら 「これでいいのだ」 と 「心」 で何度も感じていました。こうして日記を書きながら、「楽しく生きられている自分」 に対して 「楽しかったね・良かったね」 と優しく声をかけているのです。そしてさらに 「柔らかい心」 で 「過去を捨ててよかったね」 と。「これでいいのだ」 という言葉を 「体中の細胞が感じ取っている」 のです。22:00


2005年05月10日(火) 「見据えること」

 今日ある女性から 「Mamoちゃんはそんな風に(過去を)語れる位置に居るんだね」 と言われました。私は 「・・やってきた・・」 と少し小さな声で答えました。そして 「そう言い切ってもいいのだろうか」 と考えて 「これでいいのだ」 と思いなおしていました。
「楽になりたい」 というその思いだけで此処まで来た今、自分自身に対して 「周囲の人」 は、「私」 を 「過去とは違う目線」 で見ているように見えるのです。そして 「私」 が 「自分の中にある材料で自分を見ている」 とするのなら、「私」 は既に 「成長した自分」 を 「知っている」 ということにもなるのです。

 実は私、少し前には 「過去とは違う生き方をしている自分」 に 「戸惑い」 を持っていました。しばらくして 「戸惑いの時期」 は過ぎると、 「過去と違ってもいいのだろうか」 と思い悩む私として生きていました。2・3日後、「思い悩む私」は「自分自身の成長」 を 「自分で止めている」 のかもしれないと考えられるようになっていました。さらにしばらくして 「では、いいではないか」 と 「過去の自分」 を脱ぎ捨て 「新しい自分」 を見つめられるようになりました。「新しい私」に見えたのは 「・・・してあげる」 を持っている 「自分」 でした。
 そして 「私は傷を持った生き方」 をしていくのなら、その 「傷」 は 「小さな部分」 に 「見えにくい形」 で 「現れる」 のではないかと感じました。

 2年近く前名古屋へ来てすぐの頃、私は部屋の壁にひとつの貼り紙をしました。内容は 「多くの知識や技術が私の傷を隠すためのものならば私は再び傷つくだろう」 というものでした。今はこの言葉を書いた時の事を覚えていませんし、類似した内容を語るとしても違う単語を使います。例えば 「今の私」 が 「・・してあげる」 を持って人と語るとするのなら 「今私は何も語らない事をする必要がある」 ・それが 「私が自分を大切にする」 為の方法だろうと思うのです。そして今日 「心の事」 を語る私は 「より小さく自分を語ること」 を意識して 「自分に責任の持てる事」 だけを語ることができたのですから、「自分をしっかりと見据えられた」 ことを素直に「嬉しい」 と思いました。「プラスを深められた嬉しさ」 は 「午後の仕事」 に 「より深い楽しみ」 を引き出す結果となりました。
 自分に 「心」 を傾け 「丁寧」 に生き、「白衣のすそ」 を弾ませて 「忙しさを楽しみ」 一日を終えた私は 「自分の一日」 に 「心から納得」 していました。

「これでいい」 ではありませんか。そしてまだまだ自分を見ていこうと思えます。「本当の自分」 を知っているのは 「私」 だけなのだから、「私」 がいつも 「私」 を見ていれば・それだけでいいのではないかと思います。
「本当にもう・これでいい・・・ですよね」


2005年05月08日(日) 「心」 に。

 この頃の私はもっともっと 「純粋」 に 「今」 を楽しんで生きたいなぁと思います。「心」 を持って 「遊びたい」 のです。街角だって道端だって、「あーしてこうして・・」 と思う事をそのまま思い切りやってみたいのです。因みに今日中区消防署の前で 「空手」 の練習していました。そこで私は 「右足で回し蹴り」 の練習をしていたのですが、突然アスファルトの上に左半身を打ち付けてしまいました。よく見ると左肘をすりむいてしまったので消防署の中に入り 「消防士さん」 に傷の手当てをしてもらいました。後で考えると、右足を上に上げた時に勢い余って体が空中に浮いてしまったようなのです。「自分で自分の体を浮かせる事が出来るのだなぁ」 と驚いたり感心したり。けれどどうやら空手の世界では 「当然の事」 のようですので、今日は怪我をした私も何ヶ月か後には切れの良い 「回し蹴り」 をこなしているかもしれません・・・。

 夜家に戻ったところへ一人の女性がやってきました。女性はお子さんを一人お持ちでした。私の横に座った彼女はいつもとは違った形で「彼女自身の心」を表現しました。そして 「私」 に出来たのは 「いいの?」 と尋ねる彼女の言葉に 「いいよ」 と答える事だけでした。
 私たちが 「心」 にある感情に 「悪い」 を付けてしまったら、私たちは 「人」 として 「生きてはいかれない」 のです。そして私は過去、 「心」 を感じる 「自分」 を 「いけない・いけない」 と否定していたから 「苦しくてたまらなかった」 のです。
 女性は別れ際、私の手を握り 「いつも見ていてね。見守っていてね」 と・そして少し小さな声で 「お母さん」 と言いました。
私は 「見ているよ。見守っているよ」 と言いながら、心の中で 「お母さんと言われている自分」 を不思議だなぁと思いました。


2005年05月07日(土) 大好きなもの

 夕方「素振り」をしに行く途中の道端で、一人の女の子がお腹を押さえてうずくまっていて、傍で何人かの大人が少女を囲んでいるのが見えました。見ると少女は 「ダウン症」 と言われている表情をしていました。私は「車と接触したのだろうか、それとも何処か具合が悪くなったのだろうか」と思いながらその横をゆっくり通り過ぎ、少し先で車を止めて少女の様子を眺めていました。しばらくするとその場所に居た大人達は皆いっせいに立ち去り、後に残った少女はやはりその場所に座り込んだままでした。
「傍に居た大人が立ち去ったのだから何も無かったのかもしれない。でも・・・」 
私は少し考えた後少女の傍まで引き返し、そして 「どうしたの?」 と声をかけました。少女は真ん丸いお顔で笑って 「大丈夫」 と言いました。少女の足元には 「いくつかのテニスボール」が入った袋があり、少女はボールを1つだけ手に握って 「これ・・・」 と言ってニコニコと笑い何か答えてくれました。私には少女の言葉の意味はわからなかったのですが、 「体の具合が悪いのではない」 事だけは理解できました。私は彼女に名前を尋ねると彼女は 「みゆき」 と答えてくれました。私は 「私はMamoです。よろしくね」 と言うと彼女はにっこり笑いました。
 私は彼女と話をしながら 「自分は少女の傍に居るのは何故なのか」 と考えていました。頭には 「障害」 という文字が浮かんでいました。 「人としての染色体が1つ足りない」 と言われているはずの少女。社会の基準で考えるのなら、「障害を持った人」 として扱われているのだろうけれど、ダウン症であることは本当に 「障害」 なのだろうか。私には「目の前に居る少女」が「障害を感じて生きている」ようには見えないのに。そして 「純粋」 に 「ありのままの自分」 を生きているように思えるのに。
 私は少女に 「テニスをして遊ぶの?」 と尋ねると少女はこっくりと頷きましたから、私も 「じゃあ私は行くね。さようなら」 と言ってお別れしました。私が車の中から手を振ると少女も笑って私に手を振りました。私はその時、「私が彼女の傍に居たかった」のは、「みゆきちゃんの笑顔の中」に 「私」の大好きな「純粋さ」 を見つけたからなのだと思いました。

 その後いつもの公園へ行き「素振りの練習」をしていたら、「一組の父子」が私の傍までやってきて、「よかったら球を投げましょうか?」と言ってくれました。私は嬉しくなって「本当ですか?お願いします!」と言うとお父さんは「僕は野球部でも何でもないのですが・・・」と言いながらグローブをはめ、少年はグランドのずっと後ろまで下がり私の打つ玉が飛んでくるのを待ってくれました。私は今練習していたばかりの「フォーム」を意識しながら、お父さんの投げる球を打ってしばらくの間遊ばせてもらいました。

いつもいつも「プラスの好奇心」を使って「生き」、いろんな事に出会い続ける私です。楽しい楽しい・・・。23:00


2005年05月05日(木) 「そっと・静か」 に

 ゴールデンウィーク最後の休日。近くの公園へ素振りをしに行きました。今の季節は可愛いお花がたくさん咲いていますね。公園ではあたり一面に芝生のように敷きつめられた緑の合間に柔らかい綿毛をつけたタンポポがひょこひょこと顔を出していました。私は 「目に映っている景色」 を何時までも 「心」 に残しておきたいような気持ちになりました。

 私は今よりも更に 「優しく柔らかく生きよう」 としています。そして何かを語るときにも、「そっと・静か」 に語っていこうとしています。そのためにもっともっと 「自分にある能力」 を意識して 「心」 を持って社会に出ていくことに決めました。いつも 「柔らかく」 生きながら、「自分を高め」 ていくのです。明日から仕事なのです。
 
 私は 「そっと静かに自分を持って仕事をしてきます」   いつもね・・・。21:00


2005年05月03日(火) シンプルな意思

 4月後半から私自身の生活の中は「純粋な心」でいっぱいのような気がしています。衝突事故で出会った 「女の子の涙」 ・ 「餃子パーティー」 で触れた 「人の心」 ・ そして時々出会うベトナムの女の子達の 「きれいな瞳」 さらに此処で暮らすルームメイトの 「優しい瞳」。

 今日ある女性と 「人格」 の事に付いて語り合いました。彼女は私に 「彼女が持っている疑問」 をそのまま伝えてくれました。私は 「自分の過去」 を思い起こしながら、考え付いた 「プラスの提案」 をしました。彼女は 「私の提案した事」 について 「腹を据えて取り組んでいく」 と語りましたから、私には彼女が 「私の提案」 を受け容れたように思えました。彼女はその後、私の部屋の貼り紙を見ながら 「本当に心の事だけをしていけたらいいのにね」 と語りました。
 私たちが 「自分らしく生きよう」 とする時、「社会」 はいつも 「弊害」 になるのです。そして 「20歳を過ぎた彼女」 は 「自分として生きる為には社会と関わっていく必要があること」 も十分理解しているのです。私は彼女に 「私が生きづらかった理由は、 “私が傷を持っていたこと” と “社会がマイナスであること” なのだ」 と語り、だからこそ私は 「いつもいつも心の事を意識する為」 に 「貼り紙をしてを心に焼き付けてきたのだと・そしてこれからも 「腹を据えて取り組む必要がある」 という事を伝えました。
 私たちは長い時間、「心の事」 を語り合いました。彼女は私に 「私の纏めたものを見てもらってもいい?」 と言いました。さらに 「腹を据えて取り組んでいくから、Mamoちゃんの真似をしてもいい?」 と尋ねてくれました。私は・・・「私」 は 「心」 が 「くすぐったい」 ような気がしながら 「もちろん」 と答えました。
 
 そして 「私」 は。
私はこれまでと同じように 「自分の人生」 を大切にし、「シンプルな自分を語っていく」 事が、 「“彼女の純粋な心” を大切にする」 事に繋がるのだと確信しています。 21:00


2005年05月01日(日) Baseball 8  「自分のスタンス」

「野球」
 私は前回の試合の後から「ゲームの中で結果を出そうとして焦っている自分」を感じるようになっていました。そしてそんな自分を見つめているうちに「ゲームの中で形を残すことよりも、バッターボックスに立っている自分・ライトでボールを待っている自分を意識すること」から始めようという思いをもてるようになりました。ですから今日「野球をする私」の「心と体」はいつもよりさらに安定していて、朝起きた瞬間から「ゲームをする自分を見つめていられるだろう」という確信すら持っていました。打席は2度回って来て2度とも「フォアボール」となりました。一度目は「次のメンバーの打ったヒット」で「セカンドベース」まで走ることができたのですが、ベースから離れてしまい「タッチアウト」となりました。「ルールを知っていると、動きやすいこと」が分かったので、これから意識して「ルール」を覚えていくことにします。
 この頃の私は 「バッターボックス」 に立ち 「自分を意識したまま球を見分ける」 事を意識しています。更に 「自分の素振り」 を 「持ったまま」、「自分の打ちやすい球」 を 「見分けていく練習」 をしているところです。「自分のスタンスを保つ」ということですよね。そして本日の 「フォアボール」 は 「私自身」 が 「自分の目で球を見分けた結果」 でした。さらには塁に出た時 「セカンドベース」 まで進出することが出来ましたから、又また記録更新なのです。そして今日はこれまでで一番 「野球を楽しむことが出来た」 と感じた私だったのです。

 日常の中でも、いつも何があっても「自分のスタンス」を保っていこう。私はもっと「私」を意識して「私の人生」を生きていこう。うん。そうしよう。19:50


2005年04月30日(土) 触れ合った 「心」 ・・餃子パーティー

 今日この家で「餃子パーティー」を開催しました。参加してくださった方は心の勉強をされている9名と中学生の男の子少年と・そして5歳の少年と男の子でした。私は今回「餃子パーティー」を企画した時、「楽な自分・プラスの空間」を想定しました。そしてその為に必要なことは「私が自分を大切し、自分を意識し、他者と関わり何かを語る自分を知っていること」だと考えていました。私は数日前から「プラスの想像」の中で小さなゲームを作り「イベントの準備」を「楽しみ」ました。「プラスの私」が「思いついたプラスのこと」を全て実行しておきたかったのです。そして当日の今日、私たちは一日を通して時にお腹を抱えて笑いあい、時に「社会の事・心の事」を語り合いました。参加してくださった方の一人の女性は「心を語る中」で「涙」を流しておられました。私は女性の「涙」を見ていて、「本当は皆苦しくて・泣きたくて仕方が無いのではないか」と思いました。そして女性に「悪いのはお母さん一人ではないと思うよ」と言いながら、「過去に子どもを虐待してしまった自分」を思い出しました。私は過去「自分を責めることしか知らなくて苦しかった」から、その結果として「子どもを虐待してしまった」のです。もしも「女性を含めた社会の殆どの人」が過去の私と同じように苦しんでいるのだとしたら・・。今、「社会」を変えていく必要があるのです。そして私自身は「過去」に「自分を責め続けたこと」で「現実から眼を逸らしてきた」事を知っているのだから、今よりも更に強く「自分を責める事を止めていく」必要があるのだと実感しました。
 参加してくださった皆様へ。
 2ヶ月くらい前のある日、私は自分が住んでいる「心を語る空間」・「ぬくもりのある空間」を、「状況の流れの中」からではなく「意図的」に広げてみたいと考えました。そしてそれが今回の「企画」の始まりでした。
今日は、皆様が「私の提案」を受け入れ参加してくださった事で、私自身も「笑いあい触れ合い」ながら「心」を語って過ごせた事を心から嬉しく思います。
狭い場所に大人がたくさん集まって、すれ違い際に触れ合ったのは「肌」と称する「心」であったと思います。 そして触れ合った「心」は今の社会には無い「ぬくもり」を持っていたとも思います。参加してくださった皆様ありがとうございました。そして突然遊びに来ていただいたお二人の少年にも、今此処で「ありがとう」と言わせてください。これからも「ぬくもりのある場所」へいつでも遊びにいらしてくださいね。Mamo


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