「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年07月07日(木) 「やってみる楽しみ」

 この頃は 「朝のひととき」 をゆっくりした心で過ごせるようになり、「僅かな時間」 の中で 「出来る事」 を楽しんでいます。 ちなみに今朝は朝起きてすぐに 「金魚ちゃん」 を見に行きました。金魚は水槽の下の方で 「静かに水に漂って」 いました。 金魚にも 「獲つけ」 が出来ると聞きましたので、明日にでもやってみようと思います。 朝ごはんを食べた後少し早めに家を出ていつもよりたくさん素振りをしてから仕事に出かけました。 先日の試合では 「自分」 を発揮することが出来ませんでしたので、今は自分自身に 「テーマ」 をつけて練習しているところです。
 仕事時間は相変わらず 「業務の渦」 でした。けれども少し考えてみると、この頃は終了の時間が近づいても 「そわそわしている私」 ではありません。過去 「逃げるように職場を離れていた私」 はずいぶん小さくなり、今は 「少しくらい遅くなったっていいかな・・・」 という心境で仕事をしているように思えます。  もしかするとこれが 「楽な自分のスタイル」 なのかもしれませんね。 「楽な自分」 をどんどん広げていきましょう。
 昼間、「運動をしているので良質のたんぱく質をたくさん摂った方がいい」 という情報を聞きました。 夕飯には魚が食べたくなったので 「さんま」 を買ってきて食べました。 今は 「秋」 ではないけれど 「さんま」 もおいしいですね。 あちこちから入ってくる情報を、自分にあわせてやってみると新しい発見がありますね。

いろんな事をやってみよう。やってみることが楽しいのです。22:30


2005年07月06日(水) 「金魚ちゃん」

 休日。今日は 「ウエットスーツ」 と 「モリ」 と 「フィン」 を積んで、海へ向かって車を走らせました。今日の目的は 「サザエを採ろう」 です。ところが今日はお昼になっても気温が上がらなかったので、「潜りは先送り」 にして、岩の上で 「つぶ貝採り」 を楽しんで帰ってきました。 「初潜り」 を先延ばしにした分、 「次回」 が楽しみなのです。・・・面白いですね。 そして もっと 「興味深い」 事は、「先送りに出来た私の気持ち」 なのです。 「今日は無理だなぁ」 と分かってからそれほど時間を要さずに、自然に 「次の動きに変えよう」 と思えていた私だったのです。こちらは 「心」 の問題ですね。こちらの方も 「面白い」 ですね。 私はいつもどんな時も 「ある状況」 から 「次の事」 をしていけると楽なのですね。 家に戻ってからの後半も 「楽しい楽しい一日」 でした。

 ところで今日、「金魚ちゃん」 を買いました。種類は 「小赤」。夜店で売っているおなじみの金魚です。「金魚ちゃん」 のお家は 「雨水を溜めている水槽」 なのです。 水槽の雨水に 「ボウフラが湧く」 ので 「金魚」 が飼えるというわけです。 ちなみに水槽の大きさは 「2.4キロの洗濯機を2回り小さくしたくらい」 ですから、「小さな金魚ちゃん」 には広々快適な住まいということになりますか? お部屋は 「天然の明かり」 が僅かに差し込む程度です。 「お目目にやさしい」ということにしてもいいですか? それとも 「太陽の光り」 がもっと欲しいのかな?  けれど金魚ちゃんの体に 「直射日光」 は強そうですね。 体といえば色はもちろん 「朱色」 です。 改めて眺めてみると 「きれいな色」 ですね。そして金魚のおめめも 「かわいい」 ですね。今は 「かわいいもの」 を眺めて楽しめる私なのです。

「今日も一日楽しかったね」

 きれいな色のイソギンチャク 海の近くにある「大ハス」 
7月4日の夕食(アジ塩焼き大根サラダ・庭に咲いたシソ付き)
7月5日の夕食(鳥ごぼう唐揚げ・こぼれ落ちそうなサニーレタス付き)
7月6日の夕食(つぶ貝の炊き込みご飯・サンビレッジの棚卸で安かったイチジク付き)


2005年07月05日(火) 「神聖な場所」

 よく考えてみると、「病院」 という場所そのものが 「ビジネス」 の世界なのですね。というよりは 「人が生きること」 の 「目的」 が 「外貨を蓄えること」 となっているのだと思えます。因みに私の父親は、祖父の法事に集まった親戚一堂の前で 「神も仏もクソ食らえ!」 と叫んだ人でした。自分の中に「大きな怒り」 を抱えていた父が家を出なかった本当の理由は、「祖父が残していた財産」だったのではないかと思うのです。私はこの事に気が付いた時 「軽いショック」 を覚えました。けれど次の瞬間に「なーんだ。そういうことか」 と 「胸の “つかえ” が取れた」 ような気持ちになりました。 全ては私の推測に過ぎません。そしてバスも通らない田舎にある土地なのです。それでも家の周囲にあった土地を思い浮かべると、自然に浮かぶ発想なのです。そして“父親が見ていたもの 「私ではなくお金」 だったのだ”と言い切ることができた途端に、長い間持ち続けてきた 「父への疑問」 が、私の中で丸く収まってしまったのです。さらに 「職場を離れようとしている自分」 の行動の 「原点」 を垣間見た気もするのです。

 看護婦になって18年。誰もが一度は思い描くように、心のどこかで 「病院」 というものに 「神聖な雰囲気」 を思い描いていた私。そんな 「私の気持ち」 はあってもいい・持ち続ける必要があるのだとも思います。けれどその全てが 「自分の為」 にあるように 「純粋な私」として働いていこうと思います。私が 「純粋に生きること」 で 「傷を抱える私」 はうんと小さくなっていくはずだから。


2005年07月04日(月) 「いらないもの」

  雨の一日。朝から強い風が吹いていたので、 「トマト」 の支柱を補強しなおしてから仕事に出かけました。月初めの職場はいつも 「医療費のレセプト業務」 が入るので、院内の「慌ただしさ」が増します。私は 「私」 を大切にしています。 心を無視した「職場の要求」 に 「怒りを感じる」 人は多いです。たいていの人は自分にある 「怒り」 を 「笑いや冗談」 の中で表現します。 「素直に伝えられないこと」 は当然だろうとも思えます。「自分を伝える」と否定されてしまうから、「その人自身を表現すること」を止めてしまうのです。 私も時に否定されます。そして私の場合は 「否定されると辛い」 から 「黙っている」 ということをしながら仕事をしています。

 社会の大半の人々の視線は 「お金」 なのですね。人は 「物質的な裕福さ」 を求める余り、「心」 を忘れているのですね。そして私も過去には同じ場所に居て、「頭に描く理想の世界」の中で生きていました。私が知っていたのは、「頭で生きる方法」 だけだったのですから、仕方の無い事ですよね。

 ほんとうに、不必要なものを「不必要だ」と見極められる自分として生きよう。23:30


2005年07月03日(日) Baseball 11 「次」

 野球11試合目。9番バッター・ライト。今日は試合前から雨が降っていましたが、私は「雨の状況」よりも「野球をする体制」を作る事を意識しました。試合が始まってみると「雨粒」など少しも気になりませんでした。ところが今日は、私の体が目を覚まさずに、守りの中で始めの一歩が出遅れてばかりでした。最近は守備の練習をしていないせいもあると思うのですが、少々 「情けなさ」 を味わいました。それでも過去は「切り替えることを意識する私」でしたが、今日は自然に「次を楽しめる私」でいましたから、 「変わっていく自分」 を見ていて 「楽しいなぁ」 と思います。
 打席は一度回ってきました。こちらはようやく、「飛んでくる球」 が見えるようになってきたという実感があります。バッターボックスに立ッた私の頭は前回習った「おっつけ」と「腰」でした。2球目までは球の様子を見ました。どうやら今日はゆるめの球。私がストライクとボールを見極められれば「2回目のヒットが打てる」のだと思いました。3球目、タイミングを見計らって振ったバットにボールが当たりました。しかし残念ながら 「ショートフライ」 となりました。今回の場合は「上からバットを振ること」を意識していればよかったのですね。それでも「バットを振った結果」に分かったことですから、「次」につなげていくと良いのですよね。
 試合が終わった後、「以前よりも楽な心」でバッターボックスに立っていた自分」に気が付きました。 「野球」は遊びの1つのはずなのですが、回数を重ねる度に「楽さが増している自分」を面白いと思います。私は今日自分で感じた「楽さ」を、単に「場所慣れ」したものではなく「心の成長」 を元にして出来上がったものだということにして、これからは 「プラスの自分を持続していく事」を意識して生きようと強く思いました。
 夕方6時ごろから、久しぶりにのんびりとキッチンに立ちました。魚を焼きながら 「ベトナム語のビデオ」 を見ました。「ビデオの言葉」はベトナム語、そしてそのテンポの速いこと。理解できた単語はたった一つです。全く「言葉の分からないビデオ」を見ている自分がおかしくもありましたが、今はベトナム語を勉強していますから、近い将来「分かる単語が増えてくること」も想像できました。そして言葉が分からない分だけ画像の中で想像が膨らむのですね。ついに一時間ほど、ビデオに見入っていた私です。夕方7時・ウィークデイならいつも仕事をしている時間です。こんな時間にのんびりと食事が出来ていることが嬉しいと思いました。

 私は「新しいこと」を「楽しんでいる私」として生き、「プラスを持続」 できればいいのですね。 その為に 「自分にある能力」 を意識して、「先」を見ていくのです。 


2005年07月02日(土) 「心の境界線」

 これまでの私は、 『表面的』 なことに捕らわれていて、『心の境界線』 が欠けていたのだと思います。 「そうだったのか・・」と思ったとき、子ども達の事が浮かびました。 過去は常に、「自分よりも子どもを見ていた私」 。 いつもいつも 「自分として生きる事」 を知らないまま 「私」 を押し付けてきたのですね。 けれど今となっては仕方がありません。だから私は 「先」 を見ていこうと決めています。

 社会には 「境界線の無さ」 が溢れています。私は今でも 「自分を忘れる」 と途端に飲み込まれてしまいます。 けれど社会の中には 「自分を見つめる材料」 がたくさんあるのだと思います。集団の中に居ることで多くの事を勉強することが出来るのだとも思えます。 私は 「積極的に社会を見ていく」 とより成長できるのだろうとも思っています。 今日も又、「自分の心」 を 「一番大切に」 して、さあ出かけよう。7:00


2005年06月30日(木) 境界線

 「いい人」 には自分と他者との「境界線」が無いのだと思う。何故なら自分を殺して「他者の感情を引き受けてしまう」から。社会にはこの状況が溢れていると思う。他者の仕事を引き受ける人たち。自分を殺して医師に従う看護婦。病院の「人間関係の仕組み」 は 「家庭の仕組み」 と同じだと思う。私にとっては 「ましに過ぎない世界」。過去にはこの世界で生き延びていた私。だから私は、今はより強く自分を意識する。自分に 「いいよ」 の言葉を向けられれば、私の一番楽な思考が沸いてくる。これでいい。真実を見ていこう。

「一人」で静かに生きていこう。6:35


 「看護婦と患者さん」。
薬を塗られる小さな足。薬を塗ってる大きな手。 「人」と「人」。 頭の片隅に 「境界線」。 何故か私は  「ホッ」 としてる。 私たちの居る処置室から突然子どもの笑い声。 私たちは慌てて口に指を当て、「しーっ」と小さく囁いた。 思わず漏れる「クスクス」の笑い声。 もう一度 心に感じる 「懐かしいような安堵感」。 「楽な私」。 「心が、楽」 「これでいい」。 気のせいかな。 「自分の動き」 が静かに思えた。 「女性として生まれた私・やさしく生きよう」

「私」 って何だろう。「自分」 って何だろう。 どうして此処に生きているのだろう。 生きているから生きているのだろう。 私は私でいいのだろう。 考え始めたら何処までも広がり続ける。 無限に広がる可能性を持った私。23:00


2005年06月29日(水) 「視線」

「いい人」 をやり続けようとすると、心が疲れる。何故なら 「自分を殺して生きる人」だから。 けれど 「いい人」 として生きてきた自分の傷は見えずらい。何故なら 「いい人」 として生きることが 「受け容れられる条件」 だったから。そして過去に持っていた「優しさ」は、 「生き延びる為の術」 だったから。「自分にある真実から眼を逸らす」 と 「心」 を失う。気が付いたら又始めればいい。
 
 夕方「上昇気流」というのを見た。「雲」が出来ているのだと聞いた。生まれてはじめて見たもの。「凄い」と思った。世の中には私の知らないことがたくさんある。いつも「新しい私」を見続けよう。

 日が暮れた後、部屋で洗濯物をたたんだ。昨日着た私の服。丁寧に一つ一つを片付けていく。頭の片隅で 「今を大切にしよう」 という言葉が浮かんだ。そうだね。いつも「今」を大切にしよう。自分の動きを大切にしよう。ゆっくりとした自分の動き。これが 本来の 「私」 のリズム。いささかゆっくりペースだろう。でも、これでいい。これが 「私のペース」 だから。仕事の時はどうすれば? 「自分のために働いている自分」を大切にして「働くこと」 を楽しんでいこう。いつも 「心」 を持った私として、社会で生きていくために能力を120%意識しよう。

[視線」をいつも自分に。

 「上昇気流」に乗った雲です。凄いね。


2005年06月28日(火) 触れ合い

 午前中、2ヶ月前の4月12日の診察に来られた「知的障害施設に入所されている女性が再診に来られました。今日の彼女の状態は以前よりも悪化していて「特別な処置」が必要でした。女性は処置の間は静かにしていましたが、診察を終えた後から前回と同じように叫び始め床に寝転んでしまいました。私には、女性はいつもとは違う出来事に戸惑ったように見えました。付き添われていた男性はご自身の力で女性を起こしあげようとしましたが、女性は少しも動こうとはしませんでした。そして治りかけた傷口に爪を立てて傷口を引っ掻き始めました。私は女性の傍に居たくなったので、彼女と一緒に床に座らせてもらいました。女性の傷だらけの手は遠めに見るよりも柔らかくて5本の指はすらりと細長く伸びていました。私は傷が治ったら女性の手は美しくあるだろうと思いました。女性は時々独り言を話し、私は彼女の言葉に答えていました。
 何度目の言葉だったでしょうか。女性は、大きな声で「びっくり!」と言いました。私は、これまでの関わりの中では限られた単語を単調に繰り返すのみであった彼女から、初めて聞いた新しい言葉に驚きました。そしてすぐに「そうだよね。びっくりしたんだよね」と答えました。女性は途中で私の胸元に顔を擦り付けてきました。私は何だか心がくすぐったい気がしました。そして、女性自身の心に、ほんの少し触れさせていただいた気がしました。女性はしばらくすると落ち着きを取り戻しました。そしていつもと同じように診察室を後にしました。この僅かな時間も私には貴重な時間でした。


2005年06月26日(日) “ぷりん” と “つるン”

 又また海へ行ってきました。今日も波はやや高め。そして風も前回と同じくらい吹いていました。前回は波の飲まれて怪我をしましたから、今日は自然に「安全に遊べるよう」に意識しました。
 シュノーケルをつけて海の底を覗くといろいろな魚が泳いでいるのが見えました。サイパンで見たのと同じようなクロなまこやウニがたくさん居ました。全長5センチほどのウニの上に大きなアサリ貝がのっていました。「やった!」と思ってアサリをつまんでみると、貝の中身は空っぽで、あたりを見渡すと、殆どのウニの上に貝殻が乗っかっていましたから、ウニは貝を食べて生きるのですね。知識としては知っていましたが・・・本当だったのですね。まるで始めて知ったような気がしました。

 海で遊んだ時間は3時間くらいだったと思います。それでも帰路に向かう私の心は120パーセントの満足感を味わっていました。少ない時間でこんなに楽しめたのはなぜかなと考えてみると・・・「怪我をせずに楽しむ事が出来た」事が私の満足度の理由」だったのです。

 家に帰って早速つぶ貝をゆでました。ところで私は過去、「魚介類」は大の苦手だったのです。子どもの頃のマイナスの経験が 「魚介類嫌いの理由」 でした。ところが就職して間もない頃、友人に勧められて 「採れたてのカキ」 を 「レンジでチン」 して食べてみたら・・・その「カキのおいしさ」 は格別でした。 これは私が魚介類を食べるようになった 「きっかけ」 なのです。 「食べられなかったものが楽しく食べられるようになる」 ことも、1つの能力ですよね。 面白いですね。 今日はつぶ貝をいくつかお皿に入れて 「レンジでチン!」 に挑戦してみました。 こちらは、加熱の時間が多すぎて 「貝の干物」 のようになりました。「チンする時間の調整」 に 「コツ」 が分かれば、ゆでるよりも早くおいしく食べることが出来ますね。けれど今日は数がたくさんありますし、電気代もかかりますから、大きなお鍋に貝を入れて、時間をかけてゆっくりと茹で上げました。茹でたてのつぶ貝、おいしいですよ。何よりつぶ貝から実を出す時の感触がたまりません。貝の中のくるくる迷路を通って出てくる間に尻尾が切れてしまわないように、手首を上手に使うのです。小っちゃく細くなった尻尾がプリンと出てくる・その瞬間を想像して下さい。 最後の最後はきゅんと丸まったまま少しだけ反動をつけて見事に 「ぷりん!」 と出てくるのですよ。  又またしばらく嵌りそうです。

水色のヒトデ 本日も大漁 一番大物 “ぷりん”と“つるン”


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