「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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休日。本日も海へ。到着するとすぐにテントを貼りました。それから「サザエ採り」の為にテトラポットまで「遠泳」しました。前回は少し緊張していましたが、今回はこちらの岸を離れた瞬間から記憶に新しいテトラポットの周りの様子を想像していました。前回しがみつくように持っていた浮き輪も、今日は「ないほうが楽かな」と思え、最後には浮き輪を離して2メートルほど下まで潜ってみたいと思えました。そして実際に目的の場所まで潜ってみると、すぐに「もっと下まで行ってみたい」という思いに駆られました。私は「遊びの中」でも「自分の好奇心を延ばして」成長しているのですね。 海の中ではいつもよりも深い呼吸をしているように思いました。何度も潜っているうちに肺活量が増えてくるかもしれません。肺活量が増えると「一度の呼吸でたくさんの酸素を体に送ることが出来る」のだから、「体にやさしいことの1つではないかな」と思いました。 お昼を食べたあとは浜の近くで遊びました。二人の少年が海へ向かって石を投げて遊んでいました。彼らが投げた石は水面で何度かジャンプしてから沈んでいきました。私は少年達の傍まで行って見ていました。しばらく見ているうちに私も石を投げてみたくなったので、少年に「どうやったらそんなふうになるの?もう一度見せてほしい」と言ってみました。少年はちらりと私を見て、そして少し照れたような顔をして「うん」と言い石を投げて見せてくれました。次に私が「私にも教えてくれる?」と言うと、少年は「平らな石を見つけてきて水平に投げる」と教えてくれました。私が少年に教わったようにやってみると、私の石も少年が投げた時と同じようにジャンプしてうんと向こうまで飛んでいきました。私が「出来た出来た!」と喜ぶと、少年は、今度はニコニコしていました。少年の笑顔と共に帰ってきた「ウン」という言葉は、私の心にストロークとして残りました。そして「教えて」と自然に言えた自分も嬉しいと思いました。人との触れ合いはこんな小さなことから始まるのですよね。 ところで今日は「ゴンズイ」という魚を見ました。私が見たのは「稚魚」でしたが、数え切れないほどの群れをなして、まるでイソギンチャクのようにゆらゆらと泳いでいました。背中のとげは毒を持っていると聞きましたので、手に触れないように観察してから海へ返してあげました。浜の近くにあった大きな岩には、茶色い大きなワカメがくっついていました。ワカメのゆれ具合が、まるで「台風の風の中で揺れている大木」のようでした。私はそのワカメを両手で握って強く引っ張ってみましたが、どうしても取ることが出来ませんでした。きっと「強い波の中で生きていくための知恵」なのですよね。 夕方には「眼科」へ行きました。ちょうど一週間前に負傷した目・痛みは取れていましたが、安心してコンタクトを入れるために「完治しましたよ」という判定が欲しかったのです。眼科では前回と同じようにたくさんの検査をしました。前回は痛みを持っていましたが、今日は目も心も元気ですから、自分の目の前にあるたくさんの器械や検査が何のためにあるのかを知りたくて、いくつかのことを尋ねてみました。すると看護師の女性は丁寧に教えてくれました。目は完治しました。これで明日から安心してもとの生活に戻れるのです。 家に帰ってから、「サザエ」を料理しました。今日はルームメイトも一緒にクッキングでした。私たちとルームメイトは「どうせならサザエのおさしみを食べたいよね」と言い、ゆっくりと時間をかけてサザエが殻から顔を出すのを待ちました。硬い殻の中から「サザエ」を出すには、口のあいてきた貝の隙間に目打ちを入れて実を引っ張り出すのです。ところが・・・5匹あったサザエの全ては「不成功」に終わりました。なかなかコツがいりますね。 ちぎれた先っちょを食べてみて「こんなにおいしかったなんて・・・」と言い合いました。そして私は、おいしさも良いのですが「どうせなら、生のサザエを最後まで引っ張り出してみたいなあ」と思いました。 世の中は「不思議」がいっぱいです。私が感じる「不思議」はきっと「プラスの好奇心」なのでしょ。そして「知らないこと」を「知る」のは楽しいのです。何を見ても楽しいです。「知らないことがある」ということは「知ることが出来る」ということなのです。「何かを知らない」ということは、「知らないことを知っていく自分」を「楽しんでいられる」とも言えます。何もかも面白いです。
| 2005年08月02日(火) |
次の自分へのつながり |
2日後にやってくる私の誕生日。「ひとつ年を重ねる自分に、今年は何をしようかな」 。何かをしてもいい。 何もしなくてもいい。 もしも 「何かをする」 のなら、 「より柔らかい自分」 へ繋がるものでありたいと思います。 そして 「心のある自分」 を意識していくことだけは確かですよね。
今日も夜の公園へ行き、壁投げの練習をしました。今は「右足を軸にしてボールを投げる」ということを練習しています。それが・・・自分でも分かるくらいの「へたっぷり」です。どうしても「体に力が入っちゃうのですねぇ・・・。それでも私は 「出来た自分」 を持って家に帰りたかったので、「投げる時のポイント」 を意識して何度も何度も投げました。毎日すこしづつやっていれば、そのうちに出来るようになるでしょう。
もう8月。今の仕事はあと2週間で終わり。きっと、2週間はあっという間です。そして辞めるその日までは、いつも「私の働く職場」です。私は自分が楽しく仕事が出来るよう自分を大切にしていればいいのですよ。 診察を終えて家に帰ろうとすると、会計を待っている女性と目が合いました。私たちはお互いににっこりしました。彼女はアトピースキンで荒れてしまったご自分の腕を掻いていました。私が「痒いよね。やさしくやさしくね」と言いました。彼女は「ついつい痒さに負けちゃうの」と言いました。それから私に「お疲れ様でした」と言って下さいました。私は「ありがとう」と言いました。そして「あなたもゆっくり休んでね。腕さんもお休みなさい・・」と言いました。女性はニコニコしていました。私にはその笑顔がやさしく見えました。誰も皆、心も体もゆっくり休めるといいですね。そして私は、「自分にやさしく出来る自分が好き」です。
持ち歩いていたカセットテープレコーダーが壊れてしまったのでICレコーダーを買いました。説明書を開けてみると、なにやらいろんな事が書かれていました。これまで 「説明書」 という類のものを見ることが苦手でしたが、 「欲しくて買ったもの」 ですから、小さく心を躍らせながら1つずつ丁寧に読み砕いていきました。
夕方からベトナムの女性達のところへ遊びに行き、覚えている最中の 「ベトナム語」 を少しだけ使ってみました。すると彼女達は 「じょうずね〜」 と言った後、「私の知らない言葉」 を教えてくれたり 「ベトナム語で質問」 をしてくれたりしました。 私は家でテープを聞くときに 「音の強さ」 や 「早さ」 やを意識して聞いてみて、口や舌や喉を 「どのように使っていけば同じ音が出るのか」 を考えながら練習していました。そして今日は、「勉強を始めて間もない私」でも 「ゆっくり」 を意識して発音していると通用する事がわかりました。実際には 「自分のベトナム語がすんなり受け入れられている事」 に驚いてしまったのですが、 「こんな感じでいいのかな?」 と迷いながらやっていた方法は 「継続」 しても良さそうなので、もうしばらくは今までと同じ方法で練習してみる事にします。
今日は「彼女達との時間」 の中で、違う国の言葉を 「現地に住む人々から学んでいること」 を嬉しいと思いました。 「国境」 や 「言葉の違い」 を超えた 「心のある空間」 に居て、 「心を大切にした触れ合い」 の延長で 「言葉を学ぶ」 ことが出来ている自分。「出来る・出来ない」とは違う世界で、ごく自然に学ぶことが出来ている自分。・・・これからも同じような機会が増えればいいなと思います。そして私がいつもすることは、 「自分を大切に」して、「彼女達の純粋な心」 をも 「大切に出来る私」 としてそこに居ることなのです。 もしもベトナム語をたくさん話せるようになってきたら・・・。 「ベトナム語」 で 「自分の心」 を 「語る」 ことが出来れば嬉しいなぁと思います。「ベトナムの言葉」 だけでなく、「いろんな国の言葉を使って話が出来る」と楽しいですよね。 私が 「語ることが出来たベトナム語」 は 「私が練習してきた分だけのもの」 でした。「癒やした分だけ楽になった」というのと同じことだと考えると、「当然である」と言えるとも思うのです。毎日毎日少しずつ、「昨日よりもちょっとだけ成長している自分で居るよう、「自分を見つめていけばいい」のです。
私は今日、これまで「積極的には語らない事」をしてきた「私の将来」を、「ベトナムの女性達」 の前で語りました。私がこれまで 「まだ語らない」 としてきたのは、「今はまだ語る時期ではない」 と思っていたからでした。 その根拠は 「もっと自分に自信が付いてから」 とか、 「それをやれるという確信を持ててから」というような事のように思います。 そして今日、初めて「積極的に語った自分の未来」。 「確信」 は昨日や一昨日と同じくらいにあるだけです。 「他者に語ること」 が出来たのは、又少し、 「完璧主義」 から離れられ、「出来ても出来なくてもどちらでもいいね」 と思える自分が居たからかもしれません。そして、それでも私はこれからも 「自分の将来」 を「思い描いていられる私」 として生きていくのです。
「自分の将来」 を 「現実のもの」 に出来るよう、「毎日を生きていこう」。23:40
デジカメの調子が悪いので電気屋さんへ修理に出しました。「デジカメの保証期限」 は既に切れていたので、「有料」 を意識して行きました。ところが売り場に居たお兄さんは 「保証期限内ということで出しておきますね」と言ってくれたので、私は嬉しくなりました。手続きが済んだ後 「ありがとうね」 と言うと、お兄さんはニコニコ笑って 「こちらこそありがとうございました」 と言いました。次に、エアコンの事で分からないことがあったので別の人に尋ねてみました。そこに居たお兄さんも紙に絵を書いて丁寧に教えてくれたので、私は又また嬉しくなりました。私は 「いろいろと嬉しいことが続くものだなぁ」 と思いながら 「ホクホクした心」 で電気屋さんを後にしました。 帰り道公園で壁投げの練習をしました。今日は 「でこぼこの壁」 にボールを投げてみました。これが・・・。壁に当たったボールが何処へ飛んでいくかが予測不可能なのです。ボールは石垣の平らなところに当たるとまっすぐに飛んできますが、尖った部分に当たると速さを増して予想もしなかった方向へ飛んでいくのです。右に左に飛んでいくボールを追いかけるのが面白くて面白くてたまりませんでした。帰りの車の中の私は自分でも分かるくらいニコニコしていて、頭は 「24時間後に公園で遊んでいる自分」 を想像してワクワクしていました。
夜、「モントりオールで行われた水泳競技」 を見ました。選手達の泳ぎは水の抵抗が少なくて無駄がないように見えました。一緒に見ていた男の子は「僕も泳げるようになれるかなー」と言いました。私は「練習すれば出来ると思うよ」と言いました。私の 「言葉」 には 「小さな確信」 がありました。実際に、今 「野球を楽しんでいる自分」 を思えば、たいていの事は 「誰にも可能なことなのだ」 とさえ思えるのです。私は自分に何かが出来るたびに「へー、私にも出来るんだ・・・」 とか 「あらら・出来ちゃった」 とか思います。面白いですね。そして誰にもある 「可能性」 なのです。
休日。又また負傷してしまいました。それは夕方の公園でキャッチボールをしている最中の事。負傷した場所は 「左眼」 です。私は向こうから飛んできたボールをとろうとしていたのですが、一度地面に落ちてイレギュラーしたボールが左眼に直撃したのです。 「とっても痛かった・・・」。 私はコンタクトを入れていましたので、すぐに家へ戻り目を洗って冷やしましたが、痛みが治まる様子はありませんでした。「薬があったほうがいいだろう」と思い、眼科を受診しました。眼科の扉を開けると院内は患者さんがたくさん居ましたが、「野球のボールが眼に当たって痛くて痛くて」と言うと、受付の方は順番を早めてくれました。診察の結果の病名は 「外傷後角膜損傷」というものでした。簡単に言うと「眼球に傷が付いた」のですよね。傷が治るまでの間、コンタクトを止めて傷んだ部分を大切にしていればいいですね。 私の「心」は負傷してからしばらくは戸惑ったままでした。硬いボールが突然眼に当たり驚いたうえに痛みが治まっていかないから、「驚き」は 「不安」 へと変わっていったのだと思います。そして、順番を待っている時 「自分の血液の流れ」が 「左眼」 に集中している様子が浮かびました。私の体は 「負傷した瞬間」 から 「傷を治していく為」 に 「特別な動き」 を取り、「傷を治そうとしているのだ」 のだと感じたのです。その後からは、 「痛みが引いていく」 のを 「楽しみにしていたい」 と思うようになりました。 痛みは変わらずありますが、「傷んだ部分を大切にしてあげればいい」、と思えたのです。 病院の門を出た時、時間は19時を過ぎていました。私は夕飯を作っていませんでしたから、スーパーでお弁当を買い、夜の散歩を楽しみながら、ゆっくりと家に帰りました。
私は私にある「自然治癒力」を最大限生かし、傷んだ部分を自分で治していくのです。
仕事。「台風が来る」 というので、仕事に出かける前にトマトの木が倒れないように固定しました。病院は・・こちらも台風のせいでしょうか。訪れた患者さんはいつもの3分の1ほどの人数でした。私は暇な時間を使って 「シールカー」 を作りました。私の職場では 病院の苦手なお子さんが病院に来るきっかけを作れるよう」 に、「シールを渡す」 ことがあるのですが、「シールカー」 の中にシールを何種類か入れて、お子さんの元へ運んでいくのです。 「シールを渡すことがいいかどうか」 は別にして、工作って面白いですよね。作っているうちに 「面白そうなアイデア」 がたくさん浮かんできて、いつまでも遊んでいられました。 もちろん、院内の様子を見ながら、です。 夜、近くの公園で素振りをしました。それから壁投げのつもりで、遊具にボールを投げて練習しました。ちなみに今は「ゴロのボールがとれるようになろう」としています。ところが「自分の構え」がおかしいことは分かるのですが、どうすればいいのかが分かりません。家に戻ってルームメイトに尋ねると、ルームメイトは「ボールを早くとろうとして欲が出ているのだから、構えてボールを待つことをしてみたらどう?」と丁寧にレクチャーしてくれました。変えていく方法を知ることが出来たことを嬉しいなぁと思いました。 「シールカー」。 ばいばい・またね。
| 2005年07月24日(日) |
Baseball 13 「ピッチャの足を直撃した強襲ヒット」 |
野球13試合目。「9番打者・ライト」 今日の目標は 「打つ事」 でした。今日は少し早めについた球場で、前の試合を見学しながら少しずつストレッチをし、「試合の時間」 を待ちました。ストレッチをしているうちに 「体」 が 「走りたいよ」 と言ったので一人でグランド周囲を走ってみました。「自分一人でグランドを走っている私」・ 「心地が良くて」 たまらなくて、「開放感と安心感」 が 「心の底」 から湧いて来るのが分かりました。私は私自身に 「これでいいんだね」 と声をかけ、そして 「これから自分がすればいい事」 を確認したようでもありました。 その後丁寧に 「素振り」 をしました。素振りは脇を締めて 「おっつけ」 を意識しました。何しろ今日の私の 「気持ち」 は 「打つよ」 でしたから、バットを握ると自然に 「心」 も引き締まりました。そしていよいよ 「試合開始」 です。 私は球を待っている間、いつものように 「ボール来い来い」 と思っていました。ところが相手のチームが打つヒットは私のいる位置よりもうんと後ろまで飛んでいき、私は足がボールに追いつかなくて、球をとることは出来ませんでした。 私は 「ボールを打たれた瞬間」 に 「どこまで飛ぶか」 を見極められたら、自分の手でキャッチすることが出来るのですね。 「生きたボール」をいつでもとれるようになろうと思います。 球が来るのを待っている間に 「ダッシュの体勢」 を意識してみました。腰をかがめた体勢でお尻をつんと突き出して背中をスッと伸ばすと重心は自然につま先へ集まりました。この体勢でいればいつでも走り出せることが出来るのですね。そして何でも 「自分でやってみる」 とわかるのですね。 攻撃では 「2回目のヒット」 を打ちました。ヒットの名前は 「ピッチャーの足を直撃した強襲ヒット」 だそうです。 凄い名前ですよね。しかし本当に名前の通り 「ピシッ」 とバットに当たったボールは 「低飛行」 のままピッチャーの足元まで飛んでいき、ピッチャーは足で私のボールを止めました。 私は打った瞬間に 「ダッシュだ」 と思い一塁ベースまで走りました。すると一塁側でコーチをしていたメイトはまず 「ナイスバッティング!」 と声をかけてくれてから、次に 「フライが出たら止まる。ヒットになったら走って」 と教えてくれました。私は2塁まで行きたいですから、メンバーの言った事を意識して、さらにライトで練習した 「ダッシュの体勢」 を意識して「走り出す瞬間」を待っていました。待っているうちに「盗塁してみよう」 と思いつき、ピッチャーがボールを投げた瞬間に走りだしてみました。 私が2塁に着く前に 「3アウト」 となりましたが、 「今のはダッシュが出来たのかなぁ」 と、一人でニンマリしていた私です。 ヒットを打った後、私はいつもレクチャーして頂いている心友に駆け寄りHugをして大喜びしました。そしてすれ違った別のチームメイトも 「ナイスバッティング!」 と声をかけてくれました。 私は球場では 「心友」 以外と話をすることは少ないですし、メイトのほうから声をかけられることも殆どありませんから、 「打った自分を認められたこと」 を 「嬉しいなぁ」 と思いました。 私の後で打ったメイトは 「ホームラン」 を打ちました。私の後で打ったメイトは 「ホームラン」 を打ちました。私はホームベースの近くまで行って、戻ってきた選手に手の平を出しました。もちろん 「いつかホームランを打てる自分」 を思い描きながら・・・。
夕方にはバッティングセンターへ行き、「低めのインコース」 を打つ事を意識してみました。自分の苦手なコースを打てるようになったら面白いですよね。そしてどんな球も 「自分の打ち方」 で打っていけるようになったら、もっともっと楽しいですよね。少しずつでも 「先」 へ進んでいる私は 「可能性がいっぱい」 なのだと改めて思いました。 バッテイングの後には公園へ行って 「壁投げ」 をしてみました。今の自分では 「変えていくところ」ばかりだということは分かりましたが、「何処にポイントを置いて練習すればいいのか」 が分からなかったので、「ゴロのボール」 を 「お相撲さんがシコを踏む体勢で体の真ん中で取ってみる」 事をしてみました。自分の形が 「出来ているかどうか」 や 「どれくらいの時間すればいいのか」 は分かりませんでしたので、「体の疲れ具合」 を意識しながら練習し、 「自分に納得出来る取り方」 が出来たら止めようと決めました。途中に何度か 「もういいかな」 という気持ちを感じる事がありましたが 「心の何処か」 で 「満たされていない自分」 を感じました。こういう感覚って面白いですね。結局私が公園を後にしたのは 「きれいに取れた!」 と心の底から思えた後でした。
私は今日、いつもよりも強く「自分として動いていこう」 と意識していました。私が 「他の誰か」 ではなく 「自分の本当の気持ちに気が付ける自分」 で居られるなら、「今を生きる私」 の中には 「次々と新しい欲求が湧いてくる」。 こんなに大切な事を 「今までにない私」 として体感し、 「今日」 という日を 「お祝いしたい」 ような 「今日を楽しめた自分を認めてあげたい」 ような、「何とも言えない気持ち」 になりました。
球場で 「ピッチャーの足直撃強襲ヒット」 を打てた私・・・静かにそして力強く、「やったね!」です。
ネムの花・・可愛いね 初生りミニトマト 初生りオクラ
| 2005年07月22日(金) |
バトンタッチを楽しもう |
朝、公園で赤いチェックのシャツの男性が通りかかりました。私は男性の着ている服を見て、20代の頃の自分を思い出しました。20代・「傷ついたままの私」が最も乱暴に生かされていた時代です。けれど私はあの頃も生きていたのです。そして今もまだ、見えている部分は小さいものだと感じています。今日は20代の自分に「ごめんね」。それから「又、楽になろうよね」と声をかけました。日常の小さな一こまが心を探すきっかけになることを実感します。 職場へ新しい看護婦さん・Sさんがやってきました。パートさんですけれど、辞めていく私の代わりに入られた方のようでもあります。そして私は 「次の方へ仕事を伝えていく事」を楽しんでいます。 「辞めていく私」 から、「これから働くSさん」 へ 「業務のバトンタッチ」 です。 私は狭い院内をSさんと共に移動します。 「こんな働き方も楽しいなぁ」 と感じます。私よりも以前に入られた看護婦さんは 「自分の時にはこんなに丁寧に教えてもらっていない。ずるい」 と言います。でも、私には周囲の言葉は余り関係ありません。そして院長は 「Sさんどう?何処まで伝わったのか」 と尋ねてます。こちらも、Sさんの事は私には分かりません。私は私の出来ることとして 「自分の知っている事を伝えている」 だけなのです。そして私は・・・。自分の優先順位として 「次の職場探し」 をしています。いつも 「先」 を・・・。
職場へ新しい看護師の女性がやってきました。パートさんですが、辞めていく私の代わりに入られた方のようでもあります。そして私は次の方へ仕事を伝えていくこと」を楽しんでいます。辞めていく私から、これから働く女性に業務のバトンタッチです。私は狭い院内を女性と共に移動します。「こんな働き方も楽しいなぁ」と感じます。私よりも以前に入られた看護師の女性は「自分の時にはこんなに丁寧に教えてもらっていない。ずるい」と言います。でも、私には周囲の言葉は余り関係ありません。 院長に「彼女どう?何処まで伝わった?」と尋ねられます。でも、私には女性のことは分からないのです。私は私の出来ることとして自分の知っていることを伝えているのです。そして私は、自分の優先順位として「次の職場探し」をしています。いつも「先」を見て生きるのです。
お昼休みに新しい職場へ面接に行きました。今日尋ねたところは 「デイケアサービス」 です。ところが、担当の方と話をしている途中で、私の持って行った履歴書に現在の職場を書き忘れていた事に気が付きました。私は慌てて「ごめんなさい」と謝りました。頭の隅には 「信頼度が落ちたなぁ」 という言葉が浮かびました。そして 「今書き足してもいいですか?」と尋ねると、事務長さんは 「書きたければ書いてもらってもいいですが、別にどちらでもいいんです」 と言ったのです。その言葉が余りにもさらりとしていたので、私は驚いて「どちらでもいいの?」と聞き返しました。すると事務長さんは 「はっきり言ってみるとこの履歴書に書いてある内容や紙切れ一枚とか、例えば1・2回話しをして分かることって少ないと思うんです。ゆっくりと付き合っているうちに、本当のその人が分かってくるんじゃないかと思うんです」と答えました。更に「此処に来られる方は皆自発的に動かれているんです。目の前に食べ物を差し出すだけや、自分なりの人生を生きてきた人に「自分で何もできなくなったっからと言って全てをしてあげるのはどうかと思うんです」と言いました。私は自分のミスを補おうとしていたところだったこともあり、事務長さんの言葉に心が温まる思いがしました。そして、世の中は私が思うより広くて大きい物のように見えました。私はいつも意識して 「新しいこと」 を探していこうと強く思いました。
そして、この職場に就職するかどうかは、別の問題なのです。
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