「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2005年09月24日(土) 美しさ

 午前中1人の男性のお宅へ伺い、ひげ剃りのお手伝いをさせていただきました。実は男性がご自分でひげをそられるのは約一年ぶりの事でした。男性はベッドに腰掛けて、やっとの思いで手鏡をお持ちになり、ゆっくりと丁寧にかみそりを当てていらっしゃいました。やがて男性のあごからひげが無くなり白い肌が見え始めると、男性はニコニコと笑い始め、瞳はパッと輝いたように見受けられました。私の頭に「生きる力」という言葉が浮かび、心があたたかくなるのを感じました。
 男性は髭剃りが終わると、私に「ありがとう」といって下さいましたが、私は男性に「私のほうこそ、私の提案を受け入れてくださってありがとうございました」と深くお礼を延べさせていただきました。本当に、仕事として関わっている中にも「私の人生を考える為の材料がたくさんある」のですね。人が自分として生きていく姿は「美しいなぁ」と思います。そして私は自分では分かりませんけれど、私が「私自身として生きている姿」も、きっと同じなのですよね。
 昼休みにはバッティングセンターへ行きました。練習の成果があってのことか、少しずつではありますが、自分の中で手ごたえを感じられるようになりました。嬉しいですね。

 「複数の人格」があって。 
 例えば「別の私」として生きていても、私がやってきたことは全て「私自身の能力」になりますね。とするのなら、私には実にたくさんの能力がある事になりますね。ですから私は、自分にある能力を元に「プラスの私」を成長させて生きていけばいいのです。


2005年09月23日(金) ふんわり

 朝、いつものように公園で素振りをしました。どうやらバットを振る時に、体の力の抜け具合に沿って「鞭をしならせるようにフル事が出来る」ようですね。「嬉しい発見」ができましたね。昼、職場の事務所にいても利用者様のお宅へ伺っていても、プラスの材料に囲まれて楽しく仕事をさせていただきました。今は多くは語らない私ですが「丁寧に取り組むこと」を意識をしてお手伝いをさせていただきました。夕方、もう一度素振りをしてみました。今度はバットを振り終わった後に重心が右のかかとにあるように意識してみました。かかとに重心を保てるのなら、体に無駄な動きを省く事が出来るように思えました。
 誰もいない公園で一振りしては首をひねり、二振りしては又ひねり、毎日毎日「小さな発見」の中で成長している自分を嬉しいなぁと思います。

私は「私」を育てていけばいい。ふんわり生きていけばいい。


2005年09月22日(木) 新たに。

休日
 昼間、心友の録画された「多重人格の録画テレビ」を拝見させて頂きました。内容は実にひどいものでしたが、映像の全ては「現在の私を見つめ考えるきっかけ」となりました。
 私は複数の人格を持っていても、「自分にある可能性を引き出そうとし続ける」のなら、何処までも「楽に生きる自分を作り上げていける」のだろうと思います。そしてこの思いは、2年間の積み重ねの結果として私の中にあるのです。これからは「複数である事をしっかりと見つめた私」として更に「私を成長させていく」のです。

 又1つ階段を登った気がしている私。もっともっと・過去を全て捨て去って。「なりたい自分になるために」
 どんな私になれるかな?


「素振り日記」
 今日私は、バットを振る時「鞭をしならせるように振りおろせる」というお話を聞きました。以前にも聞いたとは思うのですが、「しなやかさをイメージ」できていれば、より楽にバットを振ることが出来るように感じられました。そして今夜は素振りをした後、1人でバッティングセンターへ行きました。結果としては「できたなぁ」と思えたものは数えるほどでしたが、「出来た感覚」を体で感じて次の機会に生かします。
 昨日の素振りで思いついたのですが、かかとに重心をかけていられたら、体は楽に安定するのですね。一回の練習で「安定した時の感覚を感じらる回数が増えました」から、これから更に「安定していられるように」練習していく事がいいですね。


2005年09月21日(水) 複数の自分を語る意味

 私は「複数である自分」をもっと語っていこう。
自分が経験してきた事・自分の感じてきたさまざまな思いを社会へ伝えていこう。
私が、どなたにも分かっていただけるやさしい言葉で「複数の人格を持たされた自分」を語れるようになったとき、私は真に自分の心を癒やし「楽な自分」でいるという事になるのだろう。7:40


 仕事では、利用者Mちゃんのお宅へ伺いました。
Mちゃんは先週よりも少し明るい表情をしていらっしゃいました。「今週末には義理兄弟夫婦が来る」ということで、今日はリビングのお片づけを手伝わせていただきました。Mちゃんの言葉の中には、世間のマイナスにより傷付けられた心がたくさん詰まっていて、殆どは私の過去の思いと重なっているであろうと思えました。けれども今日の私は、辛さを感じることもなく、Mちゃんの事はMちゃんご自身の問題なのだと思えました。
 そして私自身は、この2日間「私って何だろう?」と考えていました。
過去には辛さの中で生き伸びてきました。名古屋へ着てからも「楽になる事だけを考えて」生きてきました。そしてこれからは「少しよく生きようとしている私」です。その「私」は今、「本当はどうなっているのか」を知りたかったのです。そして見えた自分・・。「私は今も複数の人格を持って生きている。プラスでいる事は出来るけれども “作った自分” はどこかで剥がれる」
 それならば、「私はこれからどんな風に生きればいいのかな」
私はこれからも「自分を見つめ心の傷を癒やして」いきます。そして自分の経験を語ることで多くの方々の基準になっている社会が “マイナス” なのだという事をはっきりと伝えていこうと思いました。22:00


2005年09月20日(火) 学ぶ心

 今私は「しっかりとした体」を作ろうとしています。「1人で生きていく」為には、「体が出来ている必要がある」のです。夜F君と空手の練習をして遊びました。F君は私よりも背が高くて力がありますから、振り下ろした腕からはビュンという音が聞こえてきました。凄いですね。私も練習していけば彼と同じように力が付いてくるのでしょう。

「素振り日記」
 「左手をまっすぐに出しグリップエンドをぶつける事」を意識して素振りをしました。毎日やっていてもなお、意識を忘れるとすぐに元の形に戻ってしまうようです。「新しい事を学ぶ時」には過去のやり方を全て降ろすことが前提となるのですね。そして「新しい方法を何度も練習していく事」が大切なのですよね。さらに「毎日ていねい」に取り組んでいれば「私の体にプラスがしっかりとしみこんでいくはずなのですよね。「過去のやり方がうまく行かなかったのだから、変えていくということ」は心の問題と同じなのですよね。


2005年09月19日(月) 新しい自分

 今日は職場にお願い事をしました。それは「一部の性的興味の強い方への訪問をお断りすること」でした。私は、現在介護ステーションの一職員です。介護を利用される方の中にはいろいろな方がいらっしゃいます。時には、私の心に受け付けられない方もいらっしゃるのです。もちろん「私を利用してくださる方がいる」から今の職場で働いていけるのですから、どなたのところに伺ってもたのしくそのために自分を抑制したり切り替えたり、楽しく働けるよう工夫が必要です。そして、私は心に無理をして働いていたらいつも自分を大切にしたいですし「辛いと感じた自分」を守りたいのです。
 というわけで私は職場の女性に「私は性的虐待のトラウマを抱えています。あの方のところに行くのは辛いのです。申し訳ないのですが、あの方をはずして頂きたいのです」と伝えました。女性は私の言葉を理解して下さり「いいですよ。じゃ入れかえておくね」とその場で伝えて下さいました。よかった…。私は一般の社会でも「辛さを持っている自分を伝える事ができた」のです。そして今日の語りをきっかけに、これからもっと「自分を守っていける」のです。
午前の訪問へ出かける前に「新しいこと」を学びました。それは「数字の計算」なのです。一枚の用紙に並べられた数字を「介護保険の決まり」に従って計算していくのです。私は始めちんぷんかんぷんでしたけれど、少し分かり始めるとあっという間に面白くなり、最後には横に並んだたくさんの数字に愛着が湧きました。


「素振り日記」
 今日は腰を入れて半回転させた後に、左手をまっすぐに出す事を意識してみました。ところが、「左手をまっすぐに出す」ということに関しては「できているかどうか」が分からないのです。けれどもまっすぐに出ている時には「ビュンという音が聞こえるよう」ですし、音が鳴ったときには「バットと体の一体感」を感じるような気がしますので、今のところは私の見方は当たっているかもしれません。ところで今は「手首用のウエイト」を探しています。770グラムのバットを楽に持てるようになりたいのです。今はまだ手ごろなものが見つかっていませんが、毎日素振りをしているうちに自然に付いてくるような気もしています。


2005年09月18日(日) Baseball 16 「私として」

 野球16試合目。
 今日私は「一週間の練習の成果を持って野球を楽しむため」にグランドへ向かいました。そして私にはもう1つ「確認したい事」がありました。私が確認したかったこととは、「私は私として野球を楽しんでいるのだろうか」という自分自身への問いでした。何故今、野球をしている私が「私自身である事」を確かめてみたいのでしょうか・・・。付け焼刃やメッキではない「確かな自分」を全身で感じておきたかったのです。そして今日、私は「私自身として」ゲームに参加してボールを当てることはできました。この一週間の自分の行動の結果でもありますから、自分でやってきたことの手ごたえを全身で感じる事ができました。今日の成績は1打席目は「ショートゴロ」、しかし一塁に到達するまでにアウトになりました。2打席目はとっても小さなサードゴロでした。そして打ってからの走り出しが遅れたので、一塁ベースに手首から突っ込んでしまいました。「打ったら走る」・「取ったら投げる」は野球の基本になるのですね。 あとで知ったのですが、サードゴロの時には「勉強不足の私の走り」が相手チームのエラーを誘ってしまい、おかげで私は塁に残る事ができたのだそうです。真相を知らずに喜んでいた私ですが、相手チームの方にはごめんなさいという気持ちがします。

 今日は野球用のかばんの中に「手首用の可愛いベージュ色のサポーター」が入っていました。買い物をしたのは昨日です。お店のレジでお金を払いながら、「明日の試合で私自身としてヒットを打つ。そしてヒットを打った自分へのプレゼントとして次の試合から使い始める」と考えていました。あくまでも「ヒットを打つこと」が前提となっていたのです。ところが今日の成績は「ヒット」ではありません。でも、いいのです。「私は“私”を確認できた」から、次の試合にはベージュのサポーターを巻きバッターボックスに立つのです。
 


2005年09月17日(土) 育成会・・「お礼」にかえて

 育成会。本日は前回に引き続いて、「複数の人格を持つ私が取り組んできたこと」に付いて語らせていただきました。
実は自宅で内容を纏めている段階で、「ほんとうにこの2年間、思いつく限りの事をやってきた自分だったのだなぁ」と実感していました。そして、これまでの私の行動の全ては「自分が辛かった」から・「楽になりたかった」からなのですが、今は「辛さを感じていた自分」を「過去の事」として語っていけるという事を嬉しく思っていました。
 会の中で「買い物が出来るようになった自分の嬉しさ」や「始めて電車に乗れたときの感激」を語らせていただいた時には、それほど遠くは無いけれど「懐かしい過去」のように思え、自分の心に「あたたかい気持ち」が溢れてくるのがわかりました。全ての語りを終えた直後には「私は今日の語りをきっかけにして更に、見えていない自分を発見できるのだろう」と想像できました。そして今日のように、「ご自分の心を見つめることをなさっている皆様」の前で「私」を語らせていただいたことは、私自身の「次のステップ」へと繋がったという事も実感させていただきました。ですから、私の語りに興味を持っていただいていた事にお礼を延べたい気持ちなのです。

「私の語りに心を傾けていただいて、ありがとうございました。私は皆様からの問いかけをきっかけに、より深みのある自分へと成長できる事を心から嬉しく思います。本当にありがとうございました。」

 会の中で頂いた御質問の中に、「私たちの回りに複数の人格を持った方は居るのでしょうか?」 という内容のものがありました。私は質問の答えとして「多くの人が複数の人格を持たされていると思います」とお伝えしましたが、例えば「私の事」は決して例外ではなくて「日常にある出来事」なのだと思っています。そして複数の人格を持たされていても、傷を癒やしていく事で「楽な自分」として「自分を楽しみながら生きていける」ことも確信しています。

 一日を終えて考えたのは「これからの私」に付いてなのです。今日という日、これまでよりも更に深い自分をお伝えする事が出来た私は、これからどうやって生きていくのでしょうか。私は今夜から再び「新たな発見」を「次のステップ」へと繋げていきます。これまでと同じようにチャイルドを癒やして、「楽な自分」として生き、「昨日よりも今日よりも、少しよく生きる明日」を意識していくのです。私が楽に生きていくために方法は「自分を見つめていくこと」なのだと、全身で感じている私です。

「素振り日記」
 今日は育成会の前に名城公園で素振りをしました。今日のテーマは「グリップエンド」と「腰の回転を意識する」ことでした。私はまずイシガキの一箇所にグリップエンドを当てるポイントを決めました。そしてバットを振る前に、イメージした位置にグリップエンドが当たる事を意識して、腰をうまく入れて回転させるようにしました。「グリップエンドを当てる為のポイントを決めること」は「自分の打ちたい球を決めること」に繋がるように思えました。そして腰を入れて半回転させられれば、左足が自然に前に出るのだと実感しました。やはり「腰の回転」が基本なのですね。
 次に「壁投げ」をしました。こちらも「球を当てるポイント」を決めて、右足に重心をかけたまま左足を出してとることを意識しました。こちらは自分では出来ているのかどうかが分かりません。けれどもおそらく、「やっていると見えてくる」のだろうと思います。さて、夕方になり「自分で取り組んだものを持って」バッティングセンターへ行きました。結果はどうだったでしょうか。腕が下がってしまったり右手で振ってしまったりと問題点はありましたが、「今朝取り組んできたこと」の確認を得る事が出来ました。今日からの目標は「思い切り振り切ること」・「バットが下がらないように意識する」・「左手だけで打つ事を意識する」です。「待ち」が出来るとなおいいのですね。毎日毎日こつこつと取り組みながら、そしてこの取り組みの成果を「試合の中で楽しんでいける」よう、「傷を癒やしていく私」なのです。


2005年09月15日(木) ベビーサイン

  私は今日、職場の同僚女性に「複数として生かされていた私のこと」を少しだけ語りました。女性は昨日昼休みにご自分の辛さを語って下さった同僚の女の子です。女性は私が持っていた複数の自分についての資料を見て「大変だったんだね」と言いました。
 「大変だった」…女性の言葉のとおりです。私は大変過ぎました。けれども今は楽な部分がうんと増えていて「自分を育てる楽しさ」も感じられる私です。
 女性はご自分の経験を交えて「自分を大切にしようとして生きて、社会に適応していけるのかな」と語りました。私は「ニートや引きこもりと呼ばれている方たちは“社会に適応できない”として、社会から傷つけられてきたように見えるよ」と語りました。語っている自分を眺めながら「私も親や社会から傷つけられてきたうちの1人なのだ」と痛感していました。そして「自分を一番大切に出来る私として生きていくことがいいと思っている」と付け加えました。
女性は私に何度か「でもMamoさんは凄く楽しそうなんだよねー」と言いました。私は「へへへ」と笑いながら「プラスの自分を伸ばしていけばいいのだなぁ」と改めて思いました。

 夜、ある方から「ベビーサイン」という言葉を聞きました。「小さくて言葉を話せない赤ちゃんとのコミニュケーションの方法」なのだそうです。お子様が指でサインを出し、お母様はお子様の要求や心を汲み取る事が出来、そしてお子様は要求にすぐに気が付いてもらえるので、「安心して待っていられる」のだそうです。凄いですね。さらにベビーサインは「言葉とは違うコミニュケーションの方法」のようですから、小さいお子様だけではなく、言葉を話す事が出来ない方とのコミニュケーション方法として活用することも出来るのではないかなと思いました。「手話」とは違うコミニュケーションのとりかた」という事になりますか? 私は実際にベビーサインを汲み取っていらっしゃる様子を拝見させていただきたいとも思いました。社会には興味深い話題がたくさんありますね。


2005年09月14日(水) 心の叫び

 今日は先週初めてお会いした女性の家へ伺いました。玄関を入ると女性はすぐに「今泣いてた。今日は妹の誕生日パーティーがあって、行きたくないのに・・。行かないのは変だと親戚が言うから・・」と語って下さいました。私は女性のお話を聞きながら「ひどい社会だなぁ」と思いました。
 家の中は前回と同じようにゴミが散乱していて、女性は「片付けられなくて…」と仰いました。私には「生き延びることで精一杯の女性の心」は十分理解できました。私は今日は、女性のことを苗字ではなく名前で呼ばせていただきました。すると女性は躊躇されることなく、私のこともMamoちゃんと呼んでくださるようになりました。呼び名の部分は小さなことなのですが、私は女性との距離の近さを感じて嬉しくなりました。
ところで、私は今日「女性との関わりの中でもっと小さく私を語ること」を練習しようと考えていました。その理由は、女性は私が話しかけるとご自分の全てを止めて振り向いて下さるのです。本当に必要なことは尋ねる必要があります。けれど私も過去、あってもなくてもいいことを話していた大人です。私は女性の動きを止めていると思うのです。それで、私は女性の「空気のような存在」になれればいいと思っているのです。自然に「私自身の判断で動けることを探して仕事をしました
女性ははじめ、私にピアノを弾いて下さったりCDをかけてくださったりしていましたが、ふと気が付くと、女性も、私と少し離れた場所でご自分のことをされていました。しばらく静かな空気が流れた後、女性は私に突然「あなたは消えてしまいそうだ」と仰いました。さらに「Mamoちゃんは、本当は私よりも傷ついているように見える。本当はどうなの?」と尋ねられました。私は一瞬ハッとしました。心の傷が刺激されたのです。
「消えてしまいそうな私・傷ついていた私」。過去のことを思うのなら、女性の見た「私」は正しいのです。そして今は、私は自分を大切にしようとして生きています。私は女性に「そんなふうに見えるのですねぇ」と返事をしました。それから「世の中の人は皆傷ついていると思います」と言いました。けれど、最後の言葉は目の前の女性に傷ついていた自分を知られまいとする私の心から出た言葉です。
 女性は「こんな私だから・病気の私だから」という言葉を何度もお使いになりました。私はその言葉を聞いている事が出来ませんでしたので「ごめんなさい。私にはあなたが病気だとは思えないのです」と言いました。すると女性は「もう慣れてるし、ひがんだりしないから大丈夫よ」と仰いました。それでも私は、私の中で女性を「病気」にしてしまうことが出来ませんでした。私はもう一度女性に「ほんとうにごめんなさい。そうではないのです。私の心が辛いのです」と言いました。女性はしばらく黙ってから「何か・・・Mamoちゃんって本当に不思議」と独り言のように呟いておられました。帰り際、私が玄関まで来ると、女性もいましていることを急いで終わらせようとするように動き始めました。誰も皆自分のことをしていいのですから、見送りはなくても大丈夫なのです。私はお約束の時間に来た。そして帰る。それだけのことなのです。私は、今度は女性に「私はここで女性とお別れしたいのです。次の機会を楽しみにしていても宜しいですか?」と伝えさせて頂きました。女性は「分かりました」と言って、私たちは部屋の中でお別れしました。車に乗った後、女性のお宅の方を見ると、女性は部屋のカーテンを開けて手を振っていました。その表情がニコニコ笑顔。私は嬉しくなったので、車の中から両手を挙げて手を振りました。次にお会いするのは一週間後の予定です。女性はどんな一週間をお過ごしになるのか想像すると、私はちょっぴり楽しみです。

 昼休みは同僚の女性と一緒にお弁当を食べました。ところが、女性は「ひどくしかられて、これからやっていけるのか分からない」と混乱していました。社会はいつも、私たちに出来るだけ早くできることを望みます。本当にひどい世の中だと改めて知らされました。女性に「自分を大切にしてもいいよ」と言うと「自分を大切にしていいなんて言ってもらったのは生まれて2回目。凄く嬉しかった。実はさっきから泣きそうになってた」と言いました。「泣きたいときには泣いてもいいからね。怒ってもいいからね」。女性は「そっか。そうだね。私は悲しいんだよね」と呟いておられました。ほんとうに、私も女性も誰も皆、自分を一番大切にすることがいいのです。

 素振り日記
 今日は左手だけでバットを触れるように意識してみました。3回に1回くらいは出来たと思えるのですが、残りの2回は不明です。それでも、以前よりはうんと楽にバットを握っていられます。そしてバットを振った時に重心が左に移ってしまいますからこの点を改善できると、ボールの伸びが違うのだろうなぁと思います。バットを振り切ったときに右手をかぶせるといいらしいのですが、その時には重心はかかとに来ますね。こちらはこれで良いのだと思います。まだまだ上半身に力が入っているのを感じます。腰が安定するように持っていけると良いのですが。


Mamo |MAILHomePage

My追加