「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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突然ですが、私はボールが大好きになりました。そして今は布団の中でボールを握って寝ています。こんなにボールと仲良くなれるとは思っていなかったので、まるで自分の事のように嬉しいのです。(笑) それから、今日は木曜ナイターの日だったのですが、ナイター前にバッティングセンターへ行きました。そしてなんと今日はホームランを打ちました。バッティングセンターでのホームランは2回目ですが、気持ちよかった〜。 こつこつの効力を実感した瞬間した。そして木曜ナイターは・・・おもしろかったぁ〜です。今日は試合に参加はしませんでしたが、グランドの隅で壁投げの練習が面白くてたまらなかったのです。頭の中でイメージして一球ずつ丁寧に取り組んでいると、いつの間にか体が覚えてくれるのです。ホントに嬉しくて楽しいですよ。
今日はMさんのお宅への訪問日。私は「Mさんの家に居る自分を見る事」と決めていました。Mさんは今日、これまでよりも更に日常の事に疲れていらっしゃるご様子で、いろいろな事を語って下さりながら涙をたくさん流しておられました。お話を聞く私はたいていは黙っていて、そして時々「そうですね」とお返事をさせていただきながらMさんの傍に居る私の“心を感じじる事”を意識していました。Mさんのお話の殆どは辛さを持っているのですが、私はお話に興味を持たせていただいたり「どのようにお答えすればいいのだろうか」と戸惑っていたり、時には「お聞きするのが辛い」と感じる事もありました。私の動きがMさんにとってどうであったのかは分かりませんが、私自身は「語らないこと・自分を見ること」を意識しようと出来る私でいた事をよかったなぁと思います。 Mさんは今日も私にコーヒーを勧めて下さいました。私は訪問を始めた当初コーヒーをお勧め頂く度に「利用者様からの頂き物をしてはならない」という会社の規約を考えて躊躇していましたけれども、この頃は「一緒に飲も・・・」というMさんのお気持ちを断らせて頂く理由はどこにも無いのではないかと思うようになり、片付けの途中の小休止を楽しませていただくようにしています。そしていつもはMさんと向かい合って座らせて頂くのですが、今日は「語らないこと」をしているせいなのか、Mさんのお隣に座らせていただきたくなりましたので、いつもよりも“近い距離”でコーヒーを頂きました。 2時間はあっという間に過ぎ、帰りの時間がやってきました。私たちはいつものように玄関を出ましたが、私は「最後まで私を見ること」を意識して自分の車に乗ろうとしました。そして車のノブに手をかけた時、Mさんは私の腕や背中をさすられて「Mamoちゃ〜ん又来てね」と伝えて下さいました。私は自分の腕に触れてニコニコしていらっしゃるMさんの姿が可愛らしくて、一緒になってニコニコしてしまいました。さらに車のミラーの中でこちらに向かって手を振っていらっしゃるMさんのお顔はこれまでで一番穏やかでやさしいように見受けられ、私も車の窓を開けて右手を振ってお別れしました。
Mさんのお宅を出た後、私は「戸惑いを感じた自分はどうすればよかったのか」を考えていました。今はまだ「どうすればよかったのか」は分からないのですが、一週間前に訪問していた私が「私自身の事よりもMさんの動きを気にしていた私」であった事は確かだろうと思いました。そして今日の私はこれまでとは少し違う形でMさんのお宅に居たのではないかとも思えました。
会社の前の天白川にて青サギと白サギです。大きかった。
ピンクのランタナ
「風を感じた一日」
つま先を地面にくっつけて勢いよく蹴ってみる。土を蹴った反動で体はビュンと前に出る。同時に感じるのは私を通り抜ける風。ちょうど船の先端が海水を割いて進むように、私の体は風を割いて進んでいく。ひゅーんと流れてくる風は私の胸に押されて分かれていく。私の体は風を切った分だけ前に進んでる。足は勝手に進んでいく。 まるで、風を切って走るカモシカみたい。最高に気持ちいい。
誰かが言った。「実はね、地球が体を押し上げてくれているんだよ」・・・そうかもね。だって、体が浮くんだもん。
私、地球となかよし。
| 2005年10月24日(月) |
Meeting・・・お礼に変えて |
「お礼に変えて」
昨日の Gobamcan の第一回目 Meeting から一日を経過した今、私にとって昨日の出来事は何にも変えられない大切な空間となりましたので、私はこれからも私を大切にしていくために、私の得た“二つの気付き”をここで語らせて頂くことにしました。
始まりは Meeting 終了直後のことでした。私は心友Mちゃんから 「Mamoちゃんが近くなった」 と伝えられ、私もMちゃんに返事をしていましたが、私の心の中には 「私が近くなった」 とはどういうことなのだろう・「ある人が自分に近くなる」 とはどういうことなのだろうかという疑問が残りました。その後も私にはMちゃんの語った言葉の意味は分からないのですが、「ある人が自分に近くなる」 という言葉を持って私を見つめているうちに、私の中のどこかが緩やかに開くような気持ちがしてきたのです。その感覚は 「えっ?! これは何?!」 というようなもので、後から考えてみると 「これまで見えなかった自分を感じた瞬間」 のようにも思えます。そしてこれまで見えなかった私とはどんな私かと申しますと、「人を怖がり遠ざけている私」 なのです。私は 「今日まで人と関わる事を恐れていた私である」 という事実を今知ったのです。ちなみに、名古屋へ来てからの私は社会から離れ口を閉ざしていたのでもなく一人を好んでいたのでもありません。けれどもこの気付きは私の中に“事実”としてあるのです。そして考えれば考えるほど 「あー本当に私は自分を殺し生きていたのだ」 と思え、けれどもこの気付きは決して苦しい体験ではなく、「とても大切なことに気が付けた」という小さくて深い安堵感の中にあるのです。
二つ目。Meeting の中で私は 「私はまだ人格が残っていて自分には判らない部分がある」 と語ったのですが、私が語った後F君は「僕はいつも Mamo ちゃんだと思ってみていますから・・・」というお返事を下さいました。「いつも Mamo ちゃんだと思って見ています」という言葉については、私という一人の人間に対してはおそらくどなた様も皆同じ考えをお持ちなのだと思いますし実際に別の心友からは何度もお聞きしていた言葉なのです。けれども昨日の私にとって、心友F君の言葉はもう一度お聞きしたいくらいの言葉となって私の心に届き、今日一日を通して反復する結果となったのです。
そして私は、「私はいつも私なのだ」と。「私は今まで自分のどこを見てきたのだろうか」と。そして「あー私はこんなに自分から逃げていたのだ」と改めて気が付かされたのです。
私は今、私を 「私という型に嵌めていた」 のは 「私」 だったのだと知りました。もう本当に、「私」 を解放してあげられる。又1つ楽になれる。これからもっと自分を開いていけばいい。 やっと・もっと 「等身大の私」 に・ 「心のままに生きる私」 になれるのです。
今日まで自分を見つめてきて良かった。そしてこれからも・・・。
今日 Gobamcan で Meeting が開かれました。内容は “現在の私について” と Gobamcan の中の小さな戸惑いについてでした。その中で私は “私は自分の事に責任を取ります” と語らせていただきました。他者の前で自分が持っている思いを伝えられた事は、私の中で新たなプラスへと変わりました。私は今夜から又新しい階段を上ります。
一人の私としてしっかりと自分を見て生きていこう。自分の人生に責任を取れるよう生きていこう。22:00
今日は私メッセージを心掛けてみました。それが・・・意識している時には私メッセージを使おうとすることは出来るのですが、ついつい意識する事を忘れている私です。ところで私メッセージを使うときには自分の心を知っていると使いやすいのですね。子どもの語りと同じであるような気もしています。とするのなら「私はこれがこうなの。こっちはこうなの」と素直に自分の気持ちを語れたら、どんな自分も楽に“私メッセージ”として伝えていけるということになりますよね。明日は今日とは違う形で意識して行く事が出来そうです。
ところで今日は面白いものを2つ見つけました。1つは今朝見たゴミ収集車の作業風景なのです。出勤途中にゴミ収集車の後ろを走っていたのですが、ごみが車の機械の中で潰されていく様子が面白いのです。大きくて平たい機械が車の中からニューッと飛び出てきて、そして私の上半身くらいの大きさのゴミがスローモーション映像となってプシャンと潰されていくのです。見ていて飽きないものでした。そして二つ目。午前中利用者さんのお手伝いで生まれて初めて床屋さんへ行ったのですが、床屋さんのかみそりさばきの凄いこと・・。人差し指と親指で軽く握ったかみそりでスーッとほほを撫でると、撫でた部分だけはつるつる滑らかに光っていくのです。余りにもきれいなのでついつい利用者さんの座る椅子に近寄って、床屋さんに「どうしたらそんな風にきれいになるの?!」と尋ねてしまいました。世の中には面白いものがたくさんありますね。
本・『IC』のP277には安全な場面という言葉がありますが、私は安全な場面という言葉から“安全な場所”に付いて考えてみました。
子どもの頃の私には安全な場所がありませんでしたから、心は引き裂かれてしまいました。では今は・たとえば職場はどうかな? 残念ながら職場の中はいつも公私混同されていますから、お弁当を食べている間にも仕事の話を持ち込まれてしまうのが現状です。そして、私は一時間の休憩の時間はいつも会社の外に出て、仕事から離れ自然の中で自分を見つめることをします。仕事から離れ自然の中で遊んだ後、心を新しくして午後の仕事を始めるのです。私はこの“1人の時間”が気に入っています。そして私は自分を大切にして動いている自分を見つめる時、もう一度、心の底からホッとする自分を感じるのです。とすると、私は今は安全な場所を自分で見つける事が出来ている、ということになるのです。
この思いに達した時、私の心に小さな女の子が待っているのを見つけました。私は自分の心を見つめる事が出来る安定した私として生きる事が出来ていて、更には安定した私の能力を利用してチャイルドを癒やし続けていく事が出来ますね。
いつもいつも、自分にやさしい私でね。
今日は戸田川緑地公園で行われているベトナムの方達の誕生日パーティーに参加させていただきました。ベトナムの方達のパーティーなので、私の周りを飛び交う会話は全てベトナム語なのです。何を語っていらっしゃるのかが分かることは少ないのですが、皆さんの表情やジェスチャーを見ていると楽しくてたまりませんでした。途中皆さんでゲームをしていらしたので、私も参加させていただきました。15人ほどが輪になっている真ん中で一人の方が何やら長い説明をしているのですが、私には語っている内容がわかりません。私は何が始まるのだろうかとワクワクしながら皆さんの動きに合わせてみたり私の予想の世界で動いてみたり。私の予想が違っていた時には1人でこっそり笑えました。そして笑っている私を見て一緒に笑い出す方もいらっしゃいました。私達は言葉の分からないことがあっても共に楽しむ心を持っているならどこででもいつまででも遊んでいられるのですね。そしてベトナム人の方に囲まれている中で、私の頭は2年後ベトナムに居るであろう自分へと膨らみました。此処に居るどなたかと、ベトナムで出会う事があるのかな? 私は今よりどれだけのベトナム語を語る事ができているかな? そして何よりも2年後の私は“どんな私”であるのかな?・・今日という日、私はこの方達の中に居て自分を大切にしようとしているのだから、2年後の私は今よりも更に“私を大切にする私”としてそこに居るに違いない。そんな思いを持ちながら楽しんで過ごした一日でした。
さて、明日は月曜日ですね。何故かな、随分久しぶりに仕事へ出かけるような気がしています。もしかすると、私は曜日の感覚を忘れるくらいに二日間の休日を楽しんでいたということなのかもしれません。とするのならおそらくそれは“私が私として生きた”ということなのではないでしょうか。そして私は明日からも“私として”仕事へ出かけていくのです。
今日はお客様がありました。遊びに来てくださったのは以前勤めていた職場の患者さんでいらした12歳の女の子とお母さんの親子さんです。女性はお弁当を持っていらして皆で食事をしながらお話しました。女の子は、今は学校に行っていません。女性は社会の固定観念の中で苦しんでいらっしゃいました。私は私が見てきたマイナスの社会に付いて語らせていただきました。女性は私の言葉に納得されたり不思議そうな表情をされたり。隣に座る女の子は私とお母さんの女性と見て頷いたり笑ったり…。食事の後私達は部屋でウォーキングの練習をして遊びました。途中からはお相撲になったりストレッチになったり、三人で転げて遊んだ後女性は「本当はこれでいいんだよね」と呟いていらっしゃいました。ほんとうに、“これがいい”のです。ね。
夜は木曜ナイター。今日はピッチャー前ゴロ。 本日は私自身がボールになった気分です。チームが守りに入るときにはグローブを選手へ手渡します。ファールボールは走って取りにいきます。それからそれから、攻守交代の際のボールバックのボールをベンチで待っていてキャッチすることの面白いこと・・・・。そして、試合の最中には試合を横目に見ながら壁投げの練習なのですよ。さて、私のボールを受け取る格好は上達したか・・・。まだまだへっぴり腰なのですョ。 そして、“これから”なのですョ。
私は自分の人生のボールを自分で握っているのです。
今日は水曜日恒例の女性のお宅へ伺いました。女性は今日、私にご自分が飲んでいらっしゃる薬の処方箋を見せて下さいました。白い紙に書かれた文字を見た私・すぐには語れる言葉が見つかりませんでした。女性は紙を見つめたまま黙っている私を見て「どうしたの?」と尋ねて下さいました。私は、私の大きな戸惑いに女性を巻き込まずに済む方法を探しつつ「今私の頭を整理しているからもう少しだけ待っていて下さいね」と伝えさせて頂きました。しばらく後、私は女性に「本当は言葉が無いのです。私に1つ謝らせてください。私は看護士をしていたのはご存知だと思います。医療の世界を知っている私としてあなたにこんなにたくさんの薬を飲ませてしまった事を・ほんとうにごめんなさいね」と伝えさせていただきました。私には、私が謝罪することに意味があるのかどうかは分からないのです。けれども私は膨大な量の薬を18年間も飲まされてきた女性に対して、医療の社会を知っている者として本当に謝罪しなくては申し訳ないような気持ちがしたのです。 帰りの車を運転する私「間違った社会」と「固定観念」という言葉が浮かんでいました。社会には間違いがたくさんあるのです。そして私は間違いを間違いだと語れる「心」を持って生きていくのです。
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