「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年11月10日(木) 人の手

 今日も又、うれしいことがありました。それは、ある男性利用者さんのお宅で「手浴」をさせていただいていたときのことです。男性はご自分の手を洗面器に付けて手を洗っていらしたのですが、お湯の中で逃げていく石鹸を追いかけながら「石鹸が逃げていく」と言って笑っていました。男性の様子が面白そうだったので私も一緒に手を入れて石鹸を追いかけて遊んでいました。しばらくすると男性が私の手を握り、少し止まってから顔を上げ私を見て「人の手はあったかいんだなぁ…」と仰ったのです。私は、その日までの男性との関わりの中で感じていた何か大切なものを改めて確認したような、そして昨日 ヘルパーの女性と話したのと同じことを確信したような気がしました。
予定の時間が終わると、男性はいつものように「ありがとう気ぃ付けてな」と言い、私も「私のほうこそありがとうございました。またお邪魔します」と伝えてました。
そして今日の私の心はいつもとは違うあたたかさを感じていました。会社へ戻る私は自分の感じたものを確認するように数分前の光景を何度も思い起こしていました。「会社へ戻れば個々の動きを一括りにしようとする息苦しさがある。私は利益を求める社会から離れ心を大切にして働いていこう」と心から思いました。

 


2005年11月09日(水) Miさんの問いかけ

 今日は同僚ヘルパーのMi さんが1人の利用者さんとの関わり方について話しかけて下さいました。Mi さんの仰る利用者さんは今は寝たきりなのですが、いずれは歩きたいとお考えで、Mi さんはその方のお手伝いがをしたいのだそうです。ところが会社から “会社や介護保険の規則に反することはしてはならない” と止められているから、どうしたら良いかな、というものでした。
私は規則や法律はたいていの場合現状とは離れたところで作られていると思っていますし、決まりごとがあるために動き辛いと思うことがあります。でも、大切なのは心ですから、Mi さんには 「私は利用者さんが本当に希望する事を手伝っていくのが大切だと思ってるの。心を大切にして関わってきた利用者さんとの関係は会社の規則や法律を変える事だって出来るんじゃないかとも思うのよ」 とお伝えしました。Mi さんは少し考えてから 「そうかもしれないよね。私ももっと考えてみよう。伝えてみよう」 と仰いました。 
 私がiさんとの会話で得たものは自分自身への新しい確信。「私はいつも自分のスタンスを保って働いていこう」 と改めて思いました。いつも 「心を大切にする私」 です。


 夜いつものように公園へ行きました。今は壁投げに重点を置いているのですが、肩を痛めないように大切に動いています。実は私、ピッチャーをやってみたいと思っているのです。出来るか出来ないかわかりませんが、こちらも新しいことの1つ、少しずつ投げられるようになっている自分が嬉しいです。


2005年11月08日(火) パラグライダー

 休日。海も野球もシーズンオフになり、今度は空です。ということで今日はパラグライダーに挑戦してみました。
キャノピーを背中に背負って山の一番高いところまで上ります。大切なのは風向きらしく、向かい風に乗れるように風の流れを観察し、ちょうどいい具合を見計らって走り始め斜面を降りていくのだそうです。うまく風の流れに乗りセールがきれいに開いていくと足がちょっとだけ浮き始め・・・もっと上手になると浮いていけるのだそうですが・・・。私は2回ほど試させていただいて、今日のところは “ちょっと浮く感じ” を実感したところで終了しました。でも、面白かった。体がほんの少しだけ浮いて今にも上に上がっていきそうな感触がたまりませんでした。この冬は空を飛んで今まで感じたことのない空気を感じてみたいと思っています。

 途中で雨が降り出したので大きな木の下で雨宿りをしました。雨がザーザー降っているのに木の下だけは濡れませんでした。それから久しぶりに木登りをしてみました。上のほうまで登っていって体で枝を揺らしてみると、木全体がゆっくり揺れて、揺れた分だけ風が流れて何とも不思議な感じがしました。揺れ具合がやさしいのです。木と風と私・自然と一体化しているようでした。


2005年11月05日(土) 個性

 今日は育成会。議題の中に 「個性とは」 という議題がありました。考えているうちに 「私は私なんだなぁ」 いう思いが沸いて嬉しくなりました。考える私も喜んでいる私も、そして仮に答えを出せない私も「私」なのです。頭の先から足の先、髪の毛一本までも全部私。こんなに私がいっぱいだなんて嬉しいな。・・・と思っているのも私です。こんな事を考えている私って面白い・・・。


2005年11月03日(木) コツ

 今日はファイルに 「潔癖症」 と記録されている女性のお宅へ初訪問。上司は私に「大変だからね。気をつけてね」 と伝えて下さいましたが、私はファイルの情報を見ただけで楽しみになっていて 「はい。ちょっと楽しんできます」 と返事をして女性のお宅へ出かけました。
呼び鈴を鳴らしてしばらくするとドアが十センチ程開きました。大きな目がこちらを見て 「誰?」 と尋ねられましたので 「Mamoちゃんです (こちらは本名です・・) と答えました。すると女性はゆっくりドアをお開けになって私に 「入り口に上がる前に靴下を履き替えて此処で手を洗って」 と仰いました。私は静かに「はい」と返事をして20センチ程の隙間から部屋の中に入らせて頂きました。洗面所で手を洗いながら思い出した先ほどの大きな目、何だかミステリアスな世界に入り込んだ気がしました。そしてもう一枚の扉の向こうは本当に面白い世界でした。バケツに組み入れる水は、バケツの中に引かれた線より一ミリも越さないように汲みました。掃除した部分とこれからの部分の境目を忘れないように移動しました。ベッドの下にもぐったときには最初に拭いた床が汚れないように右の足からはいずり出ました。あっという間の1時間、「頑張り」は必要ありませんでした。

 別のお宅へ伺うとそちらはお家全体がゴミの山となっていて、大きくて広い庭はテレビの中で見かけたような粗大ゴミの山でした。私は早速マスクをしてゴミの収集にかかりました。本当は何だったのかが分からないくらいに変形している汚いものも 「Mamoちゃん手袋」 には勝てません。異臭が放たれているだろうと思えるものも 「Mamoちゃんの特性マスク」 には勝てません。時々 「匂いが服に付いちゃうなぁ」と思いつつ、どんどん片付けていきました。ようやくひとところが片付いた時、自宅の女性が様子を見にこられました。女性は認知症をお持ちです。そして 「きれいになったねぇ。でもあら?これは使えるから元に戻して」 と仰いました。私は始め驚きましたが、「そうですか。わかりました。じゃ、全部戻しておきますね」 とお伝えしてから元のとおりに戻しました。

 私たちのサービスのどこをどのように使われるかは利用者様の問題なのです。私たちは利用者様が納得される形で動いて行けば良いのです。そして何より、ゴミ集めも掃除も楽しく動けた事が良かったなぁと思います。だから、これでいいのです。


2005年11月02日(水) 風景・これから

 今日は水曜日の女性のお宅への訪問日でした。そのお宅で不思議な事が起こりました。
私はお宅の玄関を上がってからいつものように台所で洗い物を、心の中では(ひとところをきれいにしてから帰りたい)と思っていました。一方、女性はリビングで雑誌を読み始め、時々私の傍へ来て「Mamoちゃんこれ好き?」と尋ねました。私が「ごめんなさいね。興味が無いの」とお伝えすると、女性は「そっか」と仰ってから元の位置に戻っていかれました。途中でいつものようにコーヒーを入れて下さいましたが、女性は今日、「疲れたら飲んでね」と声をかけてくださるのみでした。私は最後まであちこち片付けをしていて、時々2人で小さな冗談を言い合うことはありましたが、笑いがおさまると再びお互いの事を再開しました。女性のお宅を出てから気が付いたのですが、今日の私たちは同じ空間に居て「それぞれの事をしていた」のですね。
 
 夜8時頃、街頭の明かりの下で素振りをした後グランドを軽く走ってみました。顔を上げて腕を振って胸が前へ前へと進みました。もっと続けて走りたい気持ちを少し待って、ベンチに座って一息付いていたら、ある風景が浮かびました。
私は小学生の頃に校内マラソンで2位になった経験を持っています。前年まではいつも必ずビリだったのにいきなり2位になったのには親からの暴力の中でいつの間にか走れるようになっていたものです。そして2番目に走っているのが私であることには周囲からの歓声が沸いていて、私はその歓声の中で「早く走れていること」を知ったのです。残念ながら次の年には又ビリだったのですが、今夜思い出したのは、子どもの私が確かに感じた「心地よさ」のようでした。
「私は多分走れるんだな」。そう思うともう一度、今度は思い切り走ってみたくなりました。暗いグランドの端に立って用意ドンで全力疾走。冷たい風が顔に当たって気持ちよくてたまりませんでした。

私は今は一人で生きていて、マイナスの中で得たものさえもプラスに変えていけるのですね。
今はじっくり自分を見つめて“今あるもの”を大切にしていこう。


2005年11月01日(火) 楽しみ

今日は利用者さんのお宅から車椅子を押して散歩へ行きました。もう11月なのにお日様が出ると暖かくて、きれいなお花がたくさん咲いています。今日は紫色のお花をたくさん見つけました。仕事中ですので写真を撮ることは出来ませんでしたが、花は見ているだけでもやさしい気持ちになれます。
午後には書類を1つ作りました。今回は始めて作る書類ですが楽しいものでした。新しい事を覚えていくときにはいつも心が躍ります。ところでシュレッターというものをご存知ですか?書類などを細かく刻んで捨てる機械なのですが、今日は疲れた目を休めつつシュレッターにたまった紙くずを捨ててみました。ちぎれてフワフワになった紙切れが空中に舞って面白かったのです。ごみ捨てしながら遊んだ後で事務員の女性に「終わりました」とお伝えすると、女性は「ありがとう」と言って下さいました。私のほうが楽しませて頂いたのにお礼を言われて心がくすぐったくなりました。私が女性に「ありがとうだなんて、どうしましょ」とお伝えすると女性は「だって、溜まっていてもいつも捨ててもらえないから」と仰いました。それならば私にやらせていただきたいものです。 
私は女性に「私、予約しとこ」と言って二人で笑いあいました。楽しいことは何度でもやってみたいのです。

 夕方にはバッティングセンターへ行きました。今日は納得の行く素振りが出来ませんでした。おかしいですねぇ。先日はホームランを打ったのに・毎日素振りをしているのに・・・。と言っても私は今はもう、出来ない自分を責めません。いつもいつもそこから考えていけばいいのです。何があっても大丈夫。明日から新しい事を意識して自分を生きていくのです。
 


2005年10月31日(月) 私・空間

 「音の無い世界」をイメージしてみた事はありますか?

 中日ドラゴンズの石井投手は耳が聞こえないために補聴器を付けていらっしゃるそうですが、プレッシャーを抱え苦しんでいたある日、試合中に補聴器のスイッチを切り音の無い世界で球を投げ勝ち投手になられたのだそうです。 ところで「音の無い世界」 とはどのような感じでしょうか。私は今日仕事中に 「音の無い世界」 を作ろうとしてみましたが、残念ながら車を運転していては 「音を聞き分けること」 さえ出来ませんでした。けれどもそこで考えた。私は耳は聞こえるけれど 「私に必要な音だけを取り入れる・私の世界」 を作ることは出来るかな。早速会社へ帰ってからたくさんの職員が居る中で 「私の世界」 を意識してみました。すると・・・私はいつもよりも私を意識して、私の仕事により集中することが出来たのです。そして「私を意識する」という事は体感できたような気がしました。

 石井投手はインタビューの中で 「一番大切なのは自分を大切にすること。自分の心を持って生きることです」 と語っていらっしゃいました。素敵な言葉ですね。私は石井投手はご自分を見つめてこられたから自分を語る事が出来ているのだと思います。

 私の世界は 「自分の心を大切にする空間」 。もしかすると、私の世界は既に広がり始めているのかな。もっともっと広がっていくといいな。なんと名前を付けようかな。


2005年10月30日(日) 生きるということ

 今日はGobamcanの食事会。育成会にいらっしゃる方4人とお子様3人が遊びにいらしてくださいました。

 いろんなテーマの中で“自殺をどう捉えるか”というものがあり、私も自分の過去を思いました。
私は自分が自殺したいと思っていた頃、「死にたい自分を引き止めて欲しい」 とは思っていませんでした。今思えば「死にたい」 のは 「消えてしまいたいくらい苦しいから」 でしたし、「死にたいと思っている自分を誰かに伝えること」 すら出来ませんでした。
 けれども、私は今生きています。「生きるという選択」が出来た自分を大切にしています。何があっても「生きたいと思えた自分」を大切にしていれば「大丈夫」なのです。

死ななくてよかった。そっとでも小さくでもいい、自分で息をし続ける事が出来れば、きっと自分を生きられる。

「私は私を生きるね」


2005年10月29日(土) あたたかさ・ね。

 就職してから2ヶ月が過ぎました。ここで1つの “あたたかい決意” を書いておこうと思います。
 
 私はこれからも社会の固定観念や価値観から離れた視点に立ち、全ての利用者様に対して “私の心を大切にしながら” お手伝いをさせていただきます。

私はいつもどこにいても心に関することを語ります。いつもいつも私を基準に考えよう。ね。


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