「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2005年12月07日(水) 心の満足

 就職活動2日目。
 マチコミチラシとインターネットの中から見つけた先へ、明後日面接に行く事にしました。

 午後から自転車に乗って小さな一人旅。耳にベトナム語のテープを聞きながらのんびり走って一時間で昭和区にある吹上球場まで行き着きました。球場ではどこかの野球部の学生さん方が練習をしていて、「グローブを積んでいれば仲間に入れていただくことが出来たかもしれない」と思うと、ちょっぴり残念でした。
 ゆっくりのんびり走ってきたせいか体の疲れはありませんでしたが、何事も少しずつ・それに帰りの体力も必要ですから、次回を楽しみにして天白区へ引き上げてきました。家の近くの島田橋付近からは力を込めてペダルをこいで、短い距離で休憩を入れながら帰ってきました。最後まで慎重にそして自分の体と相談しながら走ると続けられるようです。
 道中ベトナム語のテープを聞いていたので、人ごみの中でも思わずベトナム語が飛び出していました。でも、公共の場所で「人に見られてる」と怯えていた私はうんと小さくなりました。日本の道路でベトナム語を口ずさんでいる自分、「心を見つめてきてよかったなぁ」と改めて思いました。
ちなみに天白の家から吹上球場までは15・4キロでしたから、「私は1時間で15キロ」走ることができ、今日は「往復で30キロ走った」ということになります。

 夕方にはくるみ割をしました。インターネットの情報からですが、くるみを割る前に電子レンジやオーブンで温めると殻が割りやすくなりました。簡単に割れる上に大きな塊のまま取り出すことが出来るので面白くて、あっという間にお茶碗がいっぱいになりました。明日はバナナとくるみのホットケーキを作る予定なのです。

 夜、暖かいお風呂に浸かりながら今日の動きを思い返しました。
小さな事でも自分のやりたい事が出来ると心は満たされていくのですね。満たされた心で次の事をすると更に心は満ち足りていくのですね。私は仕事や評価の世界ではなくても自分を楽しませることが出来るのですね。今日はこんな素敵な事を発見できたから、もう一度看護婦に戻ったら、これまでよりも更に自分を楽しんで働けるかもしれません。明後日の面接は楽しみです。


2005年12月06日(火) 遊びごころ

 午前中、派遣会社から紹介して頂いた施設へ面接に行ってきました。場所は民家を借り切って経営しているデイサービス。大きな施設と違って落ち着いた雰囲気があり、通所されている利用者さんはどなたものんびりとご自分の事をされていて「自分を持って働いていけそうだ」と感じました。ところが、一通り話を聞かせていただいた後に派遣会社の方に正社員としての条件を尋ねてみると、給料や雇用体系をはっきりと提示して頂けませんでした。よく考えてみると派遣会社というのは「人材を派遣する会社」ですから、「ある場所に安定していたい私」の意図とはズレているのかもしれません。
でも、就職先を探している私の知りたい事が分からないのでは「此処に決めよう」と思う事が出来ませんから、明日は更に新しいところを探して選択肢を増やしていくつもりです。

 午後はバッティングセンターへ行きましたが、なんと1ゲーム目で前回よりも手ごたえを感じたので、いいイメージを持ってそのまま帰ってきました。明日も練習して更にステップアップしますよ。

 夕方ベトナム語教室へ行きました。今回は練習する時間が少なかったので前回の復習をしたのですが、ベトナム語は声調を使った言葉がたくさんあるので言葉に抑揚を付けて話す事を意識するといいようです。ところでベトナム人女性Hさんは今では私の大切な心友のお一人です。私はベトナム語と日本語を混ぜて、私の心を語ります。この頃は行く先々に出会いがあり、私の心を語る空間が増えていくので嬉しいです。今日も一日楽しくて嬉しかったなぁ。


2005年12月05日(月) 一日

 平日の休日。
 今の優先順位は「就職活動」です。私は訪問看護をやりたいのですが、法律上、准看護士では出来ません。「やりたい気持ち」があっても出来ないものは仕方が無いので、私の出来る範囲で動くことにして、明日は面接へ出かけてみる事にしました。
 お昼前、筋トレを兼ねて自転車で散歩してみたのですが、驚いたことに一年ぶりに乗る自転車で以前よりも楽に坂道を登っていけるのです。今私がしている事は「毎日少しの運動」なのに、本当に知らない間に筋力が付いてきているようなのです。
しばらく走ってから戸笠公園へ行き壁投げの練習をしました。ピッチャーマウンドからバッターボックスまでは18・44メートル。私の足で普通に歩いてみると26歩です。形つくりを大切にするために、歩いた分の3分の1の距離まで長さを縮めて、フォームを意識して投げました。
バットを振る時には腰を使いますが、球を投げる時も下半身を使えるようになればきれいな形を作れるようです。今は思うところへ投げられませんが、でも大丈夫。ゆっくり丁寧に動いていればいつかきっと出来ると思います。
 午後はパソコンを広げて「ブログ」のページを作ってみました。ブログとは、自分で書いた文章や写真などを簡単な操作で掲載できるウェブサイトのことです。私はブログの知識を持っていませんが、急ぐ必要は無いですからのんびり遊びながら自分にあったページを作れるといいなと思っています。
 夕方にはF君と一緒に天白公園へ行き、私は素振りをしました。素振りも新しいステップを始めたばかりですが、やれない自分に笑えたり腕を組んで「こうすればいいかな」と考えたり・・・。面白い時間でした。

 仕事探しも楽しくて運動するのも楽しくて。
何があっても楽しい環境を自分に作り続けよう。


2005年12月03日(土) 死ぬこと・生きること

 育成会13回目のテーマは「死」。
私は2004年12月4日私は今日と同じ場所で「自分にあった死」を語らせて頂いたのですが、一年を経過した今、私は「自分を主体にして生きること」を意識し、毎日たくさんの気付きの中で「現実を生きている自分」を実感しています。

 「死は始まり」
 生きることは楽しい。この楽しみの延長が私の人生で、やがて私は死んでいきます。私の死は「別の命の始まり」です。私という一人の命はなくなるけれど、灰となった私は宇宙の一部として新しく始まるのです。灰となった状態がどんなものかは地球上の誰にもわからないのですが、重複しますが「いずれ死んでいく事」だけは約束されています。私はどのように生きてもいつかは死んでいくのだから自分を大切にし、より楽に長く生きられるように生きていこう。

虐待・結婚・子どもの事・離婚の事。たくさんの事がありましたが全て私の人生にあったこと。そして私はこれからも、過去の続きで今を生きる私として「自分の人生」を歩き続けるのです。


2005年12月02日(金) これから

 午前中に3ヶ月間働いた職場へ退職願を出してきました。
すっかり通い慣れた道を通っていると、まるで今出勤しているような気持ちになりました。車を降りて事務所へ入ると、今利用者さんのお宅から帰ってきたと言えるような気持ちにもなりました。仕事を通して関わらせていただいた利用者さんの顔が浮かび、もう一度この場所で働く事があるとしたら利用者さんとの数々のあたたかさを再び感じる事が出来るのだとも思いました。さらに私は書類に負われた事務所の中でもこれまでにないほどにたくさんの事を学ぶ事が出来ていたのだと実感しました。
そして私は退職届を提出し自分の居た場所を後にして、今日から又新しい私へ向かうのです。

 午後からは、就職先を探してみたり、胡桃を割って遊んでみたり・・・訪問介護は面白いと分かったから今度は訪問看護をしてみようかなとか、それとも病院に戻ろうかなとか、大切なものは何かを吟味しながら、次の動きを考えています。

予定の無いのもいいですねぇ。


2005年11月30日(水) 社会に生きて

  今日私は会社を辞めました。

 職場に「退職」を伝えたのは夕方の退社前、同僚Nさんがいつものように翌日の予定を書き出し始めた時でした。
「私は明日から来ませんから、私の予定は書かないで下さい」。私の突然の言葉に空気が止まり、皆さんの驚いた表情が視界の片隅に入りました。そして私と視線が合ったNさんから「何があったの?」と尋ねられ、3日前の11月28日からの様子が一気に頭を通りました。

 11月28日。
「介護の仕事も面白い。もっと自分の動きを広げてみたいけれど、情報が足りず書類に追われるやり方では私は楽に働けない。もっと楽に動けるように自分の道を作ってみよう」。
私は上司に同じ内容の事をお話し、新しい事をする自分として動き始めました。ところが私が動き出すと同時に上司の私への対応は変わりました。変化を繰り返す利用者さんの情報はこれまでより更に私の元まで届かなくなり、私の側からお尋ねすると「知らなかったの?ちゃんと聞いといて」と言われるようになりました。
そして3日目の本日午前中を過ごした後の昼休み、「これ以上は無理なんだな」と自分で確認したのです。
自分の動きをしようと決めてからわずか3日間の事でした。

私は尋ねられたNさんと上司の方を向いて、「情報が届かないから動きが取れませんでした。会社に新しい事を取り入れて変えていこうとする動きを反対されるのでは、私は働いていけません」と伝えました。偶然そばに居た社長はいつの間にか居なくなっていて、上司は「でも私もいつもギリギリで、いっぱいいっぱいで大変なのよ」と仰りながら机に広げられた書類を両手で抱えるジェスチャーをしました。私は心でため息を付いて「・・・そうですよね。だから私には無理なんです。」と伝えました。

 荷物を纏めて外に出るとNさんが走ってきて、「考え直せない?せっかくMamoさんが来てからいろいろと変わってきたのに。これから皆で変えていけると思って楽しみにしてたのに。もう無理なの?」と言いました。私が「そう。もう限界です。エネルギーが切れました」と伝えると、Nさんは「でもどこの会社に行っても同じだよ。皆いろいろあるけど割り切ってやってるんだよ」と。
・・・私は心が悲しかった。そしてNさんに「割り切って出来る方は、割り切ってやっていかれたらいいと思いますよ。私は出来ないから辞めるんです」とお伝えし、さらに「ごめんなさい。もう行くね」と告げてから会社を後にしました。

 円満退社とは反対の辞め方をして次の職場も決まっていない。今回のような辞め方は初めてです。でも、「自分を生かして働こう」と考えて動いた結果の1つです。そしてこんなに「自分を大切にして働こう」としたのは初めての事だと思います。

 社会に順応する人ではなく、社会を変えていく人として動けていた。変えていければと思っていた。変わる気配も感じてた。

でも、もういいね。よくやれた。又、次に進めばいい。次は何やさんになろうかなぁ・・・。


2005年11月29日(火) つながり

 今日も一日、たくさんの出来事の中で「自分」を生きようとしていました。
どうやら私は「自分を主体にしていれば」、「いつも同じ自分」として生きていかれるようなのです。
もしかすると「いつも同じ自分」は、ずっと心の底で願っていた「安定した自分」とつながるのかもしれません。

「つながり」を感じられる事が心から嬉しい。これからは、「繋がった自分」を続けていければいいのです。


2005年11月27日(日) Baseball シーズンの終わりに

 今年最後の試合。今日は新しい事を二つしました。
 一つ目はゲームの中でバントをしたこと。実は試合前には「ホームランを打ちたい」と考えていたのですが、相手チームのピッチャーの球が速かったので「バントなら当てられるかもしれない」と切り替えてみたのです。ボールが見えればバットに当てる事は出来るはずですから塁に出れる確率は高いですし、以前からやってみたい事のひとつでもあったのです。そして私の予想どおりバットにボールを当てる事は出来ました。残念ながら塁に出ることはできませんでしたが、「ゲームの中でバントが出来た」。 だからこれでいいのです。
 二つ目は「セカンド」を守ったこと。セカンドは一塁と二塁の間の位置で、ボールの飛んでくる頻度が高そうな場所ですが、守りに行く直前に「Mamoさんセカンドね」と告げられてびっくりしつつ楽しめそうな予感もしつつ、セカンドの位置まで走りました。そしてピッチャー・キャッチャー・バッターボックスに居る選手とそれから、塁に出ている選手を見て、自分が立っている位置を確認して、球が飛んだら球を追いかけて、何とも忙しい場所でした。
試合の間、球は私の場所まで飛んできませんでしたが、チョロチョロと動いている自分もセカンドという場所も面白いものでした。ピッチャーはもちろんやりたいけれど、セカンドという場所もいいですね。どちらもやってみたいなぁ。ううん、全部やってみたいなぁ。


 「シーズンを終えて」
 ふと後ろを振り向けば一年間続いた自分が居ました。意気込んでいたのではなく頑張っていたのでもありません。バットを振るのが面白くてグランドを走るのが楽しくて、何よりも「やれていく自分」が好きでした。例えば出来ない自分でも傷を癒やせば出来るようになっていましたから、「できなかった事が出来るようになっていく自分」も嬉しくて、野球をやってみてよかったなあと、心の底から思います。

 私たちは「やれば出来る」という事を知らされずにいたのです。
「やれない事がある」という事は「これからやれていく」ということなのです。いつもいつも成長できる自分を嬉しく思います。


2005年11月24日(木) 視点

 がん末期の方のカンファレンスに出席しました。
 病院の医師は「病院では出来る事が無い。これ以上良くならないから家に戻るのであって、医療行為で延命を図る話し合いではない」と語りました。話し合いの内容は必要な処置の情報を受け取るという簡単なものでした。
 ご家族の女性が話し合いが終わったあと「点滴をどうするとか、この薬がいいとかじゃなくて、本人が楽になれるように話を聞いてもらえればいいだけなんですけど…。娘には“在宅で見ているのはお母さんなんだから、もっと意見を言えばいいじゃない”と言われるけれどそういうわけにも行かないから」と。私は女性の言葉に女性自身と病院側のこれまでの背景を想像し、「今の話し合いも心の部分には触れられなかったな」と思いながら、「実際に関わっていらっしゃる方の言葉が一番大切だと思いますよ」と伝えさせて頂きました。
 私自身は「自然な死」を望んでいます。延命処置も臓器を提供できる分だけでいいと思っています。自分が死んだ後には地球の一部に戻り、人に目には見えないくらい小さな一部になるそうですが、面白いなぁとも思います。
 そして死を迎えようとしている方に対しては、より苦痛なく人生を終えられるように手伝っていく事ができればいいのです。手伝わせていただく私に出来ることは「自分の心を大切にする」こと。いつも、自分に丁寧に関わっていられる私を意識していくのです。


2005年11月23日(水) 眺め

 この頃の私は、本当に大切なものは何かを考えています。
大切だと思っているものは、事実大切だけれど捉え方を間違えているのではないかとか、もう一歩を踏み出す為には、 “今” 持っているものを見つめなおす必要があるのではないかとか。

 ある場所で、現実の輪の中に居たら輪の中に居る自分は見えません。もっともっと輪の外に出られたらいいな。私はこれからはいつも自分が居た場所を見れる自分を意識しよう。生まれたばかりのゼロの状態で、自分が居た場所を眺めてみよう。多くの事実が見えるでしょう。

いつも「ニュートラルな生き方」を。


Mamo |MAILHomePage

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