「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は自分の年表を書いてみました。私は親元を離れたのは高校の寮に入った15才の時ですが、高校3年間は金銭的な援助を受けていたので、両親と一緒に居たのは18年間となります。そして今は39才ですから、既に親と共に居た月日を越えています。さらに今は私を虐待する人はいませんから、これから先の人生はのんびりゆっくり自分を育てていくだけなのです。
いつも「のんびりゆっくり生きる事」が「私が自分に出来ること」。
追伸・・・明日から新しい場所へ仕事に行きますョ。明日の朝は今日の間に降り積もった雪で道路が凍っているはずだから、テクテク歩いて行くつもりでいます。いったい何が起こるかな?
育成会14回目 「死にたい」と言われる方が二人いると知らされました。 「死なない方がいい。生きたほうがいい」 死にたいという人に「生きたほうがいい」と言いたくなるのは、私自身のエゴかもしれません。 でも、人は何があっても死なないほうがいい。死ぬ事をほんの少し待てたら、待てた分だけ考えていけるから。
生きることの意味 私が生きている間は、私が生きているという事が、人がその人として生きるのを手伝う事に繋がるように、ごく自然に生きられればいい。 そして私に出来るのは、「自分を生きること」なのです。
午前中、戸笠公園へ行き壁投げをしたのですが、私の投げる球の殆どが目標とする場所に飛んで行きましたから、自分で驚いてしまいました。 一度投げては驚いて、もう一度投げて驚いて、7回くらい投げた頃ようやく、「そっか。思うところに投げられるんだ」と実感して。するともう少し遠くから投げてみたくなって、少しずつ少しずつ距離を延ばしていきましたが、自分の力以上に遠いと、球を壁まで届かせることにエネルギーを使うようなので、無理の無い位置まで戻って再開しました。 今日はポカポカ陽気で暖かい日。運動に飽きた後も、しばらくグランドで遊んでいました。仲間と遊ぶのも楽しいけれど、一人で遊ぶのも楽しいものです。
午後からは考え事をして私の時間を止めてしまいました。 でも、この時間は自分の「心のあり方」に付いて深く考える機会となりました。問題が生じた時も自分を丁寧に見ていれば自分の成長に繋がり、全てを成長のきっかけに出来るのですね。いつも現実の中で成長続けて、自分を楽しませていくのです。
夜になってから、自分を伝えるときに言葉を間違えて他者を責める形になってしまった出来事がありました。「人と語るときには語れる自分を持っている必要がある」事を実感します。やはり、小さく語る事を練習しますよ。
私は人との関わりを通して自分を見つめ、又1つ大きな自分になります。
2005/12/15の「新しい私の発見」 新しい私の発見場所は、戸笠公園のグランド。 壁の前で何回かフォームをシュミレーションしてみて、5回に1つ位の割合で実際に投げてみると、イメージしたところに球は飛んでいくのです。 何気なくやってみたことだったので、出来ている自分に小さな驚きを感じました。 ちなみに前回までは投げることより球拾いが多かったのに、「私の可能性」ってこんなところに隠れていたのです。 壁投げ以来、「可能性」という言葉が大好きになりました。野球ももっとじょうずになるのでしょう。歌も仕事もベトナム語も、生きるための仕事でさえも、私は私の行動しだいで、さらにいろんな自分を作っていけるのでしょう。
午後からベトナム人女性Hさんと会い、心の話をしました。 私はHさんに「今私は自分を伝える事を練習しています」と伝えようとしましたが、頭の中で整理が出来ていなかったので、Hさんには分かり辛かったようでした。 自分を伝える為には、自分を伝えられる確かな材料を持っていく必要があるのですね。 Hさんは「私は日本へ来てから“日本語で私を伝える方法”を学んだの」と仰いました。 私はずっと日本人ですが、これから「心で私を伝える方法」を練習していきます。こちらも「新しい私」の発掘です。面白そうです。
生きるって面白いな。
夕方、一人の女性がGobamcanを訪ねて来て下さいました。女性は30歳。私と同じく看護師さんの免許をお持ちです。心の傷を抱えているご自分を知っていらして、これまでのご自分の人生を語って下さいました。女性の話のいくつかは私の過去と深く重なって、私は自分の過去を思い出しました。今では懐かしさを通り越し未来がある自分を実感しました。いつも今の自分を見つめ、ありのままに心で生きていると、今の自分を見つめている仲間と語り合うことが出来ます。心のことを語り合うと、自然に心がやさしくなります。私はいつも自分を見つめて、自分を生かせるように生きていきます。私は今ここに生きていられることを嬉しく思っています。
午後から保育園の面接試験に出す小論文を書き始めてみました。 私は小論文を書くのは初めてなのですが、論文は私が書いているエッセイのようなものとは違って、決められた書き方があり、内容を的確に伝える為には自分の持っているカテゴリーの引き出しを広げてみることが大切だと聞きました。そしてインターネットにあるHPには「論文やレポートは、ひとつのテーマに対して説得力があること。書いたものが誰の目にも分かりやすく伝わりやすくあること」と書かれていました。 私はもともと文章を書くのが好きで、今は「どなたにも分かるやさしい言葉」を使おうとしていますから、私の原点とも重なりました。
いつもいつも、考える材料がたくさんある中で生きていられる事を嬉しく思います。本当に、自分を育てているみたいです。 今の私にどんなものが書けるかな?楽しみですよ。
今日はベトナム研修生達のお宅へ伺い、遊びながら日本語の勉強を手伝わせていただきました。 研修生さん達の日本語を学ぶ姿はとてもかわいいのです。単語を話す私の口元をじっと見つめて、同じようにまねて話し、口で言えたらノートに書いて、1つずつ覚えていくのです。そしてよく見ていると皆さんは1つの言葉をそれぞれのペースで考え理解しようとなさり、ご自分で理解できてから次の言葉を尋ねられるので、私は彼女達のそれぞれのペースを邪魔しないように待てる自分を楽しんでいました。少し上向き加減で考えている表情が、少しにっこりし、しばらくすると次の質問をして下さるので、考えている表情もにっこり笑う表情もかわいくてたまりませんでした。 時には私の順番が回ってきました。私はベトナム語の生徒です。私も皆さんの口元を見て同じように話してみます。今回は会話に出来る単語を勉強していたので、ベトナム人の皆さんに「Mamoさん、いいですねぇ」と言われて、子どもみたいに嬉しくなりました。伝えることも待つこともそしてベトナム語で話してみることも楽しくて、小さなワクワクの連続で、時間はあっという間に経ちました。
帰りは地下鉄で野並まで戻り野並からはバスに乗りました。私の乗ったバスの路線は最寄のバス停から遠いものだったので、一番近いところで降りてテクテク歩いて帰りました。夜道は風が冷たくて寒かった。でも、楽しい一日を思い出し、“ホクホクの心”で家に辿り着きました。
今日は午後からM夫妻とH君のお宅へ向かい、H君Mさん父子さんと一緒にバッティングセンターへ行きました。H君の大きな体で打った球は軽々と遠くへ飛んでいきました。私のバッティングはいつもと同じよう。腰を回転させられるといいのですが、毎日コツコツ練習します。 バッティングが終わってからM夫妻のお宅へお邪魔しました。Mさんと話をしている時、H君は家の中を歩いていて、私はH君の動きの邪魔にならないよう座ったままでしたが、私もH君の後ろを付いて歩いてみたくなりました。 いつか、Mさん家族と一緒に野球が出ればいいなと思います。 夕方ベトナム人Hさんとお会いしました。Hさんは研修生さん達に対する日本の企業の待遇の無さを語られ、「何でいつもこうなの?ベトナムの研修生達はかわいそうです」と仰いました。私はHさんのベトナム研修生と日本の企業とのやり取りをお聞きする度に、日本人として恥ずかしい気持ちになります。そして日本人の私は、他の国から日本へ働きに来られ心を痛めているHさんに語れる言葉は、今はほんの少しです。 でも、もしも私が会社を設立するとしたら、国や環境に関係なく心を大切にし皆で手伝いあい育ちあい、皆が心から安心して働いていけるようなやさしい環境を作ります。
夕方バッティングセンターへ行きました。今日は上半身を使わずに腰の回転だけで打つ練習をしてみました。こちらも初めての事ですから、「こんな感じでいい?!」という程度ですが、新しい事をするときにはいつでも心が躍ります。 バッティングの帰りに公園で、下半身の筋力UPを兼ねて相撲をしました。ピッチャーをやっていくのに必要な下半身を鍛えるためなのですが、わずか10分程度の時間で全身の疲労を感じました。 相撲って、全身を使って動くスポーツなのですね。
夜、自分の過去を振り返りました。「私は看護婦になったのは何故だろう」と考えると、そこに過去の傷付いた自分がたくさん居ましたが、20年前の私に「自分は何になりたいか」なんて考える状況も余裕もありませんでした。受け入れられるなら・あの場所から逃げられるなら何でもよかった。そして偶然目の前に姉と同じ仕事がぶら下がっていただけなのです。受け入れられるために自分を殺し、「役割を持たされてきた私」なのだなぁと心から思いました。
でもそれでも看護士という仕事は私が生きる為の大きな能力となっていました。そしてこれからもしも看護士に戻ったら、これまでとは違う視点で働いていけるでしょう。
今日はパラグライダーが出来る場所を下見する為に五井山という山へ行きました。五井山は愛知県蒲郡市にあり、蒲郡では一番高い山で標高は454.2mです。 狭い道を車で登って山頂に到着するとパラグライダーが飛び立てるようにスタンドが設置されていました。冬はパラの季節では無いそうで、飛んでいる人はいらっしゃいませんでしたが、見下ろした三河湾や五井の町は太陽の光を受けてダイアモンドのように輝いていました。景色の素晴らしさを写真に収めたのに誤作動で全て消してしまいました。ダイアモンドを消してしまったのは残念ですが、いつの日かきっと五井山を訪れる事があるでしょう。 「独り言」私も早く空を飛んでみたいなぁー。
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