「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2006年01月26日(木) 無限大

 富士山へ登った時の事を書きます。
私が富士山に登ったのは昨年の夏の事でしたが、山頂を目指して足を進めていた時には私が足を進めた分だけ道は進み、下山する時には私が足を下ろした分だけ下っている自分を面白いと思いました。それに、私が足をそっと下ろせば私の足先はそっと地面に付き、ぴょんと飛べば勢いよく地面を踏み「自分の足で前に進み、生きている」ようで、小さな感動を全身で感じていました。
私も自分を大切にして、健康な体で長く生きようっと。


2006年01月25日(水) 「思い」在宅医療

「今思うこと」
 
「在宅医療」って何だろうか。

 たいていの場合、介護しているご家族は自分が寝ることも食べることも後回しにされている。そして私たちが訪問するのを待っておられて、患者さんのいろんな事を話して下さる。ご自分が患者さんの為にと工夫されたさまざまな事を話して聞かせて下さる。私は自分に余裕があるときは、家族の方に「私が居る間は休んでいて下さっても大丈夫ですよ」とお伝えしている。

 独居の方なら行政を頼られる。行政は私たちに依頼する。依頼を受けた私たちは、患者さんから電話がかかると患者さんの元へ向かう。

 在宅の患者さんの病状はたいてい安定していて、急変する確立はほんの僅か。
私の動きはどうだろうか。
「医療」から外れているような気がするのは私の思い込みだろうか。


 「医療」って何だろうか。
病院のドアを開けるのは、傷の処置を受ける人や入院して手術を受ける人たちだ。自分の体を健康にしよう・動きやすくしようとする人達だろうか。
在宅では、患者さんがご自宅でその方なりの健康な生き方を続けていかれる方だろうか。

「医療」の前に、「生きる力」がある。そして医療を必要とする方もたくさん居る。
私たちは病気の事を少し多く知っているものとして手伝う事が出来ればいい。

何もかも、奥が深いんだな。
私は何のために働いているのかな。
私はどうすればいいだろうか。

私も出来る範囲で自分の事をしていけばいいんだ。


2006年01月22日(日) 右っちゃん・左っちゃん・いっちょうさん

 午前中に戸笠公園で自主トレをしました。先週一週間は寒さと仕事で腰を痛めた為に運動できなかったので足腰が弱ってないかしらと思っていたけれど、やってみるとそれほど感覚が鈍っているようには思えませんでした。それから、腰痛防止の為に左の素振りを始めました。これは私が右側で覚えた素振りを左側に伝えていくのですが、方法は、私の“右っちゃん”で掴んだ感覚を頭の中で左側に置き換えて、“左っちゃん”の調子を見守りながら丁寧に伝えていく、となります。丁寧に伝えた分だけ、“左っちゃん”は喜んで覚えていくのだと考えると、何だか左と右がムズムズしてきましたよ。自分で自分にレクチャーするというのが不思議な感覚。ますます面白くなってきました。

 午後はバッティングセンターへ行きました。
私の素振りポイントは「お尻を出して腰を下げて右側に重心を置いて左手を伸ばす」事ですが、今日は自分の為に此処に書いておく事にします。何しろ右っちゃんが上手になればなるほど左っちゃんにレクチャーしやすくなるのですから・・・面白くてワクワクします。
 バッティングの帰りにキャッチボールをしました。今日は自然に「飛んできた球を待ってから捕る」事が出来ました。球は待っていれば飛んできてくれるというのはどうやら本当のようです。ただし自分の動きに落ち着きがありません。それからボールは体全体で受け止めるつもりでグローブを使うといいようなので、こちらも自分の為に此処に書いておく事にします。
 最後にピッチャーの投げ方の練習をしました。ピッチャーは投げる前に心を落ち着けて投げる体制を作ってから投げるのですが、投げる前の一瞬に神経を集中させている自分が何とも言えません。ベトナムに行くまでに一度は“憧れのピッチャーマウンド”に立って投げてみたいのなあ。右足に体重をかけてお尻を出して左足先を前に出して腰から回転させて反動で肘を出してスナップを効かせて球を投げると、反動で右足が前に出るのですが、こちらも自分の為に此処に書いておくのです。自分なりに鋭い球が投げられた時には嬉しいです。私もそのうちにフォークボールとかシュートとかを投げられるようになるのかな。野球を知って間もない頃、フォークボールと聞いたときには、フォークに刺さったボールを想像していましたが、今ではすっかり野球モード・何しろ未来のピッチャーですから。

 夕方家の中でお相撲を見ました。今日は今場所最後の試合で、千秋楽と言うそうです。
お相撲さんはちょんまげが“いちょう”のように頭に乗っかっていて子どもみたいな可愛い顔をしているのに、戦い始めるとものすごい迫力であっという間に技を決めてしまうのだから凄いなぁと思いました。
ところでこの頃は私も部屋の中でお相撲をします。相手は男性ですが、先日は2勝4敗でしたが今日は2勝1敗でしたよ。過去はスポーツを見て楽しむなんて知らなかったのに、今は野球のみならずお相撲も楽しめるようになってきたのです。今日も一日楽しかったね。いっちょう上がり。


2006年01月17日(火) 保育園の面接へ

 保育園の面接に行ってきました。
 「ご自分にすごく好奇心があるのですね」と言われたので、私達は自分にある好奇心や可能性を学校や社会の仕組みの中で潰されていると思うと語り、話の流れでGobamcanの事を話しました。
 「看護婦として働いていて思ってきたことは何ですか?」と聞かれたので、いつも忙しくて仕事の中身は流れ作業のようでおかしいと思っていて、今は一対一で丁寧に取り組める訪問看護の仕事をしています・病院では医師は看護婦と患者さんを上から見ていて、看護婦は患者さんを上から見ていて、私自身も“してあげる”と言いながら患者さんを上から見てきた事を、今反省していますと伝えました。
いくつか話をして、保育園側の条件と私の側の条件に相違がありますが、今のところは私を伝えて返事待ちなのです。

「安堵感」
 それにしても面接にいけてよかった。なぜかとても大きな安堵感。
過去は自分が苦しすぎて子ども達と居る事が苦痛だったので、2年半前までの事を思い返すと、今日保育園という場所に行く事が出来た事だけでも凄いことだと思うのです。そして小さな目標を行動に移す事が出来たから、条件によっては「自主的に先延ばしにすることで自分をより楽しませてあげる」事も出来そう。先延ばしにした分だけ成長する事も確かです。
それから、今は2年間の自分の思いの確信を得るために動いているような気持ちもしています。傷の中の動きなのかな。ううん、違うかな。
でも能力を取りに行っている事だけは確かだから、新しい環境を作って動いてみたいなとか合格通知が来ないかなとも思うのです。

どっちもいいんだよね。


2006年01月16日(月) 可能性

  夜、ベトナム語を勉強してきました。
今日は発音の練習をしたかったので、Hさんに今までよりもゆっくりと語ってくださるようお願いして私はHさんの口元を見て練習しました。ベトナム語には発音とは別に声調の記号があるのですが、一単語だと簡単なものでも単語を繋げて文章にするといい辛いのでついつい、体がくねります。でも大丈夫。最近は「くねり」を使って抑揚を付ければきれいに発音できる事を知ったので、体全体でくねって遊びながら勉強して、あっという間の2時間でした。


 明日は保育園の面接に行く予定。私も自分を直視して、自分の可能性を切り開いていくのです。たのしいなぁ・・。


2006年01月14日(土) ユニフォーム完成

 背番号を作成。背番号以外は手書きです。「作らなきゃ・・」があると難しいと感じますが、「出来上がればいいんだもん」と思えると、楽しくなってくるのです。少々バランスが悪くても型に嵌められたものよりもオリジナリティーがあって、私のこの手で作ったのだから・・・愛着が湧きます。ボールやグローブみたいに出来上がったユニフォームを着て寝てみようかなぁ。

 夕方には通訳のベトナムの女性と会い、ベトナム語を練習しました。実は今ベトナム語は優先順位から外れやすいのですが、又少しずつ勉強していきますよ。少し勉強すると幅が広がるので面白いです。やった分だけ出来ていく・・心の事と同じです。

 夜は久しぶりに家の周辺を散策してみました。日中は激しい雨が降っていましたが、お月様はかさをかぶっていて、羊の毛のような雲が広がっていました。少し前まではきれいなものを見るとすぐにカメラに収めていましたが、マイブームは去ったみたい。それに自然はいつもそこにあって、逃げては行かないのだもの。そして回りが変わっても私は此処にいるのだもの。


注)ロゴは服を着た時よく見えるように真ん中に貼り付けましょう。


2006年01月13日(金) 心で開けた風穴

「仕事」
 今日は、自分の目の前に大きな壁が立ちはだかっているように思えた。
私の今の生き方は社会の風習に反してる。でも、もう怖くない。これでいい。

 昔から言われてた。「看護婦さんなの?えらいね」。
何故えらいのかが分からなかった。えらいと言われるのも嫌だった。
だから、仕事を聞かれて看護婦と答えるのをためらうようになっていた。

私は「聖域」と思われている看護婦の世界に風穴を入れようとしているのかもしれない。そして結果的に社会の一部を変えようとしているのだとも思う。


2006年01月12日(木) 無邪気さ

仕事
不思議。「どこかに出かけていって、やってみたい自分が居る」。


「今思うこと」

大人だって、遊んでいいと思う。子どもみたいにはしゃいでもいいと思う。
自分の心の奥に無邪気さがあるのを感じると安心する。
これでいい。ほんのりあたたかい無邪気な私を大切にしよう。
明日も楽しもう。


2006年01月11日(水) 自分に “してあげる”

 「今思うこと」
 何もかもを好奇心や楽しみの延長でやれていくような生き方をしたいと思う。
小さなワクワクの延長で生きるって、こういうことだと思う。

昨年皮膚科に勤めていた頃、看護婦として働く私は確かに仕事をこなせていた。患者さんとの出会いを楽しむ私も居て、業務そのものを楽しむ私も居て、そして無理をしておでこにブツブツを作っている自分も居た。
仕事もワクワクの中でやっていきたい。出来るかな。きっと出来るよ。自分の心の忠実に動いていると、こんなに楽チンな気持ちでゆったりと生きていけるのだから。
今年は40歳になる私、こんなやり方は無鉄砲かなとか、まるで捨て身じゃないかとか、子どもが駄々をこねているみたいだとも思う。そして、本当はまだ分からない。
でも、いい。この体がひとつ残っていればいい。
私がとことん自分を大切にして働いていられれば、いつか将来会社を作ることになった時に、とことん心を大切に出来る会社が出来上がると思う。
それに、出来るとか出来ないとかに関わらず自分を苦しめることは止めたから。


2006年01月09日(月) 永遠にやさしく

 午前中、戸笠公園へ行きました。
素振りでは右足に重心を置いて腰をかがめ、脇が開かないように左脇を締め、バットは軽く握りました。腰を回転させて左足を出し、バットを振り切った後も、重心はいつも右を意識しました。
ボールを投げる時には、右足に重心を置き腰をかがめて、背番号が見えるように背中を前方に向け、お尻を前に出し次に足を前方に出し、腰をひねって前に出し胸を出し肘を前に出して、最後にスナップを効かせてボールを投げます。投げたボールが戻って来る位置まで動き、腰をかがめて、投げられる体制を取りながら、胸に抱きこんでとったボールを再び投げます。
ということで、今日ようやく「壁に投げて帰ってきたボールを取って投げる」という一連の動作を一度に出来るようになりました。明日も出来るかな?

 午後、背番号つくりを楽しみました。面白いですよ。ちなみにゼッケンは、女性が多いということで赤い色になりました。私の背番号は「00」です。背番号の上にイニシャルを入れて胸元にも何かマークを入れようかな・・・。どんな風にしようかと考えているだけで楽しいのです。

 「今思うこと」
 今の社会は、大人も子どもも自分の心を感じて生きていたら、辛くて動けないのではないかな。学校に行けない子ども達や社会に出られない人たちは、自分の心を感じ取って動けなくなっているのではないかな。病院の門をくぐり薬を利用する人も死んでしまいたいと思う人も、みな全身で心が辛くて動けないよと訴えているのではないかな。

ううん。心を持って生きていたら、動けないのが当たり前なのではないかな。

私も過去は動かされてきた。名古屋へ来てからは、生きるために社会に出て動き続けた。
そしてこれからも生きるために、社会に出ていく。
自分にやさしく生きよう。世の中から外れてもかまわない。とことん自分の心にやさしく生きよう。
これから先私がどんなに成長しても、自分にやさしい生き方を永遠に続けていこう。


Mamo |MAILHomePage

My追加