「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年03月08日(水) 遊び

 午前中、足の裏にトゲが刺さった5才のMhちゃんのところへ行きました。
Mhちゃんは保母さんにとげを取ってもらったのだけど、どうやらトゲがまだ残っているというお話。
私は黙って座っているMhちゃんに傷口を見せてもらった後、しばらくはMhちゃんのそばで、小さな声でお話をしながらMhちゃんが動き始めるのを待っていました。でも、Mhちゃんは黙ってうつむいたままで、医務室までたどり着けません。
「このままの動きではいけないなぁ。どうすればいいかな」
しばらくして、私はMhちゃんと約束をしました。
「Mhちゃんと約束をしてもいい?Mamoちゃんは、Mhちゃんが痛かった分だけ、Mhちゃんと一緒に遊ぶ。いい?」
Mhちゃんはほんの少し首を傾けて、しばらくすると私と手をつないで治療をする部屋まで上がってくれました。
 足の裏のトゲは私一人では難しかったので、保母さんにMhちゃんを抱いていただいて、私はMhちゃんの足の裏のトゲを取りました。Mhちゃんは少し泣きましたが、その後一緒に足の裏に薬を塗って、処置は終わりになりました。
その後は、私はMhちゃんと一緒に園庭へ行き、靴箱の傍で日向ぼっこをしていました。そこでMhちゃんは、私に保育園のお友達を紹介してくれたり、それから、Mhちゃんの周りに集まった数人のお友達が集まって、私の名前を呼んでくれたり、そうして遊んでいるうちにMhちゃんはぴょんと私の膝から降りて、向こうへ遊びに行ってしまいました。気が付くと一時間以上が経過していて、少々慌ててしまいました。
でも、私も保育園の看護婦さん一年生ですから、いろいろとやってみれば良いのです。

「追加」
 朝一番、1歳児のアヒル組みさんのお部屋へ行きました。
ベビーバスに落ちていた1本の髪の毛。

「だれの髪?誰のひげ?」

一本の髪の毛で遊ぶこと20分。子どもって楽しい事はいつまででもやっていられるのですねぇ・・。こんなもので遊び続けていいのかと思うくらい、子どもの世界は遊びでいっぱいのようです。


2006年03月07日(火) うれしいな・おもしろいな

 風邪菌を貰って熱が出たので、仕事を二日間休んでいました。
喉は焼け付くようで体中が痛かったけれど、「体がばい菌と戦ってるんだなぁ」と思うと熱を出している自分の体が頼もしくもありました。そのせいかな・・。風邪菌のピークを越えた瞬間を自分で感じられたような気がしました。
それにしても、体って凄いです。眠るつもりはないのに、いつのまにか眠って、眼が覚めたら水分を取って、此処を冷やすと気持ちいいとか、りんごを摩り下ろして食べたいとか・・・。私の体は私の意思とは離れたところで私の体を守っているみたい。昨晩から12時間通して寝続けて、本日午後からは少し動きたくなりました。でも何となく力が出ないので、ばい菌と戦って消費した分の体力を取り戻す為に少し多めに食事をしました。
もう大丈夫。明日は仕事に行こうと思います。

「今思うこと」
 カルガモの赤ちゃんは一番最初に見たものをお母さんだと思い込むと言われていますが、人間の私も同じですね。私は今まで、一番最初に見たもの、一番最初に聞いたこと、一番最初に教えられた事を基準にして生きていて、今だって時には間違えてしまいます。
でも、本当は違いますよね。
世の中は私が教わってきたよりもうんと広くて大きいもの。いつだってプラスを探していけばいいもの。いつもいつもそこから考えていけばいいのだもの。
 そして今は、今の自分を此処に書けている事がうれしいな。間違える自分に気が付けた事が嬉しいな。自分を積み重ねていけることもまた嬉しいな。
そして、もっともっと広い世界へ出て行きたいな。もっともっと自分の心を探求したいな。

私って面白いな。


2006年03月05日(日) 開幕

野球開幕
1試合目。センターを守りました。
が、空を緩やかにカーブして飛んできた球センターフライを、何処かから飛んでくる「センター!」という声を聞きながら、捕り損ねてしまいました。
残念ですが、これが実力なので仕方がありません。それに、いつも次があるから大丈夫。
攻撃は、一打席目4ボールで一塁まで行き、次の打者の球で2塁まで行きましたが、やむなくアウト。2打席目はセンター前まで飛ばしましたが、球をあげてしまったので、私の取れなかったセンターフライをあっさり取られてアウトです。
でも、心から面白かった。こんなに全身で野球を楽しんだのは初めての事です。
野次や中傷のないやさしい空間で心から楽しめた事を嬉しく思います。



「独り言」
生まれたての赤ちゃん。
赤ちゃんは“あたたかさ”とか“やわらかさ”とか、自分にやさしいものは全部、知っているのだな。
生まれたままの姿っていいな。

私もいつも生まれたままの心がいいな。
私も、私にやさしい事は全部、私の心が知っているのだな。


2006年03月04日(土) 眠りから目覚めた時

 育成会。
 睡眠の話が出たので、自分の過去を思い出しました。
 私は過去、昼間でも3秒程度で眠りに付いていました。
睡眠不足で眠たい時もありましたが、殆どは現実が耐えられないとキャッチした時や、現実から過去に起因する何らかの辛さを感じた時に、いわゆるトランス状態として眠ってしまうか、又は、こちらは別の形ですが、トランスは無いまま別の人格に入れ替わるかのどちらかだったと思います。
 トランス状態の時には外見には眠っているように見られるようでしたが、頭の中では当時別人格として別れていた幾人かの私の間で、“今ある現実をどうするか”という相談や会議のようなものがなされていました。私には眠っている時間がどれくらいなのか分かりませんでしたが、実際には私が感じているよりもうんと短い時間だったのだろうと思います。そして最終的には、その会議で成立した内容を実行出来る人格が表に出ていたと思います。
 ところが、去年の夏、自分の部屋でいつものように、どうしようもない睡魔に襲われ、両手を投げ出した状態でうつぶせになって眠ってしまった自分が見えた事がありました。その時私は、寝ている自分を見ながら、起きたいと思ったらどうなるのだろうと考えました。そして少ししてから、自分の右手を動かしてみようと意識しました。少しずつ少しずつ、自分の右手の指を、小指から順番に動かしてみたら、微かにでしたが自分で自分の指先を動かす事が出来ました。次に右手を挙げてみようとしました。けれども右手は挙げられませんでしたので、肘を挙げてみようと、強く強く意識しました。
どうなったか。右の肘を自分で上げられたのです。その後は上がった右肘をもっと上げて、自分の頭のてっぺんに手先を持ってきて、そのまま後ろ頭を撫で、顔を撫で、そうして徐々に、自分の上半身の思うところを起こしあげて、最後に静かに目を開けました。
私はこの事を、今夜始めて公に語っているのですが、この日の出来事はその日のうちに、私が自分自身の大きな階段を1つ登った満足感を全身で感じる材料になりました。
そして又、ずいぶん後になってから気が付いたのですが、この日以来長い間の私のパターンとなっていた“眠りに入る”という現象からは一気に脱していたのです。

 逆にもう片方の、トランスにならない状態で人格が変わってしまうときには、自分では気が付く事が出来ていませんでした。そして今でも、後になってから「自分をなくしていた」と気が付かされる事があるのですが、心の傷を癒やし、自分を大切に出来る時間が増えるほどに別の自分も、“本当の私”にやさしく自然に交わっていくであろうと確信しています。

 さらにもう1つ、本当に睡眠をとりたい時、私は自然にスーッとその場所に溶け込むように眠ってしまうようです。こちらはねむたいから寝るのですが、本当にどうしようもない心地よさ。自分がそこに居る事に心から安心していて、まるで暖かい毛布にくるまれた赤ちゃんのように可愛らしく横たわっているみたい・・・。


2006年03月02日(木) 心・ふわふわ

 今日は、私の名前を「Mamo」と呼んでいただくように職員さんやお子さまにお願いしました。だから私は今日からこの保育園でもどこでも、Mamoちゃんです。Mamoちゃんはいつも自分を見つめ、自分の心を一番大切にするのです。
 日中は保育園の各部屋にある救急箱の点検をしました。お子さん達は小さな傷が耐えないようで、どこのクラスもバンドエイドが切れていたので、点検を終えてからバンドエイドの買出しへ行きました。ちなみに帰りは重りを付けた足でダッシュをして帰ってきたので、保母さんには「そんなに急がなくても大丈夫だったんだよ。自転車を貸してあげればよかったねぇ」と言われました。
(私のほうこそ、運動したかったので助かりました・・・。)

 夕方戸笠公園へ行くと小学生高学年と思われる少年とお父さんがノックの練習をしていたので、後ろで球拾いをさせていただきました。右に左に飛んでくる球を拾いに走って、まるで野球をしているみたいでした。
 親子さんが先に帰った後、一人でグランドを走りました。まるで空を飛んでいるようでどんどん上に上って行ってしまいそうなくらい足が軽く思えました。
見上げると空には“二日月”が光っていて、見ているうちに「まるでブランコみたい。あそこに座って、こげたらいいなぁ」という思いが沸きました。


「独り言」
今日も楽しい一日だったなぁ。 
他の方の言葉はすっと私に入ってきて、どうしようもなく緩やか。
自分の世界が一日中ニコニコ・ワクワクしていると、足が浮いていってしまいそうな、不思議な感覚がします。

世界中の人はみな、私の事が好きなのに違いない。
私を見る人はみな、私を歓迎しているに違いない。
私に触れる人はみな、私を大切に思っているに違いない。
いろんなことを全てプラスに受け取る事が出来たら、
毎日見るもの全てにプラスの想像をしていられたら、いつもいつも楽しいことで頭がいっぱいになるのです。


2006年03月01日(水) 初めての保育園

初めての保育園

 保育園の仕事一年生の始まり。
私が教室に入ると、たくさんの子ども達は不思議そうな表情をして私を見ました。大きなクラスのお子さんは「かんごふさん?どうして此処に居るの?」と聞きました。私は皆さんに、「けがをしたり、いたいところがあったら、おしえてね」とお願いしました。
 昼休みは気分を入れ替える為に外へ出て、車の中で午前中の動きをまとめてから職場に戻りました。
 午後はオリエンテーションを含めて看護的な事務仕事の内容を聞きました。
集計をしていたら、女の子が小指をドアに挟んでやってきたので挟んだ指を見せてもらうと、内出血して少し腫れていました。たくさんの子どもさんが「大丈夫?」とやってきて、辺りが少し騒がしくなりました。
 私自身は、女の子に「いたい?」と尋ねている時、私の頭に自分の書いた論文の内容が浮びました。
「そうだ。私は大人の都合ではなくて、怪我をしたこの子の心に合わせて動いていくんだ」。私は彼女にこれからの事を伝えてから、2人で出かける準備をして、病院受診の付き添いをさせて頂きました。幸い、女の子の指に骨折はなく私たちは安心して園に戻りました。
 園の説明によると、アレルギーのお子様が何人か居らっしゃるようです。私たち大人は禁忌の食材を誤食しないよう見守る事がとても大切なようです。たくさんのお子さんに囲まれていても、命に関わることだけは把握して、お子さんが安全に過ごされるお手伝いをしようと思いました。

私は、
“保育園の仕事・いちねんせい”
“保育園という場所で私の心を大切にして働く一年生”。それから、過去とは違う心を持つ大人として、
“子どもさんの育っていかれるのを手伝わせて頂く・いちねんせい”
今日は何回名前を尋ねられたかなぁ。
「わたしは、かんのです。かぁ・ん〜・の」。
新しい世界を楽しめる予感がして、嬉しい。いつもプラスを探していこうっと。

 夜、プロ野球を見ました。ピッチャーはどこかで話に聞いているとおり、マウンドに立って後ろを振り返って、時には牽制球を投げたりしていました。ちなみに変化球の投げわけはボールの持ち方や、手首の回転でするようです。私も変化球を投げ分けてみたい。でもその前に、まずはストレートがしっかり投げられるまでになる事が目標です。
攻撃では、福留さんという選手はヒットを打った時に、球をバットに乗せてから、自分の思う所へ運んだように見えました。凄いです。私もあんなふうになりたい!
保育園で子どもさんに遊んでいただいたせいか、体が自然の中を走り回りたいと言っているようです。開幕まであと4日。楽しみ倍増中。


2006年02月28日(火)

 午後から公園でキャッチボールをしました。
練習の途中で、「遠くへ投げる時には少し後ろから反動を付けて投げると、遠くまで投げられる」と聞いてやってみると、なるほど、飛んでいく球のスピードが増しました。それから、投げる時も捕る時も無駄な動きをしないようにする事が大切だそうです。ボールは待っていればやってくるのだから、「ボールちゃんおいでおいで」で待っていればいい。心が慌てていると動きも慌てるから、心を落ち着けてボールを待ちます。
 キャッチボールの後バッティングセンターへ行きました。今日はバントの練習をたくさんしました。バントの構えをして待っていれば、球を当てる事は出来るようになったので今度は普通に打つ構えからバントができるように練習です。何もかも、コツコツやっていると繋がるようになっているはず。小さな点を繋げていこう。


 長い休みが終わり、明日から仕事が始まります。今度は保母さん。
親とは、子ども達の心の動きに気が付いても、その子自身の動きを大切にしながら、そっと見守っているのですね。
そして子どもは、家庭の中がどんな状況であっても、いつも自分の心を基準にして、時には親に助けを求めてもいいのですね。
私は、自分自身の親として、自分を見守っていきます。

明日はどんな新しい事が待っているかな。楽しみです。


2006年02月26日(日)

 雨振りで外に出辛いから、HPを修正したり過去に書いたものを読み返したりして過ごしました。過去に書いたものは、書いた当時は「出来た出来た」と思って喜んでいたけれど、時を経て読み返してみると下手っぷりが恥ずかしい。でも、今の自分を思えば懐かしくもあるのですョ。
 実は一年くらい前から、これまでの偏った書き方を変えていこうと試行錯誤していたのですが、この頃は楽しかった事を楽しんで書いているから、少しは上達したみたい。これでもう文法をもう少し正しく知っていくといいのかな。
ということで、夕方、本屋へ行ってきました。
小学生の文章問題を読んでみたら、難しい文法の参考書よりも楽に頭に入りました。日本語にも文法はありますが、この、小学生の文章問題のような読みやすさがあるといいのだなあ。
それに、話し言葉で伝える時も、書いて表現する時も、大切なのは心。
私は文法を知っていて、そして、やさしい日本語が使えるように、自分を大切にします。


2006年02月25日(土)

 出かけた先で胡桃を拾いながら、拾っても拾っても拾いたい気持ちがなくならない自分が居るのを感じました。子どもの頃にはいつもいつもひもじかったり抱いて欲しかったり、ハングリーな状態で生きていたみたい。過去にブランド物を集めていたのも「やりたい」だけで動いていたのも、生きるための欲求を否定されていた中の動きだったのだなぁと改めて思いました。
子どもはストロークを貰わなければ生きていかれないのだから、私が子どもの頃に持っていた感情はすべて当然あるべきものだったのにね。

 夕方からHちゃんがGobamcanにいらして、一緒に文章の校正を楽しみました。私の場合、自分の文章を校正していただく時には、「私の思いを残したい」と思っているのに、他者の文章の校正をお手伝いする時には「こっちがいいんじゃない?」になっているから、矛盾している自分ですよ。でも、他者である私に纏められないところは筆者の心に尋ねてみると、すっきりと収まるのだから、校正も心でするものなのですね。

 夜、新聞を見ていたら、かわいい子どもとお父さんの写真が載っていて、「かわいいなぁ」と心で呟いてクスッと笑いました。
その時の私は、自分に語りかけている自分を自分の背中から見ていて、「これこれ、この感覚でいいんだ」と思いました。
私の心に素敵なものを感じる気持ちが沸いてきたら、一番最初に自分に向けてあげれば、今よりももっと、自分を楽しめるようになるのだなぁ。・・・新発見した気分。


2006年02月24日(金) Xin nhu

 ベトナム語教室へ行ってきました。
私と友人はこの頃、2人でユニークな勉強法を探しています。今日は発音を覚える時に、顔・特に口の絵を描いて遊んできました。
 友人は「Mamoさんのベトナム語も随分きれいになりましたよ」と言って下さいます。認められると嬉しいです。でも時には違う言葉を言っているのに同じように聞こえるものがあります。これ、実は友人に言っていただいても同じように聞こえてしまうのです。聴解力の問題だと思うから、私が言えるようになった単語は、聞き取れるようになっている、と・・・言えるかな?

「今思うこと」
 自分の考えと心がピタッと合わさると、ホッとします。
そして、ぴったり合わさるまで考えたり本を読んだり、やってこれた自分を褒めてあげたくなります。
私はよく、辛かった自分に気付いたときには「よくやってきたよね。もういいよね」と、そして新しい事が出来た自分には「やれたね。良かったね」と言葉をかけてあげます。
そして自分にストロークを与えられる感覚に、更に安心します。

 プラスを探して行くことは自分を楽にしてあげることだなと改めて思います。
これからも行く先々で自分を遊ばせ、心を基準にして動いていくと、私の世界は自然に広がっていくのだと思っています。

Mamoの世界は「心遊」の世界・・・いいかなぁ。
ちょっと固いから、「Xin nhu」と言っておこうかしら・・・。


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