「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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小さな事に巻き込まれて、自分を見失っていました。
まだまだ不安定な私なのに、小さなずれから目を逸らし出来た部分だけを見ている間は、自分の人生をマイナスに引っ張っていたのだと実感しました。今は、自分をプラスに導いていけるのは自分なのだと強く思います。 そして、私は、自分の心に正直に生き、もっともっと自分を育ててみたい。 だから、もっともっと丁寧にこつこつ自分を見つめ、ありのままの自分から眼を逸らさずに生きていきます。
そして、あっちにもこっちにもある新しい世界を、自分の心で広げていこう。
今日も昨日に続いて朝5時半に眼が覚めました。運動量が少ないので睡眠も少しでいいのかもしれません。けれども今日は病院へ行く日だったので、早くにご飯を食べて、朝一番に病院へ行きました。 病院の中はご年配の方がたくさん待っていらして、椅子が空いていなかったので杖を支えにして立っていました。すると、鼻に酸素チューブを付けたご老人が席を立って椅子を勧めて下さいました。私はその場で名前を呼ばれたので、椅子をお借りする事はありませんでしたが、私よりも手足が自由になる方は、私を見て手伝ってくださったので、移動しながら「ありがとう」という言葉が自然に出ていました。 右足の具合は、二日くらい前から、痛みが引いた分だけ動きが大きくなっていて、ギプスと足が擦れて当たって赤くなっていたので、ギプスを半分にしてみたいとお願いしました。 それに、私の感覚では、ギプスの先から見えている親指が楽に動かせるようになったから大丈夫かも・・と思っていたのだけれど、裸になった足を動かすと少し痛みがあったので、もう一度ギプスのお洋服を着せて、ゆったりのんびり過ごします。
一番やさしく動けるように、自分を楽しもう。 自分を大切にした分だけ早く治るからね。
今日は5時半に起きて、久しぶりにベトナム語を勉強しました。最近は勉強できた単語がかなり増えてきたので、今は自分の為に、分かりやすい単語帳を作っている最中です。単語帳用に買ってきたノートは高校時代に使っていたような英語練習帳。一枚一枚にたて線を引き、ベトナム語の単語を並べていきます。ベトナム語は発音記号によって、全く違う意味のものになるので、小さな記号がすぐに分かるように、大きくきれいな字で書きます。 1ページ目に線を引き、そしてページをめくって又線を引き、同じ作業を一枚ずつ進めているうちに、自然に積み重なっていく様子が面白いと思いました。 どんなことも、丁寧に1つずつ進めていくと、進めた分だけは出来上がっていくのです。
夜はベトナム研修生の女性たちの寮へ遊びに行きました。 ベトナム研修生さんのいる場所はいつもやさしい空気が溢れていて、話をしながらベトナム語の勉強が出来るので、うれしい楽しい時間です。
いつも、自分に、ていねいにやさしく生きよう
育成会
「自分を見つめるときは孤独になって」という話が出ました。 社会では, 孤独というと寂しさを思われがちですが、私は、孤独な時間を作って自分を見つめるのが好きです。 それでも時々、社会の波に流されて、そして心の傷に巻き込まれて、気が付かない間に周囲と比較している自分もいます。 今考えれば、社会はマイナスだと感じていながら、どこかで、マイナスの現実から眼を逸らしたままバーチャルな世界を探していたみたい。そして、理想を追いかけるのは終わりです。今夜は、部屋にある貼り紙を全て剥がし、そして新たな能力を取り込んで・・・。 今日から又、振り出しに戻り、自分の心をていねいに見つめます。
私の人生は自分の動いた分だけが自分のプラスになり、自分の人生になるのだから、 私が毎日を丁寧に丁寧に、自分の為に生きていると、作り上げていけるのです。
名古屋簡易裁判所へ行ってきました。 裁判所の中はどちらかというと静かに静まり返っていて、白い壁にはクモが這っていました。 クモは足が十本ですね。傍にあった通気構から遊びに来たのだろうけれど、白くて冷たい壁に貼り付いていても、お腹が空いたらえさを探しに行くのかな。 餌にたどり着くまでには程遠そうだから、帰りにお外に返してあげようと思っていたけれど、自分で所用を足せたことの嬉しさのせいか、すっかり忘れて帰ってきてしまいました。
右足ちゃんは、経過良好と見えて、ギプスから出た親指の先を上に向けてあげても、それほど痛みを感じないようになってきました。でもおかげで今日は、杖を付かずに普通に歩きすぎて、両膝と腰が痛くなってしまいました。大事にしてあげると回復が早いと分かっているのに、ついついいつものように動いてしまうので、いけません。もうしばらくは慎重に慎重に・・・。 シャワーは今夜で3回目ですが、こちらも上手になりましたョ。 何しろ、湯上りのバスタオルを浴室に持ち込むのを忘れなくなりましたから・・・。
「今思うこと」 ニュースでは、当然有罪になると思われる人が無罪になっていて、囲まれて隠されて見えない世界の大きさや、古くからのしきたりにあるマイナスの世界を感じます。 けれども、私は、マイナスの中にある小さなプラスを見つけていけるよう、自分を見つめて生きていきます。
ギプスの足が楽ちんで嬉しい朝。雨がやむのを待って、病院へギプスチェックに行ってきました。 診察室に入ると、昨日の看護婦さんに「どう?」に尋ねられ、「すっごく楽です」と答えました。 もう一人の看護婦さんは「顔がニコニコしてるから分かるよ。撒いてよかったね」と言いました。 看護婦さんと話をしていたら、医師がやってきてもう一度「どう?」と。 私は「昨日までとは比較にならないくらい楽ちんです」と言うと、「そっか。じゃ、やっぱり、どこかおかしかったんだな。撒いて正解だったんだねぇ」と。 (先生、その言葉はちょっと変ですよ)と思いつつ、でも、撒いて正解だったから、自分の感覚を基準に動けてよかったなぁと思いました。 医師は最後に、「痛くないからと言って、足を付いて歩き回らないでね」と言いました。そうですよね。足の代わりに杖を付いて、自分を楽しみます。
ところで、ギプス足にビニールをかぶせてシャワーを浴びました。これが、大変に辛かった。 ギプスが濡れないように、浴槽の上に足を上げて、体はお風呂用の椅子に座って、体にかかった水が足に流れていかないように体を少しねじりながら・・・・。今日のお風呂タイムは過去最短。明日はもっと上手に入れるよ・・・。
Baseballへ行ってみよう
今日は、仕事が終わってから病院へ行き、ギプスを撒いてもらう予定にしていました。 職場では、ギプスの足では乳児クラスに入れないように思えたので、園長と主任さんに足の具合を説明して、「早く治したいのでギプスを撒く事になると思うのですが、明日から乳児クラスに入れるかどうかが分からないのです。でも私はできれば出勤して私に出来る仕事をやらせて頂ければと考えています」と伝えました。実は主任さんとは、入職後の引継ぎの中でいくつかの書類作りを約束をしていたので、今回の怪我は不可抗力とはいえ、主任さんとの約束が先延ばしになってしまった自分が残念でした。足が治ってから自由に動けるようになれば、いくらでもやっていく事が出来ますが、約束を先延ばしにしてしまったのは私だから、「迷惑をかけてすみません。もう少し待っていてください」と謝罪しました。すると主任さんは「ゆっくり休んでね」と言って下さいました。 園長と主任は結論として、「階段の登り降りが大変そう。出来ればゆっくり休んでもらって完治してから来てもらいたい」と仰いました。 私には筋トレになるからいいのだけれど、でも、病院へ行くまでは確実な返事が出来ません。「又連絡させて頂きます」と伝えてから、退社しました。 病院では、医師は、「家でじっと寝ておけばいいよ。僕が同じような怪我をしたら、ひたすら足を使わないようにして頑張るなぁ」と。そうなのです。大きな怪我ではないから、ゆっくり静かに動いていれば大丈夫なはずなのです。 でも、それよりも痛くないように歩くのが大変。それに人間って足を浮かせなければ歩けないのです。足を上げたときに何かのはずみで起こる痛みには泣きそうです。 だから、やはりギプスを撒いてもらうことにしました。 ベッドに足を上げて生ぬるいギプスが足に巻かれていくのを見て、これで痛みをカバーしなくても楽に歩けるようになると思うとホッとしました。 松葉杖を付いて外に出たら、不安定な歩きとは逆に、ますます心がホッとしました。バッグの中には14日間の診断書。診断書が出ていても、状態がよければいつでも仕事にいけるという話だから、とりあえずギプス歩きに慣らして、そこから考えていくことにしようっと。
ちなみにギプスを巻くのは2度目で、1度目は小学校3年生の冬の事でした。雪道で転んで右肩の骨を骨折しました。ギプスが取れるまでお風呂に入れなかったので、もともと不潔にさせられていた私の体は、最後には悪臭を放っていて、傍に居るお友達が困っていたのを覚えています。 私の親は怪我をして痛い私の心に共感し、「痛いね」と肩をさすってはくれませんでした。 でも、私は今は、自分の心に耳を傾け、自分のぬくもりで痛い部分を温める事が出来るのです。
私って凄いなぁ。ギプス生活を楽しもうっと。
| 2006年03月26日(日) |
ベンチでBaseball・ん |
稲永球場へ野球に行きました。でも、私は足が痛いのでベンチでヴィデオ係です。 今日はヒットが出て、得点を4点もゲット出来ました。すごいですね。私はヴィデオの画面を見ながら自分にシュミレーションをしていました。私の場合、いつも居る場所とは違う目線で試合を見ていられたことは、私自身の今後の動きに大きく繋がりそうです。試合に出られないのは残念ですが、今をきっかけに野球を目で勉強していく自分を思うと、新たな目が発掘されそうで嬉しくなります。こんな時にも自分育てを楽しむのです。BaseballへGo!
試合の後、干潟へ行き海に居る鳥を見ながらお弁当を食べました。鳥がたくさん。そして遠くの方には、なんと、キリンがたくさん居ましたよ。びっくり・・・。えさは何かしら・・・。
街路樹もすっかり春。道の端っこに小さな花が咲いているのを見つけると嬉しくなります。
キリンを見つけよう コブシ(ピンク色がかわいい) コブシ ハクモクレン ヒメオドリコソウ オオイヌノフグリ
今日は保育園の卒園式なので、私は午後から出勤しました。 月曜日からは新しいクラスでの保育が始まるので、午後は新しいクラスの担任さんと一緒に部屋の大掃除をして部屋作りをしました。 私は今年一年、午前中は保健業務を主とし、午後からは乳児クラスを兼任することになりました。乳児クラスの保育士さんは私の他に3名で、そのうちの一人は男性。彼は、子どもの育ちを手伝う男性になるのですね。 自己紹介の時、Tちゃんという若い保育士さんが「どうしてMamoさんなんですか?子ども達を守るから?」と尋ねてくれました。これまで何度か自己紹介をしましたが、「守る」と解釈して頂いたのは初めてです。なるほど、守るのMamoちゃんもいいかもしれません。 いつも自分の心をMamoって生きていて、自分を見守りあたためながら生きていて、小さな子どもさん達を見守れるMamoちゃんを意識して・・・Mamoがいっぱいなのですよ。
ところで足が痛いです。 昨日、先日とは違う病院へ行ってもう一度レントゲンを撮ってもらったら親指の付け根の辺りの3箇所に小さなひびが入っていました。だから・・やっぱり痛いのです。病院の医師は「ギプス巻くかどうかの瀬戸際。足を使わなければいいよ。そんなの無理だねぇ。・・固定バンドだけでも痛みはなくなるから、バンドをして様子を見てもいいよ。どうする?!」と。 痛いからギプスを撒けば楽だろうなと思いつつ、ギプスを撒いたら松葉杖になるし、生活が不便になるからなぁ。そう思って固定バンドだけを頂いて帰ってきました。しかし、痛いものは痛いからやっぱり不便さはあるのです。 でも、靴を履いたりテープで固定すれば痛みがなくなるのですが、基本的に痛いから、残念な事ですが、明日の野球は ビデオ係りを楽しむ自分を「み・・Mamoろう」。
| 2006年03月23日(木) |
右足ちゃんの捻挫だねん |
3月21日夕方、天白川沿いの公園で遊んでいて右の足背を捻挫しました。 痛かった・・・。あまりに痛くて足を地面へ付くことも出来なかったので、一緒に遊んでいた心友の助けを借りて帰宅し病院へ行くのを手伝ってもらいました。 レントゲンの前、医師は診察の時に私の足の一番腫れているところを指で押して「此処が痛いの?」と聞いたので、私はびっくり。「いたぁい!」と悲鳴を上げて、(見ればわかるじゃないですかぁ〜)と思いました。そして診察の最後に「足に注射をしましょう」と言われて、もう一度びっくり。捻挫だけでも痛いのに足に針を刺すなんて・・それに怪我をしていたいのは分かっているから、あとは痛みと仲良くして過ごせばいいのです。ということで医師との何度かの押し問答の末、注射はなくなりました。 と言いつつ、これがけっこう痛い・・。私の部屋は2階なので、下に降りるには小さな決心が要りますよ。 昨日は仕事を休んで半日ずっと足を上に上げて寝て過ごしていました。ところがベッドの中でどこか落ち着きませんでした。よく考えてみると、転んで痛かった瞬間の「痛いっ!」が心に残ったままだったのです。グキッとなった瞬間は痛くて泣きたいくらいだったのだけど、その後の動きの中で痛かった自分を置いてきていたのです。 大人だって痛いときには痛いから、まずは「足ちゃん、痛かったねぇ」です。不思議なもので、自分の心を知った後は、より一層痛みと仲良くしたい自分でした。 さて、この足ちゃん、日曜日の野球までに治ってくれるでしょうか。今のところ、かかとや足の外側を付いてなら歩けるようになりました。今は右足ちゃんを一番大切にして、ゆっくりと歩きましょう。
ところで今日はアピタで車椅子に乗って買い物をしました。 車椅子に乗るのは初めての事ですが、普段とは違う視線で眺める景色は興味深いものでした。カステラ焼きの匂いは普段よりも速く鼻に届き、同じくらいの背丈の子どもさんとはニコニコと笑いあいました。 怪我をしたのは不便だけれど、いつもと違う事を経験できるのは面白いものです。
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