「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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自分を生きることに必死になると、やさしい生き方とは少し違ってくるみたい。 私に耳を澄ませて、ありのままに動いていく。 私の望むものはたいてい社会や親に要求されてきたものとはちがうもの。 だから、意図的に動こうとすると、力が入って力んでしまう。 何が出来ても、心を忘れたら出来るということが自分にとってマイナスになる。
野球も仕事もゆったりがいい。 これまで出来なかったことを、ゆったりと、私にやらせてあげる。 丁寧に丁寧に、私に伝えてあげる。 もっと自分を遊ばせてあげよう。
新しい試みのために、ひとつ、宛名書きをした。 新しいことをしているとうれしくて、背中がくすぐったくなる。生きることって面白い。
ほんの少し足を伸ばして Baseball へ行ってみよう。
休日。今日はうれしいことが3つありました。 1つ目は久しぶりに部屋の掃除が出来たこと。以前から、掃除やたんすの中をきれいにするのが好きでしたが、以前のは“きれいにしすぎ”だったかな。今日は足の怪我をして以の掃除機だったので、とても気持ちがよかった。 2つ目は、パソコンのEXCELで家計簿を作りあげたこと。関数の入力が難しいと思っていたけれど、ようやく私なりのシンプルなものが出来上がりました。自分で作りあげたものはうれしい。今日から毎日貯金箱をあけるのが楽しみです。 3つ目は久しぶりの公園で運動が出来たこと。少しずつ再開している Batting と Pitching に加えて今日は軽く走ってみました。今はまだ、足を地面につけたときの振動が骨に響いて痛みます。でも、日に日に回復しているのを感じられて、何よりも、Batting も Pitching も、怪我をする前よりも力が抜けている自分を感じられてうれしいのです。 怪我はしないほうがいいけれど、適度な充電期間だったのかなぁ。 夜は久しぶりにテレビで野球を見ました。ピッチャーの動きを研究して、上手に投げられるようになりたいな。
本日2006年4月23日の朝日新聞朝刊に、「世界の中の日本」というタイトルの記事が載っていました。内容は、正義の戦争をしたアメリカのこと、戦後50年アメリカのあとを追ってきたと言われている日本のこと、そしてこの頃注目されている中国や韓国のことが書かれていました。 記事の内容から日本という国は、経済発展を望んでいる多くの国の目標になれる位置にあるようでした。 けれども、私はまだ、自分の国について知らないことがたくさん。そして心を忘れている今の社会を思えば、例えばベトナム人の女性に、日本はこんなに素敵な国よとお伝えすることが難しい。ベトナムの女性たちを見ていると、日本人の会社は乱暴でごめんなさいねという気持ちにさえなってしまいます。 ちなみに、日本の女性が22歳から60歳まで38年間を正社員で働き続けると、2億5,700万円の賃金を得ることになるそうです。 どれだけたくさんのお金を得ることが出来ても、心を忘れて生きていたら、お金がなくなった時に自分も一緒に消えてしまいます。お金を基準にしている社会に自分の基準を合わせたら、私がどこに居るのかさえ分からなくなってしまいます。
だから、こんな感じでいいのではないかな。 社会が変わっていくのを待っているよりも、私が育っていけるように生きるほうが早くて楽。 私の中にはもっともっと素敵な何かがあるよね。たくさんの引き出しを開けて、自分にあるものを見つけてみたい。 自分を愛するって、こういうことかな。 一人でゆったり生きよう。成長のためのブースターはいつも私のそばにあるよね。 いつも大きく羽ばたいて、自分を愛する日本人になろう。
お昼前、アレルギー体質のH君が、いつものように、専用のお茶が入った水筒と2種類のお薬を持ってやってきました。 H君に「何のお薬を飲んでいるの?」と聞いてみると、H君はわからないと言いました。H君は今年6歳になるそうです。私は、H君の返事を聞いて、H君は毎日薬を飲んでいる自分の体のことを知ることが出来るといいなあと思いました。そしていつもは名前を言って口をアーンと開けて待っているH君ですが、今日は自分でお茶を注ぎ、薬を取り、最後に自分の名前と一緒に私の名前を伝えてくれました。 私は自分の子どもに強いアレルギーはありませんでしたが、毎日同じように服薬をお手伝いするコマを、自分の体と長いスタンスで向き合っていけるように手伝っていけるといいなと思います。そして私は、いつもどこでも、自分がそこにいることのプラスを意識していられるよう、周囲に流されず、私の心を大切にして、此処に生きています。
子育て支援センターで地域の赤ちゃんとお母さんが集まる会のお手伝いをしました。 1歳半の男の子がハイハイで滑り台を上下して、両方の手の平がペタペタいう感覚を楽しんでいました。 しばらくすると、ある一転を見上げて立ち止まりました。何かを探すように静止したその視線の先の壁には、太陽を浴びたカーテンから不思議な光が出ていました。私の目に映った光は、風は吹いていないけれど、私の体の小さな動きでゆれました。男の子の目には、どのように映っているのかなぁと思いました。私が男の子との傍に行こうとしたとき、男の子は光に向かって歩き始めました。いつも、好奇心を持って眺めるその先に、私達が生きていくために必要なものがあると思います。
今日は転んで膝をすりむいた男の子が連れられてやってきました。擦り傷は小指の先ほどの小ささです。 二人で傷口を洗いに行きましたが、処置が終わっても、男の子は黙って立ったまま帰っていきません。しばらく後、私たちは二人で傷口に薬を塗ることにしました。 彼の視線の先には、保育園愛用の漢方薬。私は綿棒の先に漢方薬を少し付けて、彼の傷にちょんちょんと当てました。すると男の子は「またね」と言って帰っていきました。 実はこの漢方薬は、塗った後にガーゼで保護する事と書かれてあるのです。傍で見ていた保育士さんが私に「あの薬の使い方は違うよ」と言いました。そう、違います。私は「そうですね。」と言いました。頭には「またね」と言って帰っていった彼の表情が浮かびました。それから(傷口は自分で治っていくのだから、時にはこんな使い方も許されるのではないかなー)と思いました。彼が自分の傷が治っていくのを楽しみに出来るように話をしたいなぁと思いました。 昼休み、今日は保育園へ就職して初めて、園の会議室で休み時間を過ごしてみました。 タイムスケジュールの関係から保育士さん達の休み時間はさまざまです。今日は食事をしながら会議をする人と本当に休憩している人がいました。私は部屋の隅の畳に足を伸ばし、四隅に纏められた荷物と並んでお弁当を食べました。休憩室が狭いのです。そこへ保育に使う道具と個人の荷物が詰まっているのです。そこに居る自分もひとつの荷物のようです。食べている傍を通る職員さんは「ごめんねぇ」と言い、私は「荷物と化している」と言いました。 窓からは隣の家が見え、家と家の隙間から空が覗いています。向こうに広がる空をもう少し見たい気持ちに駆られました。足の怪我が治ったらまた外の景色の中で休憩を取ろうと思います。 それにしても、保育園の中の大人は皆さん忙しそう。私も仕事はありますが、皆さんとのペースが違うようです。私の動きがとてもスローに見え、名前を呼ばれて「はぁーい」と返事をしている私自身を「私ほんとに仕事してるかなぁ。大丈夫かなぁ」と思います。いつもこのような返事のせいか、今日は「一番声を掛け易い」と言われました。 保育士さんが忙しいとき、私も手伝いをします。「Mamoさん、仕事お願いします。あれとこれと・・・」と書類が届きます。今日も書類の作成を1つ頼まれて、帰るまでに出来るかわかりませが出来るところまで作ってみようと思って始めたら、いつの間にか面白くなって、全部出来上がりました。 出来た書類を持っていくと、別の保育士さんが「早いねぇ」と言いました。私には早さ遅さの基準はありませんが、楽しんで、早く出来た。面白いと思いました。 次には何が出来るのか楽しみになりました。 昨日から朝の時間帯に保育日誌を持って各クラスを巡回しています。保育士さんの書いた当日の子どもさんたちの様子を読んで、私の日誌に記入して歩くのです。この時間が、保育士さんと私とのつながりの始まりのような気がします。 でも今はまだ痛む足を引きずりながら、「このクラスの担任さんは誰だっけ?」・「あれ?このお子さんはこのクラスだったの?」と、右往左往している私です。 責任者の方から「保育日誌はどう?」と尋ねられました。「うーん、まだ二日目なので、なんとも言えません」軌道に乗るまでにはもう少し掛りそうです。 社会で働く私。社会の動きを、私の心を通して捉えていこう。成長する場所は、いつも、小さな変化を繰り返している。今はその過程の中に居る。同じところに止まることを止めて、私の自分の心のままに、新しいことに取り組んでこう。
昨日の午後、庭にトマトときゅうりの苗を植えました。小さなスコップで土を掘り起こすと、ミミズが二匹出てきました。ミミズが住んでいるのは土が元気な証拠です。ミミズをやさしく地面に戻してそっと土をかぶせ、苗を植えた場所にはお水をたっぷり注ぎました。そして今日は、苗のそばに、3本の支柱をしました。去年までは、夏に訪れる台風の前に慌てて支柱をしていましたが、今年はいつもよりも早めに、そして丁寧に支柱つくりをしました。丁寧に作った分だけ、きれいに出来上がった菜園を見て、嬉しくなりました。 どんな形の野菜ができるか、楽しみだな。
今日はベトナムの研修生さん達の日本語教室へ行ってきました。 皆さんは日本語で自己紹介を、私も後から、ベトナム語で私の紹介をさせて頂きました。ちなみに、この頃は、やさしく丁寧なベトナム語を話せるように、意識しています。 授業の中で、一人の方がテレサテンさんの歌を歌ってくださったのですが、こちらはホントに澄んだ歌声で、びっくり。まるで歌手のようでした。きれいな声を聞きながら、彼女もご自分の好奇心で、素敵な歌声を育てていかれたのかなぁと思いました。 それから、「969,696,969,669」の数を読む練習をしました。研修生さんは、最初はうまく言えませんでしたが、練習しているうちにみるみる上手になって来て、うまく言えるようになった表情がとても嬉しそうでした。そして、私もベトナム語で挑戦。最初はうまく言えなかったけれど、何度かやっているうちに、いつの間にか言えるようになっているから、う〜ん、不思議不思議・・・。
明日は仕事へ行ってみよう。 私に出来る事があれば、いいなぁ‥。
今日はベトナムの女の子達のところへ行きました。台所に集まっておしゃべりしながら料理を作って、それから皆さんと一緒に食事をしながら話をしました。一緒に食事して話をしているだけなのですが、素敵な国際交流の場所ではないかな・・。 それにしても、皆さんの名前一つ一つも丁寧に聞いてみると、すこーしずつ音が違うのです。私は皆さんと同じように言っているつもりなのですが、私の口元をジーッと見ていて、きれいに言えるまで何度も何度も伝えて下さるのです。 そして、上手に言えた時には、「うれしいんだなぁ、これが…。」 しばらく続けていると、口の中の筋肉が疲れてくるのですが、ホントにホントに面白い。
ところで、研修生さんは普段夜遅くまで仕事をされているようですが、中には朝5時に起きて日本語の勉強をしている方もいらっしゃいます。お会いするたびに日本語が上手になっていて、日本語が上手になっている分だけ、心も落ち着いていらっしゃるようにも見えました。彼女の嬉しそうな表情を見て、どこからでも自分を育てようとすると、育っていけるのだなと実感しました。
社会には、自分育ての見本がいっぱい。 私も、もっともっと自分を育てていきます。 いつもいつも、これからこれから、いつもいつも、楽しみ楽しみ。 私はいつも、今の自分を大切にします。
あたたかい一日。 コーヒーを片手にキッチンの窓を開けて日向ぼっこをしていたら、春の陽気に心も体もとろけてしまいそうでした。ほんとに気持ちのいいひと時で、ついでに右足にも栄養が行き渡るように、お日様であたたかくなった手で右足を包んで暖めて、気のせいかな…、また少し回復したような気がしました。
ルームメイトと“言葉”について語り合いました。いつも自分を丁寧に語ろうと取り組んでいるけれど、それでも急いでいるときには早口になったり、間違った想像の世界で生きている時には、自分でも嫌になるくらいに、マイナスの言葉が出てくるもの。
でも、私の心のあり方で言葉も代わってくるから不思議だな。 私が私の心を通して語る言葉は、自然にやわらかくなっているのだから、面白いな。 この心地よさ、好きだな。 こんなにもソフトで心地よいから、いつまでも続けていられるのだろうな。 もっともっと、たくさんたくさん取り組んでいこう。
いいなぁ。もっともっと、やさしくなろう。
私は今日、自分を語り、自分を知り、心の底から安心しました。 自分が苦しい事を知ってから今日まで、心を見つめ自分を知ろうとしてきた事を、良かったと思う。
自分が持っているものを、プラスもマイナスも含めて、そのまま肯定し、 マイナスをプラスに変えていく作業に取り組んでいこう。 進めていこうとする自分なら、まだまだ、今よりもやさしく育っていける。
私はまた、自分探しが好きになった。 いつもいつも、自分の心の探求だ。
やさしい自分探しをしよう。
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