「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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「第1回口頭弁論」 名古屋簡易裁判所3号法廷。
席に座って、まず始めに、私の書類のミスを2箇所訂正しました。 その後、証拠書類の提出を求められたのですが、すぐには見つけられず、後日提出ということに・・・。 それから裁判官に、「今日は話し合いは無理なので、司法委員を交えて和解の話し合いをしては?」と勧められ、いいか悪いかが分からないので、とりあえず流れに乗る形で、別の部屋へ移りました。
和解を取り持つ司法委員は、「僕は調停委員を10年務めました」「実は、僕は今朝、あなたの和解の相談を頼まれたから、あなた達の事情は良く知らない」 「始めに、いざこざがあったの? お互いに歩み寄って、円満に解決しましょう」と仰いました。この言葉は、3月23日の調停の調停委員とほぼ同じです。私はちょっぴりがっかりしましたが、気持ちを言葉にすることが出来ず、とりあえず話をしてみることに。 司法委員は時計をちらちら見ながら私と話をした後に、“本命の話し合い”があるからと部屋を出て行かれ、続いて、相手の方と話をした後、再び私達の部屋へ戻ってこられました。 そして今度は、「裁判が終わったら、このことに関して誹謗中傷しないという約束」と、「支払う額は・・で、名目は解決金ということで、円満解決できます。どうですか?」と。 私は、他者のことを理由もなく中傷する事はありません。けれども、解決金という名目で、私にあった事実をうやむやにされてしまうのには、頷く事が出来ませんでした。 私がNoを伝えると、司法委員は「普通はここで和解するんだけど、意地になってるね。頑なだ」「けんかを売りたいわけじゃないでしょ」と言って、困ったような、おかしな表情をされました。 裁判所という場所で、そのような言葉を言ってもいいのかな。何よりも、司法委員は私のことを何も知らないのに、どうして和解を勧めるの? 社会が権力やお金で事実を隠してしまうのなら、目に見えない奥深いところで、マイナスは広がり続けてしまうのに。
和解の相談を断ったので、本裁判へ入ることになりました。 本裁判の日にちを決める為にもう一度3号法廷へ。2度目の椅子は、一度目の時よりも、幾らか心が楽でした。 ところが、弁護士さんや裁判官さんの言葉が難しくて・・・。私は怖かった・・・。 それでも私は、相手のペースを利用して戸惑って、私のペースを守ろうとしていました・・・。だから、何度でも質問をして、質問の意図を考えて、安易に返事をしてしまわないよう、十分に注意を払っていたのです。返事が延びてしまった分だけ、皆さんを待たせてしまったけれど、でも、今日のところはこれでいいのです。
ふ〜。ここまで出来た。歩いてこれた。 口頭弁論の第1回目とは、お互いの主張を確認して、和解できるかどうかを見るということかな?!それにしても、法廷の中は、専門用語が分かりにくい。法律の専門家さんも、私達素人に分かりやすい言葉を使って下さるといいのにな。
次の法廷は6月9日13時20分。 次回に向けて、またまた Go!
民事裁判・第一回口頭弁論が、二日後に近づきました。
社会のしくみや言葉に傷ついた、小さな過渡期でした。
伝えたいことはただ一つ、私の持っている事実のみ。
あさって、私自身の為に法廷に立つ。何が見えるかな。
今夜は、小さな私に「待っててね」と言いたい。
「待っててね」 名古屋簡易裁判所の外観を見てみよう。 アクセスはどうかな? 傍聴の手引きって何かな?
心の傷を癒す作業に利用している本『インナーチャイルド』を読んでいて、P267・7行目に書かれている、「あなたが乳児期の欲求を満たしていなかったり」という一行が心に止まりました。
私は、今、ここに居る私を、ありのままに愛します。 この体も、心も、髪の毛一本からつま先まで、私にとってかけがえのない、大切なもの。 肌に出来た小さなしわも、先の割れた爪も、全部、“私”です。
生まれてきてよかったねと、何度でも自分に伝えます。
明日も、すなおな“私”を楽しんでいきよう。 *やわらかさを育てよう*
お向かいの家に咲いていた「てっせん」。私の手よりも大きくてびっくりしました。
ベトナム研修生さんたちの寮へ遊びに行きました。ベトナムの女性は、いつ見ても、みんな素朴でかわいい。私は彼女達のかわいらしさが大好きです。 今日はベトナムの歌を歌っていただきました。聞くところによると、ベトナムにも歌舞伎があるそうで、何と歌っているのかはまったく分からないのだけど、リズミカルな調子に歌舞伎のイメージがわきました。 私も家でベトナムの歌を歌います。まだまだ、へたっぴちゃんですが、歌を歌うと発音の練習にもなり、歌った分だけは歌えるようになっているから・・・・不思議です。
今日訪問した会社の一部の方は、来年の夏にはベトナムへお帰りになる予定です。出来れば私も、彼女達と一緒に、ベトナムへ飛び立ちたい。 今年に入ってから、怪我をしたりパソコンが壊れたりして、貯金が底を付いているけれど、一年後の目標が現実になるように意識して生きていこう。
もう1つの近い未来へ行ってみよう!
テレビで、中国・チベットの農村地帯の生活や民族のことが放映されていました。 広い田んぼの苗は今も手植えで行われ、生活では古くからの伝統を重んじ季節の儀式を大切にしていると語られていて、見ているうちに、日本の考え方と似ているなと思いました。日本人は、私を含めて自分を過小評価しやすいのは、子どもの頃に、自分の感覚を否定され、一人を楽しむより前に集団で生きることを要求されてきたからですが、アジアの他の国でも、同じことが言えるのかな。 家庭も職場も、一人の人の集まりだから、そこに居る人がいつも足並みをそろえて進んでいこうとすると大変です。
そして私は自分であることを肯定して、人生を遊んで成長して生きよう。 先を見て生きるのは楽しいもの。先を見る私の変化していく様子も楽しいもの。 もっと心を安定させて、いろんな変化を楽しんで生きよう。
道路わきに植えられた花畑を見つけました。きれいで可愛すぎて、どうにもたまりませんでした。
おはなばたけ
ひめきんぎょそう
おにげし
ひげなでしこ
やぐるまぎく
ネモフィラ
なでしこ
なでしこ(可憐すぎるので、別枠へ・・・)
3人の女性のお宅へ遊びに行きました。子どもさんの心に耳を傾けられ、ご自分を生きようとするお母さんの語りは、子どもを置いてきた私にとっても、興味深いものでした。3人のうち、お2人のお宅では、お父さんは心とは違うところを見ていらっしゃるようでしたが、大人は、子どもが小さいうちは、子どもの防波堤になって、動きを手伝っていくと、大人も成長していけるのですね。 社会の最小単位・家族。家族の中では一番力が強いお父さん。その次のお母さん。お父さんもお母さんも自分の心を大切にして生きていたら、そこで育つ子どもさんも自然に、自分の心を大切にし、人としてやさしく育っていかれるのです。 そして、心を大切にして生きる家族が集まって、心を大切に出来る社会へと広がって・・・日本という国が少しずつ、やさしい日本人の集まりになっていくといいな。
そして私は毎日毎日を大切にして、心の傷を癒していこう。
れんげ畑 ミツバチのお食事タイム
季節の楽しみを二つ味わいました。一つ目はよもぎの葉の香り。特に葉の上の方にあるやわらかい葉は、よもぎ特有の香りが手に持っているだけで伝わってきました。うれしいうれしい。 二つ目。玄関先に植えられているキウイの木にピンク色のつぼみが付いていました。キウイのつぼみは上品なお吸い物に浮かんでいる“鞠の麩”のよう。見ているとくすぐったくなるくらいにかわいいのです。うちにはキウイの木が3本ありますが、今回つぼみをつけたのは2本。残りの一本につぼみが付けば、来年は実がなるかもしれないそうです。実が付けばうれしいけれど、今はそれよりも鞠の麩がかわいくてかわいくてたまりません…。
感じたままに動いていると、とても楽。いつもいつも、素直にありのままに生きよう。
Baseballへ行ってみよう!
今の世の中は、起きた出来事に追われるか、事実に蓋をして見えなくしてしまうことが多い。だから、その時はうまくいったとしても、時期が過ぎると又同じ出来事の処理に追われている。 保育園でも同じことが言える。出来事の処理に忙しい。 小さな子どもは、みな、大人のしていることを見て真似て、大人に近づいている。 だから、私たち大人は、丁寧に生きていけばいい。丁寧さは自分に向けてあげる、本当にそれだけでいい。そして、小さなお子さんは丁寧に生きる大人の社会を見ていられればいいのだから、いたってシンプルだ。それに加えて自分への楽しみも加わるから、プラスは自然に繋がっていく。
子育て支援センターのサークルでお母さん方から質問を受けた。社会の間違った価値観の中で苦しんでいる姿だった。 私は、お伝えしたいことは持っていても、私の考えは園の考えとは違っていて、私が自分の思いを伝えたら結果的には園の方針を否定することになる。私は仕事としてそこに居ると思うと、自然に言葉は小さくなった。
これからはこのような質問を受けることが増えるのだろう。 私は自分に何が出来るかな。自分がそこに居ることの意味は。社会の方針に沿ってそこに居たら、過去と同じことだろう。
私も私の感じたことを大切にして、丁寧に生きていこう。
頭に浮かんでくる思いを書いていたら…。 ひとつ書いて、すぐに次の思考が浮かんできて、浮かんだ事を書くとまた次に浮かんできて、いくつかのことを書いているうちに、あれ?と思いました。きりがありません…。 私はいつも、自分に浮かんだ一瞬の思考をひとつひとつを大きく広げているようでした。 思考は2万回浮かぶそうですから、浮かんだ思考を全部広げていたら、頭の中が大変で、自分が何をしているのかが分からなくなってしまいます。 それに、考えている間はそこに止まっていますから、考えることに忙しくて、“する”をする事から離れてしまうのです。 プラスのことを1つすると、自然に次のプラスが浮かんでくるのだから、いつもいつも先のことをしていくといい… と、知っているのだから、もう一度楽しんでいこう。
「保育園」 保育園の廊下を歩いていたら、6歳の子どもさんがそばへ来ました。私の膝にあがって胸の中にすっぽり納まるように座り、顔をペタッとくっつけてきました。それからは目が合うたびに子どもさんの数が増えてきて、体の反対側には二人のお子さんが「まだ行っちゃだめ」と言って首にしがみついたまま。この空間は好きだけれど、優先順位がありました。 「又くるね」と言うと「いつ?」と。確かではないことをうっかり言ってしまった自分を反省しながら「明日来るね」と伝えました。
私は約束を守りたい。明日も保育士さんの動きの妨げにならないよう意識しながら仕事を楽しみます。
今の社会は、大人も子どもも、心が満たされていないように見えます。そして私も、今はまだ過去の不足部分を補いながら、プラスに生きている心友を見本にしつつ、自分を育てている最中。感じるままをそのままに感じて動き、プラスの自分をもっと安定させていこう。
出勤前に接触事故を起こしました。 側道から大通りに入った時にしっかり確認しなかった私の過失です。 ぶつかった瞬間、言葉が出ませんでしたが、体は大丈夫。相手の男性と警察へ行き、事故処理をしました。 夕方仕事を終えて、車を板金屋さんへ持って行きました。 お店の方に「私の過失なんです」と言うと、「いさぎよく謝るから偉いよ」と。過失を認めることは珍しいことなのかな。でも、事実の通りだから、他の言葉は見つからないくらいです。 お店の方は保険の仕組みを細かく説明してくれました。説明によると、事故の状況にかかわらず、保険を使うと等級が減っていくそうです。私の等級は減りました。でも、仕方がありません。そして、丁寧に生きる意識があると痛切に感じました。 事故の直後は驚いている自分のお世話で精一杯だったので、お店から相手の方に連絡をした時に改めて、「今朝はごめんなさいね」とお伝えしました。そして体の具合をお尋ねしたら、「大丈夫です。あなたは?」と言ってくださいました。自分を認めていくと、間違えた側にさえ、やさしい言葉が返ってくるのですね。
「職場」 給料日、怪我をして2週間も休んだのに、給料は減ってませんでした。 園長に尋ねると、基本給は最初に出してもらった金額の間違いでいくらかUPし、さらに「保育園では市からの傷病手当の権利があるから」と。 基本給の件はいいけれど、傷病手当が1週間、しかも有給で当てられた事に驚いてしまいました。 入職してすぐに配布された20枚の有給。2週間も休んだのに減らない給料。 枝の先の方とはいえ、私は今は、市の職員。過去に大きな病院に勤めたこともあったけれど、こんなに待遇のいい場所は初めてです。自分が勤めている職場だけど、こんな待遇を受けてもいいのかな。これは資格があることとは別の問題ではないのかな。 私よりもたくさん働いても、少ししかもらえない人は居るはずなのに。 一瞬、頭にベトナムの女性たちの顔が浮かんだ。やはり、何かが変だと思う。
BaseballへGO!
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