「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2006年05月29日(月) |
ありのままに・細胞ちゃん |
昨日の野球で心地よい筋肉痛を持って仕事へ。 今日は頭シラミが発生していて、一日を通して、全園児さんの頭髪チェックをすることになりました。 明るいテラスに小さい椅子を並べてみんなが順番に座ります。タイトルは“シラミのチェック”ですが、頭髪を見ている間に語りかけてくる子どもさんの言葉は、シンプルで楽しいものでした。 一方、大人の世界は難しい。私に語られる言葉は、理解しつらい。語られる内容を聞き取ることに疲れている私なのです。 でも今は戸惑いを伝える練習をしているので、今日は私が心から理解できるまで、丁寧に尋ねてあげることを繰り返してきました。 戸惑っていることに気が付ける自分を持続させ、そして戸惑いを伝える練習です。
一日を終えて、今思う。「今日もフーフー言ってたなぁ・・・」 仕事をこなしてくることにエネルギーを使っているのなら、過去の生き方と同じこと。私の人生は過去のものとは違うよね。 「自分を楽しんで生きること」 そうだよね。丁寧に語る事を頑張っていたら、疲れるね。
私は自分に何を求めているのかな。 「なんまっていこうよ」 明日も、自分育てを楽しもう。 ありのままの自分を認めた分だけ、新しい細胞ちゃんが出来上がる。 そして、もう一度 Baseballの“あの場所”へGo!
| 2006年05月28日(日) |
成長するために出来ること |
今日もまた、新たな自分を発見しました。 私はまだまだ成長したい。自分を見ていると面白い。
野球も仕事も心の傷を癒した分は自然に出来ていく。 そして、これからの部分を見ていけると、より自然な形が続いていく。 私はいつも、自分の心に気が付ける大人になります。 きっと、まだまだ成長できると思えます。 自分への期待にワクワクする。 成長するって、こういうことなんだなぁ。 Baseball・憧れのピッチチャーマウント編 へGOしよう!
土曜日は子どもさんの人数が少ないせいか、園内全体がゆったりして見えた。 赤ちゃん4人とテラスで遊んでいたら、幼児クラスのお姉ちゃんやお兄ちゃんが遊びに来たので、小さい赤ちゃんを最優先しながら、お兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒になって遊びました。赤ちゃんに語りかけるように、「やさしいお姉ちゃんやお兄ちゃんがいっぱいだね。みんなきっとやさしいお兄ちゃん達のようになれるよ」と語りかけているうちに、お子さん達の動きが止まって、あたりがしーんとなりました。気のせいか、お兄ちゃんやお姉ちゃんは、やさしくて、そしてちょっぴりお澄まししたような表情に見えました。年齢が違っても、やさしい空間を作って遊ぶことは出来るのだなぁ。
裁判の時の弁護士の言葉を読み返してみた。今は、私の記憶のほかに、傍聴席に居た方に協力を得て、みなが何を語ったのかをまとめている最中。 他の方の言葉をまとめてみると、どうやら私は、驚いたり巻き込まれたりすると大切な状況を見逃してしまうよう。・・・大丈夫大丈夫。心の傷を癒して、ついでにYugoしていこう。 それに、次の裁判への楽しみが又少し膨らんだ。きっと又、新しい発見があるだろう。 私の裁判は、社会一般にあるものとは違うものになると予想しちゃおう。
ここからは、昨日の日記の続きになるけれど、 くすっと笑いたくなる自分を大切にするためには、いつもニュートラルがいい。 毎日感じたことを整理してニュートラルで居るのがいい。 閉じこもって蓋をしている自分に気が付いたら、いつも、自分にごめんね。
私はもっともっと、私が成長していくのを見たい。こんな気づきも素敵だと思う。 楽しいことが常だとしたら、そこからもっと成長できる。
いつも自分と遊ぼうよね。
人って面白いのではないかな? 社会で傷ついた後には、再び傷つくのが恐くて、または自分を見られるのが恐くて、他人からはうんと遠いところで縮こまっていた私も、又少し、ゆったりを広げられるようになったのかな・それとも、又別の新しい好奇心が芽生えたのかなとか・・・。 過去は、いつもびくびくしていて、なんでもない振りをしたり、元気な私を取り繕いながら人と関わっていたけれど、今は、弱い自分を隠さずにいろんな人と触れ合ったり語り合ったりしてみたい。 体の真ん中から、どんな私もあっていいんだなぁという気持ちがふつふつと沸いてくる。 視野が広がったように見える自分がくすぐったい気がする。 一人で心の中でくすっと笑いたくなる自分を大切にしていたい。
育成会3期生の説明会
午前中は2期生の方が語っているのをお聞きしました。 3名の方の語りは、私にとって、とても新鮮でした。 私は自分が辛すぎたから、子どもと離れる方法をとりました。 でも、もしご両親が揃っておられるのなら、お子様にとっては、ご両親が共に生きておられるほうがいい。そして、大人が心を大切にして生きているそばで、自分の将来を思い描けるようになればいいと思います。 午後の部で、一人の女性から「お子さんに会いたいですか? いつでも会えるんですか?」という質問を受けました。 突然の質問に戸惑いつつ、心のままに「会いたいと思いますよ」と返事をしました。でも、胸に詰まるものを感じた私です。家へ帰って、久しぶりに過去の日記を見に行きました。
一番古い、2001年(リンクから入って見つけることができます)のもの。 子どもを愛せない自分を責めていた私の原点がありました。 今となっては、子どもを愛せないと思いすら、社会の評価の中で決め付けられてた結果に出来上がったものだということが分かります。 そして、私がこれからどんな人生を歩んでも、本気で自分と向き合うこととなった原点はあの時代にあり、「こんなに生き辛い・苦しい」「どうして子どもを愛せないの?」という自分への疑問から、プラスの私が始まっていることは事実です。さらに、過去を思ってうずくまっているのは、3年前に心を決めて家を出てきた私の生き方とは違うから・・・。 子どもは、親が自分を生きているのを見て、安心して自分を生きられる。 私は私の人生を生きることが、今の私に出来る、親としての責任・・・ということでいいかな。 もっともっと、自分を育てていこう。 もっともっと、自分を楽しませてみよう。おもしろいよ。
地球規模でまとまれば、地球上のみんなが家族ですよ。 地球の上で両手を広げて生きよう
時々、体がコチコチになっていたり、浅い息をして、息苦しいと思っているのに気が付く。 私は前からこんなだったのかな。
でも、自分に気が付ける自分でよかった。 原因と思われる会話のテープをもう一度聞いた。 テープの中の私はすっかり巻き込まれていたけれど、必死で自分を伝えていた。 会話を録音しておいて良かった。私は自分の為に録音したんだね。
心の傷は、「1つ楽になったから、OK」という考え方は違うんだね。 そして、傷を残した自分の心に蓋をすると、別の私になるんだなぁ。
能力の取り直し。 スタートとは違うと思うけれど、スタートな気分。
わたしも能力あるよね。
次回裁判用の書類を作った。 弁護士の質問や伝えられたことに、必ず答える必要があるのかなぁ。 この書類は私の個人情報。 私は自分の作った書類を利用して、私を守ってみよう。
小さな赤ちゃんをじっと見ていると、ゆっくりでも自分で動いていく。欲しいものがあったら自分で何とかしようとする。 たぶん、感じたままに動いている。 大人がおもちゃを持っていっても、いらないときには首を横に振って「いやいや」をする。
いらない時には「いやいや」を。 そうだよ。私も、小さな赤ちゃんだった頃、いやいやといっても良かったんだよ。 「No」を伝える始まりは、小さな私の「いやいや」からだったんだ。
ちいさなちいさな 意思表示
| 2006年05月14日(日) |
いつか一人になれたなら |
頭の片隅に裁判のことがあり、小さな場面を思い返し、自分が戸惑った理由を見ようとして、再び自分が分からなくなったり・・・。 ところが、一昨晩、法廷では気が付かなかったことを発見し、小さな発見をした事がうれしくて、本当にちょっぴりだけど、次の法廷が楽しみだなと思えました。・・・うれしいな。 それでも、純粋に心を通して見聞きしていると、すぐに社会の言葉に傷つけられてしまうから、小さく小さく語っていけるよう、毎日意識しています。
実は、私は自分を面白いと思うのです。 こんなに面白い私なのだから、もっと楽しませてあげたい。 でも、私の面白さは、社会ではすぐに巻き込まれてしまう。 そして、他者にも巻き込まれてしまう。
だから、私の心を基準にして、私を大切にしよう なにしろ、私は今、ここに生きているのだもの。
一人で生きたい、なー。 一人になりたい、なー。
(一人になれた分だけ一人で生きられるのか、一人で生きられた分だけ、一人になれるのか、それとも既に、一人で生きられた分だけ一人になれているのか、それとも、既にひとりになれた分だけ、一人で生きられているのか。私はいったい・・・)
「親や社会のルールに背いていいからね」。 楽しいことも戸惑いも、すべて、成長のブースターにしよう。 明日は仕事が待っているョ。
昨日の私、一日中、戸惑いの中で泳いでいた。 悲しいときには涙が出た。
私は泣くのはなぜだろう。 涙って何かな。
保育園の赤ちゃんは、お尻が汚れた時に泣く。びっくりした時や痛い時にも泣く。泣いて自分を訴える。 赤ちゃんが泣いて自分を訴えるのは、言葉を学ぶ前だから。
私も自分の気持ちを言葉に表せないときに、涙が流れてくるのかな。 私は一番小さな方法で、自分を訴えているのかな。
大人だって泣いてもいい。そして、今は言葉を知っている。 心に感じたことを言葉にして、自分を伝えていければいい。 心に感じたそのままを自分の言葉で語っていけるのが、今を生きる大人の私だろう。 疑問も戸惑いも、感じたままに語っていこうとすれば、もっと成長できるだろう。
力や権力に怖いと怯える私を卒業して、もっと楽しんでみたいな。 不安定な私を卒業して、“初めて”を楽しめる私を持続させよう。
「私の心が辛い時には、社会が決めたルールに背いてもいい」。
いつもいつも、分かるまで質問して、ゆっくりと語ってほしいとお願いして、私の心に浸透した言葉を、ゆったりと伝えていこう。
今日から又、一つ一つ、整理していこう。
・・・次回裁判は、6月9日13時20分・・・
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