「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年07月09日(日) 地球さん、てつだってね

 昨日から、腰を使って歩くことを意識しています。
通常、歩くときに出す足の一歩を、腰から出してあげるのです。
腰の回転が体に響いて、気持ちが良くて、好きです。
最初の一方を出して、前に進むとき、足の親指の付け根より少し下で地球を蹴ります。
地球を上手に蹴った分だけ、体はグ〜ン!と前に進んでくれます。地球が押し返してくれているようで、嬉しくなります。
ついでに意識の中で引いた一本の線の上を上手に歩くように意識します。
まるで、モデルさんみたいです。
ちっこいけれど、腕が筋肉マンで、来年夏にはベトナムへ行く予定のモデルさん。
マッチョなモデルはいつも心を大切にし、自分を磨いていこうとしています。

心の中で、「もっと蹴ってごらん。もっと自由に歩いてごらん」と自分に声をかけます。
心が「満足満足」と言っているみたい。

私はこんな自分が好きです。


(地球さん、もっと手伝ってね。)


2006年07月08日(土) ひとつずつ

 ベトナム語の授業へ行って来ました。今日は主に、歌の練習をしました。
ここで、面白いことに気が付きました。
言葉は、単語をつなげると1つの文章になりますから、日本語はひらがなをつなげると日本語の文章になり、ベトナム語はベトナム語の単語をつなげるとベトナム語で会話が出来るというのは知っていましたが、ベトナム語の唄も同じだったのです。
音程やリズムで流されて発音や声調が分からなくなることはあっても、ぼんやりでも正しく発音できていれば、音程やリズムで声調が分からなくなっていても、正しい発音として他者に聞こえるらしいのです。
丁寧がいいということですよね。おもしろいです。

そして、私の唄はどう? ハテナ・ハテナ♪。


2006年07月03日(月) 母性

お母さんって何かなぁ。
母性本能って何かなぁ。

私の心の中にも、小さな子どもを守ったり、やさしく語りかけられるものが、備わっているのではないかなぁ。

私がお母さんになれる始まりは、小さな自分を守り、私自身の弱い部分を育ててあげるところからではないかなぁ。
小さな自分に、「いいよ・大丈夫だよ」と、いつも語り続けてあげられるところからではないかなぁ。

おかしな言い方だけど、私も、自分のお母さんになれるのではないかなぁ。
もっともっと、自分の心を大切にしてみたい。
私って、どうなるのかなぁ。

Baseball


2006年07月02日(日) Keep tring

 夜、職場から、自由選択で行ったアレルギー研修会の報告書を書きました。
 実は、この研修会は私の希望で参加したものなので、私は会場までの交通費を請求していません。ところが、職場からは、報告書を書いて会議で報告するようにと求められ、変だなぁと思っています。でも、研修会も報告書を書くことも楽しかったからいい。感想の1つとして、アレルギーに関連つけて、心を大切にしたいと書きました。
結果は後からついてくる。たいていのことは、通り道にある小さなことなのです。

 そして世の中は、
2,006年7月2日付けの朝日新聞には、山口奈良県の医師宅が全焼し、長男が放火殺人の罪の問われた事件で、長男の在校保護者が嘆願書を出したという記事が載っていました。
先日育成会では、引きこもり20年の方が両親を殺害され、罪に問われた事に対して周囲の動きが変わっていることを知りました。
つまり、社会は少しずつ、変わってきているのだと思う。小さな変化が嬉しいな。私も自分を生きよう。

どうしてかな。今日は昨日よりも一昨日よりも、いろんなことが楽しく感じました。不思議…。

Baseball もあるよ!


2006年07月01日(土) 守ること・冒険すること

 今日は、昨日の裁判の疲れの為に自分が定まらない一日。笑っている自分と突然悲しくなっている自分のギャップに苦しんでしまいました。こんな時には、ついつい自分を責めがち。
 けれども、
例えば裁判所の一室で、私が混乱するのは、私の心の問題だけではなく、裁判官や弁護士に法律とは縁遠い私にわかる言葉で伝えて頂けないからだと言ってもいいと思えると、途端に楽になりました。
そう。社会がもっと生き易いなら、私はもう少し楽に生きられているはずなのです。
人々が、自分を訴えることをあきらめてしまったり、訴えるために弁護士を雇ったりする理由は、今の社会に欠けているものがあまりにも多いからだと思うのです。
 それでも私たちは、今の自分を直視したことで、次への道を見つけていけます。目の前の出来事をすぐにまとめることが出来なくても、今の自分から次の自分へ発展させていけるのです。

 今夜の私は、自分の中に、いつもに増す、あたたかさを感じています。
私のことをいつでも心から愛し、守り、膝の上でやさしく抱いてあげられるのは、私自身です。
母親は、いつでも子どもを包み込み、やさしく膝に抱き、「大丈夫よ・それでいいよ」と伝えてあげられるのです。
そして父親は、いつでも、母親よりも大きな体で、「生きていくこと」を伝え続け、「どこへでもいってみてごらん」と、冒険する自分を見せて生きていくのです。

私は私の母となり父となり、これからもたくさんの新しいものを経験させてあげることにしました。


2006年06月30日(金) 裁判準備 2  

  本日も弁論準備
 
 もしも、社会の仕組みのおかしさを伝えられる場所が無いのなら…。
人々が自分を訴えられずに泣き寝入りしてしまう理由は、伝えられる場所が無いことも理由の1つではないかな。もしも私が伝える場所が無いことを理由に、正しさを伝えることを止めてしまったら、尻切れトンボのようで自分がかわいそうだ。だから、今ある法律の中で、出来ることがあるのではないか、とも思う。

 そして、私はどこへ向かっているのかな。何の為に裁判をしようとしているのかな。
自分にやさしく生きたいと思う。
正しさを主張しようとする私に、人を責める心があったら、私の行き方とは違ってくる。
それから大きな見方も出来る。でも、今は心が追いつかずに疲れる。
どんな私も、心から沸いてくるものでなければ、自分がかわいそうでもある。
だから、私のペースで進んでいこう。
心が語れる場所でのみ、自分を語っていこう。
そのうちに、答えは自然に心に沸いてくるでしょう。


2006年06月29日(木) 親の心

 園長と保育の話をしていたら、「Mamoちゃんは自分の子どもさんを育てているでしょう?」と尋ねられました。
私は名古屋へ来てから、職場で自分に子どもが居ることを語ったのは一番初めの場所で一度だけ。その時、自分を語ったことで傷ついてしまったので、以降は、語ることをやめていました。でも今日は、「いいえ」と言うのが躊躇われ、「はい」と返事をしてしまいました。
 園長は「そうだよね。そうだと思っていたけど、でも、Mamoちゃんの話を聞いていると、始めて子どもを見るような話し方だから」と。
私は、「私は自分の子どもを育てていた頃は、雑誌の情報や教科書の中から拾ったものを、心のある子どもに当てはめて、どうして出来ないんだろうと嘆いていました。離婚して自分を見つめてみたら、自分の中に過去とは全く違うものがあることを感じ始め、過去にしてきた“子育て”は全て間違っていたと気付きました。じゃ、自分はどんな風に育てられたんだろうと自分を振り返って、間違った見方をしていた自分に何度も気が付かされます。今は、過去とは全く違うものを大切にしています。だから、私はいつも一年生なんです」と返事をしました。
園長は「Mamoちゃんの感じているものを他の保育士さんにも伝えてあげてほしい」と言われました。
 私は…職場で話をしていると、たいてい、同じような言葉を伝えられます。
そして今日は、たくさんの園児さんと関わっておられる園長から、同じような事を伝えられ、何と答えていいのか分からずに困ってしまいました。

 後になって、流れの中で子どものことを語ってしまった自分に焦りました。焦ったのは社会の評価を気にした自分です。
でも、もういいと思う。これが私の真実だから。

明日は裁判。
やはりちょっぴり緊張しています。
そして、緊張している自分から目を逸らすと、心の中の時計が止まります。
だから、どんな自分もいいよね。
そして、私を大切にしよう。


 


2006年06月27日(火) 人として生まれること


 子育て支援。0歳児の赤ちゃんとお母さん10組が来られた。毎回、たくさんのおもちゃが用意されるところは、私の思いとは違っている。ところが今日は、おもちゃの中に、軍手の指先にひまわりのお顔がついたものを見つけた。自分の指に嵌めて、ひまわりがにっこり笑って私を見ているのを想像したら、嬉しくなった。
 そばにいる赤ちゃんにひまわりのお顔を見せてみたくなった。4ヶ月の女の子。私は顔を近づけて「今からお唄を歌わせてね」と言った。そして「お花が笑った」を、ゆ〜っくり歌いながら、一つ一つのひまわりを動かしてみた。女の子はひまわりを目で追っていた。次には、ひまわりをおとうさん・おかあさんに見立てて、替え歌を作って歌ってみた。女の子がどんな気持ちかは分からない。けれども私は、ゆっくり歌っている自分と、体の芯にあたたかさを感じられることが嬉しかった。いつの間にか、辺りがしんとしていた。

 午後、0・1歳混合の赤ちゃん組の保育に入った。
力が強くて何かのきっかけで噛み付いてしまう女の子とお友達の髪を引っぱる男の子二人を含めて、赤ちゃん5人と私。私は子ども達が集団で遊んでいるときの本当の空気を知りたかった。そして、痛い思いや悲しい思いをするのは避けたかった。女の子はは私を自分の世界に入れてくれた。男の子と他のお子様は、基本的にはひとり遊び。時々男女の子どもさんが近づいても、私が女の子の動きに言葉をかけると、女の子は自然に離れていった。
私は「この中では、女の子の心が満たされていれば、この流れは続くかもしれない」と感じた。私もそのお子さんと遊んでいるのが面白かった。他のお子さんは時々振り向いて私を見た。私が笑うと又向こうへ行って一人で遊んでいた。2時間、そのまま時が流れた。

 その後は、はいはい赤ちゃん3人と私一人。
3人の赤ちゃんが、どこへ向かい、何をするのかを見たくて、おもちゃを全部片付けてみた。みな、好きなところへ行って、それぞれのことをしているようにみえた。
大人は、子どもが安心して遊んでいられるよう、見守っていることでいいのだ。
 今日は保育園へ就職してからの小さな疑問が解けた日。
人間はなぜ、他の哺乳類に比べて未熟な状態で生まれてくるのか。私たちが、手伝いを必要とする段階で生まれてくるのは、心を持っているからだ。人間は、人として、自分に心があることを感じ取るために、せめて生まれたばかりのまっさらな心のうちに、やさしく自然な、この感覚を丁寧に伝え続けられる必要がある。損な気がする。
 帰りに、保育士さんに「まもちゃん、この一週間で感じた事を教えて」と尋ねられた。私は「今日子育て支援でね…」と感じたばかりの思いを伝えた。保育士さんは、「地域のお母さんに、子育てのすばらしさを伝えていきたいね」と言った。私は心の中で成長途中の自分を思った。私もこれから。私は自分に歌をうたってあげるよ。


 裁判所から、相手方の準備書面が届いた。あさって金曜日、前回と同じ部屋で同じ人たちと向かい合って座る。
準備書面には、事実と、そして、事実とは違うことが書かれていた。
今は、ちょっぴり緊張している。


2006年06月26日(月) 自分が変わろう

 「自分が変わろう」と思うと、何故か心がほっとします。不思議。どうしてかな。
いつも自分以外の何かのせいにして生きていた自分から、変わっていけることの喜びかな。人生の楽しみが広がることの嬉しさかな。
ほっとする理由は分からないけれど、私は、変わっていく自分が面白い。
今の自分を見ていると、人は先を見て生きていくことがいいと、伝えていくことさえ出来そうな気がします。そして、自分自身にも、私はこれからも自分を構築するように生きられるのだと想像することができます。
 そんな私、保育園で赤ちゃんを見ながら、思うことがあります。
「私は今、人生を楽しいと思えるようになってきたところ。あなたは、今、見えるもの、触れるもの、ぜんぶぜんぶ、楽しいの? 何もかもが、そのままの形で見えているの? もしも本当に、そうだったら、あなたって、すごいよ」

 赤ちゃんの世界をのぞいてみたいなぁと、つくづく思います。真っ白な世界ってどんなものか。ニュートラルな世界ってどんなものか。生き方見本は小さな子どもにあるのではないかな。

 そして私自身は…。
「いったい私は、自分をどうしたいの?」「自分に何を求めているの?」と自問していたのは3ヶ月前。それ以前に、ここへ来て一番苦しかった3ヶ月間。あの頃からすると、「わたしは今、どうすればいいのか」・「自分に何をしてあげればいいのか」を見つけられたような気持ちがしています。

 自分を変えてあげることができるのは、私だけなのです。
「自分が変わろう」は、過去のように、相手に合わせて自分を変えるのとは違います。
シンプルな自分に生まれ変わるということ。
とても素敵・とっても好きな言葉です。

 一年後、今のような思いを、本に書いていけたらいいな。
そして、もう、ずいぶん「一人に近づいた」かな…。
だったらさらに、うれしいな。と、いいつつ、そう決めるにはまだ早い…。
もっと、安定したいな。
…ううん。違うよ。「出来たらいいな」は終わりにして、出来るように生きていこう。


2006年06月25日(日) 心の傷を癒そう

 夕方、家の庭で、F君と歌を歌って遊びました。
心に、「過去に出来なかったことを自分にさせてあげる」がありました。
 子どもの頃にできなかったことを、今、自分に体験させてあげている。
考えてみれば、過去はこんなに自由を感じながら生きていたことは無かったから、今生きていること自体が、過去に出来なかった生き方を自分にさせてあげているのと同じではないかな。

私には弟が居ますが、過去には弟とこんなに自由な気持ちで遊んだ記憶はありませんでした。それに、こんなに楽しく歌を歌ったことも。私はこの体験を利用して、心の傷を癒やします。
こうして、日常と照らし合わせて、過去の自分を見つめることができる、と言うことを嬉しく思います。
毎日の生活に、自分を喜ばせてあげる材料はたくさんあるから、もっともっと楽しもう。


Baseball へ行こう!


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