「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年08月21日(月) 育児は育自

 来月1歳になる赤ちゃんが居ます。今はハイハイですが、今にも歩き出しそう。
今日は部屋の隅で手を離して自分の足で立つことを楽しんでいました。今日はタンスにつかまって両足で立ち、それからちょっと中腰になって、それからもう一度しっかり立って、そうしているうちに、どこかでひょいと手を離すのです。
時々バランスを崩してこちら側に倒れこんできそうになります。こちらは倒れてきたら受けとろうと、とっさに手を伸ばしてしまうのですが、赤ちゃんは、ついに私の手を必要とはしませんでした。
赤ちゃん明らかに、「立つ筋肉で遊んでいる」よう。その表情は嬉しそうでした。育児をしていると、こんな小さな楽しみがあるのですね。
 赤ちゃんの動きを見ていると、私にも、まだまだたくさんの可能性があると思えてきます。
大人は、子どもの育ちを見て、自分にもある可能性を引き出していけるんだなぁ。
心を勉強していると、ますます自分を育てていけるのだなぁ。


2006年08月20日(日) 育つ環境

 先日の育成会では、子育てについて語り合いました。誰も皆、子どもの育て方が分からずに、手探りここまでやってきたのだと感じました。そして、親は、その時をどれだけ大切にしていても、子どもに何かが起きたときには、親として何が足らなかったのだろうと、自分を省みるものなのだ、とも感じました。
私も過去には、社会の情報に流されて翻弄し、疲れ、子どもを傷つけてしまいました。そこには、「親のような子育てはしない・私のような人間が出来たら困る」がありました。
 けれども世の中に正しい情報は皆無に等しかった。今回子育てについて語り合ったことで、何かに迷ったとき・原因を探そうとしたとき、真実を見つけられるような社会のあり方が必要だと改めて感じました。
 そして、子どもの傍には、子どもが何かに疑問を持った時、正しいものを正しいと語れる大人が居ることが、大切なのだと思います。

 私は、何が正しいかを見つけようと出来る自分を信じて進んでいこう・自分を信じていられることが、社会の情報に流されず、次の自分を育てていくことに繋がるのだと改めて感じました。

いつも、今を生きよう。


2006年08月16日(水) ベール

 今日は連休最終日。朝のPitching練習の後は、家でゆっくり過ごしました。この頃は、今まで知らなかった自分に出会うことが続いています。そして、少し分かりにくいと思うのですが、めぐり巡って本来の自分に戻ってきた、と感じていて、めぐり巡って戻ってこられたことを嬉しく思っています。心の傷も、1つ癒やせたら、次の1つが見えてくるようで、本当に、ベールをはがしているような感覚です。だから、私は今日、心に感じる自由を、全身にしみ込ませていました。
 夕方、心友親子が遊びに来ました。3人で、パピコのミニを食べながら遊びました。家にあるイスが新幹線になったりスペースシャトルになったり、救急車も登場して、面白かった。人は、大人も子どもも、何ででも遊べるのですね。
 明日から仕事。休みの間は、結果的には心の傷を癒やすことに集中していました。明日からも、本来の私を持続できるよう、いつも能力能力。


2006年08月14日(月) 感じたままに

 今日は、いろいろと楽しんだ一日。
なぜか…。私は今朝、「休みを利用して、今日一日、感じたそのままに動いてみよう」と心に決めたのです。
Baseballに始まって、暑さが増して疲れたらすぐに引き上げ、途中でジュースを買って飲んで、飲み終わったごみを捨てて。家に帰る途中で銀行へ行くのを思い出し、銀行に行ったり、回り道して写真を撮りに行ったり、それからパソコンで遊んで本屋へ行って…こうして意識してみると、私は実にたくさんの思考の元で動いているようです。
 
 夜、昨日見た「ビック・ウェンズデー」という映画の続きを見ました。サーファーが、20年に一度やってくるという5メートルの波に乗るのです。くるんと巻いた波の輪の中をくぐって、体が波に平行するくらいに傾く場面もって、片方の手で波をなでているんですよ。すごいですね。


 今見えている私は、どんな私も私。
おだやかな自分ならいいと思います。
そして、人生は自分で選択できるものだから、おだやかに生きられるように自分を導いていけばいい。
プラスの発想が浮かぶ自分は居るのだから、感じたものを大切にしていけば、日常の動きの中で新しいことを進めていけるのです。
心に何かを掴んだら、掴んだことを自分でしてみよう。


2006年08月13日(日) 波しぶき

 稲武のベトナム研修生さん達のお宅へ遊びにいきました。今日も少し日本語とベトナム語の勉強をしました。
 寮の庭にはベトナムの野菜やトマトが植えられ、庭全体が菜園のようになっていました。違う国の野菜もしっかり育つのですね。すごいですね。
研修生さんが、中の野菜を一種類採って、簡単な料理を作ってご馳走して下さいました。そして、おいしかった野菜をおすそ分けしてくださったので、早速、家でも作ってみることにします。
 夜、「ビッグ・ウェンズデー」というタイトルの映画を少しだけ見ました。
青い海でサーフィンをする青年たちの映画ですが、その波乗りのきれいなこと…。それから、波しぶきの美しいこと。私は海が大好きです。

今日も、今を生きられた。明日も今を生きよう。


2006年08月12日(土) 自分を求めて

 今日からしばらく連休。
なんとなく、野球の練習をたくさんしようという気持ちですが、今日はHPを修正して、新しく買ったカメラをパソコンに取り込めるようにしました。小さなことだけれど、これが、今を生きるということでしょう。
 どんな自分でいるかは、自分が決められることなのだと思います。ありのままに生きる自分を意識して、心を見つめていきます。
きっと、まだまだ面白いと思います。

追伸 昼間、Gobamcanで暮らしている男の子とバランスボールでバレーボールをして遊びました。
私は、Gobamcanに住む男の子は皆、やさしさを持っていると感じます。人は皆、本当はやさしいのだと思います。
私はこの空間を利用して、心の傷を癒やしていきます。

今日もまたBaseball ですよ。


2006年08月10日(木) 基準

 この頃特に、同じ自分でいる生き方をしようとしている。
一途に意識している。少し忘れていても、気が付いた時に、もう一度意識している。
だって、もっと心の自由な自分になりたいから。もっと成長する自分を見てみたいから。
心を基準にして生きるために、自分を持続させる。
こういうことだと思う。
プラスの生き方が出来る自分を大切にするんだ。
いつもいつも、大切にするんだ。

Baseball


2006年08月09日(水) 裁判を終えて


 2,006年8月6日、裁判所から和解条文が届いた。
私の希望した内容が間に入って、裁判所の第5号法廷で、互いを前に読み上げられたそのままが記載されていた。条文の日付は8月3日だった。
同8月7日、法務局へ預けられていた金額を頂く手続きに行った。今週中には私の通帳に戻ってくるだろう。
同8月8日、先日の裁判の先方さんから和解金を入金したという文書が届いた。
同8月9日、銀行へ行ってみたら、約束した和解金が振り込まれていた。
 決まってしまえば早いのだな。そして、早くに対応して頂いたことを嬉しく思う。  
夜、裁判書類を整理して保管した。ファイルの重たさが懐かしかった。何年か後に、今とは違った自分として読み返すだろう。

 これで、ひとまず終わった。
恐かったけれど、力に屈せず、自分を伝え、学んでいこうと出来たんだ。
自分の為に、自分で進んでいくことが出来たんだ。
和解条文の文章が嬉しい。
自分の思いを大切にして動いた事も嬉しい。
それから、よくやれたと思う。
一昨日買ったデジカメは、新しい体験をさせてあげられた自分へプレゼント。

これからも、自分の能力を大切にして、やさしく生きよう。過去を見つめ、先を見るためにも、持続へつなげよう。そして、心の壁を解かしていこう。

本当に力のある人は、力を使わず生きていける。


2006年08月07日(月) 遊び

 夏休みが意識にあるせいか、自分自身のあの夏休み、この夏休みを思い出しました。
子どもの頃両親が働いていて、いつも家に居なかった為に、私達姉弟3人の心のぶつかりあいが増したのだと思いました。
私の親は、子どもの命よりも仕事を選んでいたのです。

でも、仕事は、生きるために必要な手段。鹿を捕るためと言われる方もいらっしゃいます。私は仕事を楽しみます。
大人ももっと遊んでいいということです。

 私は今日はお休み。
 午前中、裁判所の近くを走ったら、裁判の手続きの為に、初めて一人で来た日の事を思い出しました。ドキドキしていたけれど、自分を伝えたい一心でした。いろいろな方に成長のきっかけを頂いたと思います。
 
 午後、デジカメ買いにヤマダ電機へ。いいなと思うものは少々お高めで、商品の前で腕組をしてしまいました。
面白かったのは、買いたい自分と待ちたい自分もどちらもいいと思えたこと。もう少し見送ろうかと思いつつ、お店の中を散歩していたら、別の案が浮かんできて、万事解決。
少々お高めではありますが、ついに買ってしまった。
自分で納得するまで時間をかけて買えたことが嬉しい。うれしいうれしい。
大切にしようっと。


Baseball へ行きましょう。


2006年08月04日(金) 生まれたままに

 今日は私の誕生日。私は40歳になりました。40年、生きた。
 親からの話では、私は40年前、2100gの未熟児で仮死状態で生まれ、外界に出た後にも泣き声をあげなかった為に、背中をパンパンたたかれたと聞いています。
 子宮から出てくる赤ちゃんは、自分の力で産道を潜り抜けて出てきます。私も、そうして生まれたはず。ただし、私は苦しかったに違いない。

そして、赤ちゃんの私はかわいらしく、あどけないことをしていたのではないかと思います。
それが、こんなに大きくなって、今では自分の心を基準にして生きていける。新しい私の年齢は、3歳です。
人は自分を変えていけるのです。私はもっと変わりたい。

ありのままでいいよね。 心に感じたそのままで。


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