「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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子育て支援がありましたが、期限付きの保健の仕事を優先した後、現場へ向かいました。 子育てでは、泥んこ広場をしました。お母さんも子どもさんも泥んこになって遊んでいましたが、中には泥が恐いお子さんも居ました。 私自身は、子どもの頃田舎に住んでいたので、田んぼでパンツ一枚になり、胸元まで泥んこに漬かって遊んでいたのを思い出して、懐かしさを感じました。 終了後に、恒例の反省会がありました。いつもは、「何かある?」と言われても、保育に関しては黙って聞いているのですが、今日は少し自分の意見を述べてみました。 私の提案は、一般的なものとは視点が違うので、受け入れられませんでした。残念な気持ちがしました。 それでも、全体的には自分を知っていると思える楽しい一日でした。 明日も、もっと楽しんでみよう。
Baseball へ行ってみよう。
今夜は、仕事を変わろうかどうしようかと考えた。 3月に就職して、6ヶ月目に入った。最近にしては続いた方だ。 選択肢はたくさんある。でも、どこへ行っても世間がマイナスであることは同じだ。 けれど、プラスを探す私は成長していける。 ちなみに、私が就職試験を受けた時、私の他に二人の人が試験を受けたらしい。ということは、私は一応、選ばれた人、ということになる。
試験のときに提出した小論文を読み直してみた。「園はこれを書いた私を選んだはず」。書いたものが生かせるかどうかは別にして、私は私のスタンスを維持しようとしてもいいはずだ。そして、毎月書いている園便りに書いてみたい事が浮かんでいて、月末を楽しみにしている私も居る。そうは言っても、何かの度にへこむ私はどうするんだ。でも、これは実際には私の心の問題だ。 どちらにしても、「する」ことだ。明日も仕事に行ってみよう。
野球がありました。 新しい動きが出来て楽しかった。 体を動かすと気持ちがいい。毎日の運動量としては去年の夏よりも少ないのだけれど、でも、まだまだ走れるんだな。 それから、この頃は、「する」という事の大切さを実感しています。動いた分だけ結果が出て、そこから又、新しい動きをしていける。これがとても大切なのですね。 Baseball へ行ってみよう!
女の子の自分を喜んでいる私。 今日は保育園で、偶然にも、かわいい会話をしました。場所はいつもの会議室。 成長痛を訴えて来た女の子に、「痛いと悲しいけど、どれだけ大きくなれるか楽しみにしておいてね。楽しみにした分だけ背が高くなって、心のきれいな、かわいい女の子になれるよ」。 隣にいた別の女の子が「わたしも?」。「もちろん!」「Mamoちゃんも?」「もちろん!…んん?Mamoちゃんもまだ大きくなれるかな?」。「うん!」 そうですよね。私は背は伸びませんが、体にもう少し筋肉が付いて、それから、心ももっともっと、大きくなるでしょう。 プラスの会話に、自分の目が、大きくまん丸くなっているのが分かりました。
引っかかっていると思っていたものは、過去の見方をかぶせて、自分で引っ掛けていたものであることを感じました。知ったのだから、変えていけばいい。だから、新しい見方をするのが、ますます好きになりました。 もっともっと、自分に好きなことをさせてあげよう。
先週の日曜日、靴を買いに行きました。安いお店に行ったので、白地に青いナイキのマーク入りの靴と、もう1つ、青い模様の入った靴の二つを手にしました。でも、その後、一目で女の子だと分かる明るい色の靴が欲しくなり、1つは棚に戻しました。色に男女はないのですが、女の子の自分を感じたことが嬉しかった。 それから、最近、髪の毛が伸びてきて暑いので、仕事に出かけるときには髪の毛を二つに結んでいます。少し前まで、ボーズになりたい私がいました。 でも今は、鏡に映るお下げ髪の自分が気に入っています。 日常の生活の中で、自然に、過去に出来なかったことをして、自分を楽しませてあげているみたい。
女の子は、お肌も柔らかい。 女の子に生まれてよかった。 女の子を意識している自分が好きです。
今日は、久しぶりに看護婦さんをしました。足に怪我をしたお子さんが来たので、ガーゼとテープで保護しました。そして、テープの上から女の子の絵を描いたら、女の子は「うちの名前書いて」と言ったので、名前を書きました。女の子は部屋を出て行った後、大きな声で「かわいい〜」と言っているのが聞こえてきて…。むむむ…。なにやら起こりそうな予感がしました。 30分後に来た別の女の子、風の便りを聞いたらしく…「あの子の痛いところにテープに名前かいたの?」。「うん」「ふーん」「ん〜?」「うちも書いて」「はいはい」。女の子はニコニコして帰っていきました。 昼休みに、面白いものを撮影しました。何が面白かったのかは、下の写真を見て想像しましょう。 夕方、赤ちゃんクラスのお散歩の時、街路樹のイチョウの木にたくさんの実が付いているのを見つけました。それから、なんと、白いサギソウが咲いているのも。サギソウはかわいい可憐な花で、以前から気になっていたのですが、本物を見たのは初めてで嬉しいやらカワイイやら。仕事中に付き、カメラがないのは残念でした。でも、場所を確認したから、今度写真を撮りにいってこようかな。
園長さんに、職員旅行の不参加を伝えました。 これはいったい何でしょう。
ザリガニ捕りをしました。 始めにイカせんべいに糸を付けて水の中に垂らしたら、ザリガニは両手(?)を広げてはさみを開いて、パクンと食いついてきました。そしてえさをお腹で抱えて丸まって、まるでラッコみたい。水の中でせんべいを抱きしめている姿がなんとも言えませんでした。(昔、陸に居る虫の仲間で、土を団子にして丸める生き物を見たことがありますが、まるきり同じ形でした) ザリガニがしっかりえさを掴むまで待って、えさとザリガニの団子が出来上がるのを見届けたら、エイッと引き上げて袋へ。あっという間に、11匹も捕まえてしまいました。 捕まえられたザリガニは袋の中で、はさみをチョキチョキ動かしていました。水の中に返そうとして、地面に出したら、11匹が四方八方に動き始めて、写真を撮るのが大変でした。 ちなみにザリガニも食べられるそうです。えさにするために捕ったばかりのザリガニを剥かれたら、えびのような白い身が入っていました。今度はもっと大きなものを捕ってみたいな。
今日は野球も楽しかったな。 人は、楽しみがあるから生きていられるのではなくて、生きようとするから楽しみを見つけられるんだ。

ではでは、Baseballへ行ってみよう。
過去の性の虐待や死を見るとき、心細くなることがある。こんなときには、「そうだよね・そうだよね」と心を傾けられたくなる。 けれど、私の変わりに何かをしてほしいとか、今の自分を判断してほしいのとは違う。ただ、「そうだね。そうだよね」と、それでいい。 そして、もう大丈夫かと思っても、過去の場面はいくつもある。だから、何度も何度も、自分自身に「大丈夫だよ」と伝えている。 性の傷は暴力の傷と同じだという人も居る。そうだろう。けれど今はたぶん、頭では分かっている私だろう。心に感じ取れれば、楽に癒していけるだろう。
死の傷を見るときには、「生きていてもいいよ」と自分にしっかりと伝える。 今の私が、「少しでも壁を薄くするために、自分に、生きていてもいいよと伝えている」と語るのを見て、笑う人も居る。3年目の私の言葉としてはおかしいのだろうか。…おかしいかな。でも当事者の私にとっては、大切な言葉だから、いいや。
考えてみれば、名古屋へ来る前に、自分の心が過去の傷で傷ついていると知り、自分で癒やしていけると知ったときから、私の心の事について、誰かに助けてほしいと思った事は一度もなかった。パートナーに、自分の過去を語ったときでさえ、当時の私は具体的な癒やし方は知らなかったけれど、「助けてほしいと言っているのじゃないの」と涙ながらに訴えていた。 あの頃は精神薬を持ち歩き、生きているのが精一杯だったのに、どうして自分を訴えることが出来たのかと、不思議な気持ちもする。 そうか、否定されることの辛さから、否定されなければ大丈夫だと感じ取っていたのかもしれないな。
自分で心の傷を癒やしていく気持ちは、今も、これからもきっと同じだ。 これまで生きてきた私が居るから、これからもきっと自分で出来るはず。 私の、生きる力だ。 だから、やっぱり、死なずにここまで来た自分は大きな能力だ。
一人で生きよう。 誰かに判断を求めたり、他者を基準にするのは違う。自分のスタンスを持って生きよう。どこまで成長したかは、後から感じられるものだろう。
今日も、うがいの紙芝居の作成をしました。絵を描いて遊んでいるみたいで面白くて、気が付いたら昼休みの時間に入っていました。 月末は提出書類などの作成に時間を使うので、毎日少しずつですが、出来上がりを想像すると嬉しくなります。 昼休みに公園に居たら、すずめが砂あびをしていました。傍で見るのは2回目。写真に撮ろうとして窓を開けたら飛んでいってしまいました。 私も空を飛びたい。砂浴びは…海に行ったときにします。 ちなみに、守山市の小幡緑地公園に、気になるくらいに高い木があって、いつか登ってみたいと思っています。 あ〜、又登りたくなっちゃった。
赤ちゃんも、1歳5ヶ月くらいになると、ゆっくりと語りかければ、私の言葉を理解して、私と一緒に移動して遊びながら物を運んだり出来るのです。赤ちゃんが、人として成長したのですよね。すごいですね。それに、こんなに小さな赤ちゃんと、語り合えるなんて。 自分が子どもを見ていた頃には、こんな小さなことを楽しむ心の余裕はありませんでしたが、この頃は小さな感動の連続です。 今日は、育児は楽しいものだったのだと、改めて実感しました。
夕方、雷雨が来ました。子どもの頃稲妻は恐かった。でも今日は、稲光を見たくて、雷雨の中を車でうろうろして、高い場所を探しました。 残念ながら稲光は見えませんでしたが、自分のしたいことをさせてあげたので、心は満足しました。
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