「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は、野球に行く前に部屋の掃除をした。それから、机の上の配置などを少し変えてみた。掃除機を持って下に降りながら、階段を掃除した。階段の下まで行って、廊下も掃除した。 以前は、一日のうちにいくつものことが出来にくかったので、時間を意識しながら出来ることを探して動いていることが気持ちよかった。 現実を生きるとは、小さな知恵の積み重ねだ。 小さな知恵の積み重ねが生きることに繋がる。
ところで、自分については、こんな風に捉えられる。 私は、人はいつも、自分の動きを知っているもので、ところが私や私と同じように複数の人格を持たされたものは、自分が分からずに翻弄させられているのだと理解していた。 でも、自分が分からなくてもいいのだ。今の自分がOKだ。
それにしても、「自分がわからない」ということはどういうことかな。 私は今、自分の知っている自分を、「自分を知っている」と言っているに過ぎないのだろう。他にも、あちこちの場面で、私の意識からはずれた私が生きているのだろう。 それなら、いつも自分を意識していれば、いつも、自分を知っていられるのだろうか。 答えはYesだろう。 自分を意識するとはどういうことだろう。 自分のしていることを自分で知っている事・何かを語る自分を自分で知っている事・何かをしている自分を自分で知っている事だ。 自分の為に、自分を見ている必要があるだろう。 それと、いつも、次を見て動くことが大切だ。
ということで、Baseball Baseball へ行ってみよう。
アサリ捕り 小さくても身が入っていました 足が短い…のであります
仕事。 今日は保育参観があり、お母さんやお父さんが、赤ちゃんの様子をのぞき穴から見ていました。 私は参観の影響で、休憩を半分に分けて取りました。あとで保育士さんが、他の保育士さんに、「今日はまもちゃんにわがままを言った。休憩を半分に裂いてもらった」と話していました。私としては、時間内に何をしていても、仕事は仕事という意識があるので、特別問題とは感じませんでしたが、私は黙って聞いていました。 それから、来週には、「薄着のおはなし」をペープサートという紙芝居のようなものを使ってする予定を立てたのですが、台本が無いので自分で考えてお芝居をすることにしました。 お話は3歳から5歳までの幼児クラスでする予定なので、分かりやすく簡単に伝えるには…と、案を練っているうちに、3歳児さんに分かりやすく伝えることが出来れば、4歳・5歳児さんにはより楽に伝わると思いつき、3歳児クラスのお子さんからさせてもらうことにしました。それから、会議室にいた保育士さんに、お芝居の練習に付き合って頂きました。 保育士さんは、いつも、子どもさんに何かを伝えるとき、口を尖らせてみたり、体全体で大きなジェスチャーで表現したりして、たくさんの子どもさんの意識をこちらへ集めています。 私は方法が分からないので、とりあえず、保育士さんの後について真似てみました。真似てみると面白かったので、私なりの案も浮かびました。早くも、子どもさん達の笑い顔が浮かんだり、「出来てるよ」と言われているような気がしました。 あとから、私って、こんなに単純な一面があったのだなぁ。この単純さと素直さは同じなのかなぁ…なーんて、一人で回想しました。 本番では、子ども達の発言や質問が入るので、どんな風になるか、楽しみです。
ある事を知りたければ、知りたいことに、より近くなってみることがいいみたい。GUGが浮かぶ余裕は無かったけれど、素直がいいということを実感しました。 それから、今日もまた、新しいことが出来ました。 私はこれから、いつでも、新しいことを楽しめるように成長します。
9月20日の朝、突然現れた、ユミアシオオゴミムシダマシ…という虫 おそらく、カーマで買ったカブトムシ用の土から出てきたと思われる 紙粘土工作
今日は「積極的にする」事を意識した。子育て支援ではプラスの言葉を語ることを意識した。 子どもさんと遊び、子どもさんが離れていった後、お母さんに話しかけてみた。 内容はお手玉の作り方に始まって、お母さんから、「皮膚呼吸を大切にしたいからお化粧はいらないよね」。私も今は化粧をしない人なので、お母さんの言葉には「うんうん」とうなずいた。 そして最後は、「自分はどんなふうに死にたいか」。 それぞれがそれぞれを語った。その間、赤ちゃんは自分で遊んでいた。 なんとなく、心に確信を持った。 「過去に子どもを見ていた頃、こんな会話を求めてた」「大人も、心のストロークをいつも求めている。肯定される会話がストロークになる。大人も心にやさしい言葉が好きなんだ」 反省会のとき、保育士さんから「Mamoちゃんのところは話が弾んでたね。何かある?」と尋ねられた。私は今日は感じたことを語るつもりで準備をしていた。守るばかりだった自分から成長したいのだ。 「お母さんも、親として自分を評価されず、否定されず、ここへ来て語る自分の意見を心から肯定されて、心を満たされて帰っていけると、又ここへ来たいと感じるかもしれません。お母さんの心がプラスでいっぱいなら、子どもさんへの視線もさらにやさしく、言葉賭けも、やさしい肯定の言葉が自然にたくさん出てくるのではないかな、と感じました」と語ってみました。 主任さんは、途中から、「そうだね」とつぶやいて、最後に「そんな風になるといいね」と返事をしてくださった。気のせいか、主任さんの表情もやさしく見えた。
昼休みに園長さんから旅行のお土産に一言書きの便箋を頂いた。「お返しは出来ないのですが」とお断りして、頂いた。 保育士さんの中に「私もMamoちゃんと一緒。“旅行に行かなかった組”になったよ」と言う人がいた。「一緒に旅行に行きたかったな。実は、まもちゃんとたくさん話をしたいんだよ」という人も居た。私は、先週までと違って、心が安定していて、職員旅行のことはすっかり忘れていたけれど、私を肯定される言葉を聞くのは嬉しかった。
なりたい自分になるために、明日も積極的に、「プラスの自分をしてみよう」。 もっと積極的に自分を生きたい。 私はこれから、どんな風になるのかな。 分かってきたよ。人生は本当に、自分の動いたようになる。
Baseball へ行ってみよう。
お休み。昨日の野球の筋肉疲労。今日は家でゆっくり。放りっ放しだったトマトの周りの草をとり、要らない部分を切ってさっぱりした後、花粉同士を受粉をさせた。これからでもトマトがなるといいな。トマトさん、ほうりっぱなしにしておいてごめんね。実を付けてくれたらうれしいな。
「私へ」 夜、自分の写真を何枚かプリントした。 もっと安定したいな。この写真に写っている私が持続すればいいんだ。 私・Mamoちゃんって、どんな人かな。 何でも遊べる・自分の心を基準にして動くことが出来る・自分の心を大切に出来る・心に添って生きられる・それから、複数の人格を持つ自分を知っている・無知な自分を知っている・自分が何に傷ついているかを知っている・人々に心が語れる。 そうだよ。これが私です。 たぶん、純粋で素朴で、子どもみたい。 いつまで見ていても飽きない。心がくすぐったくなる。自分の写真が宝物だなんて、変かな。いいよ別に。 でも、やっぱり私ってかわいいと思う。自分をかわいいと感じる自分がおもしろい。
藤前干潟で魚釣りをしてみました。 細くて長くて透明な糸の先に針を付けたものを持って遊ぶなんて、初めてのこと。糸が絡まないよう、針が手に刺さらないように意識していると、自然に口数は少なくなり、いつもより慎重な動きになりました。丁寧さが学べる遊びです。 釣れたのは、ハゼが20匹とドンコハゼが1匹、それから名前の分からない小さな黒い魚が1匹です。 ハゼのえさは、ゴカイという、ミミズのような生き物です。ゴカイを糸の先に付けてしばらく待つと、糸がチョンチョンと引っ張られて、魚がえさを食べに来たのが分かります。(引っ張られる感じが何ともいえません。) ほんの少し待って、さおをクイッと上手に引き上げ、うまくいったら、しっぽを振ったハゼが一緒に上がってくれるのです。つれると嬉しいので、何度も釣りたくなりました。ハゼはなんにでも食いつくのでつれやすいそう。(そういえば、お顔もどこかひょうきんで面白い…。)
ところで、びっくりしたことがあるのです。 釣ったハゼは発砲スチロールに氷を入れたものに保存して家に持ち帰りました。家で箱から出したときには、氷は解けていたのですが、魚は棒のように硬くなっていました。てっきり死んだものと理解して、棒になっている魚をまな板の上に並べ、写真撮影をして数匹さばいていました。すると、まだ切れていない魚のえらが動き始めたのです。 「え!動いてる!えら呼吸してるよ」「ん!切れた頭が動いてるよ」 鮮魚コーナーで働いていたというルームメイトに「切れた頭が動いている!」と言ったら「うん」。もう一人のルームメイトは「魚ってえら呼吸じゃないの?」。「そうだよ。そうだけど、この方たち、生きたまま凍結保存されていたの?そして今解凍されてえら呼吸を始めたの?? すごぉーい」。 しばらくすると、「全解凍」された魚がまな板の上でピョンと跳ねました。慌てて動画に収めたけれど、残念ながらここではお披露目できません。慌てている自分も面白かった。そして私が作った料理は生き作りならぬ甘露煮でした。自分で取った魚を食べるなんて初めてのこと。おいしかったです。 釣り始めたときは、ゴカイがかわいそうだなとか、ハゼの口に針が刺さっているのを取る時に痛そうでかわいそうだな感じましたが、私達は、牛だって豚だって食べています。自給自足とはこういうこと。生きていくためには食べ物の狩も必要。でも、域を超えて捕りすぎたり、自然を壊すことが無いよう意識する必要があるなと感じました。 まな板の上のハゼ ちょっとおもしろい顔 斜め45度 ドンコハゼ(食べてもおいしくないそう)
職場近くにいたハト・水を飲んでいます
Baseball へ行ってみよう。
育成会。 午前の部では、育成会メンバーに通っておられる女性から、女性のパートナーが息子さんに当てて送られたFaxにまつわる素敵なお話を聞かせていただきました。 私は男性のFaxを合計3度読ませていただきました。人として生きようと、自分に素直に生きようとされている、素敵な男性だなと感じました。
午後の部では、私は前回自分で作った宿題、“複数人格”の部分を語るつもりで準備をしていました。内容としては、過去を語るというよりは“今とこれから”を語る予定をしていました。ところが、準備していたレジュメが見当たらなかったこともあり、しどろもどろの状態でした。参加された方にはご迷惑をおかけしたかもしれません。ちなみにレジュメは家にも無かったので、皆さんへの配布用と一緒にしていたと思われます。どなたかの手元に渡っていたら、ごめんなさい。
夕方、気付かない間に埋もれていた自分を発見して、泣けてきた。涙が出たのは、自分の心が、いつ・どこで・どのように自分から離れていったのかに気が付けた嬉しさと、私を見ている人の正しさとあたたかさが心に・細胞の一つ一つに浸透したからだった。こんなに嬉しい気持ちで泣いたのは久しぶりだった。 夜になって、心に熱が出た。体の芯からポカポカと熱かった。何か、違うものが生まれてくるような、「これでいいんだ」というような、とにかく、心に熱が出た。 きっと、成長熱だろう。
今の自分を確認して、また新しく進んでいこう。 自分を持続させるために、いつも心で捉えていこう。
アベリア アベリアのつぼみ ネコじゃらし ヌスビトハギ ヌスビトハギ よもぎの花(始めてみました) よもぎの花 シャクトリムシ(透き通っているよ) アキアカネ
 エミールくんのつかまえた虫。おかおが、うちゅう人みたいで、かわいいです
職員会議 2時間の会議は退屈なのです。だから窓際に座って、時々目を閉じたり窓の外を見たり一人でこっそり遊んでいました。私からは、保健の報告と、来週末の職員旅行について尋ねられたので、「目的があって貯金をしているので旅行は遠慮させていただきます。皆さんは楽しんできてください」と伝えました。 旅行の辞退は今後の為にも語っておきたいことだったので、自分の心に添った動きが出来て満足しました。こんな小さなことが、心から嬉しいです。これからも、機会がある毎に自分を語れるよう、意識します。自分を伝える積み重ねが、私のスタンスを持続させることになるはずなのです。
それにしても、「どうすれば自分が持続するのかと意識しながら動いていたら、一日が持続していました。と言っても、いつも一定だったのとは違い、その時々の状況でいろんなことを感じる私だったのです。 人の思考は2万回。私も2万回浮かんだのかなぁ。2万回以上あったようにも感じられます…。
そして、まだ続きます。私は落ち着き安定した生き方をします。
自分の心に感じたものに添って動くと、気持ちがいいのだ。 ワクワク感を全身に浸透させよう。 いつも、自分で自分を育てるのだ。
真の心地よさを知っている自分を持続させよう。 自分をする、という意識を持って今を生きよう。
そして、私はいつも流れの中にいる。 いつもいつも、途中経過。 これからも、楽しもう。
Baseball へ行ってみよう。
子育て支援。近くのコミュニティーセンターで、地域の2歳児さんと遊びました。 お子さんが出来たものを見せに来て、大人が皆で「できたね」と言うと、お子さんは手をたたいてジャンプして、全身で喜んでいました。そんな事を繰り返して2時間半。保育士さんは最後に、「今日は自己肯定感がいっぱい育った日です」と言っていました。私は、子どもは周囲に受け入れられ歓迎されながら大人に育っていくものなのだなと感じました。 そして、私も、自分を肯定し育てていこうと、改めて思いました。
私は、なんとなく、昨日よりもゆったりしていました。 変な話ですが、ゆったりしている自分が不思議でした。 夜になって、先週末、自分の心に添って、まとめ会を辞退して帰ったことが、体の芯から自信に繋がっていると分かりました。すると分かる、ということを実感しました。
今の仕事は、楽しさとは別に、今までしてきた仕事の中で比べると、内容も体力的にも楽なのです。病院のように、薬や点滴を確実にする為の緊張も、まして緊急事態は殆どなく、ゆっくり動ける。このゆっくりさが、私の動きに合っているように感じられて、魅力の1つなのです。 そして、子どもさんたちと語り合うときの、シンプルに分かりやすく語ろうとか、こんなのはどうかな?とか、さらに、今日の子育て支援のような新鮮さを味わって自分を成長させていけるところもいい。 私に持たされていたものは、違うよと何かのたびに実感できるところが好きなのです。
といいつつ、ハローページを覗いてみました。今よりも働きやすいところがあれば、またまた変わっていけばいい。 いつも自分に楽な環境を自分に作ってあげようっと。
ベトナム研修生さんの寮へ行きました。今日は研修生さんの日本語のテキストを使って遊びながら、勉強しました。私は伝える人として、伝わりやすいやさしい日本語を探して遊びました。 それから、いつも感じることですが、ベトナム人女性が集まって、ベトナム語で語り合っている中に入っていると、何とも言えない明るさとか、やわらかさを感じます。この、やわらかさが何とも言えず不思議。どうしてやわらかいと感じるのかなぁ…。女の子の集まりだからかなぁ。
途中で、研修生さんの一人が、会社であった出来事の1つを語ってくださいました。でも、彼女の伝えたいことを日本語にするのは大変な様子で、ベトナム語でつぶやいて首を傾げて、そして「Mamoさん…ちょっと…むつかしいね」と言いました。私は彼女を見て、もう少しベトナム語を知っていればなぁと感じました。
心の事をベトナム語で語れるようになりたい。またまた、勉強しようっと。 楽しく生きる材料は、あればあるほど、いいのです。
センノカミキリ とても大きかった。 太ももまで上がってきたけれど、“何か違うゾ”と感じたらしく、しばらく静止していました セスジツユムシ ナガメ(カメムシさんだった…) ショウリョウバッタモドキ シマヘビ・体調1メートルくらい アワブキとヒョウモンマダラ蝶 ゴーヤのくるくる 自然栄えのホーズキ
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