「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2006年10月15日(日) 嬉しかったこと

 今日も楽しいことがたくさんありました。
特に、新しく感じたことがたくさん。

一つ目、このところ、以前の職場のお友達とメールで語り合っていたのですが、その方が、「自分は今、子育てをしているけれど、本当は親に甘えたかった・今でも甘えたいのだと気付いた」というメールをいただいたこと。どなたかが自分の何かに気付かれる瞬間は素敵に見えます。私は彼女の足を引っ張らずに済んだのかな。少しお手伝いが出来たのかな?と感じられました。
二つ目は、ベトナム人のお友達から、彼女のお腹に、新しい命が宿ったとお聞きしたこと。
三つ目は、積極的にするということを実感できたこと。

そして四つ目は、今日のメイン。
皆と一緒に野球をしている自分の心が、Gobamcanチームが出来た頃に比べると、成長したと実感できたこと。そして私の成長は、私が当時の自分を見つめ変えていこうとして動けていた結果だな、と感じられること。

先を見ていこ。明日もやさしくすることをしよう。

Baseball へ行ってみよう。


2006年10月14日(土) 性を受け入れていくこと

 10月10日にあった、性同一性障害のドラマ『私が私であるために』を見ました。
ドラマの中で、医者は、生き延びるための方法を模索している彼女達に、「あなたはホルモンの以上からくる病気であり、性転換手術をするのがいい」と伝えました。根底を見つめる方法が知らされていない為に、体の働きを、心を通して見られない社会であることが残念でした。
 それから、当事者の一人は、既に性転換手術をしていました。性転換手術をしていない友人の事を「…でも、あの子はまだ男なんだ」と言い、主人公も、性転換手術をする決意をし、家族は同意しました。
 私は、自分の体の動きを他の力で変えられない。自分の持っているものを作り変えてしまうのは、自分の体を、つまり自分自身を否定するのと同じではないかと。心に否定があったら、体の働きも崩れてしまうように感じられてなりませんでした。
 
当事者を演じている方から、
「なりたい自分になるために」「わたしがわたしになれたなら」「私がほんとうの私になれたなら」
という言葉を聞きました。
捉え方の違いはあるけれど、
私も、なりたい私になるために、出来ることを楽しんでいこう。


2006年10月09日(月) ひつじ雲

 藤前干潟へ釣りに行きました。
 
 干潮で潮が引いた干潟に下りるとトビハゼがぴょんぴょんとんでいました。すばしっこいですが、つかまえてみたらハゼと同じ顔かたちをしていました。それと、今日は少しですが、しじみ貝が採れました。
ところで、魚果は(と言うらしい)…この間は2匹も釣れたのに、今日はゼロ匹。「当たりがよくなかったねぇ(と言うらしい)…」。
最後にきれいな夕焼けを見て、お友達の釣ったハゼと蜆を持って家に帰りました。
 ハゼさばきも3回目ともなると、遊びの余裕が増してきました。
切る前にひっくり返してみたら、ハゼの胸鰭は吸盤になっていて、壁にくっつくことが出来るそう。それに、ひれ呼吸をすると、透明の胸鰭が丸く膨らんで風船みたいになりました。切り落とした後のお頭が動いているのを手に持って眺めたり、何分動いているのかと時間を計っていたのに、時間を計っているのを忘れてほかしてしまいました。
ハゼってかわいい顔をしていますが、家で飼うことも出来るのです。でも、今日は頭を切ってしまったから、飼えません。トビハゼやハゼはベトナムにも居て、ハゼは食用に使われているそうです。


明日は仕事。
嘘やごまかしは、どんな小さなものも、取り繕うとした分だけ、その空気が伝わってきて悲しいです。私はいつも自分に正直に生よう。


「きれいなひつじ雲」


2006年10月08日(日) テント張り

運動会

 子どもさんたちはいつもよりも輝いて見えました。皆さん足が速いです。一生懸命は知っている姿を見ていたら、私も走りたくなりました。
そして私はムカデ競争へ出ましたよ。

それにしても、応援しすぎて声がかれてしまった。

 一番面白かったのはテント張りです。トラックから下ろした長い鉄のパイプは重かった…。しかし、この棒がここで、いや、こっちがこっちでと動いているのが面白くて…。
骨組みを完成させて、屋根に白い布をかぶせたら、本当にテントになり、いつも素振りをしているホームグランドに、みるみるうちに白いテントが並びました。



2006年10月07日(土) すなお

 育成会
 早めに出かけて草や虫さんの写真をとろうとしましたが、風邪が強くて被写体がじっとしていてくれませんでした。でも、お散歩は気持ちがいいから好きです。時間ぎりぎりまで自然を楽しんでいました。

 午後の部では新しい方がこられたので、初めの頃に聞いた話をもう一度聞くことが出来ました。それから、若い方の言葉はいつも新鮮です。
ついついいろんなことにエネルギーを使っている私。
今までのものはおいておいて、別の考え方を取り入れて生きよう。
大人の私も、素直に純粋に、ありのままを生きようと感じました。

 


2006年10月04日(水) 休日

 お休み
 ルームメイトと一緒に、家の敷地内に植えられているキウイを支えるための支柱を作る・お手伝いをしました。買い物に行きながら言葉遊びをしたり、お店のトラックを借りて荷物を運んだので、トラックに乗ったりして楽しかったのです。
Baseball へ行ってみよう。 


2006年10月03日(火)

 私たちはいつも、心で語っているのだな。
その人のその時の、心の状態が、その時の言葉になるのだな。
人の心はいつも一定ではなく、常にいろいろなことを感じているのだな。
だから、例えばひとつの言葉で、その人を決めるのは違うのだな。

私も、いろいろなことを感じるのだな。
だから、私の見ている私は、私の一面なのだな。

心で捉え、心で語ることを意識していれば、自分に心地いい会話を続けられるのだな。
いつもどんな時も、自分に心地いい言葉を選ぶことを続けられたら、
「心で語る、やさしい日本語を使える私」を持続できて、誰の目にも見える、私の人間性になるのかな。

Baseball へ行ってみよう。


2006年10月02日(月) スタンス

仕事 
 園長から、「来年の旅行の積み立てをしますか?」と聞かれました。
私は、「うーん…しません」と答えました。すると園長は、じぃーっと横目で私を見て、やれやれ…という表情をして、「一緒に行きたいんです」と言いました。
園長の言葉に嫌な気持ちはしませんでした。
けれど、私にとって、嫌な気持ちがしなかったことと積み立てをするかどうかは別のものなので、「考えておきます」と伝えました。
園長はもう一度、今度は手振りを入れて、「私たちは、あなたと一緒に旅行に行きたいんですうっ」と言いました。
私はくすくすと笑って、その場を離れました。





2006年09月28日(木) 自分を楽しむこと

 自分を楽しんだ一日。

 午前中、会議室でほけんだよりを作っていたら、保育参観にこられたお母さんお父さんが集まってきました。パソコンを打ちながら、耳は皆さんのほうを向き、面白い話題にはついつい笑いが出ました。
「どうして保育園へ?」という質問を受け、「以前、皮膚科にいた頃、通ってこられた子どもさんに興味がわいて…子どもさんから学ぶものがたくさんあります」と話をした。それから、ついでで申し訳ないのだけれど、「私はいつも、何が出来るのかなぁと自問しています。もっと、こうして、とか、これは何?とか、意見があったら是非知らせて下さい。私も成長できるから…」とお願いしました。
 話をしていたおかげで、キーボードを打つ手は止まっていましたが、今日始めて、園の指示の元ではなく、私という一人の人として、保育園にお子さんを預けるご両親と言葉を交わせたような気がした。

 午後は、保健部会へ。
いくつかの質問を準備して出かけました。質問するときに、分かりやすく語ることを意識しました。
ヒヤリハットについての質問の為に、現場の状況の説明をしているうちに、まとまりがなくなり、「…何が言いたいのか分からなくなりましたが…」と言いながら、ぐるぐると巻き戻して原点の質問に戻り、「あーよかった」とつぶやいてしまったり。語っているうちに、楽しくなって、ついでに笑いもあったので、今日の保健部会はいつもより和やかに見えました。
保育士さんの一人が「医療の言葉が難しい」と語りました。
病気の事を説明するときに、分かりやすく伝えるにはどうすればいいの?」を自問している私の心とリンクしました。
「専門の知識を持ったものが、一般の人に、持っているものを分かりやすく伝えられるようになることが出来れば…。もしこれから保健部会で、新しいマニュアルを作る計画があるのなら、よりやさしく分かりやすく纏めていくことが、専門の知識を持った私の課題だな、と、今感じました」と伝えました。

 分からないことを分かるまで尋ねて、聞いたことは丁寧に吟味して。
丁寧に尋ねると、丁寧な答えがいただけると感じました。
そして、自分を遊んでいる自分が面白かった。
いつも、自分に好奇心いっぱいの私を大切にします。


2006年09月27日(水) 教えられたもの

休み。

 朝からゆっくりと過ごしていたら、この二日間、職場で大きなエネルギーを使っていたことを実感した。
それから、辞書を横において、新聞を読み砕いていたら、左手の第1.4.5指がぴくぴくと痙攣してきた。頸にヘルニアがあるから、左手はいつも、感覚が鈍いけれど、目に見て分かるほど痙攣するのは初めて。
このところ興味深く読んでいる新聞の、細かい字の読みすぎとも言える。それから、私は緊張すると左側に力が入る。この数日の職場での緊張を思い返すと、体に力が入っていたことは容易に想像できた。これもバロメーターだ。一日ゆっくりして、心を回復させよう。
 1時間経っても、ぴくぴくが収まらない、しかも目に見て一目で分かるくらい。もう一度、どうしようかと考えた。以前から、シビレを取りたくて、「体を動かしてほぐすこと」を実践していたから、「運動してみて治まらなければ病院へ行こう。」とした。
 公園に行って、体操して運動した。ぴくぴくは治らず、小刻みに震えて気持ちが悪い。ついに頸の手術の映像を思い浮かべてしまった。続けば一日気分が沈む。
と言うことで病院へ。レントゲンを撮ったら、「首が普通の人より長いね、でもヘルニアは今はきれいだよ」と言われた。MRIを撮っていないから詳細は分からないけれど、ないと言うのなら、「ストレスから」と言ってもいいのだ。「疲れてたんだなぁ…」。「教えてくれてありがとう、自分ちゃん」。

 午後、O塾裁判の傍聴に行った。
裁判所には、若い女性を含めた9人の弁護士団と、O塾側の弁護士一人。それから裁判官が3名と書記官。私の使った法廷よりも大きくて、マイクつき。ちょっぴり懐かしい気持ちもした。
被害者側も被告側も、当人は欠席だった(と、思われる)。
裁判が始まると、お互いに提出した書類の確認をして、約7分で終了した。
あまりの速さに、驚き。傍聴者として、傍聴者の雰囲気に慣れた頃、終了してしまった。判決は12月7日。3ヵ月後だ。原告の正しさは、法律を下にどのように証明されるのかな。興味深い。

 明日は仕事だ。明日も、自分のスタンスを持って生きたい。
でも、今は、自分を伝えるのに、大きなエネルギーを使う私なのだ。
だから、自分の心と相談し、心に添って生きよう。
どんなことも、興味を持っていたら、疲れることなく進んでいけるのだ。
私は、自分を遊べる大人になろう。

 国へ出す署名用紙は、その中身に、私の捉え方とは違う部分があるので、署名するのをやめた。
いつも、心が基準だ。このスタンスを大切にしよう。
ちなみに、今は、新しい内閣になって、何がどんな風に変わるのか、興味深い。
心を大切にされる社会が出来ればいいな。


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