「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2006年11月04日(土) |
シンプルにニュートラル |
育成会。 午後の部で、「存在」について語り合いました。 今回は資料が多くて中身も難しいから、どこか一部を利用して…という気持ちは持っていたのですが、皆で読み始めてから、私の想像以上に語り合うには難しいのだと分かり、少々あせりました。 しかし、いつもニュートラル。「流れで行ってみよう」という気持ちになり、その後は、皆さんが語ってくださったものと、ニュートラルの自分の心に浮かんできたものとをあわせて、繋がったなぁと感じました。 けれども、おそらく教材というものは、シンプルにした分だけ、伝えやすく伝わりやすく、分かりやすければ分かりやすいほど、自分に置き換えやすくて、語り合いやすいのだと実感します。
次へのステップにしよう
今日は、1歳の赤ちゃんが、下痢があって病院へ行ったけれど、感染症を確かめるための検査をされずに原因不明のまま登園してこられました。クラスの主任さんから、そのお子さんのノートに、「Mamoちゃんから“集団生活に影響するから検査をして”というコメントを書いて、看護師Mamoと名前を入れて」と指示を受けました。 ところが私は、指示されたことを書こうとしても言葉が浮かびませんでした。なぜなら、そのお子さんは、診察を受けた結果に検査をされずに登園してこられたので、責任があるとすれば医師のほうではないかと疑問が沸いたのです。そして、書けるとするなら…と考えて、問題になっている感染症の病状や経過の説明を書きました。 午後は、保健職の研修へ。乳児の頭部外傷の勉強をしてきました。 よちよち歩きの赤ちゃんであっても、就学前の活発なお子さんであっても何をしていても、予測の付く怪我はありません。よりリスクの少ない配置と、事故が起きてしまった後の動き方が大切だなぁと実感します。
夕方、欲しい本を求めて本屋さんへ行きました。 目当ての本はありませんでしたが、先日テレビで見た「太田総理」や「格差社会」についての本があり、興味を引きました。 家に帰ってから、『赤ちゃんはどこから』の一説をもう一度読みました。 子どもは本来、自分のからだが大人のからだに変化していく感覚を、自分で感じ受け入れながらおとなに育つ必要があります。 私も、今、少しずつベールを溶かしているところです。 そして、もう1つ、今はいつも、過去とはちょっぴり違う心の変化を、感じて伝える練習をしているところです。
今日は子育て支援センターへ。 この頃は、規定の開始時間前から来られる方も居て、みなさん楽しみにされているのだなぁと感じます。 それに開園当初に比べると、センターの中で顔見知りのお母さん同士も増えてきて、和やかなペースが出来上がっているように感じられます。 お母さん同士はお話をしておられ、私は傍に来た小さなお子さんと遊んだり、時々、お母さん方と語り合い、保育士さんはご自分の持っている歌や手遊びを披露しています。この何気ない空気が、限られた世界で子どもさんと過ごしているお母様方には、リフレッシュタイムになっているようです。過去の自分を振り返れば、その気持ちは、十分理解できました。社会には、こんな空間があってもいいのかもしれません。 そして、この中にやさしい日本語が飛び交えば、やさしい空間が出来上がるのだなぁ、なんていうことも想像しています。
夕方には、他の保育士さんと会議室で雑談をしました。心の勉強を始めて、自分が無いことが分かってからは、意図的に自分を語ることをやめていました。今日は過去と同じ事をしたのかそれとも自分が軽くなったのか。 分からないけれど、新しい生き方を求めている私。新しい方法で、社会と関わっていきます。 私の新しい生き方は、そこに居る自分を感じて生きること。 明日もゆったりをつなげよう。
Baseball Go!
今日は、今週の週計画にある、グループでのカンパ活動をお断りしました。 昼間、赤ちゃんクラスの保育の打ち合わせがあり、若い保育士さんに何か困ったことがないかと聞かれました。私はいつも、伝えることがないのですが、他の保育士さんが語っているのを見ていたら、私は何も浮かんでこないのだけれど、いいのかなぁ?と疑問がわきました。でも、困ったことは困ったときに尋ねて出来る範囲で動いているから、何も無くてもいいのでしょう。それに、あっても無くても、どっちもいいのです。 打ち合わせの後、パートの保育士さんから、「私はある人の言葉にいつも傷ついていて、苦しくてやめようかと思うよ。でも、ある人の言葉に傷いているということを、当人以外の人に言ってもいいのかどうか分からない。伝えられた人も、他の人の事を言われても困るんじゃない? でも私は苦しいからやめたくなるよ。Mamoちゃんはどう思う?」と尋ねられました。私は「ここに居るのがつらかったら、仕事をするのに大変ですよね」と伝えました。保育士さんは「そうだよね」と一言いいました。 夕方、大型バギーで散歩へ行きました。いつものように保育士さんの後ろを歩いている自分が、いつもとは違って見えました。いつもと同じ景色を見ているのは私。その私は、いつも前を歩いている保育士さんの歩幅が基準ではなく、自分の感性を基準にして、自分の足並で歩いていました。私と保育士さんの距離は縮んだり離れたり、右と左に分かれたりしました。 いつもと同じ道を歩いている私の目に、バギーに乗っている4人の赤ちゃん達の様子がいつもに増して、はっきりと感じられました。 「私は、今、ここに存在しているんだな」と、嬉しくなりました。
「われ、ここに在り」
Baseball へGo!
| 2006年10月29日(日) |
生きている・それだけで。 |
休日。 集めた新聞の切抜きがずいぶんたまってきたので、整理して保管しなおしました。 過去のものを読み直してみると、同じ記事でも、前回読んだときとは違う感じを持ちます。「何でこんなの置いてるの?」と笑えるものもあります。きっと、その時持っていたものの中で選んだものなんですよねぇ。 それにしても、世の中にはたくさんの情報があります。新聞を読んで、「へぇ〜」と感心する時、何ともたまりません。もしかしたら、知らなかったことを知ることの喜びかな。そうかな…。うん、きっとそう。素敵素敵…。 残した記事は、私のこれからの人生に役に立つと思われるものです。 いつか本を書くときに、使えるといいな。
午後は、春日井市のMさんご夫婦のお宅へ遊びに行きました。 そして、プラスもマイナスも他者に広がる。プラスの自分が居れば、プラスが広がって、自分にも他者にも心地いいと語り合いました。 プラスはプラスを引き出して互いに成長し合える。ということは、人間は他の存在と互いに影響しあって生きている、と言うことになるのかな…。
それから、二つ目に、「生きているのだから」という言葉が出ました。 本来そこに居るだけでいいはずなのに、大人はいつも、何かにせかされるように生きています。 生きているだけでいいのにね。生きている・それがいいのにね。
『赤ちゃんはどこから?』の本には、「女の子の体は、何年もかけてゆっくりと変わっていく」と書かれています。(男の子も同じかな。) ということは、過去の自分に「やさしい性」を語ってあげている私も、自分の中にあるやさしさが、心に浸透し、そして細く長く持続し、やがて“私自身のやさしさ”に育つまで、この取り組みにたくさんの時間を使ってあげてもいいのでしょう。 そして、心に浸透した分だけやさしくなれるのだから、今は毎日、過去の私に分かるやさしい言葉を選んであげながら、サクサクと自分を変えていくのがいいです。 今、私はこんな風に感じています。 私はどの時点から肯定される必要があったのか。 それは、私が胎児として、この世に存在したときからです。 私の体のどの部分も、私の命のためにある、きれいで大切なものです。 大切に大切にします。
ところで、一昨日10月24日の、保育士さんとの出来事は、後から振り返ってみると、何とも自然で心地よいものでした。 交わした言葉を振り返ってみるたびに、心がフワフワしてまるで地面に足が付いていないような感覚になり、「大切にしたい」という気持ちになります。こんな気持ちを表す言葉を捜していて、ある方のHPに書かれている「至福の時空」という言葉にたどり着きました。 私は、一般社会の方との関わりの中で、素敵な時空を味わえた事を嬉しく思います。 自分の苦しさを知った頃からずっと探していた「お金や物には変えられないもの」とは、こんなところにありました。 肯定しあえる環境があれば、人は育ちあうことが出来るのですね。
明日も、自分をつなげて生きます。
持続とは、小さな“次”を重ねていくことのようです。 自分の“今”を丁寧に生きていると、自分も自然にまとまってくるもののようです。
自分は繋がっているのだから、過去のチャイルドも繋がっています。 そして、丁寧に見つめていけば、もっと繋がってくるはずです。
お休み。 野球へ行く前に、庭に出て遊びました。今は、放りっ放しだったトマトの受粉を丁寧にしたおかげで8個のトマトがなっています。これから寒くなるけれど、どれくらいまで育ってくれるか楽しみです。 それから、ルコウソウの種を少しだけ回収しました。今年のルコウソウは、去年の種が自然に芽を出した分があり、庭の広範囲に広がっています。これから広がったところで種を落とすでしょうから、来年は又違った場所から出てきそうです。 ちなみに、ルコウソウの種は朝顔のような殻に入っています。殻ごと採って手のひらに載せて、“ふぅ〜”っと吹いたら皮だけ飛んでいき、種が残ります。 種が飛んでいかないように、やさしく“ふぅ〜”っと吹いてあげるのが、みそなのです。
野球から帰った夜、帰宅途中で買ってきたものを無造作に冷蔵庫に入れ、テレビのスイッチをぱちんと付けました。それから、じゅうたんの上に足を投げ出し、テレビの野球中継を気にしながら、うどんのおつゆをすすりました。 こんな自分の動きを見ながら、「これは私なんだ」と自分に確認している自分が居ることに、「あれ?」と感じました。
運動して疲れた体を投げ出すようにして食事をしている自分。 私は今まで、こんな自分を別の自分と見ていたに違いない。私とはいつも同じではなくて、いろいろな動きをしているのだ、こんな私も私なのだ。私は今までと違う見方で自分を見れるようになってきたのかもしれない。 これからも、野球のボールをキャッチしに行くように、自分を知りに行きましょう。
Baseball へ行ってみよう。
休日。 小牧市のお友達のところへ遊びに行きました。お友達のお宅で少し話をした後、一緒にバッティングセンターへ行きました。お友達は野球を始めて日にちが浅いのですが、力強くパワフルなボールを飛ばしていました。 小牧市を後にして、春日井市のお友達のお宅にもお邪魔しました。二人で肩を並べて話をしました。久しぶりにお会いして、何とも柔らかい不思議な空間を味わわせていただきました。又いつか、お話できればいいな。 帰りに、守山市の小幡緑地へ寄って、以前から登ってみたいと思っている木を確認してきました。今年の6月に来た時には葉が茂っていたせいか、太くて大きな木に見えたのですが、今日は葉っぱが落ちて前回よりも登りやすくみえました。それでも、周囲の木の中では一番高い。そして、やっぱりてっぺんまで登ってみたい。 ルームメイトにロープを借りて、今年中に登ってみようっと。
夜、自分に正しい性のお話を伝えてあげるというアイデアを実行しました。 『赤ちゃんはどこから来たの?』の本を縮小コピーして小さな本を作り、自分にプレゼントしました。この取り組みは、以前からしたかったことの1つ。ようやく実行にいたりました。自分育ての1つです。
持続とは、小さなプラスの積み重ねです。ほんの少し・小指の先くらいでいい。私は今日から、改めて、明日につなげることを意識します。
噴水の虹
休日。 知多市で、一面にコスモスが咲いている場所を見つけました。「コスモスカーニバル会場」と案内がありました。 コスモスの中には、花びらの直径が11センチもあるものがあって、きれいでした。コスモスの脇に、緑色の葉が植えてあり、みずみずしくておいしそうだったので、かじってみました。味はイタドリに似ていたけれど、後味の悪さが残ったので、道中の無人八百屋さんで買ったイチジクで口直しをしました。 それから、稲狩りの終わった田んぼに行って、イナゴが居ないか探してみました。 1匹2匹はすぐに目に付きました。目の前でピョンと飛んだイナゴは、私のイメージの中で、すぐに“骨=カルシウム”に変わりました。早速袋を持ってきて、イナゴを追いかけました。 途中から、ヌスビトハギが服のあちこちにくっついて、イナゴどころではなくなりましたが、それでも、全部で18匹。 イナゴ捕りは小さな願望だったので、ちょっと嬉しかったです。 捕まえたイナゴの中に、交尾をしているイナゴも居ました。昆虫の交尾を見るのは初めて。全ての生き物は、子孫を残すために交尾をするのですよね。 でも、見ているうちに「もうすぐ食べられてしまうのに」と、かわいそうになっちゃった。
Baseball へ行ってみよう。
 
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