「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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| 2007年01月07日(日) |
ひとつ・ひとり・いっしょ |
朝一番、車やさんへ行き、車の調子を見てもらいました。エンジンが古くていけないです。新しいオイルを入れてくださったので、よく気にかけて点検してあげようっと。ちなみに昨日はガソリンスタンドで車のタイヤのAirを補充しました。車のタイヤの空気も自転車と同じように入れるのです。スタンドのお兄さんは親切に入れて下さろうとしたのですが、お願いして入れさせてもらいました。 帰りに、姉へ手紙を出しました。どこのポストに入れても同じなのだけど、家から一番近いポストを選んで入れました。 午後は、たまっていた新聞記事をScanして整理しました。前から気になっていたことが出来ていくのは嬉しいですね。 夕方は部屋の中でボール遊びを…。これが以外に面白くて、Myブームになりそうです。
夜、図書館で借りていた「からだ」の絵本を見ました。もともとは、保育園の子どもさんと話をするときに使えたらと思って借りたものですが、人の体って本当に全て使うためにあるのだなぁと感心しました。 2月の子育て支援で担当になっている時間に、私たちの体がどれほど神秘的なものかを語ることが出来たらいいな。どなたも持っているからだのお話・・・。ワクワクしてきました。
看護婦さんをしていた自分。保育園で働いている自分。 きっと、今ここで私自身が心から楽しみながら、体のこと病気のこと・生きる力があることを語れた分だけ、看護婦として生きていた私と、心を大切にする私がひとつになる、そんな気がしています。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
育成会
午後の部で、ルソーの著作『エミール』をもとに語り合いました。 ルソーは、子どもにとって、自然が教師なのだと語っています。私は彼の244年前の言葉に心から共感します。自然という見本は、人間の手よりもうんと大きくて無限大です。そして私たちは、その果てしなく偉大なものに、とけ込み寄り添い利用させてもらえたら、いつもやさしく成長し、やさしくいのちを閉じていくのだ、と確信しています。 少し話はそれますが、始めに見たDVD『保育園が足りない』の中では、夜中の3時にお迎えが来るお子さんが居たり、都心のビルの屋上に、保育園が建てられていました。空は幾分近くなったかもしれないけれど、感覚で生きている小さな子どもさんがプラスチック製の変化のないおもちゃの中で生かされていることに大きな疑問を感じました。今、保育園の需要が追いつかないほどの勢いで女性が社会に進出し始めたのは何故なのか。社会が求めているのは、人の心からはかけ離れ、自然な生き方とは逆のもののように感じられてなりませんでした。 職場で子どもさんの動きを見ていると、お金やものよりも大切なものがすぐ傍にあることに気付かされます。社会に、子どもや母親に対する小さくて狭い基準や評価がなければ、親は、子どもの成長を見るのは何よりも素敵なもののはずなのです。私は今、大切なものを知らない大人に育てられた子どもさんが・私の子どもが苦しんでいたのだと分かります。 今朝のテレビ放送で、学校でのいじめが原因で自殺された子どもさんのお母さん・二人のご様子が映っていました。一人のお母さんは、「子どもが、いじめられてることを私に言えずにいたということは、私も加害者の一人なんです。だからいつも子どもに謝っています。そして、今生きているたくさんの子どもさんにも、こんな社会にしたのは自分達の責任だと、ごめんねと謝り続けたい気持ちでいます。今は学校により多くの情報を提示してもらえるよう、二度と同じことが起こらぬよう社会に働きかけています/」と語っていらっしゃいました。私が過去、子どもの心に気が付くことができなかったのは、自分自身に心があることを知らなかったからです。そして、今ここに記していける自分を大切にしています。
午後の部の終わりに、ある方から、Mamoちゃんの日記を利用させてもらっていると言葉をかけていただきました。私は嬉しかった。毎晩自分を見つめているのは、過去に生きていた乱暴な私ではなく、丁寧にやさしく自分を生きようとする私。その、今の私を、ご自身の成長の為に利用して下さっているように感じられ、その場で鼻が赤くなってしまいました。そして今は、ちょっぴりこそばゆい気持ちがしています。 今、私がこの二つの目で見ているのは、遠い昔に過ぎた過去ではなく、これから広がる未来。
いつも、未来を見て今を生きていれば、大丈夫。
今日はGobamcanに野球メンバーの一人が初練習を兼ねて遊びに来てくださったので、おなべを囲んで話をしました。今日も叉いつもと少し違う雰囲気の中で、いつもと同じくらいに中身の濃い楽しいひと時でした。 そういえば、私は過去、人と関わったあとには、いつも疲れを感じていました。特に女性と1対1で対面で語りあう時には、話の途中で緊張している自分を感じて話をするどころではなくなっていたり、それは大変なものでした。こんな時、本来の自分を忘れていたことも多いだろうと想像します。 本来の自分を意識することは、私の変わらぬ課題です。これからもやさしく成長していくために、大切なテーマなのです。
ところで、日中も少し話をしたのですが、本日の朝日新聞には、昨日に続き『ロストジェネレーョンと言われている若い世代』の人々の生き方の一面が載っていました。昨年の「団塊の世代」といわれる方々を見る視点から変わって、今までとは少し違うところを見ようとしているようにも感じています。ですが、新聞の記事は、記事を選んだ方の主観で載せられるのです。そしてたくさんの情報の中のひとつ・「点」。点を集めることは自分の為にプラスです。
長い冬休みが終わり、明日から仕事です。この冬休みは、名古屋へ来て最も、一人遊びを楽しむことが出来た休みでした。とにもかくにも楽しかったのです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
| 2007年01月01日(月) |
Chúc mưng Năm mơi ! |
新しい年が始まりました。 2007年は、プラスの自分を育ててきた私にとって、これまでより少し大きめのステップを踏む、意味のある年になる予定です。
年の初めの今日、ステップアップの中の小さなステップアップを兼ねて、死の準備の為の書類を1つ作りました。書類は、私が死亡した後の処理をお願いするものです。実は、この書類は姉に向けて郵送する予定なので、郵送するに当たり、何年かぶりに手紙を書きました。何を伝えようかと言葉を捜しているうちに、子どもの頃の事を思い出しました。私は子どもの頃にも、今日と同じように姉を脳裏に浮かべた遺書を書いていました。当時は、辛さの中で書いたものですが、今は自分のやさしい未来の為に書いています。過去と同じ事を全く違う視点でしている自分は、生きているんだなぁとしみじみ感じました。昔々、姉の恐さに怯えていたのには、母の暴力に怯えていた私がいたからでした。
夜、06年12月10日に放映された「自殺者3万人」の録画DVDを観ました。自殺未遂をされた当事者や夫に先立たれた妻の女性の語りを聞きながら、司会の方がいくつかの質問をしていらっしゃいました。その質問の内容は、私の視点とは違っていました。それでも、それぞれの心の状態が根底にあることを前提にして、そして、生き辛い世の中がそこにあることは分かりました。私はマイナスの社会にプラスを探せる自分を意識します。
年の初めの朝日新聞の一面には、『ロストジェネレーション』という見出しで、バブル最盛期に生まれバブル崩壊で就職難の時期に社会に出た若者(25歳から35歳だそうです)の生き方が載せられていました。紙面に載っていた方々は、「社会とはこんなもんだ」と現代社会に見切りを付け、会社や世間を当てにせず自分の生き方を大切にしているという内容でした。私には、彼女達の生き方は、軽くあっさりしているように見え、又は、冷静さとあきらめに似た気持ちが混ざりあっているようにも感じられました。どちらにしても、人の生き方はさまざま。自分が自分を楽しむことが大切なのです。私も今年一年、昨年と同じくらいかそれ以上に、私を大切にして生きます。 ちなみに昨年の夏ごろ、私は自分の為に、「自分が変わろう」というテーマを持ちました。2007年の年の初めのテーマは、「持続」です。持続のカウントは今日で2個目なのです。とりあえず8個つなげてみよう。8個たまったら、ドレミファソラシド〜♪だから。
HPを少し修正しました。新しく入れたものは、過去に書いていたものなので、読み返してみると違和感を感じる部分があります。でも、これも私の足跡なのです。
| 2006年12月31日(日) |
2006年見つけた豊富 |
2006年最後の日。 私はいつもと同じように、自分の心に感じたものに添って動いていました。仕事がない分動きやすく楽な一日でした。
今年もあたらしい事をたくさん経験しました。 まず、裁判を起こしたこと。 それから、保育園という違う世界を知ることができたこと。 野球でヒットを2本打ち、ピッチャーとキャッチャーを経験しました。 年の暮れには空手を再開しました。来年も続きます。 遊びの中で怪我もしました。ギプスを巻いて車椅子に乗り、いつもと違う世界を知りました。 そして今は生き物はカブト虫を飼っています。 そして昨日と今日は、こんなに楽しんだのは初めてというくらいに年賀状つくりを楽しみました。それからそれから、一人遊びも上手です。
どれも皆、新しい私のプラスの人生です。 一年間よく遊び、よく学びました。 今感じているのは、動いた分は形になり、動いた結果を見て、さらに自分を広げていけるということです。私はこれからも成長します。
プラスの自分のカウントは昨日から始まっています。 来年も素直にシンプルに、自分を開拓していくのです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
**楽しんだ年賀状の背景も載せてみよう。少し前の絵だけれど…。**
冬休み二日目。 車の調子が悪いので、午前中にオートバックスへ行きました。でも、原因はつかめず、年明けまで、待ちです。帰りに戸笠公園で運動をしました。私の体は、運動が足りないとき、「運動したいよ」と私に伝えてくれるのです。今日のようにお天気がいい日は、特に全身で伝えてくれるので、今日も又、お日様を浴びて骨を強くしてあげることも出来ました。
午後は、名古屋へ着てから初めての年賀状を書きました。 年賀状については、名古屋へ着てから、それまで当たり前にしていたことの全てが不必要に感じて年賀状も止めていたけれど、今年は自分がここに生きていることを人々に伝えたくなったのです。自分の中のこのような変化が面白いです。そして、古いお友達の事を思い出して懐かしく感じられる自分もいいです。ですから、年賀状つくりは過去にもしたことがあるけれど、新しい私の新しい動きなのです。 ちなみに年賀状作りも、今はパソコンで出来るから以前より楽しくて楽ですね。メールでも年賀状を送ることが出来るのですねぇ。いいですね。
時間はいつも動いているのだなぁ。そして、ゆっくりでいいのだなぁ。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
2006年最後の仕事。
午前中、50代の保育士さんから、「Mamoちゃんの子どもさんはいくつなの?」と聞かれました。 心に、小さな波が立ちました。先日子どもがいることを語ると決めたときから、いつか何かを聞かれるだろうと想像はしていました。自分の語った言葉に責任を持てる自分を意識していようとも決めていました。私の生き方について、どんな言葉が返ってきても、対峙できる自分を育てようということです。そして、早くもやってきた第一弾。 ところが私は、3年半前に分かれた子ども達の年をいつも思い出せません。(たぶん…)「小学生」と答えると、次に「年に何回かとか会ってるの?時々会えるの?」と尋ねられました。私は、会えないと伝えることで、自分の弱い部分を刺激してしまうような気がして、会えないとは言えませんでした。とっさに、「状況が許せば…」と答えてしまいました。保育士さんは私の事実とは違う解釈をされました。今の時代は、母親が子どもと離れて暮らすとは考え辛い世の中なのです。私は訂正をしませんでした。 そのあと、「私はネ、子ども達に “お母さんはもっと、あなた達の心を分かるお母さんになれるよう勉強してくるから待っててね ”と約束をして分かれてきたの」と伝えました。 保育士さんは少し黙って、それからうーんとため息のような息を漏らして、「そんな難しいことを…」と言いました。ところが、その時私の脳裏には、3年半前に子ども達と約束してきたことは、おそらく可能なのだと、プラスのイメージが沸いていました。ですから、保育士さんには、「出来るか出来ないかは別にしてネ。そしてたぶん、出来た分は出来るかも」と伝えました。保育士さんは「へぇーっ」と言いました。 その後は、「子どもさんは何人いるの?2人くらい?」「う〜ん、そこはまだ内緒にしておかせてね。きっとびっくりすると思うから」「え〜っ、まさか5人くらいとか…」(近いなぁ…)。 昼休み、車の中で子ども達の事を思い出しました。二つの目に涙がたまり、あふれて落ちそうになりました。でも、今泣いている自分を続けていては、私は現実から遠のき子ども達との約束さえ忘れてしまうかもしれません。だから、現実を見ようと自分に伝え、心を新たにして午後の仕事へ行きました。もちろん、約束を果たすことは目の前の目標の1つ・点の一つです。そして私は自分の人生の為に、現実を見たいのです。
退社して家に戻ると、中日新聞の方がGobamcanの取材に来ていらっしゃいました。 私も同席させていただいて、質問されるままに、裁判のこと、自分の動き、今の自分になれた経緯を語りました。ジャーナリストは、私の子ども時代と私が子ども達にしてきたことについていくつかの質問をして下さいました。私は、私がどれほど子どもを大切にしたくても、自分が生き辛いままではどうにもならなかったこと・そればかりか傷つけてしまうことがたくさんあったこと。根底は自分が子どもの頃心に受けた傷を抱えたままの大人であること・そして、心の傷を癒やしていけば大丈夫なのだということを語りました。それから、誰にも自分の人生を語れるような生き方をしたいとも。 ジャーナリストは、連鎖という言葉を使ってうなずいておられました。 それから、ファシリテイターとして育つということについて、「こういう場合(育ちを手伝う場合)、出来ているうちはいいけれど、そのうち、自分の思うようにならないと、ついつい、何やってるんだという言葉が出てきますよね」と仰いました。 私も過去には子ども達に同じことを感じ傷つけてきました。そして、今の社会には、同じような言葉が飛び交っていることもわかります。ジャーナリストの言葉を聞きながら、私はプラスの自分の感じたものを大切にしようと自分に伝えました。
社会の動きの話では、ジャーナリストは、「自分達は弱い人の意見を吸い上げて社会に伝えることが仕事です」と仰いました。私は「吸い上げる」という言葉に「理解する」とか「取り入れる」とは違うニュアンスを感じて好感を持ちました。 ストローでジュースを吸って飲む様子を想像すると、「吸い上げる」というのは、自分で吸いあげる。自分が飲もうとした分だけ上がってくるのです。ですから、ジャーナリストとは、社会の底辺に居る私達の言葉をご自分の心に添って吸い上げて下さって、伝えきれない私たちの代わりに代弁して下さるということのように感じられたのです。私達の言葉を聞いてくださるときには、上からでも下からでもない私たち市民と同じ位置で、その方の基準に沿って動いてくださるということのようにも感じました。記者というお仕事をされるときには大切なものなのだなぁとも感じました。
夜、一人自室で、「机の配置が変わってる」と言っている自分に気付きました。よく気が付けた。すぐに気が付けた自分を認め能力にして、「何が間違っている?」と自問しました。 間違っているのは、机の配置が変わっていると言っている自分。原因は、子ども達や過去の詳細をたくさん語ったからでした。 そして、本来の私は、暖かいお風呂に入りました。
私はいつも、本来の自分を大切にして、現実を生きるのです。
朝、今日一日自分をしようと心に決めて、スタートしました。 仕事中、自分の背中から自分を見ることを意識しました。時々、「こんなことして大丈夫かな?」と不安に感じる自分が出てきて、そんな時には自分で切り替えて、いつもプラスのMamoを意識しました。 夕方、部屋に戻って感じたことは、やはり、何をしていても自分は自分をすることが大切だということでした。 例えば、どんなに小さな赤ちゃんも、自分の世界を持っていて自分の人生を歩いている。私も、一人の時には一人の自分を・子どもさんと話をしているときには子どもさんと話している自分を。誰といても何をしていても、いつも自分をしている。基準はいつも、自分なのだと改めて感じました。 そして、私の膝に座っているのがどんなに小さな子どもさんであっても、私との間には、個としての境界線があり、私は私の感じたものを大切にして動いていくのがいいのです。その為に、私はいつも自分の中に、大人の自分とチャイルドの境界線を持ち、心の傷を癒やし、自分を育てていくことが最優先。そして、大人の私の感じたものをすなおに丁寧に進めていく。これがいいです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
夜、「性同一性障害」のテレビを見ました。当事者である4人の方と、うち一人の方の父親の男性が、テレビに出演していました。 VTRの中で、一人の男性は、上半身裸で鏡の前に立ち、「この胸がなければ…」と言っていました。私は、過去の、女性の体を嫌って消していた自分を思い出し、少し心が痛みました。コメントの中では、当事者を含めた皆さんが、「障害」という言葉を使っていました。 テレビに出ているお父さんは、子どもさんの事実を、障害として受け入れ、その上で、子どもさんから何かを学ぼうとされているようでした。私は、障害としてくくられることに抵抗したいと、心に小さな叫び声が沸きました。 過去、私の心と体が違ってしまっていたのはなぜなのか、私はもっと、自分について知りたいです。
「仕事」 この頃の毎朝同じ状況に加えて、今日は、クッキングの時間に生卵を触った為に蕁麻疹の出た女の子さんがいたので、お部屋に行ってしばらく座っていました。私は、今の子どもさんはみんなみんな、大切なものを得る前に、大人になることを急がされているように感じます。そして、私の動きは、保育士さんの動きと少しずれます。時々、保育士さんの動きの邪魔になっていると感じる事があります。そして後から自分に問うてみると、私に出来たのはこの方法だったということになります。それに私には、カリキュラムが1つ抜けることは、その子どもさんの人生からすると、ほんの小さな点に思えて仕方がないのです。 と言っても私自身も、今ようやく、ここでこんな風に語れる人なのです。 過去にしてきたことの責任をとる意味でも、何が正しいかを知った大人としても、ここに居る大人として、心を基準にして動きたいのです。 そして、出来れば保育士さんと語り合いながら、いつも、少しよい手伝い方が出来ればいいなぁと、そんな機会があればなぁとも感じています。
それから、私はこの頃、保育士さん方が何を感じているのかを知りたくなっています。同じ女性としてどんなことを考えているのか、母になっている人は自分のお子さんをどんな視点で見ておられるのか、皆さんの言葉を知りたいのです。私のこの思いは、名古屋へ着てから3年半の間、他者・特に“お母さんをしている人”に距離を置いていた自分を振り返ると、成長した部分です。ですが、保育士さんは夜遅くまで働いているようで忙しく、私は忘年会を辞退した人なので、こんな風に感じられる自分を見て楽しんでいます。
赤ちゃんは、泣くのが仕事です。 「おしっこが出たよ。お腹がすいたよ」と泣いて、大人に知らせてくれるのです。大人は、赤ちゃんの動きに心を傾けていると、やさしい大人に成長できます。赤ちゃんは大人を、育ててくれる人ではないかな。
そして、大切なものを得る前に大人になることを急がされたのは、私も同じです。だから私はいつも、自分の心に耳を済ませます。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
午前中に部屋の掃除をしました。私の場合、思考のずれに平行して、机の上にいろんなものが並びます。これは私自身のバロメーター。分かりやすいのです。そして、片付けを先送りにしたせいでもあります。どちらにしても、分かりやすいのです。そして、きれいになってゆく気持ちよさの延長で、お風呂場や床拭きまでして、心もお家もすがすがしくなりました。
お昼前、公園へ行って壁投げの練習をしていたら、1歳半くらいの男の子とお父さんが通りかかりました。 男の子が近づいてくれたので、ボールを転がして遊びました。遊びながらひそかにスナップを使う練習をしていました。小さな赤ちゃんとお父さんのペアなのに身構えずに遊んでいる自分。少し前まで、こんなに楽な感覚はありませんでした。遊んでいる自分を面白いなぁと感じました。
午後は電車に乗って出かけました。電車には大きなリボンのプレゼントを持った人がいて、よく考えてみると今日はクリスマス。そして今年もあとわずか。そして私には、いつもと同じ日常が。 クリスマスや師走を思うことよりも、大切にしたいもの・優先したいものが、私の心にあるから。
{Baseball} ** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
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