「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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私は今も、他者の言葉に傷き巻き込まれることがあります。言葉は浮かんでくる思考の一部。そして、その方の心から発せられたもの。なぜなら、人はどんな自分も、その時感じたもの中で動き、続いて語っているから。そして私も、感じたものの中で動き他者の語りを受け取っています。裸ん坊の私の心は、その時々でいろいろな感じ方をします。 大人はよく、「言葉を大切にして」と言います。言葉を大切にしてと語る大人も、時々言葉を間違えます。子どもは、大人が自分から目をそらしているとき、すぐにわかります。私も過去、言葉を間違えている自分に気が付かずに語り続けていました。そして今は、間違えたことをそのまま受け止め謝罪しようと意識する練習をしている私です。ちなみに今日、ある出来事について「あやまったよ」と伝えられた出来事がありました。私にはその意識はなく視点の違いに驚きました。きっと、その時の私は自分を整理するのに精一杯だったのでしょう。 ずっと以前は、気が付かなかった自分を責めていましたが、今日の私の心は、「そうだったの?!」。私も少しずつ成長しているのです。
心の傷を癒やしていくと、強い言葉から自分を守ることが出来るようになります。それはある日突然に出来るようになるのとは違い、少しずつ一度ずつ、一℃ずつ、自分をMamoっていけるようになるのです。これがプラスの積み重ねに繋がるのです。 世の中を、心を通してみていたら、いろいろなことが見えてくる。プラスもマイナスも見えてくる。それまで日向だと感じていた場所は、日陰の部分もあると分かってくる。一℃の差って、こんなことかな?と感じます。こんな変化が面白いです。マイナスの社会にプラスを探し、自分の成長を楽しむことが出来ると、面白いのです。
私はいつも心で語ります。自分の心をそのまま語る大人がたくさんになればいい。そして、プラスは私から。
自分を信じる 自分を信頼する 自分の為に
信じる 信頼する 真実 本質
Feel?
自分のためにしてきた。
日曜日。 ベトナム人のお友達から手紙が来たので、返事を書きました。まだ下書きですが、楽しんでいます。 それと、就職活動をしています。でも、3月にベトナムへ行った後の事が不透明なので、少し動き辛い。それに、退職を控えて環境が変わることの不安定さが手伝って、少し不安定な私です。 「こんな時はどうしますか?」と自分に問うと、「出来る事をすればいいよ」と答えが返ってきました。 それならと、自分が安定するよう行動計画を立てノートに書きました。不確かなものは後にして、出来ることを進め確かなものを集めて、集めたものを次に動くことの土台にすればいいのかな。
ということで、3月に渡越した時、ベトナムに居るお友達に会えるよう、手紙を書きました。朝には、日本に居るお友達にも書いたので、2通です。手紙には私の書けるベトナム語を少し入れて、それから大切なことは丁寧な日本語で。一晩寝かせて熟成させて、もう一度読み直してから、ポストへ入れるのです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
| 2007年01月20日(土) |
なんまるく生きること |
育成会。 午前中、教育再生委員長の義家さんの出ている番組の録画DVDを見て皆で語り合いました。私は、暴力や乱暴な言葉は心に痛くて嫌です。叩かれたり蹴られたりすると痛いし、暴力を受けている人を見てしまったら、私の心も痛みます。私は、いつもやさしい社会が好きです。
昼休み、ある方に「本を書くとき、子どもさんが読むことを念頭に入れて書くの?」と尋ねられました。きっと、いつかどこかで書くのでしょう。その時私は、親として何を書くのかな。尋ねていただいたことで、やさしくやわらかい文章を書ける自分を大切にしようと改めて実感しました。
午後は、「生きるということ」について語り合いました。皆で強力なマイナスを打ち破くことの大変さを語り合っているうちに過去の自分が重なり、同じ思いを持ちました。 痛くないと感じている場所は本当は痛かったと知ったのは、自分で固定観念の世界を出てからのことでした。だから、出てみようとすることがいい。なんまる星人になろうとすることがいいのです。 途中、会の女性からは、「マイナスから抜け出すとき、自分がとても好きとかいう思いがあったのですか?」と尋ねられました。今、「抜け出すことがいい」と言っている私は、あの頃は、ひたすら傷の重たさにつぶれて、まるで瀕死の状態で、「抜け出さざるを得なかった」というのが当時の真実です。 そして、自分が好きになれたのは、自分が楽になってから。否定された場所から抜け出して傷を癒やせた分だけ、自分を好きになれました。そして、ある日、別の自分だった自分を知った時には、自分自身の存在が心に重く感じることもありました。でも、最近では、自分を否定する自分もずいぶん小さくなり、今は、好きというより「私は今ここにあるんだな」という感じです。
この何日か、いろんな質問をされることが重なりました。それぞれの方の視点の違いに感心したり、尋ねていただくことで私の中にあるものを確認できたり、新たな発見が出来たことをうれしく感じています。
「細胞」のお話を保育士さんに読んでいただいて、感想を聞いてみました。いくつかの単語や表現方法などで、同じ女性から見た視点で共感する部分がありました。それから、視点が違うものもあり、「なるほど」と感心する部分もありました。 人には心があり心で感じたものを、表現して他者に伝えようとする生き物で、その表現方法はさまざまです。全く横道に外れますが、そして当然のことなのですが、例えば赤ちゃんは始め、お腹がすいたら唇をムニュムニュさせてお乳が飲みたいと訴えるけれど、赤ちゃんは「私は今から唇をムニュムニュと合わせることをしよう」と思ってしているとは捉えにくく、飲みたいという欲求がそのしぐさとして現れているのですねぇ。 本題に戻りますが、自分の感じているものを言葉で語るのも書いて表現するのも、心に添って浮かんでは消える一瞬の思考を、その時語った・その時記した。そして次があるということなのでしょう。時の流れと共に変化する思考を、どこでどのように生かすかで違ってくるから面白いです。細胞の話を書き始めた当初、自分の中の「改めて実感した体の細部の役割・生きる力のあること・すごいよ・この感動を言葉にしてみたいんだ」という衝動にも似た心持ちから、今は「よりやさしく伝わりやすく語る方法があるかな?」と自分の中にあるやさしさを探求している自分が面白いです。自分のやさしさを探しだそうとしている自分はくすぐったく心地よいもの。私は「生きている」という感じがします。
最近は昼休みの公園でウグイスを見かけます。小さいけれど、飛んでいくのは早くて、飛んでいった先を見失い、あきらめて、すずめと遊んでいます。 子どもの頃には、つっぱり棒をして半分かぶせたかごの中に米粒を置いて、棒には糸を付けた仕掛け網を作り、すずめが米粒を食べに入ってきたら紐を引っ張ってかごをかぶせ、すずめを捕まえて遊んでいました。考えてみれば、誰が思いついた遊びなのか分からないけれど、よく捕まえられたなぁと感心します。子どもの発想ってすごいものです。私も、子どもだったのです。
そこで一言。 すずめさん、まん丸おめめで何を見ているの?小さなお顔におおきなおめめ。かわいいね。チョンチョン歩いてかわいいね。飛んでる姿も可愛いね。仲間に入れてくれてありがとう。楽しい昼休みになりました。
子育て支援。今日は0〜1歳児のお子さん。 今日は、支援にいらっしゃったお母さんの女性から、「子どもさんは居ますか?」と尋ねられました。私はほんの少し迷い、そして、これまでの保育園での流れを思い返してから、「居ました。でも 離婚したので、今は居ません」と答えました。 女性はそれ以上尋ねてきませんでした。私はそこで始めて「地域の方に訪ねられる」ということを実感しました。実は、心の準備がなかったので少し戸惑ったのです。でも、園の中では子どもが居る人なのに、地域に出ると子どもがいない人と言うのは変だもの。それに、いつも同じ事を語っていたい。だからこれでいいのです。
それと、仕事中に不思議な感覚の自分を見ました。以前とは違う自分です。今、私が見ている、“子どもさんと遊んでいる私”は、小さな子どもさんに対して意識しすぎて構える自分ではなく、ごく自然に楽しい自分です。自分の変化を心に感じられた時には、鼻歌を歌うような気持ちがしました。
家に帰ってパソコンを開けると、昨日ベトナム人のお友達に出したメールの返事が届いていました。最後に「Mamoさんベトナム語が上手になりましたね…例えば・・・(と、ここからは私達に共通する少さなGUGでした)」と書いていました。小さなGUGの面白さも手伝ってか、あたたかい気持ちになり、「丁寧に動いてよかったね」と自分に伝えました。 そして、今の自分もきっと過去の積み重ね・未来への通り道なのです。
今、簡単なお話をひとつ書いています。「細胞」のお話です。 細胞は次の細胞の為に生まれ変わるのです。これを“死”という言い方で表現することもあります。 でも、やはり次の自分の為に生まれ変わる。私は自分にある細胞をやさしく育てています。
1月14日付けの朝日新聞に、ホワイトカラー・エグゼンプションの対象になる労働者は全体の0.4%だと載っていました。「あらまぁ、大変・・・」。先週土曜日の13日、ベトナム人のお友達と語り合ったとき、私は「対象者は全体の2割だそう」と伝えていたのです。そこで、自分の言葉の根源になった記事を探しましたが見つからず、私の見間違いかもしれないと、お友達に正しいものを伝えました。小さなことですが、間違えたのは私。気が付いた事を修正している自分は、丁寧に生きる自分を育てているようで嬉しく感じました。 ちなみに、私は自分の間違いを認めたり謝ったりする自分がいいです。そして、自分を認められず、他に害をもたらしてしまう自分も居ます。でもやはり、そのままの自分を認めていくと自分が楽。大切な自分のために、素直な自分を育てます。 以前、「間違えたときには自分よりもまず相手に謝罪して」と聞いたことがあります。どうかな・・・。間違えたのは間違える自分が居たということです。私は、間違えた自分と向き合い、自分に「間違えたね」と言えることで新しい考えが浮かび、例えば心からの謝罪に繋がるように感じます。 子ども達にしてしまった事も、間違えた自分を認めた分だけ楽に見ることが出来る。だからやはり、自分に「ごめんね」が先みたい。そして、どんな形でも、心は伝わるのです。
ところで、私は今、昨日14日の新聞の中で感じた二つの疑問を楽しんでいます。一つ目は、「死後の腎臓提供者が昨年では100人を越えた」という記事です。移植コーディネーターは「臓器移植は権利の1つ」と捉えている、とありました。臓器移植は本人の意思というと分かりますが、「権利の1つ」とはどういう意味かなを脳の何処かで考えています。でも、まだ分からない。 二つ目は、連載されている「育児ファイル」です。「母性は本能でないことは、今や定説です」とありました。 本当かな・・・? 自分の中でじっくりと考えを纏めてみたい。そして纏めたものを言葉にしてやさしく語れるようになりたいのです。
夜、「脳のどこを使おうか」と考えをめぐらせているうちに、子どもの頃、能面のように無表情だった自分の様子が浮かびました。そして大人になってからも、心の勉強をする以前には能面のまま生きていた私。やさしい刺激は皆無だったのだなぁと実感します。
赤ちゃんはよい刺激も悪い刺激も、受け入れます。心にやさしい刺激がたくさんあれば、やさしい刺激を受取りやすい脳に成長したことでしょう。 そして今、私は、…自分の顔は見えませんから、私はどんな表情をしていますか?おそらく、楽しいときには楽しいお目目を、怒ったときには怒ったお目目を。 感情を持った一人の人。いつもやさしい目をして生きる自分を育てます。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
| 2007年01月14日(日) |
ありのままにしたためて |
今日は知立市にある、ベトナム研修生さんの寮へ遊びに行きました。インターフォンを鳴らすと、可愛い声と懐かしいお目目が、ちょこんと顔を出しました。 その後、研修生さんの寮から自転車をこいで、会社まで行ってみました。約20分の道のりは坂を下りて上って…。「冷たい冬や雨の日は大変」という彼女達の言葉に納得しました。 途中で、ヨモギを摘みました。まだ1月だというのに、土の肥えた場所には青々と茂っていました。そして、まだ1月ですから、その葉の柔らかいこと。次の芽が出るように上の芽だけを頂きました。天道虫も毛虫もいました。こんなに寒いのに不思議です。温暖化のせい?それとも、今は、越冬てんとうや、越冬毛虫が居るのかな?
ベトナム語で少し話をしてみました。頭には、この春下見に行く予定のベトナムで、現地の方とベトナム語で話をしている自分が浮かんでいました。テープを超スローにして一単語ずつ話している私です。 もちろん、ベトナム以外のどこに行っても、私のすることは同じです。
小さな時を進めていける自分を大切にしています。
新宝緑地公園から見た天白川
スイカズラの実(おそらく)
えっとうてんとう
菜の花 ○○○ばたけ
ベトナム人の女性と、ドライブをしました。女性から、このところのニュースになっているホワイトカラーエグゼンプションについて、「Mamoさんは反対ですか?賛成ですか?」と尋ねられました。 「ホワイトカラーエグゼンプション」というのは、ある一定の収入を持つ労働者に限り、労働時間の規定をはずし残業代をなしにしようというもので、「働きたい人は何時間でも働いてよいですよ」という内容が含まれています。これは、政府がイギリスの雇用形態を真似て取り入れたもので、日本はこの改正に伴って、パート雇用の方の保険加入を義務つけるなど、非正社員の雇用条件がよくなることも告げられています。 私はこの法案について、ある一定の収入を得ている人は、以前からその収入を得るために時間を使って働いていたであろうこと。いつからかは定かでないのですが、社会の流れとして残業を減らそうという言葉はあったけれど、企業とは、1つ出来たらさらにもう1つ・そしてもう1つと、際限なく結果を求められるのが常であり、現実的には、残業廃止という言葉からは程遠かったこと。何より、残業を減らす為に仕事の量を減らす取り組みはなされていなかったこと。そして、今回、仮に企業側が能力型の賃金形式を取り入れたと仮定して、労働者が収入の裕福よりも心の休養を取りたいと考えても、企業から求められるものが減るとは考えにくく、結果、サービス残業が増えると想像できること。 つまりこの法案は、心を忘れて働き疲れて病に倒れる人を増やすと想像できると語りました。朝日新聞によると、政府の定める一定の収入基準を満たす労働者は全体の2割だそうです。2割というと少ないです。それでも私は、わずか2割の方々にとって、その方が楽に働けるようになるとは想像しがたい。そして、してみることで何かが分かり、プラスも見つかるのかもしれないというのが私の意見です。 お友達は、「ベトナムでは、サービス残業はありえません。働いた分はどんなに少しでも給料として受取ります。もし賃金をもらいすぎたくなければ、働かないようにします。日本の人たちは大変です」と言いました。本当にその通りです。私も、職場の方々を見ていると、皆さんはいつ自分を休めているのだろうと疑問がわくのです。
その後私達は、赤ちゃんも子どもも男も女も、筋肉や体の大きさの力関係はあるけれど、本当は、人は皆等しくて、会社もこれと同じであるといいのにね」という話をしました。 私からは、「ベトナムでは、心の問題や、または精神病院などに対する社会の見方はどうですか?」と尋ねてみました。ベトナムでは、精神病や分裂病と言われる人々が居て、その方々に対する偏見は大きいようです。私のように自分がわからない人々は、精神分裂病(日本では、今は言葉は違いますが)と言われているそうです。 偏見や卑下は、当事者の心に傷を重ねます。日本の過去と同じだなぁと、少し残念な気持ちもしました。
誰も皆、ナチュラルカラーがいいのです。
「自立塾」(NHK教育 ETV特集06年12月23日放送 録画DVD)を見ました。モザイクのかかった塾生は心から動いているとは感じられず、「動かされている・させられている」ように感じました。 毎朝予定の時間に起きられず、ルールとなっている時間に遅刻する男性が居ました。問い詰められて語り始めましたが、男性はひどくどもっていました。男性が、どもりながら、それでも語ろうとする様子に、心が少し痛みました。こんなにしてまでここに来る理由は何なのかと、心の中で「もういいよ。十分だよ」と画面に向かって語っていました。
以前書いたことがあるのですが、バブルが崩壊してから後の時代を表現するのに就職氷河期という言葉があり、25歳から35歳までの男女はこの時代に社会に出てひどい就職難に苦しんだそうです。(朝日新聞では今年07年に入ってから、「ロストジェネレーション」と題されて連載されています)。 テレビの中の一人の男性も、50社受けて1社も受からなかったと語っていました。私には就職氷河期はありません。とても驚きました。男性は、かろうじて就職出来た会社で次々に来るノルマが耐えられず、自宅に引きこもるようになったというお話でした。ひどい社会だとため息が出ました。この男性や他の男女を働けなくしてしまったのは誰なのだろう、「就職氷河期」という時代を作って若い人を苦しめたのは、本当は誰なのだろうと疑問は沸き続けました。 テレビに出ていた自立塾の目標は、「働けるようになること」のようで、サポートする方々は、塾生が就職できるまでは見捨てないという方針を持っているそうです。 人々は働くことを目的にするのは何故でしょうか。社会のいう自立とは、「働けるようになること」で、それが常識なのだとしたら…。
「それは違うよ。仕事は生きるためにするんだよ。そんな風に生きたら自分が死んでしまうよ。」。テレビを見ながら、いくつもいくつも誰にともなく言葉をかけていました。 今夜私の心にわいた言葉は、かつて自分にかけていた言葉でもありました。何処かに働きやすい職場はないかと仕事を変わり続けてきた私。今回の職場も残すところ2ヶ月。私は今、これまで動いてきた分の考える材料を持っています。そして、仕事を続けることよりも自分の心を大切にすることを優先して生きた自分もよかった感じています。
ニートと言われている人々は、働かないのではなく、働けないのだと、私は思います。 そして私は、自分自身の心の自立を手伝い続けます。素直でやわらかな女性を思い描いて、自分育てをしています。
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