「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年02月15日(木) 素直に語ること

 休日の就職活動。ある保育園へ面接に行きました。今日うかがったところは個人で経営している無認可保育園で、今の職場とは違う雰囲気をしていました。私よりもお若い感じの副園長さんに「失礼ですが、子育てをした事がありますか?」と尋ねられました。一瞬返事に迷いましたが、私はもう、子どものことについては自分を隠してあげなくても大丈夫。ありのままの自分を簡単に語りました。語れている自分に安心しました。今の保育園を辞める理由も、一年前に新しい世界に入った当初の私のいくつかの戸惑いと、一年間に学ばせていただいたたくさんのことと、そして今は楽しませていただいている多くのことを、そのまま語りました。
 私たちは、いくつかの条件について話し合った後、私の履歴書の中から、心の話になりました。今は「AC」という言葉もすぐに理解していただける時代になったようで、私の大切にしているものや取り組みについても、耳を傾けてくださっているのがわかり、私も気持ちよく語ることが出来ました。
 ただ、働く上での条件はそぐわないことが分かったので、一週間後の面接結果を待ちつつ、次を探し続けることにします。数日前に書類を送った教員の仕事は、不採用の通知が来ました。書類で終わりと言わずに、ぜひ私を見ていただきたかったなぁ。私も学校に行ってみたかったなぁ。と言うのが正直な気持ちです。そして、次です。

 姉に手紙を書きました。書き上げた自分の文章を読んで、今まで姉との間に長い距離を作っていた自分を実感しました。「やっと、妹になれた」。そんな気がしました。ただし、私一人の思いです。

私もファシリテイターになろう。まずは自分のファシリテイター。


2007年02月12日(月) ナンマルーニャ

 午前中、本の続きを作りました。題名も中身も改訂して一応出来上がり。タイトルは『フワーニャとナンマルーニャ』。絵本になった。
色を塗ってみようかなぁ。本屋に持って行ったらどうなるのかなぁ。
自費出版の場合は、自分で買い取って店頭に出すと聞いたことがある。絵本はどうやって作るのでしょうか。

 午後、ベトナム人の心友とドライブをしたので、絵本を読んで頂きました。ベトナム人の女性に分かるようなら、言葉の並べ方としては安心できるのです。
 ところが、私が驚いたのは、彼女が私の文章をすらすらと読んだこと。よく勉強されていて、ベトナム人研修生の通訳をされているせいか、彼女の語る日本語もやさしくて、こちらの方に感心してしまいました。
 ちなみに彼女は日本に来て丸4年だそう。私と同じ月日を名古屋で過ごしていたのですね。皆で話をしているうちに、私も4年前の事を思い出しました。
 始めて彼女にお会いした時、私は「24歳という年で外国に来て、自分の目標を持って生きている女性」を拝見して、「すごいなぁ」と感心していたのです。それに、いつもやさしい声をしていました。今の数倍も自分がわからなかった私にとって、彼女は小さな目標になりましたから、お会いできるのを楽しみにしていたのです。そのうちに、私もこの女性のように、外国に行って自分を語りたいという思いに至り、行き先は自然にベトナムになり、外国に行ったら、日本の事も語りたいと思い始め、新聞を読むのが楽しくなり…。

 帰りには日本とベトナムの家庭環境の違いを語り合いました。
ベトナムの夫婦の関係は日本と似ているそうです。
それから、女性のファッションの話になりました。彼女は、「日本の女性はお化粧やヘアスタイルに時間をかけている」と語ってくださいました。私も同感です。それに、あまりにお化粧をしてしまったら、せっかくのみずみずしいお肌がかわいそうです。そこで私たちは、「フワーニャがかわいそうだよ」と言って笑いました。(ナンマルーニャもね。)
 そんな彼女も3月には関東へ引越していかれるそう。遠くても近くても、心を語り合えるのなら、宇宙に行っても心友です。

そして私は、やさしい自分が好きです。それから、もっといろんなことを勉強したい。

道の真ん中に巨大カタツムリ発見! 菜の花畑


わたげちゃん、かわいらしくて、たまりませんでした。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年02月11日(日) 一人遊び

 東区に所在している、ある福祉学校の代替教員募集に履歴書を郵送しました。今日応募した場所に就職すると、学校の先生を体験することができそうです。それからインターネット上で、就職活動。これまでは、就職先を探す時、「自分を生かせる場所を…」と望んできたけれど、今は持っているものを利用できる程度がいいなあと感じてます。

 午後は一人で本つくりを楽しみました。やさしいアイデアが浮かんできて、ワクワクしてきました。ところが、夕方になって、ワクワクの延長で動いた・その延長で、小さな失敗もしました。自分の能力を忘れると、社会に巻き込まれるのです。自分の心を大切にして、社会の情報を吟味し自分の心で選択できる、やさしい大人に成長したいです。
 夜になって視点を変えてみたら、違うアイデアも浮かんできて…。一人で遊ぶのも、本当に面白い。一人で遊ぶのも面白い。


2007年02月10日(土) Book

 書きかけの本(既に、“本”と呼んでいる…)が叉少し進みました。この頃は就職活動をしたり他の事をしたりする中で、時には身近な方に読んでいただいて、私とは違う視点のアイデアを頂いています。最も、ご意見を伺った全ての方の全ての意見を利用させていただくのは難しいのですが、どなたのご意見も、新しい事を進めようとしている私にとっては、うれしいのです。それに、アイデアと言っても、「ここはこんな風に…」というのは少ないのですが、肯定されていることで、私自身の中に眠っているアイデアの発掘を手伝ってくださっているのです。そして、興味をお示しにならない方もいらっしゃいます。それもいいです。私は、新しい事を進める私に興味を持って下さる方に私を語っていくと、より楽に成長して、よりやさしい大人になれるのです。
今、書いているものは、そのうち本当に本になる。こんな小さな点をいくつも作って、そのうちのいくつかが実現すると面白いだろうなぁ。そして、将来が、うーんと先のことでもいいのですよねぇ。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **


2007年02月09日(金) 就職活動

休日。就職活動をしました。
午前中は派遣会社へ。今は派遣会社がたくさんあります。派遣会社のしくみを知りたい気持ちも手伝って、栄まで登録に行きました。私の出かけた会社は5階建てのビルの中が全て派遣会社になっていて、まるで大きな企業のオフィスの中に入りこんだような気分でした。派遣依頼の登録は無料で出来るので、(就職を斡旋するという仕事はそんなに効率がいいのかな}と、仕組みが分からない分、不思議でした。
 会社の女性の話は興味深いものでした。「今は外国に行く若者が多くて、ひとつの会社に定着せず外国で好きなことをして、お金がなくなったら働きに戻っていらっしゃる。派遣会社は、自由に生きたい若者のいい就職先なのだ」と。女性も看護師で助産師の免許を持っておられるとのこと。助産師をしていた方がきれいなオフィスの中におられる理由は何か分からなかったけれど、どんな仕事もいい。私も自分の将来が浮かびました。

 午後は職安へ行きました。保育園の募集が2件ありました。去年までは狭き門だったのに、時勢が変わってきたようです。それと、ある学院の介護の授業の代替教員を募集していました。介護の実務を、看護師の視線でノウハウをお伝えできるようです。こちらは面白そうです。

 次の職場を探すに辺り、自分が今の職場を止めることになった経緯を振り返る機会に恵まれています。派遣会社の方も職安の方も「なかなか入れない場所に、せっかく入れたのに、一年で止めるのはどうしてなの?」と尋ねて下さいました。そうですよね。そして、私は次なのです。


2007年02月07日(水) 未来予想図

 職場の近くで知り合った男性に、あなたの事を知りたいと伝えられました。こういうのは過去にもありましたが、以前の私はその方に対して、一人の人として興味を持つ余裕はありませんでした。ところが今回の私は、少し違っていました。私は、この言葉が女性からのものならば、そのまま肯定しただろうと感じたのです。
 偶然ですが、私は、最近「男女の違い」を検証していました。たとえば「男っていうのは…」という方もいらっしゃいます。この言葉を自分の中でイメージするのは初めてですが、そのような視線で見てみると、世の中にご自分を語って下さる男性はとても少なく、語って下さったとしても頑固さを感じてしまう言葉を使われる方が多いです。数日前の政治家のように、わざわざご自分を悪者にしてしまうような発言をされる方もいらっしゃいます。つまり、「男って…」という言葉を利用させて頂くと、このところ感じていたいくつかの疑問は、すんなり解決してしまうのです。この小さな結論は、私にとって意外な展開でもありました。
 そして次に、その「男性」を、「頑固でおかしい」と否定してばかりいたら、もしかするとすぐそこにある大切なことを見逃すかもしれないと思えたのです。それに、私がいつも、男性を「男性という固定観念」の中で見ているとしたら、私自身の生き方として悲しいと感じました。そしてプラスの視線で見ていると、いろいろなことを発見できることに気が付きました。
 それから、先日、実際に自分の捉えた視点を元に動いてみました。すると、起きた出来事に拘っていた自分に気付き、「現実はいつも流れていて、大切なのは未来なのだ(過去を見つめた上での未来です)」と実感することに繋がりました。やはり、いつもニュートラルでいることが何よりも大切なのです。ちなみに、ニュートラルで居ることは、プラスで居ることよりも大切です。なぜなら、プラスであるというイメージを持っている中で反対のことが起きてしまったとき、自分で描いたイメージの分だけ戸惑うからです。それに、ニュートラルというのはほんのり柔らかなプラスなのです。
 では、女性はどうでしょうか。最近では、女性がバスの運転手さんや駅員さんをされていたり、いろんな発言をされているのを拝見します。それでも私は、心の面では「女性=受身」のイメージを持っていると感じています。男性も女性も、「女性は受身である」というイメージを持っているように感じるのです。
 そして私も、過去は、弱いことが男性に愛される条件のように感じ、依存を繰り返していました。元夫と結婚した理由のひとつには、「この人なら私を守ってくれる」がありました。今でも時に、他者の意見を鵜呑みにしていたり、自分を伝えるのを忘れているときがあります。ですから私も、女性として「女性とはね」とまとめてみて、自分を「女性という固定観念」から外してあげると、今後もゆったりフワフワ生きることが出来そうです。そして、私は女性として、「女性の素敵さ」を語っていきたいです。

 話は戻りますが、人はもともと、一人の人です。そして私は今、自分には過去とは違う関わり方を知っています。自分に丁寧に生きる私は、どなたとも、プラスの視線で語り合うことができるだろうと感じています。
 私はいつも、プラスの視線で自分を見て、自分を肯定した視線で社会を見て、私の見たこと感じたことを、やさしい言葉で表現していると、赤ちゃんも子どもも大人も、男も女も外国人も、皆それぞれに育ちあえる素敵な社会になるのです。
ということで、私は自分の今後の展開が楽しみなのです。そして、こんな私の心の片隅には、過去にあった別の情景が浮かびます。ずーっと昔、男性の前で包丁を振り回した私が居ました。そして、あの時の自分はどうなったのかと自分に問いかけても、今は分からない。だから、これからも、やさしい細胞を育てる自分を意識して、今後の自分を楽しみにします。


 姉から手紙の返事が届きました。手紙によると、姉は昨年実家を出ていました。そして実家にいた頃を振り返って、「あの頃は、きつかった」と。手紙に向かって「あの家を出れてよかったね」という思いがわきました。それから、「きつかった」と書いている姉の文字を何度か読みかえしました。「きつかった」は九州の方言です。こちらの言葉では「しんどい」と同じ意味なのかな。
 本当に、私たちはきつかった。姉も私も、そしておそらく、弟もきつかったのだと思います。便箋を封筒に戻した後、私の心は「会いたいね」と言いました。

** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **




2007年02月05日(月) なんまる人生のわた毛

 頑張ってたんだなぁ。たぶん、名古屋へ着てからずっと、頑張っていた。過去より小さな頑張りだったけれど、小さくても、頑張ってた。家を出てきたことの成果を出さなければという思考を抱えていたのだ。

頑張らなくてもよかったのにね。気が付いたから止めた。いいよ。もう大丈夫。それにこの頃は現実に楽しみを見つける自分が広がっている。いずれにせよ、私は成長しているんだ。そして私の視点は、今までよりさらに大きく広がっている。
私はどこに行っても、「私として生きていける」。一人になって生きていけるんだ。
 
 頑張らずに生きるとはどういうことか。感覚として分かるような、少し違うような・・・。「こういうことです」と説明できる? たぶん、私という人間は、心も体も1つずつだから、私の心に添って、ひとつずつすることだろう。
 私がこんな風に語るのは、私自身が自分の事を一つずつ進めている自分に安堵を感じるからだ。楽しんでいるときには頑張りは不必要なのだ。そうだ。私はなんまる星人だったんだ。今までと同じように、自分を大切にして、なんまっていこう。そうすれば、そのうちに、自分がなんまっていることすら感じずにフワフワ綿毛のように生きる私になるのだから。綿毛は風に吹かれて飛んでいき、あちらこちらで自分を育てる。

 先日育成会で、殺人を犯した人の話を聞いた。社会的な罪を犯した人は、おそらく刑に服した後も社会から非難の視線を浴びることがあるのだろう。でも、その方が、自分が罪を犯した根底を見つめ心の傷を癒やしていたら、他者の評価とは関係のない生き方をするのだろう。それに、心の傷を癒やした人は、どんなに自分を大切にすることだろう。どれほどやさしい目をしていることだろう。
 私もそのような生き方がしたい。そして、おそらく可能だ。そして私の書いていることは今の日本にない生き方で、これから広がる生き方でもあるのだ。私の中で止まっていた空間も、本日、現実にとけあって動き出した。


 ところで、昨日履歴書を出した会社は今日中にお断りの連絡が来た。なるほど、こんなふうにすぐに連絡が来るものなのだな。分かりやすくていい。
 いろいろと見ているうちに、「収入があればいいのだから看護師をしてもいいのでは?」という思いも沸いてきた。それと、就職が決まれば次のことが出来る。早く落ち着きたいという気持ちがある。これは焦りだろうか? いや、就職が決まれば、ベトナム旅行の手配が出来るという思いがあるのだ。ついつい先の楽しみが浮かぶのだ。そして、順序を飛び抜かしていては、することを間違える。ひとつずつ丁寧にしていこう。

うん、頑張らずに生きるコツは、なんまるSeijinを生きることだ。


2007年02月03日(土) 未来

休日

 就職活動の一日。
 名古屋へ着てからしてみたかった仕事を全部してきて、それも終わりに近づいていて、でも、次に何がしたいのか定まらないまましばらく経過していました。そんな中ぼんやりと、「本を書くのだから出版社で働いてみよう」とか、「書くのは慣れているから、これからは言葉で自分を表現できるよう、そちらの細胞を育てよう」と思ったり。そして今日パソコンに向かいました。
 出版社というのは入り口が狭いらしく、私も就職難の気分を味わうことができましたが、広告企画業界というようなところに履歴書を出しました。私がその会社を選んだ理由は、会社案内の欄に「情報に力を与える仕事をします」・「独自の提案力」・「コミュニティ能力が高まります」と書かれていたからです。型に嵌らず私の意見を取り入れて下さるのかなぁ、社会に私の感じている何かを発信することが出来るのかなぁ、言葉で自分を表現することが、仕事を通して練習できるのだから一石二鳥になのかなぁと、未来を想定するイメージが沸いたのです。特に3つ目の、“言葉で自分を表現すること”は、今一番関心を持っていることなのです。このところ、自分を表現する力の小ささがマイナスを生むことを実感したからです。ちなみに私は、今まで「営業は向かない人」と自分を決めていました。けれども「向く」とか「向かない」という表現は違います。それから、セールスや営業を経験するのも自分にないものを育てることが出来るのでしょう。広告業界に出す履歴書の履歴の欄に、これまで働いてきた病院の名前が並んでいて、取得資格は准看護師免許です。違った空気を面白く感じました。
 
 次に、ベトナム人研修生さんに対するベトナム語通訳の派遣仕事を見つけました。期間は保育園を退職してから少し後の4月過ぎから。これは面白そうなので、こちらも応募しておきました。私の知ってるベトナム語、○○個くらいなのにね・・・。
ということで、今日は2件です。結果が楽しみ。

 それと、ベトナムでの求人募集のページがあるのです。当然ですが、見ていると行きたくなります。今は日本企業がベトナムへ進出していますから、ベトナム在住の方々に向けても求人募集は出ています。たとえば今日契約をすれば、すぐにベトナムへ行くことも出来るのです。そして私の頭には、「貯金に不安があるのなら、あちらで働くというのがあってもいいんじゃないかな」と浮かびます。でも、それでは私の優先順位が違ってしまうように感じるのです。
 私は、これからの人生はきっと、何をしていてもプラスに生きていけるけれど、自分の為に、丁寧に歩いていきたいのです。理由は、過去と同じ苦しみに戻ったり同じ間違いをするのでは、自分がかわいそうだから。私の原点はいつも、あの苦しかった時代なのです。そして自分の為に、これまでと違う生き方をしたいのです。それに、どこに居てもプラスがあるのですから。

 夜遅くになって、選挙に行きました。星がきれいでした。星を見ながら、このところの自分を思い返しました。一つ一つ楽しく生きていたけれど、「もう大丈夫かな?」と自分の心を確認すると、ある一場面は止まったままでいるのがわかりました。今は私自身が安心できる裏づけと能力を集めているところなのです。少しずつしていけば大丈夫。それにしても、すっかり入り込んでしまうことは少なくなってきたから、私もずいぶん成長しましたよ。


2007年02月02日(金) ひなた

ひなた

日向はいつも日向だ。
昔は日陰に居たけれど、今はいつも日向を作っている。自分のための日向だ。ぽかぽかして気持ちがいい。
自然に人が寄ってくる。みんな、温まりたいのだ。

時々、台風がやってくる。
日向のような格好をした台風もある。
そんな時、自分の心を大切にしていたら、台風は「場所を間違えた」と言って、去っていく。

日向はいつも、そこにある。
何処にある? ほら、すぐそこにある。
日向を見つけるのは自分だ。
そして、もっと広い世界を知ろうとするのも自分だ。


2007年01月31日(水) 自分育て

 昨日、「自分の為に」という言葉を聞きました。「自分の為に」という文字の前で、自分を見つめました。これまで、自分を辛さから開放してあげたくて、しゃにむに心の傷を癒やしてきて、その過程でさまざまな出来事に出会い、その度自分を見つめ、おそらくその度、成長してきました。

そして、我、ここに在り。

改めて、「誰のために?」と自分に問うてみたら、確かに「自分の為」でした。しかし、これは「自分のためにこうしよう」と思い続けてきたのとは違って、結果、「自分のためになっていた」ということのよう。私は自分自身のこの気付きに小さく感動しました。
 その後、「まだまだ知らないことがたくさんある」ということを実感しました。「知らないことがあるということを知っている自分がいい。「物事に興味を持てる自分」の前提のように感じています。そして、いつもゆったりがいいです。自分の完璧さをはずした分だけ楽な自分を生き楽しめる。そして他者に完璧を求める自分を変えていけるのです。さらに自分を許してあげた分だけ素直にもなれるのです。素直な自分は素直に自分の現実を見つめ、過去の傷付いた心から自分を開放させてあげられるのです。私が自分の好奇心を突いてあげた分だけ、自分を育ててあげられるのです。

 大人は「大人」という枠に自分を閉じ込めやすいです。大人は昔、子どもでした。それも、純粋に全てのものに好奇心を持つ子どもだったのです。 


 ところで、今年の夏、ベトナムへ行こうと計画していました。そして今は、当初の計画より先延ばしにしようと考えています。理由は金銭的なものです。
 実は、先延ばしが浮かんだすぐ後、これまで取り組んできた自分が無くなってしまうようで恐かった。3年間いつも、何があっても、この目標を意識して成長してきた過程があるからだと思います。今は、「行きたい=行く」で動いてきた自分は卒業していたけれど、小さくあった子どもの事があっという間に膨らんで、心は揺れ動いていました。 
 そして今は、全てのことは、私の中の小さな点なのだと捉えています。だから、もう大丈夫。そして、行けた時が行けた時。これからも少しずつ成長していく私です。

私は自分育てが好きです。


「語り」
 昔々の20代の頃、昔々の友人はこんな事を語りました。「人って、自分の考えを人に語るときにはある程度、気持ちは決まっていて、でも、ほんの少し後押しして欲しい時なのだよね」。
 一年位前、ある女性が私にこんなことを語りました。「人は、自分の中にある程度の考えを持っていて、その事を語るときには、確認が欲しいとき・認められたいときなのだ。誰かに何かをしてほしいとか、答えが欲しいのとは違う。肯定されたいのだ」。私はこの二つのどちらの考えにも共感していました。そして今は、次のように感じます。
「私はたいてい自分の考えを元に一人で動くことが出来る。そして私は自分の考えに迷いや疑問があるとき、少し表現してみたくなる。そして、私はアイデアを求めているとき、アイデアを求めていると他者に表現することが出来る。」そして否定から生まれるのは否定であり、肯定から生まれるのはよりやさしい肯定だ。

私は、自分を楽に語れる場所で、私の心を語ります。


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