「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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育成会。 ある女性は「しているつもりよりも、焦っている自分を知っているほうが、はるかにいい」と纏めてくださいました。流れの中で、私は、巻き込まれた自分に焦っていることを少し語りました。別の育成会の主催者さんは、「少しずつでいいんだよ」と言いました。そうですよね。いつもひとつずつだものね。 私達はたいてい、子どもの頃に「泣いてはいけない」と教えられます。泣いちゃいけない怒っちゃいけない。ニコニコして大人の基準の通りに動く子どもであることを要求されていたのです。 でも、これは違います。心の傷を癒やす作業以外でも、私達は大人も男性も、泣いたり悲しんだりしてもいいはず。泣けてくるほど悲しい自分に気が付けるから心が楽になっていくのだと思います。 私は、自分の悲しみや怒りを感じている自分を認め、心に感じられるとき、真に自分と向き合っているという感じがします。そして、心が安心します。
育成会の後、ある男性を介してある男性とお会いしました。 その方の年齢は、65歳を過ぎています。彼は、世の中のおかしさを、年金の話や石油価格を例にして語ってくださいました。 他の話題も含めて要約すると、「日本という国は、人の心に大切な部分は少しも見せられていないのだよ。」。私は「日本という国は生きつらいです」と伝えました。 本当に、日本という国はおかしいことがいっぱい。それから、政治家や大企業の中には、日本の末端に生きる私達に隠されているものがあることを知ると、悲しみを感じます。 そして私は、自分のスタンスを大切にしてやさしくふんわり生きていきます。日本という国からするととても小さな自分を、暖めて生きたいと思います。
昨日朝、キッチンに降りたら、流しの前の棚にさびた包丁が棚から10センチくらい飛び出して置かれていた。さびて使えない包丁の刃先はこっちを向いていて、まるで私に向かってるように見えた。包丁には恐い経験がたくさんある。傷口から血が拭いて出てきているという思考にとらわれた。私はひどくフラッシュバックした。恐かった。目を開けていたいのに、眠くて眠くてたまらなかった。アンカーして切り替えても切り替えても、恐さが襲ってきた。自分の目が上に下にきょろきょろしてるのがわかった。心に「アーもう駄目だ…。」の声が浮かんだ。 そこにある思考が沸いた。「待って。こんな自分が分かってる。」。私は自分が分かってるんだ。だから、まだ暴れていないんだ。過去とは違うと実感した小さな変化が、自分への救いのように感じられた。それに自分がフラッシュバックすることの原因は分かっているから、巻き込まれて入り込まないように意識していれば大丈夫かもしれないと、先にある光が見えてきた。私は現実を見れるように、仕事に出かけた。 夜、やっぱり駄目だった。キッチンに入れなかった。もう一度外に出て、外食をして部屋に戻り本読みをして心を落ち着けた。そうしたら、20歳くらいのことが浮かんできた。怒りを抱えて乱暴な自分だった。今度は私が他者に包丁を向けていた。二つの傷を癒やした。少し落ち着いた。 その後、これからの事を考えた。チャイルドを癒やしたというのに、尖った刃先が浮かぶとどうしても恐い。恐さが来て暴れてしまう自分では、チャイルドを引き出せない。 トラウマは、もう一度その場所に行って楽しむことで癒やせることもあるのだ。それならまず、キッチンに入れるようになるまでの能力を蓄える為に、現実を生きよう。順番が逆だけれど、今出来ることをする。今のことをしよう。そうすれば、自分の抱えているこの大きな傷を癒やせるはず。そう決めて布団に入った。布団の中でも、さびた刃先が何回もちらついた。それでもたぶん、じきに眠った。きっと、自分はどうするかを決められたからだろう。
今朝、確認の為にさびた刃先を思い浮かべてみた。背中がむずむずして暴れたい気持ちが少し。刃先が浮かんで恐かった。まるで刃先依存になったみたいだ。でも、昨日と同じになるのは嫌。今を生きたかった。 台所を後回しにしても、今のことが出来ていれば大丈夫のはずだと、能力を意識して家を出た。コンビニでパンを買って食べた。昼間は丁寧に仕事をした。それでも昼休みには頭に刃先が浮かんだ。恐さがあるけど大丈夫。昨日の朝より、昨日の夜より、そして今朝より、少し小さくなっている。それから今は、今日の昼間よりも小さくなっている。もうすぐ大丈夫になる。この調子で進めば、このことをきっかけにして心の傷を癒やせるはず。 それから、同じものを見ても、大丈夫な人も居る。もうじき私も、包丁を見ても平気な自分になれるはず。未来に興味がわいた。
それにしても、どうしてあの場所にあのような形でおいてあったんだろう。だれがしていてもいい。責めるようなものとは別の視点で、自分に起きた、この点の理由を知りたい気持ちがある。しかし、それを知っても意味がないそうだ。仕方がない。
明日も今の事をしよう。明日は今日よりも楽になるだろう。 心がさびてしまわぬよう、自分にやさしく生きよう。
この頃、職場の女の子から「Mamoちゃん素敵ね」と伝えられることが重なっています。 以前は、誰と居てもいつも何処かで緊張していて、素敵といわれても心のどこかで、(そんなはずはないだろう)と疑っている私でした。それから、本当は悲しいのに平気な振りをしたり、本当は嫌なのに笑っていたり、大変な大変な自分でした。自分でも分からない自分の事を、他者に向けて語るなんて、大変なことでした。 でも今私は、自分の心の扉を以前よりもたくさん開けている。長い時間空けていられる。 そしてこんな私を素敵ねと言っていただけることも、新しい生き方をしている私を認めら歓迎されているようで、嬉しいのです。 何より、以前よりも楽に語っている自分が嬉しいのです。
**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **
休日。午前中、ベトナム語や算数の勉強をしました。 算数は大きな数の足し算引き算と九九をしました。算数には規則性があるというのを聞いたことがありますが、九九の5の段以外にも規則性があることを知り、うれしくなりました。そして、数字は大の苦手だった自分が楽しんでいるのが面白かった。考えている経過が楽しいのです。 依然見たDVD『インドの衝撃』の中にも、算数の計算について、面白い取り組みをしていました。答えを教えるのではなく、それぞれのひらめきを大切にし、ひとつの問題を丁寧に考える経過を楽しむというインドの授業。算数は楽しみの中で力になるそうです。DVDに写っていた学校では、テストは1つの教科で3時間です。答えがあっていなくても、答えが出るまでの過程が興味深ければ点数になるというのです。私もインド方式に習って算数も楽しみの一つになりそうです。この楽しみを自分で自分に伝えてあげる。私は私自身の算数の先生になります。算数を楽しむ方法を手伝う先生です。
それから、この頃Gobamcanではベトナム語がちょっぴりブームなのです。ベトナム語は心にやさしい言葉です。そして日本語も心にやさしい言葉です。英語もドイツ語も、同じ。やさしい言葉はやさしい心から発せられます。 やさしさは、自分の今を生きていることの自信によって、自然に発せられるみたい。やさしさも素直さも、先を見て今を生きる私から沸き起こってくるのです。
夜、空を見上げたら、星がきれいでした。オリオン座のペテルギウスのやや北よりに光る星はふたご座のポルックスという星のようです。…合ってるかな??
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
自分が歓迎された経験を思い起こして書き出そうと思いつきました。4年前から向こうの過去のことは思い出そうと出来ませんでしたが、心の勉強を始めてからのことは、書いているうちに、永遠に続くことに気が付きました。否定されなかったということは歓迎されていたと捉えることもできて、私はこれまでたくさんの人に歓迎されていました。 そして、いつでも自分を歓迎してあげられるのは、私自身です。こんな風に感じるとき、私は心から安心します。自分を愛してあげられるのも、私自身です。
今日は、解離性同一障害のDVD『DEAR〜傷つくもの達…。』を見ました。これは、ドキュメンタリーを元に舞台公演用に作られたものです。 DVDのパッケージに書かれているのは、「/日本ではこの障害がまだ事実として受け入れられていません。虐待を受け別の人格を作り出す子供達。薬では治らないとされているのに投薬治療のみを続ける医師、副作用で苦しむ患者、それを支えることが出来ない今の精神医療の現状。このような悪循環があるにも関わらず、それさえ気が付かない患者や家族が大勢居ます。/」です。
以前から知っているビリーミリガンという外人ではなく、同じ日本人としてみるものは叉違う感情がわきました。病院でのやりとりや人格の交代の場面があり途中で2回ギブアップし、現実を意識しなおしてから、最後まで見ました。なるほど、パッケージに書かれているように医者の言葉のおかしさ・社会のおかしさが表現されていました。私の日々感じていることを、同じような経験をしている方が表現していることについては、私の思いも深まりました。苦しい自分を感じられるとき、社会のおかしさに気が付けるのだと思います。 ただ、私は自分のことを障害という捉え方はしていませんでした。苦しいときには本当に苦しかったけれど、「障害」と言ってしまったら自分がかわいそうな気持ちがしていました。それから、意図的に人格を作り出したのではないので、この表現にも違和感があるのです。
そういえば昨日朝、こんなことが…。 私は食べたご飯の食器をテーブルに置いたままコーヒーを入れ、食器を洗い忘れて部屋に上がりました。30分ほど後に、カウンターの上にぽつんと残った食器に気付いて「あら〜」と、一人笑えました。その後出勤する車の中で、忘れた行為を笑えた自分を思い出して、嬉しくなりました。 一年位前の私はおそらく、テーブルに残ったお皿を見たら、時間が飛んでいた頃の自分に戻り、「今度はいったい何をしてしまったのだろう」と自問して「正しくしなさい」と言い聞かせる私だったのです。かわいそうなことをしていましたなぁ。間違えることもあるのにね。(そして、忘れものは小さい方がいいのです)
今日は、園長さんと、一昨日の子育て支援の感想を交えて、久しぶりに会話をとりました。 私は園長さんを時々自分の母親にしてしまいます。園長さんと同じことを語ろうとしてしまうのです。だから自分の持っているものを意識して語ります。意識していても違う部分にうなずいている自分も居るから、うんと意識してちょうどいいのです。 今日もまた、自分の意見を言葉にしようと意識しました。それと、最近、他者に私を語ると、私という人を理解していただけることを知ったので、自分が伝わる経過を楽しめることが増えてきました。こんな時、相手の反応は私の中でとても小さく終わります。
どんなことにも時期があるのです。 まずはその時それをしてもいいのかを吟味することが大切なのです。 そして「こうかな?」とひらめいたことは、しばらく自分でしてみればいいのです。してみると、どうであるかが分かるのです。してみることで分かるのです。すると、次が浮かぶのです。
** 〜Toi muốn đi Baseball〜 **
昼頃、キッチンの窓の外に、ジョウビタキのオスがやってきました。山吹色の身体の背中に白い模様をつけていました。顔はよく分からなかったけれど、かわいかったのです。ちなみに、名古屋へ来て一番先に、[「かわいい」と感じた鳥は、ジョウビタキのメスでした。それはインターネットの画面の中で白くて真ん丸い目をしていて、くすぐったくなるくらいにかわいくて、いつまでも飽きずに見ていたのを覚えています。 夕方、久しぶりにベトナムのお友達のところへ遊びに行きました。久しぶりで懐かしく感じました。ベトナムの女性はきれいな黒髪を伸ばしている方が多いです。別のベトナム人の友人の話では、ベトナム人の女性は美容院に行く習慣がないそうです。きれいな黒髪、素敵でした。私も今は髪の毛が長いです。 それから、今日はベトナムの旧正月(tết)だそうです。Chúc mưng năm mơi(あけましておめでとう)の練習が出来ましたよ。 それと、ベトナム産のココナッツのアメを頂きました。これが、口に入れてみると、とても硬かった。頭の中で、(食べ終わったら「私はアメが大好きです」をベトナム語で言おう)と計画を練りました。早く食べ終わろうとして奥歯で噛み砕いていたら、アメの中に何か硬いものが当たりました。(やけに硬いなぁ。ココナッツの実?!まるで歯が抜けたみたい)と思っていたら、本当に差し歯が抜けていた…。 あ〜びっくり。自分の出来事に笑えました。隣に居た人も笑っていました。研修生さんは、「Mamoちゃん、もっとアメを持って帰ってください」と言って袋に入れて渡して下さいました。後で思い出しても笑えました。
「したかったことがたくさんあったんだなぁ」 子どもの頃の純粋に楽しい想像も、親たちの争いや乱暴な言葉にかき消されて消されていたことを改めて実感しました。 私たち日本人が、本当にしたいことがあきらめたり、途中で出来なくなる理由のひとつに、集団にいることをよしとする風潮があります。例えばその場所が誰の目にも乱暴に映る場合は明らかに見分けが付くけれど、ボランティアや癒やしのスペースなど、一般常識の中で一見素敵に見える場所では、そのマイナスは見えにくいのです。学校や職場でも同じことが言えるのです。 私にも、皆と同じであることを基準にさせられた為に、出来なかったことがたくさんあります。赤ちゃんの頃から数えてみたら、その数は300万回以上になるでしょう。 そして私は、その傷を抱えたまま子どもを生み育てようとしました。子どもの泣き声に怯えてうずくまりました。育児雑誌や情報誌は、何が基準か分からない私を混乱させました。母の自分が苦しくて、周囲についていけない自分に泣きました。 4年前から、自分を大切にすることをしてきました。そして今の自分がいます。 今思うことは、私は子どもを生む前から、周囲についていけない自分に泣いていたということ。それから、母親になった私が本当にしたかったのは、小さな赤ちゃんをやさしく抱いていたかったのだということです。 そして、今は、私は心から笑っています。だから、私は私の基準でいい。これでいいのです。私は今の自分と明日の自分と自分をつなぐ“モデム”なのです。
ジョウビタキのオス
育成会 心の傷を癒やせた分だけ、ワンダーな自分になるということばに、「もっともっと、好奇心たっぷりの自分を感じ続けたい」。という欲求が心の底からわきあがってきました。
午前の部と午後の部で、朝日新聞に投稿した裁判に関する記事を見ていただき、語りあいました。自分を見つめ丁寧に生きることが、社会の変化のきっかけになれば、それはそれでうれしいです。 裁判のことは、あの後自分のページが増えた分だけ、過去の事になっています。けれども何かのたびに思い出すのは、裁判をしている間、大切にしていた言葉。
“「権力を恐れず、自由に学び議論せよ。」(アメリカジャーナリスト ウォルター・クロンカルト氏の言葉)”
そして、最近気に入っているのは、07年1月11日付け朝日新聞の「モノサシ探し・文化の現場」から、チョイスした言葉。 “「現代のタブーには、二つある。 一つは、権力が抑えるタブー。 二つ目は自らが常識・良識と思っているから自縄自爆担っているタブー。 一つ目を打ち破るには、「勇気」があればいい。 二つ目を打ち破るには、「疑う知性」と「懐疑心」。”
私はいつも自分よりも強いものを恐れて怯えて生きていました。本当は人は皆同じでした。社会は、一般常識からすると底辺に居る私たちの心の声を受取って下さったら、自然に変わっていくものだと痛感します。 ただ、一般社会の多くの方々は、私たちの言葉に耳を傾けて下さることは少ない。だから、いつも私は私です。
今日もまた、心の底にあるものを自分のこの手で救い上げる気持ちで育成会に参加しました。
ちなみに、本日の朝日新聞2面、「ひと」に、ご自身を性同一性障害と認めておられる方の性転換手術をしている医師の記事が載っていました。私は、病院で働いていたものとして・人として、あふれる情報のまずさと社会のおかしさと、さらに現代の医療のあり方と人の心のギャップに大きな違和感を感じました。
そして、私は私です。
| 2007年02月16日(金) |
人として持続すること |
私と他者との関係は、そこに居る人によって自分は親になったり子どもになったり、年上になったり年下になったり。そんな中で、いつも同じなのは、私は一人の人であるということです。 私は今40歳ですが、自分を信頼できると、心から安心します。周囲に自分を信頼して生きる大人がいると、より安心します。自分もそんな風になりたいとか、素直な生き方がしたいとか、自分がこれから向かう人生の先に、明るくてやさしいものを感じました。私のプラスの人生の見本はいつも何処かにあり、私がプラスの視点で世の中を見たぶんだけ、心に浸透してくれるのです。 私達の親や社会の大人の「人生は大変だ」というのは違っています。本当は人生は楽しいものなのだと、自分の未来も明るく想像できるものなのです。 ファシリテイターは以前、「人生は技術だ」とおっしゃいました。私はいろいろな人から、人生をやさしく築きあげる技術を学びたい。そして、自分で自分を育ててあげるのです。
昨夜、姉に書いた手紙を、以前のと読み比べました。 まるで、違う人が書いたような文章に、昔の自分を思い出しました。 ずっと昔、私を見ていた姉が、「なんかさっきと違う人みたい」と言ったことがありました。その時私は、自分の事情に気が付いていなかったけれど、姉の言葉に、自分をどうしたらいいのか分からなくなりました。「しまった」と思っている自分も居ました。 そして今回は、自分で「何か違う思考で書いてるみたい」。 でも、すぐに「いいのだ」と感じられました。どんな自分も、一日に2万回浮かぶ思考の1つ。そして過去の傷から解き放たれていく私の人としての思考です。
もう、全く違う思考を感じても、驚かずに受け入れられることが増えて続いてきたなぁ。「私はロボットではなかったのだなぁ」なんて、今頃実感しています。 私も一人の人です…。そうだったんだなぁ。改めて、うれしい。
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