「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年03月14日(水) ここ笑み

 楽しんでいいんなだぁ。
心穏やかで、そして軽く弾むような気持ち。
基本的に自分を信頼していれば、見たものをプラスに広げることが出来る。
出来ていることがある自分を知っているから、これから出来ることも見つめていける。
 社会に馴染むことから離れ、“個”としての私を大切にしているから感じられる安心感。そして新しい世界。
 
 これからも、やさしい自分を育てるために、私は今、何をすればいいだろう。今浮かんでいるアイデアは、やさしく丁寧に語っていくこと。
言葉は、自分を伝えるための一番分かりやすい方法だから。そして実践しやすいから。
誰にも分かる日本語を使って、シンプルにやさしく語っていこう。
ホワッとやさしい私を育ててあげよう。..Hai ngày..

**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày chơi nhé〜**(野球のページへ寄って下さいねぇ~…これはOKですョ)  
それから、
Nêu có gip, Các ban, Xin mơi chơi tôi nhé!(皆さん、機会があったら遊んでね~…こちらはあっているかな?不明ですョ) 
Hên gap lai! 

追記 入力の都合上、発音記号を振っていないものがあります。


2007年03月13日(火) カウントダウン

 朝、車のタイヤがパンクしていたので、朝からタイヤ交換をするために少し早く起きました。そうしたら、すごい。15分くらいで出来てしまった…。後で考えてみたら、確かにそのくらいで出来るものなのだけれど、出勤前だというのに、心に余裕を持って慌てずのんびりタイヤをはずしている自分がうれしかった。なんでも楽しいですね。

 仕事。
先日討議された今年度の保健の統括の文章に、私の名前入りの文章を原文のまま使っていただけることになりました。ただ、園の方で一言入れさせて欲しいという条件が付いていました。実は、私の心は既に次に向かっていたのですが、削除せずに利用していただけるのであれば…と再び視点がそちらへ行きました。
 園の方で付け加えたい言葉は、あってもいいものと思えたので、それを私の言葉で作成し改めて提出させていただきました。伝えてみると何かが起こるのですねぇ。
 退職まであと、12日。私は退職するその日までワクワクしたいのです。
最後の日、「ありがとうございました」と言って職場を去って行きたいのです。‥Một ngày‥



2007年03月12日(月)

 午後、面接へ行きました。
今度は、介護ヘルパーの臨時講師です。いくつか質問していただいたので、それに答えるべく、私を語る機会を頂きました。質問の中に、「受講者さんから、介護ヘルパーの資格はなくなるんですか?と尋ねられたら何と答えますか?」というものがありました。こんな質問は大好きです。私は「社会には、無くなると言われているのに無くならないもの、無くせないものがあること・大切だとされているけれど大切ではない・邪魔になるものがあること・基準にされているけれど基準になっていないものがたくさんあること。それから、私達は1つに資格にとらわれずに新しい世界を広げていくことが出来ること」を語りました。世間の情報に流されずに生きる私の話はとどまるところを知らずに広がり続けました。ちなみに私の語ったことは全て、私の人生という実話なのです。
 楽しい面接でしたが、今度こそ採用していただけるといいな。

 夜、小さな戸惑いを伝える練習が出来ました。伝えた直後の結果は、私の想像したものとは違っていました。途中で相手の言葉に怒りが沸いてきました。怒りをアンカーしつつ、他者の言葉に戸惑った自分をもう一度伝えました。
 そこへ、思考は一日2万回浮かぶと言われる言葉がすっと心に入ってきました。「そうか。2万回のうちの1つを口にしているに過ぎないんだった。私も同じだったんだ。そして私は浮かんだ思考を言葉にしていないけれど、思考が浮かぶというシステムは同じだったんだ」。
 途端に、それまであった怒りは小さくなり、反対にうれしくなりました。それから、「今まで、いつもいつも、怒りに巻き込まれる自分を繰り返していたんだなぁ」と改めて実感しました。自然に顔はニコニコ顔。こんなに大切な状況に気が付けるなんて、本当に何があってもそこからです。「気付かせてくれてありがとう」。
  
 後で、2万回を感じたことによってあんなに力が抜けたのは何故かを検証してみました。
そうしたら、その理由は、心に感じた安心感のためでした。
「私もその方も、2万回の思考を持っている。それぞれの“人”。“人”である」ということが分かる安心感。そして、浮かんだものは浮かんだものとして、いい。こんな思考の中で、怒りと戸惑いで怯えていた私の全身から、すーっと力が抜けていったのです。
 今、私は自分にやさしく出来る私です。自分を大切にする自分を育てています。これからも、自分を守ることが出来る自分を信じてあげられれば大丈夫。
「私は私。私、大丈夫なんだよ。」。


2007年03月11日(日) 生きるということ

 日曜日。ベトナム語のDVDの編集をしながら勉強しました。少し前、1つの疑問に対していろんな種類の教材を引っ張っていたら、机の上がすぐに埋もれて帰って勉強し辛いことに気が付きました。だから今は、固定したものともっぱら、インターネットを活用しています。ちなみに、インターネットの中にも、無料の日越電子辞書があります。普通の辞書で引くよりも検索時間がうんと早くなるのです。
 最近、ベトナム語は英語よりも簡単かもしれないと感じています。なぜなら、スペルの同じ単語にアクセントを変えるだけですぐに3つの言葉を知ることが出来るからです。それが、アクセントのあるものと無いものが類似するものだったり、または全く違うものになったり、いろんなことに感心しています。何かを知っていくのってこんなに楽しかったのですねぇ。

 昼前には、Roommateと用事を兼ねてドライブをしました。途中で車に変な音がしていることに気が付いたので、降りて車の周囲を見てみましたが、異常は分かりませんでした。車から降りた時、慌てず落ち着いて行動している自分が眺めている自分がいましたよ。こんな自分に気付けることが嬉しいです。
 ドライブの間に、時間の話をしました。一日24時間のうち、8時間は仕事時間・8時間は睡眠時間・残りの8時間は自分の事をする時間です。考えてみると、朝起きてから職場へ着くまでに、既に3時間経っているのです。明日から朝の時間ももっと大切にしようという思いが自然にわきました。
 そして、何をしていても、全て自分のためにしています。寝るのも起きるのも、ご飯を食べるのも、全て自分のためにしています。歯を磨いているときもクルマを運転しているときもいつも自分の何かを考えています。だから、やっぱり、いつも自分の為に生きている私なのです。そして、いつも何かが出来ている私なのです。

 死んでいたら。
あの時もあの時も、自分が死んでいたら、今このとき、自分が24時間使って生きていることに気が付けないままでした。
私は、「生きていてよかった」と、死ぬまで思うと…思う。


2007年03月10日(土) すくすく

 今日は、園長に、昨日の職員会議で伝えた補足として、「私の文章の一部を削除される場合は、私の名前を文章の責任者から外してください」とお願いしました。伝えた後、「今までは、逃げてることが多かったなぁ」と感じました。そして、「今の自分を持続させよう」と。ちなみに、今回の場合、昨日までの状態では出来たとは言わないそう。今日のところまで伝えて始めて「出来た」と言うそうです。何故かな?
 午後、Roommateと遊びました。この頃の出来事から、心の傷を癒やす前と後、使用前と使用後を語り合いました。たいていの私達の返事は「そうなんだ」「そっかぁ」「そうそう」。いつもやさしい空間です。
 そして、この短期間にベトナム語の一センテンスがとても上手になっている彼女。本当にびっくりしてしまいました。と言っても、理由は分かります。興味を持つと自然に上手になるのですねぇ。
 この頃女の子と遊ぶのが楽しいです。子どもの頃には経験できなかったことの1つ。いろんなことをさせてあげて、狭い箱から抜け出して生きる自由な自分を育ててあげるのです。

 夕方、通訳の女性とお会いしました。彼女は私に、日記に載せていたベトナム語の新しい表現を伝えてくださいました。説明を聞いてみると、なるほど、私の伝えたいことが伝わる言葉でした。日記を読んでくださっている方の中に私のベトナム語を見本にしている方がいらっしゃったら、ごめんなさいね。ちなみに二日前、中日と朝日の両新聞で「ベトナムから来日している研修生さんが企業側の乱暴さを訴える裁判を起こした」記事を読みました。中日新聞の見出しには「虐待」の文字。経済大国日本では経済的に弱いものを利用してひどいことをする人がいるのです。
そして私は、言葉の分からない外国で自らの裁判を起こすべく動いた女性達の“勇気”に感心させられました。私達はいつでも、自分よりも強いというイメージの中で怯えます。でも、権力に負けず自分を伝えることは、不当な扱いを受けて傷ついた心が楽になるきっかけになるのですから、裁判を起こした女性達の今後の人生に大きなプラスになることだろうと想像しました。 日本人の私は昨日の会議で、大人は子どもに伝わる言葉を選ぶといいという内容の事を語ったのですが、例えば日本語を知らない外国の方に日本語が伝わらないとするなら、言葉を間違えているのです。日本語をたくさん知っている日本人が外国の方に伝わるやさしい言葉を使っていくとその人自身もやさしく成長できるのです。

 それから、保育園恒例(だそうです。)文集に、心の傷を癒やしている自分を書きました。他の方のページを読もうとしましたが、私の心に響くものは見つかりにくく、途中で断念しました。
私と同じ意見が世界中にたった一人でも、それは私の意見です。
私と同じ意見を持つたった一人の人は、私です。(これ、いいかな)
私は世界にたった一人の私です。


2007年03月09日(金) 小さな卒業

 職員会議で、今年度の保健の取り組みを纏めた記事について検討されました。
内容は大きく分けて二つ。二つとも、昨年の3月から一年間一貫して続けてきたことでした。けれども、実は就職当初に「こうしよう」と意識したのではなく、一年を振り返って始めて、一貫して同じことを伝えていた自分に気が付いて、「あら、そうだったんだ」と少し驚いたくらいのものでした。もちろん私は、この事実を「心の楽さから自然に続けれらていたものだ」と嬉しく受けとめました。そして今回、一年間のまとめとして、自分が大切にしているものと、そのことを社会に惑わされず一貫して語ってきた自分を認め、公の文章にした、という次第なのです。
 しかし、このうちの1つは、幹部から削除して欲しいと伝えられました。理由は分かりつらいもので、私には園の方針から外れるからだと感じられました。そして、私の大切にしてきたものを消されるのでは残念な気持ちが残ります。なので、しばらくの間、小さな議論になりました。その間、「私のどこを伝えればいいか」と吟味している余裕は無く、思いつくことを語っていました。
 それでも私は、「新しい場所で、何が出来るかを探して一年間持続させ丁寧に取り組んできたこと」・「いつも学ばせていただく立場にあったこと」。通常ご両親の為に作られるという文集を、「自分の為に纏めたこと」。それから、いくつか取り組んできた健康教育については、「私の内容が伝わらないとするなら、大人の私が言葉を間違えていると捉えていること・出来具合がどうであるかなどの事後調査のようなものをするのは避けたかったこと」。「うがいも手洗いも、まず、全ての大人が続けている環境が必要であると実感したこと」。そして私自身は自分のしてきたことの中から、「次へ繋がる内容を残したいこと」。だから「私の文章が全ての方に理解されたいという考えは無いこと」・「評価を求めていないこと」。最後に「多くのことを学ばせていただいた一年であった。その気持ちをこの紙一枚に濃縮して書かせて頂きました。なので、これをこのまま残してもらいたいです」と伝えました。
 けれども、状況は変わらずでした。最後は、私は「載せられない部分は削除していただいてもいいけれど、残せる文章の中の言葉は変更しないで下さい」と伝えました。伝えている間中、心臓はドキドキ。手が震えているのが分かりました。

 夜になって思い返したみたら…。
昼間、会議室に座っていたのは、創立30年の、多くの子どもさんを預かっている保育園という場所で、園長さん始め幹部の保育士さん4人と給食室の方2人と保育士さん12人の前で、自分を伝えようとしている新しい私でした。それは「私の心を消さないで!」という叫びにも近い形でしたが、どんな形でも、自分を伝えようとしている新しい私だったのです。そして、手が震えても語れるものがあった私なのです。子どもを虐める自分自身に怯えていた私は、泣いて暮らしたあの日の自分を卒業できるかもしれません。過去の自分を思えば…、私は今日の自分に小さなHugを送りたい気持ちなのです。

さて、これからどうなるのかな…。


2007年03月08日(木) 広がり

 外は冷たい空気。でも、近所のお宅の木蓮はもう花びらを散らせていて、街路樹のはなみずきも薄いピンクの花を満開にしています。かわいらしいですね。そして私の心はか〜るく弾む小さなピンポンだまのよう。きっと、薄いピンク色をしています。
 世界は広くて、宇宙は無限大で、私達の可能性も永遠に続いていく。世界は私が知っている分の何兆倍も広いのです。私は自分を信じる自分を大切にします。好奇心に満ちていると、年を重ねても死ぬ瞬間まで何かを探して輝きます。きっと私の人生も、プラスに思い描いたように広がっていくことでしょう。

春ですね〜。

**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **


2007年03月07日(水) 自分のために続く道

「自分のために生きるということ」

 一般社会の人は、人のためとか子どものためとか、親のためとか言います。でも、私はいつも、自分のために生きています。
 私がもし、会社のため、子どものため、誰かのために何かをしていたら、
私はその人に認めてもらわなければ、自分が成り立たなくなるでしょう。
人生の終盤になって、誰かのために何かが出来なくなったとき、自分は空っぽのままだったらどうしましょうか?誰かのために何かが出来ない自分に焦るでしょう。「○○の為にしてやったのに」という言葉は、一見無力な自分に対する焦りの中から出てくるような気がします。この言葉は、罪です。

 私は自分のために生きようとしています。だから社会に反しています。でも、これがいいと思っています。


2007年03月06日(火) 心の広がり

 子育て支援
保育士さんが、お母さん方に何か質問をして話を広げたいと考えていました。私にも「子どもさんの長所は何ですか?にしようか。何がいい?」と尋ねてくださったので、「私なら、お母さん自身の素敵なところは何ですか?がいいと思う」と提案しました。すると保育士さんは、「エー。それは難しい。私もすぐに答えられない。Mamoちゃんの長所は何?」と。私は「素直なことです」と答えました。保育士さんは「なるほど」とおっしゃいました。しかし、一般的には自分のいいところを語るのは恥ずかしいそうです。
 私は、お母さんも赤ちゃんも、私も他の人も、そこに居ることが、すでに素敵なことだと思うのです。それと、自分の素敵なところも小さな点です。皆が自分の素敵なところを語れるといいな。そしてこれから成長するところも語れるといいな。つまり、ありのままを語れる自分がいいのです。
 それから、保育士さんは今日、「やっぱり看護婦さんがいると心強いよ。専門の知識は無いもの」と言って下さいました。私はうれしかったので、「ありがとうございます」と伝えました。
 お母さん方には、支援での会話とその後に頂いた感想に返事を書いたものをプリントアウトして持っていきました。私からの返事の中には、他の方と語り合ったことも書き添えておきました。これには理由がありました。皆さんと個別に語り合った内容を書いておくことで、おそらく皆さんが心の奥に感じていると思われる共通の話題にそれぞれの方が触れることになり、お母さん方が子どもさんを見るのではなくご自身を見つめようとする女性のグループが出来れば…という考えのもとなのです。
 退職まであと19日なのです。今年度のまとめ作業は残っていますが、心の傷を癒やした私の、新しい心で語ったものを纏めて終了かな。今は、一般の女性に向けて自分を語れたことを心から嬉しく思い、心はほんのりぽかぽかです。
 作って持っていった資料は皆さんが持ち帰ってくださり、全部なくなりました。売り切れというのは嬉しいものですね。
 このプリントについては、思わず「ありがとう」と言ってくださる保育士さんもいて、お礼を言われたことにちょっとびっくり。でも、ありがとうを伝えられるのは嬉しいので、私も「ありがとうと言ってくれて、ありがとうございます」とお礼を言いました。

 午後は、私の後に入ってくる新しい看護師さんに、引継ぎをしました。自分のしてきたことをお伝えしつつ、一年間ここで働いてきたんだなぁと、しみじみ…。一年前ワクワクたっぷりで就職したことを思い出し、懐かしく感じました。そして、新しいことに不安はつき物なのですね。私は今、私の後にいらした二人の看護師さんに、私の感じてきたことの何をどのように伝えていくと、お二人が楽しく仕事を始められるかなぁと思いをめぐらせています。そして、楽しんだ自分を語ればいいのだなぁと感じています。


2007年03月04日(日) フワフワの好奇心

 包丁の事があって、自分の中にある痛みを深く実感して、昨晩私は今まで気が付かなかった自分をたくさん知りました。大人の私が感じるあらゆる恐さの根底には、子どもの頃にいつも付きまとっていた自分の終わりを感じさせるような恐さが深く刻み込まれていました。「深いなぁ」とため息が出ました。そして、自分を見つめて癒やしていくことで、心のベールがはがれていくことも感じられて安心しました。
 私は今、鋭い刃先があの場所にあったことで、もしかするうんと先になっていたかもしれない心の傷を癒やしてあげられたと感じています。毎日毎日、今のことが出来ても、心に傷を残したままでは、生き延びているのと同じなのです。自分を楽しみ、自分の可能性を引き出しつづける生き方からは外れていることがわかります。
 大切なのは自分の存在価値や社会の評価ではなく、自分をふんわりフワフワ遊ばせてあげる、自分にやさしい心です。

 ところで最近、ベトナム語がブームです。金髪の小さな男の子もベトナム語を話しています。私もいつも心のどこかで口ずさんでいる感じです。
 私は野球のフォームもベトナム語も、新しいことをするには少しオーバーなリアクションをしてみたり、心友と何回も表現しあってみたりします。こうすることで自分に分かりやすく伝えているのだと思いますが、面白いです。
 この事について、あるRooommateとこんなことを語り合いました。「私達は子どもの頃、息を殺して静かにしていることを要求されてきたのだから、子どもの頃に出来なかったことを大人の自分に体験させてあげているのだよね」。毎日毎日、自分の好奇心の中で、自分を楽しませてあげるのです。

 野球の帰りに、けがをしたTeammateを搬送して春日井市まで行きました。彼を送り届けた帰りにきれいに咲き誇ったミモザの木と出会いました。まるで、「みてみて!」と言っているようでした。道の向こうの川に視線を落とすと、カモと大きなアオサギがいました。自然はいいですねぇ。

**〜Tôi muốn đi phòng đá cầu〜 **


何処かにカモが見つかるかもよ。


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