「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年04月09日(月) 吟味

 今日は訪問看護ステーションの面接に行ってきました。中では男性の理学療法士さんが一人で訪問リハをしていらして、その男性は穏やかな方でした。
 男性の話は、「今の社会は病院が病院として機能していない。病院で床づれが出来るのはなぜか?持っている力をなくしてしまうような処置をしているから。誰もが健康になる方法がある。それは自分にある力を使って生きること。利用者さんが自分からしたいと思って動くとき、心から健康に生きられるようになる。たいていの病気は治る。癌でも治る。」と言いました。
それから、通っている診療所のリハビリ室は、通常あるような機械は全部はずして畳とまっすぐ歩くためのラインが一つだけある。そこでそれぞれの人に必要なことを手伝っていらっしゃると。例えば半身麻痺で、夜も昼も殆ど寝ないおじいさんに、プールに通ってもらったことがあり、水の中なら身体が浮いて楽に歩けるからおじいさんも喜んで、そして夜はぐっすり寝るようになり、家族は安心して傍に来るようになった。こういう変化が面白い。今の看護は、本当の看護とは言えない。ぼくは特別何かが出来るわけではないけれど、皆がぼくと同じ考えを持っていけば楽になると思うから、皆に伝えてる。ただこの変化を数値化できないのが残念だ。でも、ぼくの中に確かな手ごたえがある」というお話でした。私は、半身麻痺の認知症の方をプールに誘うアイデアが浮かんだことを面白いなぁと思いました。
 そして私は、自分が大切にしていることと、今の社会にはおかしな規則がたくさんあると感じていることを語りました。話をしながら、男の人と語り合っている自分を見ていました。相手の語りに興味を持って楽しんでいる。それから逆に、考え方の違いも感じている。そして私は自分を語ってる。どこをどのように語れば、相手の言葉を否定せずに楽しめるかなぁと言葉を選びながら語ろうとする私でした。

 今日面接した場所は、心を大切にして働きたい私の候補に入りましたが、明日の面接場所は、ベッド数78床の内科専門病院です。78床というと私にしては大きめ。それに未経験の内科病院。10年以上前に同じような規模の病院で、自分を知らないまま働いていた私と今の私。原体験を楽しみにしている私も居ます。
それから、複数の選択肢の中で広い視野を持って、吟味します。


2007年04月08日(日) 約束

 朝、「今日(も)一日、小さなあなたを大切にするからね」と、自分に約束をしました。
赤ちゃんは、目に移るもののすべてに興味を示します。見て触って匂いをかいでみたり、いろんなことをします。分からないことはわかるまで尋ねてみます。
 ボールを持ったまま上を向いた時、木の枝が自分の目の前に広がっていたら、枝の先にボールを当ててみたくなります。楽しい話をしていたら、何を話しているのか聞いてみたくなります。丸いものが置いてあったら、丸の感触で遊んでみたくなります。
 私は今日一日、自分にその事をさせてあげられました。いつも意識しているようで、欠けていることも分かりました。大人の心に、子どものような好奇心の視線が宿っていれば、人生はいつも楽しいです。


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2007年04月06日(金) 宇宙

 午後、職安へ行って、ナースの仕事の面接予約を入れてきました。
前回看護師をしようと決めてから、少し時間がかかりました。
前回から今日まで、看護師の仕事を探しに行っているのに違う職種に意識が向きました。新しい自分を広げたい気持ちもあったけれど、病院で働いていた頃の繋がらないことの恐さもありました。
 それが、不思議。「原体験をさせてあげたい」「自分にあるものを大切に使える自分になりたい」と看護師の仕事に興味がわいたと同時くらいに、ベールがはがれて繋がったのです。「私は私なのだ」と心にジーンと感じて、不思議な感覚でした。そしてようやく、出来ました…。

 今私は、自分の心の世界を不思議に感じています。それぞれのベールは私が感じているよりも薄く、自分を見つめようとする意識次第で、素直に繋げられるものみたいなのでした。
だから、いつもプラスを生きる私の新しい世界が広がっているのです。きっとそうなのです。


2007年04月05日(木) 座学

 明日までの3日間、健診ナースの仕事。
港区の三菱重工まで行って、血圧を測り続けました。しばらくすると、単調な作業に飽きてきました。そこで面白いことを探す自分になっていました。測定に来る社員さんと話をすることです。三菱重工は飛行機を作る会社なので、緊張して高い測定値が出る方には、「飛行機に乗っていると思ってゆったりしてくださいね」と伝えたりしました。意味が分かって笑う方と、「へ…」のまま行かれる方と…。
 この頃は、今していることに飽きたり嫌だなと感じることもOKなのだなぁと実感していました。感じたものをOKに出来たら、そんな自分を遊べる自分に切り替えて上げられるのです。

 新聞で、「座学」という言葉を見ました。「座学」とは、「座って勉強すること」のようで、一般に使われている言葉だったのですね。始めて知りました。新聞の中では、ある出来事に対する意味のなさが書かれていました。
とすると、座学のみで終わると、机上の空論になるのかな。
 ちなみに、私はこの頃せっかく感じ取ったものを、座学のみで終わらせてしまうのはもったいないと実感しています。それに、考えているばかりでは、例えプラスの未来への発想も、想像以上に発展するのは難しいです。動いて始めてそのことがどうであるかが分かる。そんなことで最近はいろんなことをしてみる私。自分を信頼出来ている自分でした。

 昨日、保育士のための派遣会社の責任者の方にインタビューを受け、私のしてきたこと・今の気持ちを語りました。子どもを置いてきた母親という一般的な視線を肌に感じながら、一つ一つ答えました。 私の心の言葉は自然に出てきましたが、聞いている方にはどちらかというとちんぷんかんぷんのようでした。 そうですよね。一般的なこととは違うから。
でも、いいのです。私は自分を楽しんでいるから。
そして私はこれからも、今の私を理解される方にのみ、私を語っていきます。


2007年04月04日(水) 衝突事故から学んだこと

 昨日、建物の駐車場で、バックしてきた車にぶつかる事故にあいました。自分の身体に衝撃を受けたのは、強い風邪の為に目にごみが入り痛みで目を閉じていた時のことでした。気が付いたら地面に倒れていて、何が起きたのか理解するのに時間がかかりました。左肘を打撲し病院へ行きました。痛みが残りそうなので人身事故扱いにしていただきました。相手の方は私に何度も謝罪されました。そして私は、ぶつかった時の驚きで自分がわからなくなっている中、思考のどこかで「ベトナムに行ったらこんなときも一人だから」と感じていました。現実を見ようとしている自分。今思い返してみても素敵な自分だったなぁと思います。

 今朝は、まだ服を着るのが不便でした。痛みに心が沈んでいる自分に、この出来事を長い視点でプラスに広げられればトラウマは取れると思いつき、気付いたことの嬉しさの中で仕事に出かけ左手を使わずに済むよう意識して、いつものように一日を過ごしました。
 一日を終えて夕方には、一日前と比べて、痛みが小さくなっていました。「身体の傷はいずれ自分で回復する」と、いつも語っていることを自分の心に実感している自分を嬉しく感じました。
 唯一残念に感じていたのは、バットが触れなくなることでした。ところがこちらも、昨年左足にギプスを巻いたときには、グランドで試合を見ながら、自分に「早く治りなさい」と言っていたのに、今回は違っていました。私の中に「今度は何ができるかな」と出来ることを探している、一年前と違う自分が居ました。自然に現実を生きようと出来ている自分を確認できて、心に喜びを感じました。本当に素敵な自分でした。

 事故に関しては、相手の方の接触時の動きを見て自分はどうかなぁと考えました。私はいつもきちんと後方確認をしているか。ううん。何かに気をとられて忘れていることがあると思う。それから、自分の身体を自分で守るということを思えば、お互いの不可抗力だとも感じました。

 予定では、今日私は病院を受診し診断書を警察に提出することになっていました。ところが夕方になって二つの気持ちの中で迷いが出てきました。
治癒していくことを感じられる気持ちよさ・成長している自分に対して、少し深まった自信・自分を守ることを自分に伝えられた嬉しさを実感している自分と、まだ残っている痛みや不便を感じている自分との相談。身動きが取れないほどの苦痛なら選択の余地はないけれど、自分にプラスはどっちなの?…。
 病院の駐車場でしばらくしたのち、自分に「どっちもいいよ」が言えた時、診断書は不必要になっていました。痛みが引いていくのを楽しめる自分を持続させて生きるほうが楽しくて気持ちがいいからです。それに、やっぱりいろんなことを学んだ。より、長いプラスに広げられるほうを選択しました。一般的なものを置いて、心で解決した私なのです。

 警察署に人身事故取りさげの申し出をして自宅に着いたら、昨日の事故の方が菓子折りを持って待っていらっしゃいました。事故の取り下げを伝えたら、驚いていました。「痛みが引いていくのが分かったから、もういいんです。それに、私もいつも必ず後ろを見ているとは…。私も自分を見つめる材料になりました。それから、昨日たくさん謝ってくださいました。だからもう大丈夫なんです」
それでも、どうしてと問い続ける先方さんに、「昨日帰りにフィリピンバナナを買ってもらったから…」と言ったら、笑っていらっしゃいました。

 私も事故を起こすことがあるかもしれない。車に乗るということはそういうことなのだ。だから、より丁寧に自分を生きる必要があるのだなあと学んだ出来事なのでした。


2007年04月02日(月) 育ち

 訪問入浴のお仕事へ。
電車に乗っているときから、楽しんでいる自分。いい感じでした。
訪問入浴の仕事は会社の車での移動があるので、庄内川の傍のきれいな桜や菜の花の景色がきれいで、仕事をしているのに心はワクワクしました。
 さて、ひさしぶりに握る血圧計。図れるかなぁと少しドキドキ。でも大丈夫でした。当然と言えば当然ですが、こんな新鮮さも嬉しいのです。 入浴している利用者さん。気持ちよさそうに目を閉じていました。体重が軽いせいか、湯船の中でゆらゆら浮かんでいる方も。もしも私にもこうして入浴させていただくような時が着たら、湯船の中でこんな風にしよう、なんて想像していました。
 移動の車の中で、運転手の男性とヘルパーさんと一緒に派遣社員の料金の話になりました。ちなみに、一般的に派遣社員というのは給料が高いのです。私はその時、心を大切にして職場を動いてきた自分・自分自身を生きたい自分を語りました。
 少し早めに入浴の予定が終わり、契約終了の時間までデイケアの中で出来るお手伝いを探しました。こちらも楽しかった。以前はこの空間に自分の過去をかぶせて辛くなったり、すぐに思考が変わる私だったのに…。今日は、何をしても楽しかった。不思議不思議…。

 事務所では、看護師や介護士の免許の話や、こんな仕事をするにはこんな資格が要るという話をしていました。私も仲間に入れてもらいました。そして私がある時、「社会に働きやすい職場はないですから」と言ったら、皆さんが一斉にこっちを向いて「そうそう」とうなずいたので、少しびっくりしました。心に感じていることは、皆さん同じなのですね。
 それにしても、本当におかしな気持ち。他者と話したり言葉を交わしたりするのがこんなに楽しかったなんて、今まで知らなかったなぁ。

そして、この楽しさをやさしく語れる自分に育とう。


2007年04月01日(日) 心友

 午後、女性のお友達が遊びに来たので話をしました。すなおさとか純真さについて語り合いました。
 つい最近、独身20代の頃に、姉に無邪気に話しかける自分を見ました。ずーっと忘れていたけれど、先日姉と連絡を取ったのをきっかけに思い出していた過去でした。その時の私はまるで子どものようでした。ただ、当時はそんな私を否定されて終わっていたから、意識から外れていたのですが、今は「あの頃の自分はよかったんだ」と、思い出すたびに心に安堵感が広がります。ですから今では、あんなふうに出来た自分が好きです。そして素直がいい。何より心地いいから。
 お友達が帰るとき「楽しもうね・やさしく生きようね」と言いました。彼女に向かって言いながら、私は自分自身の心にしっとりと浸透させました。

 夕方、ヴェトナムのお友達のところへ遊びに行きました。彼女達の会話の中に、ヴェトナム語で入れてもらうのです。もちろんつっかかりひっかかりしながらの会話です。でも、いい感じ。それに、皆さん待っていてくださるのです。最近はあごを上げたり顔を下げたりせずに言える言葉も出て来ましたョ…。それと、思いがけず上手に出来ると、「Mamoちゃんヴェトナム人ね」と言います。そうかも。

私はいろんな国へ遊びに行って、その国の言葉で心を語ってみたいです。


2007年03月30日(金) 生き方

 前の職場の送別会に行ってきました。退職者の私たちは一言ずつ。私は、「一年前よりも成長している自分だから、看護師に戻っても違う動きが出来ると想像しています」と語りました。
 それから、お酒の席で心のことは語る気持ちは小さかったので、密かに楽しいことを探しました。20代の女の子数人が写真を撮っていたので、仲間に入れてもらいました。傍で見て居た保育士さんが、「Mamoちゃんがその中に居るなんて」と言いました。大丈夫。楽しいこと探しをしたのです。
 主任さんが席の近くに来て、私に「新しい風をありがとう」と言いました。職場でも自分を生きた私。「新しい風だったんだ…」と心に独り言。
 保育園で考えさせられてきたのは、「集団に居る」というもの。あるグループに所属する私。ある場所で生きる私。集団って何かな。個って何だろう。
 海で生まれ、いつも何かにつかまって生きて、どちらか一方の手では掴んだものを開いて確かめるのが難しかった。今は、両手が開いている。そして心のドアが開いている。私は自分で掴んだものを自分の両手で開いて吟味することが出来る。

 私は、広い海を自由に泳ぐ「私」が好きです。


 テレビでは、連日ボランティアの報道を見ます。もしも今、名古屋で大災害が起きたら…。私はボランティアの方達のしていることが自分で出来る自分を育てていけば、大丈夫かな。


2007年03月29日(木) 未来

 セントレア空港まで、ベトナム研修生さんたちの帰国の見送りに行きました。
 手荷物チェックの前で、皆さんと一緒に居たら、ベトナム人に、ベトナム人だと間違われて、とっても早いベトナム語で話しかけられました。皆さんくすくす笑っていました。私がベトナム語で「私は日本人なのです」と伝えました。こんな間違いは嬉しいのです。その後、(こんな時こそベトナム語。ベトナム語出て来い出て来い!)と思ったけれど、頭の切り替えが間に合いませんでした。“ベトナム語出て来い出て来い”をベトナム語でつぶやけたら大丈夫なんだなぁ。
 今日は、(私もいつか大きな荷物を持ってここに居るかもしれない)と、自分の未来を想像しました。なので、荷物チェックの様子を見ているのが面白かった。それにしても、時の経つのは早いもの。私も楽しもうっと。

 行きがけに潮干狩りをした海岸に寄りました。小さなつぶ貝がたくさん居ました。今日は赤潮が浮いていました。春は来て、その次は夏です。海に潜りたぁい。

Gobamcanのミモザ Gobamcanのつるにち草
海浜海岸 赤潮。赤く見えるのは、プランクトンの死骸だそうです。


2007年03月27日(火) やさしい点

 看護職に入るのを躊躇している自分。理由は、病院の中に入ることは、今の自分が捉えているよく生きるということから離れていくように感じていたから。それと、新しい部分を広げて生きたい自分がいるから。そんなわけで今日も再び違うところを探してみたけれど、今日も見事に断られました。これから勉強する私なので、能力給はうんと安いはずですから、私の生活費を計算して、「これくらいあれば大丈夫なので、勉強させてください」とお願いしても、それでも断られました。こんなにたくさん仕事が載っているのに、初心者歓迎というところでさえ、多少の経験が要るという。入り口の狭さに泣きそうになりました。そして、新しい自分として「散々探したし、もういいか」と一旦は看護職に動いても、心が「嫌だ」と言っていて、今日一日の間にも、何度も足が止まりました。
 派遣会社の男性と話したとき、「どうして看護師をしないの?」と聞かれました。新しい自分を広げたいことを話して、「どこに尋ねても初心者なりの経験者を求めらえてしまいます。経験者になるには初心者が入れる入り口がなければ、多少の経験者にもなれないです。私も経験者になりたいんです。どこに入り口があるの?」と言ったら、「うーん、そう言われるとそうですね」とおっしゃいました。世の中の仕組みはおかしい。即戦力を求めらばかりでは、若葉マークの私達は可能性あふれる自分をアピールすることすら難しいです。

 ということで、「もういいかなぁ」と本気で思えた頃、看護師の仕事というだけで自分に何かがのしかかっているのを感じました。理由には、人の命に関わるからとか、間違えてはいけない世界だからとかいろいろと浮かびました。でも、どんな仕事も広い意味で人の命にかかわっています。それにどんな仕事も基本的には丁寧にするもので、間違いはあっても少なくすむというのが前提なのです。
 20代の頃、何度か点滴を間違えたり違う人の採血をしたりしました。それらの患者さんが全て高齢の方だったせいか、全部うやむやになりました。夜中に亡くなっていた患者さんに朝まで気が付かなかったこともありました。丁寧に巡視をしなかった私の、大きなミスでした。(免許はなくなるだろう)と覚悟したこの時も、何事もなかったかのように時間は過ぎていました。というより、病院にとっては、何もなかったのです。
 
 過去を整理しつつ、私はこれらの罪の意識を背負ったままここまで来たんだなぁと。それにやっぱり、きれいなように見えて嘘がいっぱいの世界が嫌なんだなぁと。
 でも、世の中のどこを見ても、その奥には何かが隠されているように見える。どこも同じです。それから、私は生きていくためにウサギを取りにいく必要があるのです。でもそれは生きる分だけあればいい。だから看護師をしても何をしても、自分の心を基準にして切り捨てたり貼り付けて利用したり、どんな風にも出来るもの。病院の仕事をしても割り切っていいものなのですね。なんだか、楽しみになってきました。明日派遣会社に電話しようっと。

 自分を探していたら、ベトナムへ行く・本を書くということはスーッと小さな点になっていました。自分を楽しむその先に、小さく、点としてあるのが見える。やさしい点になっています。今を生きていると心が安心します。

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