「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は2回目のナースの訪問。訪問先では、何かをしている自分の手足の動き・その人を見ている自分の視線・語りかけている自分の言葉など、その時その一瞬の自分を見て聞いてました。そんな風にしていても、「しまった」と思うことはありました。そして、「しまった」の後はより丁寧になりました。 一般社会では、こんなことを語る時、「人のため」と言います。でも私は、全て自分のためでした。自分を知りたいと心の底から沸いてくる感覚。自分が分かる自分への嬉しさ。それから、繋がっていく自分への安堵感・楽しみ。…いろいろです。 職場の方は、訪問前に、「今日の計画は?」と私に聞きました。そして訪問の間は静かにそこに立っていて、訪問後は昨日と同じように、私に何も尋ねませんでした。 私は事務所へ戻った後、自分のしたことと訪問先での会話をパソコンに落として読み返しながら、次に何が出来るかを探しました。心の隅に、自然とか可能性とか、これから出会うものを思い浮かべて楽しんでいました。
退社直前には、私の中で小さなハプニングが起きました。 夜、心を整理していたら、その出来事を境に他者の間違いを探し集めて安心しようとしている自分に気が付きました。こんな形で自分の心を投影させマイナスを収集しているのかと、改めて自分を知りました。 でも大丈夫。先を見ようと出来る自分が居て、今の自分に気が付くきっかけに出来て、「こんな小さな出来事で済んでよかった」という結果になりました。
その後、改めてこれからの自分の目標を立てました。 近い将来、行きたい場所があり、したいことがある。それを、自分はいつしたいのか、いつ頃なら出来そうなのか、何があれば出来るのか整理しました。計画とは一番遠い目標地点からさかのぼって立てるものだと、実感しました。将来の自分の為に、今何をしたいか・一番近い未来の、明日、何をしようかと、先が見える自分が好きなのです。
私はこれから、何もないことを願って卵の上を歩いてきた自分を、変えていけそうな予感がしています。 何があっても、自分の将来が見える時、私に起きた社会の出来事をうまく上手に交わしていけます。
だから、きっと大丈夫。私は大丈夫。
職場の人に付き添っていただいて、始めての訪問看護に行きました。 初めてというのは、今の職場での第一回目。 訪問前、職場の方から「今日はどんな計画がある?」と尋ねられました。私は「待つのが好きなこと。そして何より、その方の心に添って動きたいこと」を伝えました。 訪問中は少し緊張しました。でも、心のどこかで「自分を見ていれば大丈夫」という思いがありました。 訪問が終わった後、職場の方から、本日の初回訪問について何も質問されませんでした。質問を受けなかったことで、感想や質問をされることを予想していた自分に気が付づき、ニュートラルな自分を意識しました。 その後、明日伺う方の計画を立てるように伝えられました。私は始め、(する前に計画を立てるのは難しい)という思いがありました。でも、実は以前の職場を退職した後から、する前に出来ないと決めてしまう私を変えることを練習する機会を探していました。「何が出来そうか?何がしたいか?」を出しているうちに、前の記録を眺めたり分からないことをネットで調べたりして、いくつかのアイデアが浮かびました。
今の仕事は、昨年までのように子どもさんに伝えるのとは違い、ご高齢の方との関係になりました。 それでも、私のテーマは何時も同じ。自分を大切にすること・自分にあるものを生かして生きることです。これから、語り合う回数とともに、私達に必要なもの不可欠なもの・そして不必要なもの邪魔になるものを、探しあい語り合い学びあっていければいいな…という思いを持っています。
素直に生きている時、私はいろんなことを発見し、それは私の心の成長になります。
朝職場へ着いてすぐに、職場の方に伝えられていた駐車場が開いていませんでした。実は昨日、駐車場の件で警察の方に注意を受けたばかり。少しがっかりして、職場に連絡してみると、結果的には、自分の想像とは違う結論があり、自分の頭に乗っていた小さな軽石がコロンと転がり落ちたみたいでした。がっかりした自分にごめんね。何があってもニュートラル。そして、素直に動けた自分には、「待てたね。出来たね。よかったね」。
仕事は今日も楽しかった。いつも、職場の方の丁寧な進め方を見学しながら、怪我をした後や脳の病気の発症後のリハビリの大切さを実感しています。 ちなみに昨日、職場の方は私に、「病院と違って、在宅医療の人には、自宅で起きたことに対して機械を使う前に出来ることがたくさんあるんだよ。なぜか分かる?」と問いかけてくださいました。私は「緊急の状態にはない。いますぐに死んでしまう人ではないからですよね」と。 ところが私は、利用者さんが、痰が絡んでむせているのを見て、すぐに痰を吸引する機械に視線が行く私。私の肌に染み付いた条件反射を感じます。 私は自分が持っているものを一度、全て降ろしてこの場所へ来ることを、自分自身に提案しました。 そして、これから、たくさんの事を勉強できると想像しています。 何より、自分のしたかったことの1つ…「医療の中で丁寧に動ける自分」を育ててあげられると想像しています。もう1つ成長したいです。
今日も観察の日。 リハビリというのを丁寧に見るのは初めてですが、ほぐされていく関節を見ているうちに、皮膚に包まれている骨のイメージが、あそことここがこうなっているから、こんな風にするといいんだ・・・とイメージが浮かんできました。 じーっと食い入るように見ていたら、職場の方は「してみる?」と言って下さったので、ベットに上がって手伝わせていただきました。慎重に丁寧にしてみました。出来ているのかどうかよく分からないです。でも、自分の身体にもいいなぁと、いつも自分の身体を想像している私です。 移動の車の中で、車の中から見える景色を見て面白いことを言うので、仕事中だと言うのに笑い転げました。それから「日本は経済主義だ。あくどい考え方を持っている人がお金持ちになる」という話も聞きました。医師が病気を年のせいにするのは、自分はわからないと言っているのと同じだという話も聞きました。私もうなずきました。 そして、個人主義と輪の話もしました。「アジアの人の中には人の為に生きるというDNAが入り込んでいて、何億年も前からのものだから簡単には変わらない」という話に変わりました。私は聞いていられなくなったので、「話を止めてもいいですか?」とお願いして、車の中はシーンと静かになりました。
昼休みは、近くの公園で過ごしました。日陰で本を読みました。 今日も、いろいろと経験した一日でした。
初出勤。若葉マークの私は、私が来るまであった会社の上司と利用者さんと空間を大切にすることを意識して、静かに見学しました。訪問では、ある疾患を持たれて在宅医療を受けている方を、社会とは違う方法で手伝っておられる内容を、興味深く見ていました。訪問の関係で昼休みがずれましたが、ずれても休み時間を頂いてお昼寝までしました。まるでヴェトナム人なのです。 職場の方とは、ありのままを認めることや心で接することを語り合いました。時々難しい話が出ました。そんな時は退屈しました。そして共感できる部分もありました。それから、既に共感した部分のその次を知りたい自分も居ました。いつも次を見ていたいのです。 私は、自分の背中から自分を見るのが楽しくて好きだと語りました。流れの中で、自分の楽しんでいることを語れる自分が嬉しく感じました。 疑問に感じることは、自分の為に全て尋ねてあげました。確認できたら安心できました。
訪問して疲れたかどうかな。以前の、訪問看護の時と比べてどうかな。 大丈夫。職場の方がしているリハビリを見学させていただきながら、「運動の前の自分にしてあげよう」、というアイデアも浮かばせて楽しんでいました。
雨の音で目が覚めました。野球も中止になりました。今日も旅行記を纏めていました。丁寧に進めているので仕上がるのはまだ先になりそうですが、当日家を出た瞬間から、好奇心が自分を手伝って全身で何かを探して輝いていた自分を再確認し、再び楽しんでいます。
それから昨晩遅く、家父長制度について調べました。私達人間は多くの事を知らされずに、鵜呑みにさせられたまま生かされてきたのだなぁと小さなため息が出ました。そして、今は地球の上には、私の知らない大切なことがまだまだたくさんあるのだと感じています。
帰国してからヴェトナム語の教科書を見てもあまり気持ちが乗りませんでした。旅行の間の“リアルタイム普通の会話編”の楽しさが心に沁みこんでいるからでした。そしてここは日本。今夜はもう一度、本を開いて単語の勉強をしました。次に行った時、今回よりもたくさんお話が出来るようにね。
明日から新しい仕事。好奇心が自分を手伝って、又素敵な私が育つでしょう。自分の明日をプラスに想像できる。楽の大小を楽しむ私です。
今日は旅行記の整理を少ししました。それから、戦争について調べました。私は今まで、戦争については、従軍慰安婦のことや靖国参拝・南京大虐殺のことを少し知っているくらいで、日本=原爆被害者というイメージを大きく持っていました。でも、本当に、日本もアジアの他国に対して多くの残虐な行為を繰り返していた国なのですね。今日まで詳しく知らなかったことを恥ずかしく感じました。そして今日知ったことを心から嬉しく感じています。 戦後に生まれた私は、日本人として、戦争の加害者ではないと言えるかと考えました。 私は直接戦地に行ったのでなく、その時代にマイナスから目を逸らしていたのでもありません。だから、直接の加害者ではありません。でも、私がもし、これからの人生で、戦争があること戦争をすることにNOを言わずに生きたら、私は戦争の加害者になるでしょう。 そして私が、自分の歴史にあった丙午を含む全ての風習と社会のおかしさにNoを言わずに生きたら、私の代まで続いてしまったマイナスを連鎖することになるのです。 私は心に感じた大切なことを語り続けることで、戦争の加害者になることを避けられるでしょう。
世の中には、考える材料がいっぱい。そして今は、Vietnam旅行をきっかけに新しいことに興味がわいている自分を見守っています。勉強できることが嬉しいです。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
昼間、車の車検を控えて、車を売るとしたらどれくらいの値段が付くのかと、査定を出してもらう旅に出ました。4件廻って値段はそれぞれ。そして、ものの値段とは、あってないようなもののような気持ちもしてきました。 気温が高くて車内では汗ばみましたが、クーラーよりも、小汗をかいているほうに気持ちよさがありました。数日間のVietnamで、違う世界を見てきたことで、暑さを感じると直にクーラーを入れていた自分も変わっていく予感がしています。毛穴を使ってあげたほうが、毛穴が喜ぶのです。 今日もまた、いろいろなことを感じ続けた一日。私は日本を語れる日本人になりたいです。
ところでヴェトナムから帰国したら、家の電子レンジの中がぴかぴかになっていました。きれいにされたのは、一緒に暮らす女の子です。実はずいぶん汚れていたのですが、狭い箱の中というのは掃除が億劫で…。ですから今は、扉を開けるたびにピカピカ真っ白な庫内が視界に飛び込んできて、気持ちがよくて嬉しくなるのです。きれいは気持ちがいいですねぇ。これも楽の大小なのですねぇ。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
| 2007年05月03日(木) |
Xin Chao cac ban! |
帰国しました。11日間の滞在で、私はVietnamの国に歓迎され続けました。 屋台のお姉さん・バイクタクシーのお兄さん・仕立て屋の女の子・ホテルのお姉さんお兄さん。言葉を交わすたびに心に気持ちよさを感じました。その他に私と言葉を交わしてくださった方も皆さん、私を歓迎してくださいました。そして私は、Vietnamという国のさまざまな場所で、始めてみる世界を心に感じ続けてきました。
新しくAddressを交わしたお友達が二人。これまでにもあった心友関係はより新しくなって広がり、そして又別の世界が広がる予感もしています。今はまだ小さな世界が国境をやわらかくとかして、未知の世界に続く道が広がれば嬉しいです。
携帯電話を、電話全体のメッキがはがれて充電プラグの差込み口がむき出しになったまま使っているお友達が居ました。外側が大変になっても機械の中が健康なら大丈夫なのです。私も自分の持ち物達が満足するまで使い切ってみたい。
セントレアから仁川まではあっという間に着きました。 仁川で待ち時間がたくさんあったので、空港の外に出てみたくなりました。どこに行けばいいのか分からないので、空港の中で日本語の分かるインフォメーションを探しました。 インフォメーションの女性は、“雲西”というところになら、時間内で行って帰ってくることが出来ると教えてくださったので、行ってみることにしました。 まず、日本円を韓国ドルに変えて…、英語力は少ないですが、でも大丈夫。両替を無事に済ませました。そして乗ってみた、仁川空港の鉄道。宇宙船みたいで面白かったです。 雲西は、右も左も韓国語、まるで暗号のようです。つまり右も左も分からない。分からない事が面白くてワクワクしました。 せっかく両替をしたので、買い物をしてみたくなり、近くのスーパーに入りました。外国の品物は何故か見ているのが楽しい。その中からパンとジュースを買い予定通りに空港に戻りました。今度は飛行機へ。 座席に着くと隣りにはひげを生やした白人の体の大きな男性が座っていました。隣に座って少しの間、緊張していましたが、男性が壊れた時計を修理しているのを手伝ってみたら楽しくて、緊張は何処かへ行きました。 その後少し話をしました。機内食を食べて仮眠して映画を見て夜景を見て、 そしてホーチミンに到着。荷物検査を終え到着ロビーのドアが開いた時、ビックリしました。なぜなら、夜の11時なのに、空港の到着ロビーは人が満員。まさかと思うけれど、全部の人が私を待っている?そんなまさか…。でも、その扉から出たのは私一人。ちょっぴり恥ずかしくなりました。その沢山の人中に見つけた私の名前のプラカード。{みつけた…!)
「Xin Chao・Toi la Mamo。あ、間違えた…。Toi la kanno」 私は無事に到着したのです。 そして始まった、“VietNam Life”なのです。
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