「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日は朝食を食べてすぐに、職場まで自転車で行ってみました。上り坂3回、下り坂3回。そのうち最後の下り坂はうーんと長くてきついですから、帰りは最初の上り坂がうーんと長くてきついのです。 ということで、帰りは坂道の少ない道を探しながら帰りました。行きは20分帰りは35分。適当な時間だと思います。 明日から一日交代でバイクと自転車通勤しようかな。自転車の時はバットはどうするのかな。 おかしなもので、バットとグローブを持ち歩いていることが心の安心材料の1つになっているのです。これって依存かな…。 夕方、ヴェトナム研修生さんの寮へ遊びに行きました。面白かった。ヴェトナム語で会話の練習をさせていただきました。私に付き合ってくださってありがとう、なのです。帰りにバスと地下鉄を使いました。これもまた面白かった。初めてのことは何でも面白いのですね。
こんな風にして…。 こんな風に楽しく動ける自分が増えてきました。そして今は楽しく動く自分を自分の心に感じ続ける練習を重ねているところです。 「自分で出来た。よかったね」を自分の心に伝えてあげる練習をしています。 いつも自分のことで精一杯。これでいい。私は今、こんな風に生きているのです。
今日は朝から部屋の片づけをして、ストックしてあったけれど使いそうに無いものを処分しました。少しずつ少しずつ先に繋がる動きをしています。それから、しまい込んでいた赤い自転車のタイヤに空気を入れて、サドルカバーを買いに行って…。調子がよければ、時には自転車で通勤しようという考えです。運動は身体にいいですから。 それと07年4月の旅行記・ヴェトナムMamo紀行を又少し纏めてみました。ちょっとした時間を使って、少しずつ付けたり貼ったりしているのですが、日にちを開けて読み直してみると、そのものの色やポイントが絞れてきて、おもしろいです。本を書くときにはきっとこんな風に、何日にも分けて何回にも分けて、丁寧に纏めていくのでしょう。だから今はそのシュミレーションをしているみたいです。
午後、用事をするのにバイクであちこち走りました。実は、少し前に後ろからクラクションを鳴らされて以来少し臆病な運転になっていたので、公道を思い切り走ってみたかったのです。楽しく走っている自分を感じて嬉しかったです。今日は私の庭が又広がりました。そして、暑かった〜。 バイクで遠出をしたことのある20代の男の子に、今までに行った一番遠い場所はどこですか?と尋ねたら、四国と答えてくださいました。行きは二日、帰りは一日使ったそうです。 原付のバイクでも一日で帰ってこれるのですねぇ。帰りは道を上手に選んで走ったのかなぁ。 私もバイクでどこかへ行ってみたい。今日は別の予定がありましたが、ヴェトナムへ行くまでに、いつか、ぶらりと走りにいきたいなぁ。
夕方、公園でお友達親子とキャッチボールやコマまわしをして遊びました。無邪気に遊んでいる自分が面白かった。そして、ある一瞬緊張する自分も居ました。私には今も傍を吹く風の音にさえ反応する時があるのです。だからいつも能力能力…。 そういえば過去は誰かといるときには、何時も緊張している自分がいました。傷つけたり傷つけられたりすることを恐れながら遊んでいたら、自分がかわいそう。この頃は他者との遊びを楽しむのが楽しいです。そして一人で遊ぶのも楽しいです。私はこんな自分を知っているから、大丈夫大丈夫。
それから外国と無料で電話が出来るHPをダウンロードしました。これでヴェトナムの友人とも料金を気にせず語り合うことが出来ます。それに、新しい事を楽しめたことが嬉しかった。
少し前に、名前が二つあってもいいのではないかなぁという思いが浮かびました。 きっかけは、今の自分を見て将来を思い描いているときでした。これからも自分を育てて、約一年後には一人外国に行って自分を育て、広い世界に羽を広げて遊んでいる自分を想像したら、今よりももっと広くて大きな自分が浮かんで…。もっと新しい自分を見つけたい・そんな名前をみつけたいということになったのでした。
ところが少し考え方が変わってきました。 私はいつも私で、何をしていても私で、覆われていた傷を開いてみていこうと決めた日から、私は何時も成長を繰り返して自分を育ててきたのだから。 その時から私は自分の中に眠る可能性を、ほんの少しずつでも探してきたのだから。
こうして考えてみると、これから広がる未来も、心の傷を癒やし始めた日からの自分と同じなのです。そしておそらく、私の中には私自身がまだ気が付いていないプラスがたくさんあるのです。先を見ることをしていくこと、これでいいのかなぁなんて…。 だから、名前は同じですよ。でも何処かでふと、「あ、これを名前に使おう」と思うことがあれば、今度こそ私は全く別の世界に飛んでいくのかもしれませんョ。飛んでいく場所○○○○かな。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
訪問先で、半麻痺で肩が懲ると言われるので肩上げの体操をお手伝いしたら、「麻痺側が挙がってないでしょ?」と尋ねられました。肩は挙がっていました。少しでも挙がっていたら挙がっているのです。 それと、身体にやさしい呼吸の仕方を語り合いました。私が「私は子どもの頃、よく過呼吸になっていましたから」と言ったら。その方もすぐに「私もきっとそうだった」と仰ったのでちょっぴり驚きました。 帰りに、「ゆっくり生きましょうね」と伝えたら、ドアの向こうからバイバイと言うように手を振ってくださいました。なんだか…うれしいバイバイでした。
自分を語った分だけ、自分を語ってくださる。こんな感じがしています。
夜、ヴェトナムで新しく出来た友人から電話が入りました。ちょうど私も数日前からヴェトナム語の勉強が広がってきていたので、カードを使って電話をかけなおしました。 しかし単語が少なくて、それから思うように浮かんでこなくて、うーんうーんとうなってばかり。それでも友人が質問してくださった内容に続いて少し話が出来ました。
やっぱり外国語でも心を語れるようになりたい。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
朝から暑い日。 公園で空手の型を練習したら、ほんの数分で汗が出てきました。ちなみに昨日インターネットで見つけたのですが、運動は20分以内では今食べた食事のエネルギーを使われ、その後ようやく、身体に蓄えられた脂肪などが使われると書かれていました。 私は昼休みを公園で過ごしているので、鳥や草花で遊びます。よもぎの香りをかいでいたら、午後からの訪問先につまんで持っていきたくなり、ほんの少しつまんで持っていきました。目をつぶっていただいて「この香りは何ですか?」とお尋ねしたら…。ちょうど家族の方もいらしたので、一緒に嗅いで頂いて、「懐かしい香りですねぇ」と話をしました。小さなことで空気が和やかになって、よかったです。 この頃は上司と挨拶を交わす程度で、静かに仕事をしています。先日電話を取り次いだら、ある看護学校の講義の話をなさっていました。私の上司は看護学校でどのような話をされているのか、私も聞いてみたいです。 そして私は、これからも何時も私は自分の心と一緒に生きます。こんな私は今夜、心の傷を癒やす作業をしていたら、NickNameを変えてみたくなりました。 もしも名前を変えるとしたら、どうなるかなぁ。今まで出会った人々やヴェトナムの女性達の顔も浮かびます。二つあってもいいのかなぁ。
今日もバイクにバットを積んでスタート。今日は素振りをしました。 訪問先では、利用者さんの関節とお話しました。○○さんのヒザ・足首・指の一本の関節。いつも1つずつです。 利用者さんは今日も、マッサージの後いつもと同じように「痛いよ」と仰いました。そして前回に続いて、「昨日歩きすぎたからだよ。仕方がないんだよ」と付け加えられました。 訪問が終わった後は、人体の絵の続きを書きました。 実は身体の仕組みの絵を書こうと思いついたのは、私が自分の存在に心を馳せていた時でした。体の芯から、「これなんだ」と感じる何かがわいてきて…。私にとって大切なことはこっちだよという確信のようなものを身体全身で知ったのかもしれません。いつも心に沸わいてくるやさしさを使ってあげたい。自分にある感性を使ってあげます。
そして私は、先に見える私の心のステーションを大切にして今を生きたい。たどり着きたい島はいつも目の前に見えているのです。なりたい自分を大切にして今を生きます。
それと、先週の日曜日、お子さんが不登校しているという女性から現在の学校の話をお聞きしました。その時、裏付けを持つという話を聞きました。私ももっと多くの裏付けを持ちたい。社会の情報に耳を傾けます。
週の初め。始めてバットをバイクに積んで出勤しましたが、職場の近くの公園まで来ても気分が乗りませんでした。今日はなぜか仕事へのアイデアが浮かばない。小さな事務所がちっぽけに感じて、こんなに小さな世界へ何をしに行くのかなという気持ちになりました。 それでも、つまらないと感じる自分をOKにしたら、何が出来るかを探しにいこうということになりました。ウサギを捕りに行く・先の目標のために。
ということで仕事をした日。この頃感じることは、私は訪問先で、その方よりも小さく語るのがいいということです。 座って無言の方の傍に私も静かにそこに居て、そこに居る私を見ていました。 時間は終了し、ぎゅっと握手した手を「又お邪魔します」と言ってゆっくり離れて後にしました。 その様子を思い起こしてみれば、私はただそこに座っていたのでした。これでいいのかどうかわからないけれど、私の出来ることはそこに居ることでした。 家族の方には、出来ることをしている私を見ていてくださったことに感謝します。 それから、身体のしくみを質問してくださる方がいらっしゃるので、事務所で人の身体の絵を描きました。使えるかどうかは不明です。でも準備しておくと必要なときにすぐに使えます。
夕方、バイクちゃんのメーターが壊れたので傷の手当をしに行きました。私の行くお店では、若い女の子がつなぎの服を着てほっぺたにバイクの油をつけて仕事をしています。「楽しい?」と聞いてみたら「はい!」と言って、本当に楽しそうでした。 バイク通勤もほぼ1ヶ月。小さなハプニングにドキドキすることが多いです。でも、信号待ちで両手が離せるようになりましたから…。
ヴェトナムで出来たお友達からメールの返事が届きました。彼女は日本語は分からないので、ヴェトナム語と英語。一人旅で出来た小さなつながりがやさしく広がるよう、大切にしたいです。 自分を過小評価しないということは、自分の出来たところを見てあげるということで、何が遭っても自分の出来たところを見て、あったことを整理していけばいいの。そうすれば、自分を大切に出来ます。
私は今40歳。40歳でやっと、出来たところを見るということが全身に浸透し始めた次第です。いつも1つずつ。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
静かに仕事。ほとんど語らないお宅もありました。その方のしたいことを手伝うということの中には、ただそこに居る ということもあります。それがいいかどうか分からない。でも私は今日も、自分の心に感じたものを大切にして、動きました。
帰りには雨が降りました。初めての雨降り走行。私のレインポンチョは昨年ヴェトナムへ行った時に、現地で買った薄ピンクの水玉模様で、バイクを買ったときから雨の日を心待ちにしていました。 早速着ようとしてみたら、2年も押入れに入っていたので、ビニールがのりのように張り付いていて開くのに大変でした。開けたものは、一年中暑いヴェトナムホーチミンで使えるようにビニールを二枚あわせたパチンと留めるだけのポンチョ。買った時のことはすっかり忘れていますが、暑いヴェトナムで買ったのだなぁとしみじみ。冬なら寒いのかもしれません。 それから、顔の部分はマスクの変わりに鼻まで隠れるような作りになっていました。 準備が出来たときには雨は小降りになっていました。車と違ってバイクは、雨の日の準備に少し時間が要るのです。 ポンチョを着ての初乗りはちょっとドキドキ。マンホールで滑らないように気をつけて走りました。鼻までかぶったビニールは途中で顔が蒸れて笑えました。小さなハプニングを楽しんで、事故を起こさず無事に帰れてよかったです。
昨日車の屋根で見た空は広かった。自由はいいです。私も今は自由。Wonderな領域が増えているのがわかります。 ふと気付けば、新しい職場も1ヶ月を過ぎました。時の経つのが面白いです。
今度いつVietnamへ行けるかな…。 ちなみに、この頃、向こうにいる間にこちらにどれくらいお金が必要かを計算しています。 もし私が12月中にVietnamに住民票を写せば、来年1月からの名古屋市の県民税と市民税を払わずに済みます。でも、Vietnamで永住権を頂けるのはヴェトナム国籍がある方の親族だけですから、私がVietnam人男性と結婚すれば可能ですが、今のところの確立は…。 日本に残しておきたいお金と今の貯金と、あちらで必要なお金と…。そして何より、私の心の状態と…。
私の行きたい場所は、空の向こうに続いています。
今日は訪問先の方が薬をやめたいという意思をお持ちだと知りましたので、私も自分にあるものを生かして生きていますョと語りました。帰りの車で、私はファシリテイトする看護師になりたいなぁと独り言。まずは自分をファシリテイトします。
家に帰って、お友達の車の上の屋根に乗って空を眺めました。子どもの頃、瓦屋根の上に布団を敷いて寝て遊んだことがありますが、車の上に寝たのは始めて。気持ちがよかったぁ。空は広くて大きいなぁ…。私が何人大の字になって寝ても空は埋まることなく広がります。
訪問。 ある方は、今日はお会いしたときからぼんやりうつろな表情をされていました。ちょうど新聞を見ていたそうで、大きな見出しは「末期がん治療 余命3週間で延命中止」と書かれていました。 私から語りかけてもうなずかれることもなく視線があいませんので、私は話をやめて麻痺側の手に触れさせていただいたのですが、ふと新聞の見出しに目が留まり、この方はこの文字を読んで何を感じておられるのだろうかという疑問と、視線の合わなさと重なりました。 家族の方は、「本人は言いたい事がたくさんあると思いますが、すぐに言葉に出来ない分歯がゆいだろうと思います」と言われました。 私はご家族の言葉を心に留めました。私自身の昨日の気付きがあり、いのちは、一般の基準や価値とは違うレベルでそこにあるものだと、深く意識して、心の奥にしみこませました。
これまで、病院や施設でまたは今の看護ステーションで、たいてい、ある方の外見や状況を見てその内面を推測してきました。患者さんの問題点を挙げて、その事を解決するための計画を立て実行、評価し、さらなる問題点を探すことを繰り返していくのです。 もしも私が、「この方は、この文字を読んで、言葉を話せず寝たきりになってしまったご自身の人生を嘆き悲しんでいる」と推測すれば、「この方は問題を抱えている」という視点で看護計画が立ちあがります。反対に私が「この方は、この文字を読んで、今の自分に何が出来るかと、自分に出来ることを探しておられる」とすると、問題にはならなくなります。そして私の経験してきたものが変わっていなければ、別の問題点を探す必要が出てくる、ということになります。 今回、こんな方法に改めて疑問がわき、そして今朝の新聞の見出しとその方の表情を重ねた自分はどうかと。検査データーを見て、これはいけないと判断するのとは違っているのです。 私がもし自分の範囲で想像したものを元に動いたら、私は心を看護することからずれていくでしょう。そして、これから変えていけるでしょう。
この頃、移りゆく時の中で、いろいろな思考を見ます。プラスもマイナスもそして好奇心も、いろいろあります。 その中のどれも私の心で感じたものが基準だから、そのものが自分に必要かどうかを知る為にも、丁寧に見つめて紐解いています。それが、自分を知っているということにつながるでしょう。“でしょう”なんて表現…。でも今は人生の途中だから。 紐解くときにそれまでの情報の引き出しを開けることがあります。ちなみに、一昨日開けた扉の中の出来事は私の中では既に、ニュートラルの状態を確認できて新しい能力にもなりました。
傷を癒していて、あの時あんなに痛かったのに、よく、社会に出て仕事ができたなぁとか、よく、別の場所でも笑ったり遊んだり出来たなあと痛感することがあります。どうしてかな。わかるようでわからない。そしてそのうちに、「あら、こうだった」と言う日がやってくるのですから、分かってもわからなくてもどちらもいいです。
アイデンティティーという言葉があって、最初に知った文章では、ある人が自分の知っている自分と、他者から見た自分とが一致して持続していることから来る自信というような内容のことが書かれていて、私には少し難しかった。広辞苑では「自分が自分であること」になっていました。大きな意味のある言葉だなぁと痛感します。 自分を知っていて自分の内面を持ってありのままに生きられることが、“私でいいよ”というやさしさと“私は私だよ”というやわらかな自信に繋がるような気がする。そして、繋がった部分がある自分も感じます。
これからも、社会や周囲に染まらず自分で居たいです。 だから私は、今日ここに、今の自分を書きました。 今日もまた、自分で扉を開けて見つめて、傷ついた心を癒やす作業に繋げられる。 私は今を大切にします。
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