「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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2007年07月15日(日) 自分のために出来ること

 社会には自分のために出来ることがたくさん。カブト虫君たちの小さな卵を見つけたり、洗面所に飛んできた小さな虫を手のひらに捕らえようとしたり(あれ?虫ばかり…)。
トマトが上手に育つよう、余分な草を引っこ抜いたり。
私にはこんなに素敵な毎日がありました。 
 
 午後、久しぶりに自転車に乗ってサイクリングをしました。
家の近くの坂道を途中まで上った辺りで、「疲れたぁ」。如何してこんなに疲れるの?とよく見たら、タイヤの空気が少なかった。せっかく登った坂道を降りて戻るのを躊躇しました。でもやっぱり戻って準備を整えて改めて出発しました。動いた分だけ前に進む自転車もいいです。


 一昨日面接に行きました。その会社は、健診業務を主に扱っている病院。注射や検査の介助はあるけれど、薬を処方したり病気の患者さんを手伝うことは殆どないそうです。これからいくつか回ってみて、より働きやすい場所を見つけます。


2007年07月14日(土) 現実

 いつも、心のどこかで、“ここ”が解決したら次へ行くって決めていました。でも、逃げるばかりの自分を卒業しようとしてとそこにとどまっていても、自分に何も出来なければそこに居る自分がかわいそう。自分の内面的な出来事だって、今すぐ全てを解決するのは違うみたい。完璧を求めて動けなかったのかな。
そっか。又自分に、頑張れ頑張れって言ってたのね。ごめんね自分。
 今出来にくいことをしようとすることにエネルギーを使うより、今出来ることをしていく方が自分にやさしくて現実的。なんまる星人を忘れてた。 
 ただ、変えていきたい自分がいます。自分の中に、なりたい自分があります。私はいつもその途中。なりたい自分を見ていこ。

 稲武の研修生さんの寮へ遊びに行きました。久しぶりのドライブは楽しかった。
 稲武の寮の付近では、豊田市で起きたダウンバーストのために、山の大きな木が突風で折れて倒れている箇所がありました。寮のすぐ前にある胡桃の木も木の真ん中当たりから立てに二つに割れていました。胡桃の実はどうなるのかな。自然の中で倒れても、そこから生きる方法を探すかな。

 私は久しぶりに皆さんに会えてよかった。研修生さんのご兄弟も遊びにいらしたので、ヴェトナム語で自己紹介をしました。私は予想外のことだったので緊張してしどろもどろ気味。でも半分くらいは通じたみたいです。
 寮の庭で育てているヴェトナムの野菜を頂きました。家に帰って4人のRoommateと分けたら、女の子は野菜の茎を見て名前を当ててました。それぞれ見ているところが違って興味深かったです。

 カブト虫のBuちゃんの子孫を残してみたいと考えているのですが、血縁内の交尾では身体が小さくなっていくと聞いたので、いい案を探していました。そうしたら昨日、稲武で大きなカブト虫のつがいを見つけました。Buちゃんよりも大きい、異母兄弟です。
つがいのセットを二つ作って、あとは自然に帰してあげようかなーと考えていますが…。

 それから、Gobamcanの名前の由来を聞きました。
Go
Do
Can

「行く・する・出来る」


2007年07月10日(火)

 心に感じるものを意識して動いた一日。
感じることは次の動きをするためのステップなのだなぁ。
 子どもの頃、歌を歌い続けたり数を数え続けたりしていたのは、何も感じないようにするためでした。動けなくて当たり前だったと、今改めて感じます。
 いいとか悪いとかではなく、今この瞬間に感じたものが、私の心で捉えた事実なのです。人間は頭が基準ではなく心が基準の方がいい。こっちが本当ですから。

 そして、今私は自分を信頼しています。自分の状況を作るのは自分なのです。


2007年07月09日(月) 感じたままに

 自分を観察していたら、感じたものを瞬時に否定している自分に気が付きます。
感じたままでいいのにね。
 それで私は昨晩、もう1つ練習していけばいいことを見つけました。日常で練習が出来るところがいいです。

 
 子どもの頃はいつも見たくないものを見せられ続けてきたのですねぇ。
見たくないのに見なくてはならないのだから、見たいと思おうとする自分を作らされても仕方が無かったのですね。

 仕事はあと10日。
私の持っているものを大切にして、その時出来ることを見つけてチョンチョンと仕事をしていこう。


2007年07月08日(日) 記憶

 赤ちゃんの頃、自分はどんなだったかなぁ。赤ちゃんの頃の自分を思い出したい。
何かのたびに父親の事を思い出そうとするけれど、あまりにも記憶が少ない。
それと、今の自分の動きを見ていると、記憶が少ないのは当時の自分が救われたと感じた部分だけを自分の記憶に残して、その部分を最後の頼みのようにして生きてきた自分が居るからだということに繋がります。
そして、見えるようになったところが見えるのだということも。
 7月7日土曜日に半分見た映画『シックス・センス』についてのRoommateからの解説の中で「見たいものだけが見える」という言葉がありました。
見たいもの・見ようとしたものだけが見える。自分に納得します。
 完璧な大人は居ないという人がいます。
私は今、自分に完璧を求めてるかな?
過去よりはずっと、今を認められるようになったから、私も成長してるんだなぁ。


**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**


2007年07月05日(木) 技術

 朝バイクに乗ったら急に、今の問題に縛られたら野球やヴェトナム語が出来ないなぁという気持ちが浮かんできました。例えば法の力を借りるとしても同じ。本当にそうなのです。
それで、今日私はどうしたいかと私に問うたら、次の動きをしたいと言いました。今日、上司は事務所に来ないまま連絡も取れませんでしたが、次に繋がる動きをしました。

 全く別の話ですが、昨日、訪問先である出来事から、男性に「悲しいときは泣いてもいいんですよ」と伝えたら、彼は涙を流し、傍に居た奥さんも目を赤くされました。
大人も子どもも、何歳になっても、泣いてもいいです。というのは、すぐに泣く私への言い訳かもしれません。でも私は、泣いて逃げる自分を卒業し始めましたョ…。本当に。こんな成長を感じられることが嬉しい。 
私は可能性を引き出せる大人になりたい。自分と向き合うのがいい。私は、自分を見つめるという素敵な技術を持っています。

私って意外と面白いのじゃないかな。興味深い人です…。


**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**


2007年07月04日(水)

 昨晩、通告文章を受けましたが、今日もいつもと同じように時間を使いました。
 そうしていながら、私は今よりトラウマを残さずにやめていく方法を探して自分を見ています。
 もし私が、自分のしたいことをして辞めていけるなら、自分を生き今を生きる私の能力になるでしょう。
 もし万一、法の力を借りることになったら、私は又ありのままの自分を語るでしょう。それからおそらくセクハラの話が出るでしょう。その時私は、私とその方との、その後の時空を語らせていただくことで“心の傷を癒やして楽になる”ということを実体験を基に伝えるきっかけを得るのかもしれません。
そして今は自分がどうしたいのかまとまらないまま。
 通告の文章はひどいもので、ワースト書物No.1。
でも、私、出来たことはたくさんあるから。


2007年07月03日(火) 歩いていこう

 現在の職場の退職が決まったときから1ヶ月で出来ることを探していて、なかなか見つからないままでした。でも、自分をよく考えてみると、わいてくるものを止める必要も無いのではないのではないかと感じました。私は、その時の私に出来ることをしていけばいいのです。
 退職日が決まって以来、準備したけれど止めていたものを、伝えられるだけ伝える方向へ切り替えて準備することにしました。
と言っても、訪問日は限られているから出来た分だけができた分なのです。


この頃、バイクが面白い。
バイクって、アクセルを回したぶんだけ進む。
ブィーンとまわせばブィーンと進む。少しふかせば少し進む。
下り坂は勢いよくて、上り坂は亀みたい。
それでも、ふかした分だけ進む。
でこぼこの道では足を踏ん張る。それからお尻をちょっとだけ浮かす。
自然に身体が低くなる。まるでレーサーみたいになる。
でも、安全運転。
昔バイクに乗っていた。今のほうが安全運転。今のほうがずっと、自分にやさしい。

人生は、歩いていくのがいい。
波が過ぎ去るのを待ってるのもいい。
でも、私はやっぱり歩いていきたい。
自分の足で、自分から歩いて進んでいきたい。

と、日記を書いた後、職場から、業務態度不良につき給料半額減給の通達が来た。これからどうしようかな…。


2007年07月02日(月) 姿勢

 職場で受けた契約変更通達に対して、承諾できないという内容の文章を送り、今日も一日、これまでどおりに仕事をしました。

 トラウマを残さないために自分に出来ることは何かと問うてみると、背中を向けずに向き合うことだと言います。でも、お金が主流となった考え方の中には入っていけません。
 職場で一日共に居る人と向かい合わないのは、自分のせいかと自分に問います。このとき私の心は、そうでありそうではないと言います。向き合うのが怖い私もいるからです。
 でも、視点の違う人々に対して、エネルギーを使って向き合おうとすると、大人の方法とは違ってきます。だから私は自分の心と丁寧に向き合い、現実を丁寧に見極めて、心を切り替えて、次の自分に繋げるのです。


 昼間のうちに、名古屋に住むヴェトナム語通訳の女性にメールを送っていたら、夜になって連絡を頂くことができました。彼女はヴェトナム語を学びたい私の手伝いを快く引き受けてくださいました。これからネイティブなヴェトナム語を学ぶことが出来そう。楽しみにしています。


2007年07月01日(日)

 常滑海岸に遊びに行きました。
 最初につぶ貝を採って、その後、海水で遊んで、それからアサリ採りをして、もう一度海水で遊んで、最後に魚釣りをしました。魚釣りは久しぶりなので、針の付け方から復習しました。錘をつけて投げ釣りというのをしました。ゴカイを針先に上手に付けれるようになって、遠くの方までまっすぐに投げられるようになって、少し進歩したかな。魚は釣れませんでしたが、この小さな進歩が嬉しいのです。

 それから、今日はカニをたくさん採りました。カニはすばしっこくて捕まえられない印象がありましたが、今日のカニさんはのんびり屋さんばかりで、全部で12匹も採れましたよ。
 一日のうちに何種類もの遊びをして、いつもの6倍遊んだことになりました。すごい。  
 今日はGobamcanの心友と近くに住んでいらっしゃる10代の男の子も海に来ていたので、違う楽しみ方も出来ました。

 私は広い海を見ていると安心します。それから海の水に触れていると、自然の中に溶け込んで何時も変わらずそこにある大きなものに、守られているように感じます。何時も同じですが、羊水に浮かんで遊んでいる私のよう。そして、私の感じているものは、きっと愛です。海も好き。又行きたい。


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