「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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昨日は魚釣りに行きました。 今回は針を獲られてばかりで釣りさお作りに忙しかった。しかしこれが楽しかった。少しもつれた糸もていねいに解くと元通りになり、その先に作ったまん丸は、針と糸の取り外しがしやすいように工夫した結び方。こんな小さな作業を楽しんでいる自分は素敵でした。ハゼ釣に行って針作りを楽しんだ私です。他に地球やビニールごみを釣ったり。それと、カキを一個釣りましたヨ。 さて、その収穫は…。 私は9匹。一緒に行った心友は29匹釣っていました。 ドンコハゼも何匹か釣りました。ドンコハゼは食糧に入らないそうなのですが、よく見ると、黒くてつるつるの体に小さくて丸いおめめが二つ。背びれを広げるとうちわのような形をしていて、かわいらしかった。 家に帰ってカキを食べてみたらおいしかった。 魚も網焼き、おしょうゆをちょっぴり垂らして食べたらおいしかった。骨をカリカリかじって、すぐ傍から私の骨が強くなるような気がしました。きっと、なっていますよ。 10月くらいになると、投げつりが出来るそうなのです。もう1回行きますよ。今度は、釣りをしに行きます。
今日は一日家でゆっくり。自分の行動を見ていると、どんなことも実際には感じたものを基準に動いているのがわかります。感じたものが心地よい場合は、すんなりと自分の中に入ってくる。でも、自分の心に相容れないものの場合、その時していることそのものを止めて違うことを始めている。当然、感じたものは奥にしまってしまう。感じて動く流れは瞬時なのだなぁ。こんな私は面白いので、その直前の何を相容れなかったのかを見てみたりしました。当然、心に受けた過去の傷とLinkして、こんなことをしている自分が愛おしくなりました。
Mamoちゃん、もう大丈夫だよ。十分自分にやさしいよ。
こんな風にていねいに自分を見ていたら、間違えたりマイナスにはいっていくことを避けられる。 今の時間を使ってもっと自分を知りたい。自分探しは楽しい、と感じられる自分も又、いとかわいや。
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この頃、愛の不足と性のつながりに思いを馳せる。 赤ちゃんの時の不足部分を補おうとしている自分。不足していたものを自分に与えてあげようとするとき、赤ちゃんは自分の感じたものをそのまま求めることで生きていられるのだから、求めることが可能かどうかは別にして、いつも欲していいのです。いつでも欲していいということを自分に許可してあげられることに、この上ない喜びを感じます。赤ちゃんは愛がなければ死んでしまうのだから。 そして、性の楽しみは例えばパチンコや野球と同じ、自立した大人の遊びの1つだから、もしも私に心を語るパートナーが出来たなら、それぞれが楽しめる状況になるまでの待ちを自分に与えてあげることが出来る。 過去に、求められた時にNoと言えなかった自分も、Noと言われて混乱した自分も、愛に飢えて死んでしまいそうだった私の出来事でした。そして今は、どちらも大丈夫にな自分が育ち、さらに待ちの楽しみを味わうことも出来るようになっている。 私はこんな区別が出来る自分を愛しています。愛をする自分を自分で育てているみたい。
夜、布団に寝たときの私は赤ちゃんみたいでした。 心も身体も今は大人。そこに安らぎがあって、自然のままに手足を伸ばして、だから指の関節の曲がるところは自然に曲がっていて、まるでベットに寝ている赤ちゃんの手足がかわいらしく丸まっているように、私の指もまんまるくなっていました。指の先まで力が抜けていたのです。 赤ちゃんの、うんと最初の時期、私はいつもこんな風に安らかに眠っていたのだでしょう。だからきっと今、私は一種の原体験をしているのです。 そして私は今、このやすらぎの感覚を心に全身にしみこませたい。そうしていられる自分に対する心地よさを感じ続けたい。
そして、この安らぎを持っている私が私として生きているようになりたい。 そう、やさしく安らぐ Mamo ちゃんになりたいのです。
そこで計算してみました。赤ちゃんの頃に感じたかった安らぎを今日のような形で今まで出来なかった分だけ・ほんとうに生きてきた年数分だけ感じたいとするなら、回数にしてあと何回試みることになるでしょう。 1年としてあと364 回。12 年分するとしたら、うるう年を入れて4383 回。1回は済んだから、あと 4382回布団に寝転がって安らぎを感じ続ける。そして、大人の私は、毎日自分が意識した分だけこのやさしさを感じることが出来るから、実際の数はもっと少なくなるでしょう。 自分に心からの満足を与えてあげられらる喜び。やっぱりワクワクしてきました。 そして、自分に愛をすることを楽しめる人生、私の先にある“私の死”が、自分への愛に包まれてあることを思わせます。
丸まった指を感じながら、「あーもう、私は眠るんだ。気持ちいいョ」。 こうして私は、やさしい朝を迎えていました。
パチンコをしに行ってみた。大きな音楽とパチンコのじゃらじゃらの音に耐えられるかと思いましが、入ってゲームを始めたら耳に付かなくなりました。ゲーム機には天才バカボンのレレレおじさんがほうきを持って待っていて、玉の動きとサッサのタイミングとうまくあえば、ポイントになるところまで転がって、そうすると辺りの玉が玉がジャラジャラ出てきました。私はレレレおじさんと会話。「おじさん、玉を運んでっ」。ほうきの様子をひたすら眺めていました。 しばらくすると、機械の穴がパカパカ開きっぱなしになって、呆然。銀色の玉が後から後から出てきて、ピンクの箱があっという間にいっぱいになりました。からくりはわからないまま、箱の中の玉を使ってゲームを続けるかどうか迷ったけれど、目が疲れて、それから、「勝ったものを持って帰りたい」がありゲームは終了。カウンターのお姉さんは、なにやら言って、私に現金に変えるカードをくれました。それを四角い窓に入れたら、代わりにお金が出てきました。出資は600円で、2500円勝ちました。 何時も感じていたことですが、料金交換所の向こうとこっち。この外界と内界が四角い小さな窓のカーテンで仕切られているのは何故なのかな。
お店の外に出たら、耳に膜が張ったみたいになっていました。たぶん話す声が大きくなっていたでしょう。それに身体が冷えていた。それから、やっぱり首と目が疲れていました。大きな音とゲームの空間の中で夢中のなると、身体の悲鳴に鈍感になるみたい。 でも、面白かった。 レレレおじさんのお店は禁煙でした。パチンコってマイナスのイメージだけを持っていたけれど、嵌らず上手に遊べるのなら、これもいいのだなぁ。今度は箱の中いっぱいにあった玉が全部なくなるまでしたみたい。負けたときにどんな気持ちになるのか、自分を見てみたい。 それから、あのカーテンの向こうに誰が座っているのか見てみたいです。
何を感じてもいいという安心感。理由の分からない安心感。
どうしようもなく力が抜けて、もういいんだよ・ほんとうにもういいんだよと、
私の全てがくったりやわらかくなる。
この、力の抜けた感じをもっと感じていたい。
赤ちゃんの頃、一番初めはこんな風にやさしく息をしていたのだろうな。
だからきっと、ずーっと前からこの安心感を望んでた。
やさしく生きる人間として大切な感覚のような気がする。
いつまでも、意図的に安心を感じて自分をFreeにさせてあげる。
安心出来る自分が居て、ありのままを感じることが出来るということを、心にしっとり感じる。
私は今、自分に、母の愛に包まれているような安心を与えてあげているみたい。
ずっと昔、私も赤ちゃんだった。ただそこに生きる赤ちゃんだった。
そっか、理由が分かったね。
もっともっと、私の感覚を目覚めさせたい。
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部屋の掃除。使わないものを処分したり整理したりするのが楽しいです。ふと、ヴェトナムへ行くときのことが浮かびました。そうそう、少しずつ荷物を減らしておけばいいのです。 それから料理の時間。かぼちゃを丸ごとチンして熱々が冷めたら皮をむいて、かぼちゃのペーストの出来上がり。実はかぼちゃのサラダの舌触りが好きなのです。今日は私の顔くらいもある大きなかぼちゃが全部ペーストになりました。 夕ご飯用に、ぬか付けにしておいた秋刀魚を焼きました。秋刀魚のぬか付けは北海道で知った保存食。やっぱり、私の心の別の扉が開いて、今までと違うことが出来るようになってきてる。うんうん、そんな気がします。 この頃、料理が面白い。昔から好きだったような気がします。 そして、成長したのだね。ほんとにね。よかったね。
今日も大切なものを見た。大切な大切な自分。 私が私の心を感じて生きていくためなら、世の中で大切と言われているものを全て、私の外に放します。
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就職活動。履歴書と職務経歴書をWordで作ってみました。手書きよりも楽で、字体も整っているからきれいに見えます。気に入りました。 このお気に入りを白い封筒に入れて郵送しました。それから、ヴェトナムに会社を出している企業にも面接依頼を出してみました。私を使って欲しいなー。
社会保険事務所から、昨日問い合わせしたことの正式回答が送られてきました。早いですね。中には私の生きてきた足跡。昨日聞き漏らしたのか、名前の知らない職場が2箇所になっていました。どうしてかなぁと思いつつ、これを元にして自分の過去をたどることが出来るのだなぁと思いつつ、生きてきた証を感じて封筒に戻しました。
ところで昨日は、ヴェトナム人通訳の女性と一緒に電車に乗りました。知りたい事があったから楽しかった。そして、この女性とも心を語り合うことが出来るのだと思うと、再び喜びが沸いてきました。心の架け橋は国境を自由に行き来するのです。 夜、ヴェトナム人の友人Dちゃん(ヴェトナム独り旅に登場しているDちゃんですョ)から電話がかかってきたので話をしました。2ヶ月ぶりくらいで懐かしかった。彼女は最初は何時も英語。そして今日は電話の向こうで「今からヴェトナム語で話すよ。いい?」と聞いてくれました。
もちろん。語る私も、新しい単語を使ってみました。
久しぶりに電話してるよ。 夕ご飯何を食べたの? 今?今はパソコン見てたよ。
この言葉は自然に出てきたの。ふふっ。楽しかった。
そしてそろばん。今日も40までいけた。この頃は20の位から計算を始めていたけれど、やっぱり初心者ですから、一から始めて球ころがしを楽しむことにしました。この球さばきが楽しい。まるで、1ヶ月位前からそろばんを知っていたみたいです。
楽しいことをいっぱいしよう。
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社会保険事務所に電話して、私の年金はどうなっているか確かめてみました。 働いてきた場所で年金を納めた記録が、おそらく全部残っていました。そして、知らない名前の就職先もありました。最初は、間違って記録されているのかと思いましたが、少し考えてみると記憶のない時期とほぼ一致しました。気になることをしてみたら、今まで心の奥のほうにあった過去の扉が開いた。自然の流れです。
何かをしている時、恥ずかしいとか大丈夫かなという気持ちは、自分を見ていたらうんと小さくなると知りました。 9月12日の日記の中で「今は自分を愛することをしている」と書きましたが、今日はその気持ちを12日の日よりもさらに自分の心に感じられた。だから、心が喜んでいます。素直に嬉しい。 私は今日、自分にプレゼントをしたい。何をプレゼントしようかな。宇宙中をプレゼント。昨日よりもさらにやさしい心をプレゼント。
雨で野球が中止になり、変わりに心友が遊びにいらして、楽しいときを過ごしました。 一人の女性と心の傷を抱える自分たちについて語りあいました。 私たちはお互いに、藁とかしゃにむにという言葉を使いました。本当に始めは、ただただ楽になりたいばかりの私でした。久しぶりに語った過去に、懐かしさが沸きました。 これから先の話もしました。心の傷を癒やすには、傷ついた分の年数だけの月日が必要かどうか。私はマイナスの世界に37年間生きていました。プラスの人生を歩き始めて5年目に入りました。今は41歳です。私の心の傷が癒えて楽になるのにはあと32年かかるのかどうか。 きっと大丈夫。だって、心の傷を癒やしてきた5年の歳月は、それまでの5年の何百倍も自分を見つめていられるから。 今は過去の何百倍も、自分を守り育ててあげられるから。
あとで、惑星の話や数字の話をしました。水星が私たちの目に見えない理由、知っちゃった。1メートルの定義は、地球一周4万キロメートルを4万分の1にした数だって、知っちゃった…。アメリカ大陸まで1万キロメートルだって、知っちゃった。 一日 10 時間歩いて何日でアメリカ大陸に着くのか計算したけど忘れちゃった。
世の中には私の知らないことがたくさんあるのですねぇ。何かを知るということは楽しいことです。
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育成会の日。 開始少し前、トイレに行って部屋に戻ると一人の女性が立っていました。 女性は4年前にGobamcanの中で出会った心友でした。私はその女性がそこに居ることに心から驚きました。まるで現在と過去の時間を越えてワープしてきたよう。会が始まった後も不思議な感覚がしばらく抜けませんでした。 けれども、嬉しかった。話をしたくなって女性の傍に行きました。女性と語る自分を眺めてみると、新しい人に対していい答えを探していない、感じたままを語る私でした。私は4年前より、傷を癒やしたぶんだけ楽に生きているみたい。 会の中では、話の流れでセクハラを受け傷付いた場所での原体験の話をしました。語る機会を経たことが嬉しかった。 私の言葉に心を傾けてくださった方へ、心から、ありがとう。 そして、心を語れる場所を大切にしている私へ、4年余りここに生きてよかったね。
うん!
今日は初めての当直の日、の予定でした。でも、ひとつ出来事がありました。怒りに気が付かぬまま通り越して、涙が出た。でも自分の大切にしている未来を覚えてた。だから、すぐに次の動きに変わりました。 夜になって、その出来事を思い返してみると、やっぱり残念さや悲しみがありました。 机の前に座っている自分。うつむいて肩を落としていました。
そんな自分に言いました。 「閉じこもっているともったいないよ。動こうよ」
私の地図。私は私の地図を持っています。 大切なのは何時も未来。大切にしている未来をこれからも大切にします。
そしてそろばん。今日も30 まで。またまた指さばきが早くなってきたから、面白いですねぇ。何があってもそろばんをしている自分が面白いよねぇ〜。私はいつでも、こんな自分を写真に撮りたくなります。
はい、チーズ。カシャッ!
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