「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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育成会。
夜、本読みをしていたら、この頃気になっていた自分の過去を整理しに行くことができました。 チャイルドを癒やした後の自分は、癒やす前よりさわやかで軽くて、使用前使用後のような気持ちにもなります。表現を変えるなら、施行前施行後のようです。この頃は、楽しいことが続いています。楽になったらほんとにいつも楽しい。人生を楽しめることがうれしいです。 今は、プラスの自分を構築しているのだと思えます。
ところで、午前中はヴェトナムの友人にメールを書きました。全部で6行くらい。でもその中に先週の間に勉強した文法のものを入れてみました。こうして楽しんでいるうちに自然に、別の世界が広がっているみたい。 昨日のことですが、誰にもCosmoの世界が有ると聞きました。私にも無限の世界が秘められている。遊んで楽しみながら、自分の世界を広げられていることに喜びを感じます。将来、転職しているかもしれない。無限の可能性の中のひとつです。
| 2007年10月04日(木) |
嬉しくて楽しかった一日 |
今日は嬉しいことが二つありました。1つは就職が決まったこと。昭和高校近くの整形・形成外科。新瑞橋行きのバスの窓からいつも見ていたきれいなクリニックです。 面接に行ってその場で、ここで働こうと決めました。即決の理由は、若い職員皆さんが私を迎え入れて下さったこと。院長は歯切れが良くて、私と同じくらいの身長だったこと。立って並んだら私と同じくらいのところに顔があり、その近さが面白かった。
「どうですか?こんな感じですけど。菅野さんさえ良ければうちに働きに来てください」。その言葉の通り、歓迎されている雰囲気と、それでも私が決めてもいいんだという安心感。さらにこのあと、私の気持ちを決定付ける出来事がありました。 院長は、気持ちがかたまりかけている私を見て、就業規則と給与規定・育児介護休業規定の冊子を渡して下さったのです。今までいろんな場所で働いてきたけれど、就業規定を始めに会社のほうから見せて下さったり、持ち帰り用に小冊子にして渡して下さるところは始めてで、私のほうは、「就業規則は社内から持ち出してはいけないもの」と認識していましたから。 私の驚きを院長に伝えたら、「ここが皆さんの一番知りたいところで、ここがはっきりしてないと働き辛いでしょ」と。規則の中には、セクシャルハラスメントを防ぐための言葉やそのような出来事が起きた場合の方法なども入れられていました。
その後、給料の内訳をはっきりと提示してくださり昇給等の細かい説明を加えて、「この額からスタートになりますが、どうですか?これくらいならうちで働いていただけますか?」と。 私は、働く私を視野に入れられ大切にされているように感じて気持ちが良かった。そして安心しました。 それから職員さんに「楽しいですか?」とお尋ねしたら、楽しいですよと言っていました。職員の皆さんが意気揚々と働いていることは私にもその環境があるものと思えました。 ということで、即決です。長ーい就職活動にやっと終止符が打てる。嬉しくてたまりませんでした。
「やった。やっと就職が決まった。うれしい」と言ったら、「そうですか。そんな風に言ってもらってありがとうございます。ぜひうちで働いてください」と。 働きやすい場所を探し続けてよかった。今までの行動が実を結んだ気持ちでもあるのです。
二つ目は、心友親子さんのお家に遊びに行ったこと。お邪魔することになったきっかけは私のミスにあったのですが、ミスした自分を認められたことで楽しいひと時を過ごせました。 小学校2年生の男の子とベランダに出て星を眺めたり星の図鑑を見たりしました。子どもって、いろんなことを知っていて面白いやら感心するやら。その広い世界・無限大とはこのことだなぁと、やっぱり感心しています。 食事をした後、心友の女の子と一緒にお皿を洗いました。面白いことを言って笑って遊んで、楽しかった。そして嬉しかった。 あとで、どうしてこんなに楽しかったんだろうと振り返ってみたら、自由な自分がそこにいて、100 %楽しむ私がそこにいて。私は今、自分の行動に責任をもてる大人として生き、そして過去に出来なかったことを自分にさせてあげているのだなぁというところでまとまりました。
「楽しかった」がいっぱいの日でした。
今日も就職活動。でも、10月に入り体に感じる寒さがネックになって就職活動が数時間空回り。でもその後は気持ちを切り替えて、窓から空を見上げました。明日は、近くの整形外科クリニックと、夕方は御器所まで面接に行きます。
思えば、私は「看護師の免許を使ってしてみたい」と思っていた仕事は一通りし終えていたのです。「してみたい」の中には、准看護師の私には、正看さんと同じ経験を積んでいても、准看護師であるために入れない入り口がある。「どうして?」と不思議さがあったから。してみたら出来る。そういうことを私は実践で学んできたのです。そして今も自分の夢が実現しやすい職場を探しているのです。
昨晩はヴェトナムに進出している日本企業からメールが来ました。実はその会社に面接希望を出していて、その返事が届いたのです。答えは不採用でした。でも、申請を出してから後のやり取りの間、出来るだけ私の希望に添うように動いてくださったのが、文章から伝わってきました。それがやさしかった。私はそのお礼を加えて返事を書き、最後に「ヴェトナム語が私の能力そのものになった後に、お会い出来れば嬉しいです」と書き添えました。そうしたら今日返事が来て、そのことに対する返事が書かれていました。 自分の、別の可能性を見ました。
偶然ですが、ヴェトナム人のお友達Dちゃんから携帯にメールが届きました。携帯の文字には声調が入れないので難しく、 こういうことかなぁ?この意味でいい?とメールを送ったら、こういうことで、その意味でいいですと返事が届きました。ヴェトナムと日本でメールをやり取りしているなんて面白いです。 広い視野で社会を見よう。そうすれば大丈夫。
夜、ヴェトナムラジオを聴いた。楽しかった。ルンルン♪
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朝、目が覚めた布団の中で、そろばんが浮かんでしまいました。起き上がると机の上のそろばん。150まで出来るようになりました。箇所箇所で私ならではのエピソードがあり、その位置に来ると笑えます。 午後は中区の栄まで面接に行きました。先週土曜日、ある場所の不採用通知が届いた後 半日落ち込んだ分を取り戻して、ワクワクを持って面接に行きました。やっぱり心から沸いてくるものの中で動くのは気持ちいい。私の履歴書を職員皆さんで見て、相談されていました。皆さんに囲まれて緊張したけれど、こんな面接は初めてで面白かった。 夜は空手に行って、前回よりもくつろいでいる私がいました。 すこしずつ。すこしずつ育っていく自分を観察しています。小さなことを確認していくのに時間がかかる。ゆっくりかもしれない。でも、自分のペースでいいと思う。私は私のままでいいよ
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| 2007年10月01日(月) |
ねがいましては〜っ。 |
珠算の本を探しに本屋さんへ行きました。珠算の本やドリルがありました。中を見ると、2桁の数字がたてに5個並んで、その下に合計欄があり答えを書く。こういうのを「みとり算」というのだそうです。この5つの数字をそろばんで計算するのですねぇ。ワクワクします。そろばんは紙に書くよりも早くて脳の刺激になるそう。私も今では、計算機よりもそろばんに愛着がわいているのです。 ドリルを見ているうちに、ネットの中にもあるかもしれないと思いつき、買わずに帰ってきました。 ということで、インターネットで調べてみたら、珠算のページがいくつかあって、計算式もあって。中には、「願いましては〜」と声の入ったものもあって面白かった。声の主は、10 級のところでは2桁の数字の足し算を言い、引き算のところでは、「ひぃいては〜」と言うのです。 「願いましてはぁっ、……なりっ……なりっ……ひぃいては〜……」。そして、ほんの3秒くらい置いて、「…えんっ(円)」と、たぶん答えを言っています。その言い回しに笑えました。 それから1級というところを聞いてみたら、7桁くらいの(何桁なのかがすぐに分からないくらいに長かったのです)数字になって、びっくりするやら面白いやら。
算数の出来る人はすごいと思っていたのに、数字ってこんなに面白かったんだ。私の場合は、まだ“すうじ”だけど。
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先週に引き続き、野球が雨で中止になり、家の中でのんびりしました。 この頃、女の子のやさしさが気持ちいい。私も女の子なのだけど、自分以外の女の子の自然なやさしさが心にしっとり気持ちいい。ころんと寝転んで触れ合ったりお腹の底から笑ったり、最後まで楽しかった。子どものように無邪気に笑って、裸んぼうの私がそこにいました。 過去を降ろして新しい世界で生まれた私だから、私のすること全てが生まれて初めてのことみたい。そしてそこに 愛 を感じました。
心の傷が癒えた分だけ、自然に愛を感じられる。至福の時という言葉がありますが、こんなときにも使えるのかな。 私の心にも、太陽のような愛があるかな。 私は私に愛をするということをしているから、私の心にも愛がある。自分に愛をすることの出来た分だけ、そこにある愛を自然に感じることが出来る。私はそう思います。
愛は、いつも自然にそこにある。まるで、お空にある太陽みたいです。
ずーっと雨。パソコンとお話して過ごしました。 夕方、傘を差して散歩。気になる本があったので、本屋さんへ行った。気になる本と言っても、チラッと見たテレビの画面に映ったエッセイストの、女性の名前のみというアバウトな記憶の中で、本は見つけられなかった。 探しものをしながら、文章の書き方を見た。文章ってどのようでもいいのだな。縦書きは収まりがいいように見える。私も縦書きで書いてみようかな。 もし私の書いたものが書店に並ぶとしたら、どのコーナーになるのかな。小説家でないことは確かだから、たぶん始めはエッセイかな。それから本題に入ってノンフィクション。私の人生の始まりから書くとすると、歴史?にはなりません…。哲学のコーナーに並べる本を書いてみるのもいいな。 そっか。一番最初はお手々で売るのだから、手のひらに並ぶんだ。
散歩をしながら、いろいろなことに思いを巡らせた。時の話題で、就職活動の真っ最中。活動と実績が伴わず、今日はちょっと疲れた。こんなに働かないことをする日が続くのは初めて。 今まで、「働かなくちゃならない」で生きてきたのだなぁとしみじみ思う。 先日整形外科で、“13日間の原体験”をしてから、私の中が少し変わった。変化の続きを見たい気がしてる。そうそう。私は自分を見たい。
久方2丁目の交差点を曲がった時、あることがひらめいた。もう一度病院に就職すれば、分からなかった部分を見ることが出来る。そうなんだ。あの頃の自分をつなげることが出来るんだ。当時の病院とそこにいた私が、ヤマダ電機にいくつも並んだテレビの大画面のように浮かんだ。突然の大画面。心に電気が走った。 原体験できる場所へ行けば、あの頃を知ってる私に出会える。ワクワクする。
知りたい知りたい。自分のことを知りたい。 過去の、あの私とこの私と、それからこっちの私がひとつになる瞬間。
「近づいてる」
そんな気がした小雨の夕暮れ。
自転車で散策していると、たいてい一回は「自由だなぁ」と感じます。体が自然の中で開放されているような気持ち。地球というお風呂に入っているみたい。心が開放されているからだと思います。 最近、力の抜けた自分を感じることが続いています。この開放感がたまりません。本来私はこのような感覚で生きているはず。今までが大変だったのだなぁ。
9月に入って2週間弱働いた場所でのことを、短編文章にしようとしています。いろいろな発見があって面白い。これからの自分に役立つこときまりです。
今日は面接に2件行って、午後はかぼちゃのサラダを作りました。スーパーのお惣菜と同じくらいにおいしすぎて困りました。そして又料理。やっぱり楽しい。いろいろなアイデアが浮かんでくる。そして私はこんな自分に懐かしさを感じているのです。
過去に出来なかったことを今の自分に。あと半年。うんうん。 もっと楽しんでいいよ。
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朝から勉強。 ノートに並んだ字がきれいに見える。自分で作ったアイテムを眺めて喜んでる。小さな喜び。自分の体と心を使って作ったものは自分のもの、と『エミール』の著者ルソーも語っている。汗水たらさず楽しく作った時の心が入っている。だから私は、机に並んだ自分の道具を愛してる。
午後、にんにく味噌を作った。ごま油で炒めたにんにくがたっぷり入った味噌。本当は夏の間に食べるものだったのかな。でも、寒い冬に備えて食べるのもいいと思う。料理をしているうちにやっぱり楽しくなってきた。ルンルン気分でまな板を叩いてた。 誰も居ない家で料理や洗濯している。過去にもあった風景だ。あの頃、私は人のことばかり見てた。今は、洗濯ばさみをつまみながら自分の未来を見ている。そして、あの時こんなふうだったら、とは今はもう思わない。 子どもたちのことが浮かんだ。会いたいなーと思ってる自分を感じる。もし会えたら、その時も私は自分を見ているだろう。今よりもっとやさしく見ているだろう。
夕方バイクで走っていたら、パチンコ屋さんが目に入った。先週、パチンコというものを経験してから、スロットとかパチンコという文字が視野に入るようになった。こんな日は、たぶん遊びに行ってもいいのだ。けれど私はクルミ割りをしたかった。くるみは割ると食べられるから。
先日、玄関には靴がきれいに並んでいるものだという話を聞いた。そんなイメージは無かったので、へぇーっと感心した。面白そうなので玄関を掃除して、自分の靴を並べてみた。ごみが無くなってかかとのそろった靴が気持ちよかった。 数時間後、ふと見ると、私の靴のほかにRoommateの靴が二つ並んでた。何時もきれいにそろってる女の子の靴ともう独りの男の子のスリッパ。並んだ靴がかわいらしく見えて、ほんわかやさしかった。靴が喜んでいるみたいに見えて、クスッと笑えた。 いくつになっても、このやさしさを大切にしよう。
靴たち
| 2007年09月25日(火) |
14606 時間の愛 |
家の近くの企業へ面接に行きました。 「ファシリテイター育成についての文章が書けますか?」と尋ねられました。「はい」と返事をしたら、「じゃ、今から文章を作って」と言われて、慌てました。慌てて頭が真っ白に。これでは書けないということになり、一端席を離れてトイレにこもりました。再び座って思いつくことを書いているうちに楽しくなってきて、わずかな時間を楽しみました。久しぶりに「してみたい仕事」と感じた自分を見ました。
4382 回の愛を、1回につき 20 分くらいとして時間にすると、87640 分。時間にすると…。87640 分を3倍して 262920 分。これを時間にして 43820 時間。これを3分の1にして、14606 時間。少ないように感じますが、あっているかな。14606 時間を日にちにすると何日になるのかな。
感じたままに生きると、どんな結果も自分がしてきたことだと確かにわかる。自分のしてきたことを肌に心に感じられることは私にとって大きいのです。そしてそれでも、この意識を忘れることがある。だから、意識することが大切です。恐る恐る開けた扉の向こうには、いつも自由があります。今日は私はもっと、広い目で地球を見て生きていける予感がした日です。
ヴェトナム語の本にきれいに見出しをつけた。これで少しわかりやすくなりました。 今日は中秋の名月。月がとてもきれいでした。
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