「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEX|past|will
| 2007年10月19日(金) |
やっぱり風船・ふわわ |
職場で皆で集まっているとき、ただ静かに、何をも語らずそこにいると、おもしろいです。人々の中に居る自分を後ろから見ている感じでした。いつも自分を見ているって、こういうことかな。 その私に、毎日の運動のことを尋ねる若い看護婦さんが居ました。他にどんなことをしているの?と尋ねられたので、心の傷を癒やしているョと語りました。少しだけ語る自分も面白かった。
昨日の夜、私の中から過去の傷に対する怒りが噴出してきました。少しの間、恐かった。そしてどうすればいいのか分かりませんでした。 でも、小さな私も、自分を侵害された時には怒ってよかった。私が私を認めてあげたら、怒りは小さな形で表現することができる。そして怒りの表現の仕方はいろいろあるのです。 そして、名古屋へ来てからの自分をよく思い起こしてみたら、私は今日までの間にも、時にはいくつかの方法で自分に沸いた怒りを表現した経験を持っていたのではないかと思えました。自分を伝えることが、出来ていたみたい。 出来てた出来てた。うんうん。こんな私はちょっぴり面白い…。
こんなことを考えていたら、体から力が抜けてきました。 いいんだいいんだ。これでいいんだ。大丈夫。怒っても大丈夫。 その前に、感じたままに生きて、大丈夫だったんだ。 生きてきてよかった。生きてこれてよかった。
感じたままに生きていると、いつも楽しくてやさしいね。 やっぱり、風船みたいにふわふわがきもちいい。
今日は、何年も前から知りたいと思っていた、自分のしている診療介助のことを院長に質問してみました。知りたかったことが分かったことと、自分がそのように介助する理由が分かって面白かった。 それと、尋ねた自分に、あとからドキドキしていたので、こんなに小さなことにドキドキが発生したのはなぜだろうを見ていたら、こっちもおもしろかったです。
今を生きるということ 心の傷を垣間見て、そのことをもっと知りたいからと言って今のことを忘れていたら違ってくる。時は流れていて、私は今、生きてる。今を楽しんでいれば分かってくることもあるのですね。
私は私でいいのだなぁ。もっともっと、感じたままでいいのだなぁ。
今日も自由な私。何が自由だったかというと、小さなことひとつひとつに笑ったり焦ったりしながら楽しく働くことができたのです。自由に仕事をするなんて始めてのような感覚です。
注射の時、液が血管の中に入りにくい薬液があって、今日は注射の方法を変えてみたらすごく楽に出来て、あんまり楽だったので感心しました。 同時に、今まで人の体に針を刺すという行為に大きなエネルギーを使っていた自分にも気が付きました。 この気付きが嬉しかった。それで、「私ねぇ、注射のときすごくストレスがかかってたみたい。今日始めて気が付いたよ」と看護婦さんに話しました。
ほんとうに、私はいったい何に縛られていたんだろうと思う。 看護婦に戻ってよかった。まだまだたくさんの、大切なことに気が付ける予感がしています。
今日の私の頭には、昨日の男の子の動きが残っていました。そして私は自由。これでいいんだなぁと、自分を楽しんでいました。 午後から派遣の看護師さんが来て、患者さんも少なかったので派遣会社の話をしました。仕事を仕事と割り切って働くことがいいのです。 院長さんが、院内の医療物品を注文するのに、通販雑誌を見て看護師さんの意見を聞いていました。マスクを選んでいるとき、看護婦さんが「ピンク色なんてどうですか?」とちょっと遠慮がちに言ったら、「そう?じゃピンクにしよっか」と言って、ピンク色を注文することになりました。看護婦さんは喜んでいました。やっぱり、今までで一番医師との距離が近い職場です。
夜、静かに本読みをしました。子どもの頃の動きの一つ一つにいつも、その時の心の苦しさが入っていたのだなぁ。今ではどうしてそんなことをと思うことも、そのときの私にはそんな風にしか出来なかったのだから。 そして私は、ずっと前から、そんな自分を救ってあげたかった。だから、ごめんねごめんねって。 それから、自分を救ってあげることが出来てよかったねよかったねと言いました。
生きてきてよかった。もしも今、私の傍に小さな女の子が現れたら、私はかけがえのないその子の体や心のことを、その子に分かるように話して聞かせ、その子をそっと抱きしめます。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
釣りに行きました。でも今日は小さい赤ちゃんのハゼが一匹だけ。お魚さんもあまり居なかったのではないかなぁ〜。 途中で飽きたので、しじみを採りに行ってみたら、手を入れたすぐそこに、アサリくらいの大きさの特大のシジミがいるではありませんか。びっくりしました。 そばで、男の子が偶然出会った少年グループと一緒に遊んでいました。「あの子がこの子が」と言って、名前なんて分からないまま、それでも遊んでる。就職したばかりの職場に居る自分の姿と重なりました。 どこでも誰とでも、楽しむ心があれば友達になって遊べる。やっぱりこれでいい。これでいいんだなぁ。
釣ってきたハゼを煮たら、今までで一番上手においしく、つややかに出来ました。数が少ないから何も考えずにシンプルに煮ただけなのに…。 やっぱりシンプルがいいのだなぁ。ハゼのシンプル煮。
就職4日目。3日目の昨日から、もう私にマンツーマンで教えてくれる人は居ません。すでにナースの一要員になってしまい、大丈夫なのかと少し不安になりました。それに、間違えたときのお叱りは恐いです。それで、昨朝は、「一人で動いて間違えたらいけないから、1つずつ聞いてもいいですか?」と伝えたら、「何でも聞いてください」と言いました。忙しくて聞けないときは、動かずに待っているようにしました。分からないときには動かないことが賢明なのです。 夕診の終わりごろ、看護婦さんが皆居なくなったとき、(私の先輩はどこへ行ったのかしら?)と院内を探している自分が居て、見ていて面白かったです。 今日は、患者さんが指の怪我を縫う麻酔をするときに、「痛いって言ってもいい?」と仰いました。「泣いてもいいですよ」とお伝えしたら、よかったっと言って目をつぶりました。看護婦さんは偉い仕事をしてるねぇと言われたので、小さな声で「資格という四角い紙で仕事をしていますョ」と言ったら笑っていました。でも本当にそうだったのですねぇ。 四角い紙、昔はこの紙が重かった。今はどうかな? わからない。ということは、まだ少し重たい時があるのです。 午後、女の子が来てギプスを巻きました。待っている間に包帯マンが体を探検して遊びました。女の子は始め、いたくてこわいと難しいお顔をしていましたが、包帯マンと一緒に体を探検しました。こんな時、純粋に楽しい。仕事ということを忘れるくらいに楽しい時間が続いた分だけ、仕事を楽しむことが出来るのだなぁ。 夜、部屋に帰ってカレンダーを見て、改めて4日目だったんだなぁと思う。もう何ヶ月か経ったような、ずいぶん前から今の場所で働いているような気がする。まだ4日目だったの?と自分で思う。 ということは少しくらい間違えてもいいかしら。いいえ。分からないことはあっていいけれど、患者さんの何かを間違えてはいけません。能力をお金に換えていただいてるのだから。
今夜、またひとつ、仕事をする私の心に決めたことがある。このことを大切にして、成長したい。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
今日は1つの針で2種類の静脈注射を続けてする患者さんに、使う針を間違えてしてしまいました。1つ目の注射が終わって2つ目をうまく差し替えることが出来れば問題はないけれど、付け替えの時に針がずれたら患者さんは痛いです。針を刺してすぐに気が付いて、患者さんもいつもと針が違うと言いました。あっと思ったけれど、慌てて失敗してはいけないから、息を整えてすればいいことをしました。 「私、針を間違えました。ごめんなさいね。」と言ったら、「うまくできればいいよ」と言ってくださいました。針がずれずに出来たのでよかった。
注射や採血の時、針を刺すまでは「親指を中にしてぐっと握ってください」と言います。無事に血管まで届いたら、「力を抜いてください」と言います。 今日、何度目かの注射のとき、患者さんに「力を抜いてください」と言ったら自分の体にも力の入っているのが見えて笑えました。だから、自分にも「力を抜いていいよ」と言いました。それから、前かがみになりがちな注射体制を、どこに体重をかければ体が楽かなぁと体と相談しながらしました。 そのあとは毎回、患者さんと自分に、「力を抜いて楽にしてください」と言いました。おもしろかった。
夕方、聞きたかったことを言葉にしました。心にやさしい答えが返ってきました。聞いてみて分かったのは、私はそのことを、ずっと昔から、誰かに聞きたかったのだということでした。だから、言葉に出来た自分とその状況に心から安心しました。 その少しあとで、聞けた自分にドキドキしました。そして、これでいいよ・大丈夫だよと私に言っているのは、私自身でした。力を抜いて、風船みたいな私でした。 お空に自由に飛んでいきます。風船ふわわ…。
先日拾った銀杏を、数えてみたら 350 個ありました。昨日ご飯を炊いた分も入れたら、370 個ぐらいです。すごいですねぇ。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
初出勤。 朝一番、職員の皆さんに紹介されました。私はよろしくお願いしますと言いました。半日、カルテの流れを覚えるように仕事をしました。楽しかった。午前の終わりに私の歓迎会のお話が出たので、「私は今朝皆さんに歓迎してもらったから、もう済みました。だからいいです」と言いました。 午後の部、午前中のことをおさらいしながら、シンプルに仕事をしました。流れの半分くらいが分かりました。 夕方の診察が終わって皆が集まったとき、院長さんから医療用のはさみを支給されました。「大切に使いまぁす」と言ったら、院長さんは「え?」と。それでもう一度同じことを言ったら、今度は「ありがとう。末永く」と言いました。なんだか面白い会話でした。
今日は空手の日。一日中立ちっぱなしでしたので、少し足が疲れていました。でも、週に一度の日を利用したかったので行きました。初出勤の日に、空手に行こうかという発想を持てていたことがすごい。成長の証なのです。
過去は何をしていても落ち着かなくて、いつも時間に終われて生きているような感覚でした。今は毎分毎秒を生きて、楽しく過ごしているんだなぁ。
**〜Xin mơi lai ghé thăm trang Bóng chày nhé〜**
体育の日。 今日は、よりネイティヴなヴェトナム語を学べる環境を作ろうと、半日インターネットの世界で作業をしていました。それにしても 広告とは上手に出来ていて、小額の料金を大きく提示して、その他の高い費用を小さく記載されていたりします。新しいことを始めるときには、いつもよりさらに一呼吸おくくらいのていねいさを持ったほうがいいのですね。
午後、銀杏の実むきをしました。バケツに水を張って銀杏の実を入れて、棒を突っ込んでかき混ぜたら、グニュグニュッと実が飛び出てくるのが分かりました。だいたい出てきた頃を見て、ビニールをはめた手で実を拾い出します。これが、木から落ちた銀杏を拾うよりも時間がかかり、一度は嫌になりました。ところが、嫌になったそのあと、ビニールの指で銀杏をはじいてみたら、プシュッとバケツに飛び込んで、今度は面白くなりました。ということで楽しんでいるうちに作業が終わってしまいました。 夜、その銀杏をレンジでチンしてみたら、その実のかがやきの美しいこと。ピカピカの銀杏をお米に混ぜて、銀杏ご飯を炊きました。
今日も一日、自由な心。安心と自由はいつも同じところにあるみたい。二つのものは仲良しなんだ。 そして、いろんなところに愛。愛と自由と安心は Link しているみたい。
それにしても、こんなに楽しくていいのかな。 たぶん、いいんだと思う。 自分を楽しんで生きることが、私に生まれた私に出来ることだから。 私の人生は今、ほんのりあたたかい。
明日から初出勤。前よりもさらにワクワクがいっぱい。遠足の前の晩より少し小さい喜びの中で布団に入ろうョ。ムニャムニャ。
うつくしい銀杏さん。
今日は野球がありました。でも、最初の予定より2時間早く始まりました。レフトで守っているときに、「あれ?」と思いました。計画の急な変更に、自然に動きをあわせられて楽しんでいる自分を見たのです。小さいことだけれど嬉しかった。楽しかった。成長しているのだなぁ。 野球が終わったあと、木登りをして銀杏を拾いました。その数は、たぶん200個くらいです。久しぶりの木登りが面白かった。名古屋に着てからは、1年に1回は、木登りをしています。一番最初の木登りは、天白公園の外灯でしたけれど…。
夜、ヴェトナム人B君に電話をかけました。最初に日本語で「ヴェトナム語で話したい」と伝えたら、「はい。じゃ、最初からね」と言ってくれたので、「“プルルル〜♪ プルルル〜♪ 。 Allo… ワタシハ Mamo デス。ベトナムゴ デ ハナシタイデス。イイデスカ?」と再現して、2人で笑いました。 それから、私のボキャブラリーがほぼ尽きるまで話をしました。「なんていうんだっけ。なんだっけと唸ったあと、つい日本語が出たりして、言葉のやり取りがスムーズに行かないところが面白かった。だから又話をしたいです。そして、やっぱり単語力が欲しい。ということで勉強したい気持ちが大きくなった私でした。
|