「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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今日もまた、あそび続けた一日。 午前は単語の練習。聞き取りに慣れてきたところはその単語が浮かぶようになりましたから、どなたかベトナム語で話しかけてくれないかなと想像の世界は広がり続けます。早く使ってみたいなぁ。そうそう、あともう少しです。 単語に飽きたら外に出て、プラスティック解体工場の始まりです。と、その前に大きな衣装ケースがあったので、中に入ってみました。そうしたら、小さな子どもになったみたいな気持ちになって、くすぐったくておもしろすぎました…。 午後も庭に出て、今度は土いじり。夢中になりましたョ。棒の切れ端でひたすら土を掘っていく。このまま掘り続けたらどうなるんだろう。地球の裏側に出たらおもしろいだろうとか、何かの虫さんが出てくるかなとか。たまらなく素朴な世界で、それなのに無限大の世界なのでした。 続いてパラグライダーのきれを切っていたら、金具の部品が残りました。ステンレスのリングが4つ。指ではじいてぶつかるときれいな音がするんです。縦に並べてこちらの端っこをはじくと、一番向こうの端っこにあるものがはじかれて飛んでいくのです。一番向こうのリングがはじかれる力は最初にはじいた力より増しているような気がするのだけど…。 こんなことは学校で習ったらしいのですが、私には覚えがありません。覚えていてもいなくても、やさしい音色に惹かれた Mamo ちゃんなのでした。 ちなみに、ルソーは著書『Emile』の中で、教育するということについて、「身体と精神が互いに疲れを癒やすものとなるようにすること」(一部省略)と語っています。庭先で土をいじって遊んでいられる素朴さを好む私の心とLinkしました。 ということで今日は新鮮がいっぱい。心に感動の声を上げ、そんな自分にわくわくし、肌に当たる風は冷たかったけれど、心にはやさしやわらか空気が流れてきた。た・の・し・い一日なのでした。
どうしましょう。こんな楽しみがあとあと19日も残っていますョ。
今私は、自分の心に一つのテーマを作って、片づけを楽しんでいます。 小学生の頃は、姉弟や母親が食事してるテーブルのそばに行き正座して、そうじさせてくださいと頭をさげました。受け入れられたかった一心で、あのときの私に出来た自分を生かすための方法だったのだと思えます。あの中をよく生きてきましたねぇ。えらかった。大変だった。がんばった。 だから、もういいのです。 今日の自分にこんな風に声を掛けられるのは、心の整理と荷物の整理が同時進行になっていることと、その結果として今日は特に楽しいお掃除 Time を生きたからなのです。 今日も一日楽しかったねぇ。
またまたお風呂タイム。何を望んでいるかなぁと自分に問いました。 子どもの頃一番望んでいたのは、愛でした。そして愛の次に、そのときの私に必要な生活の道具だったのでしょう。そのことが出来るかどうかは別にして、私はいつも欲しいものを望んでよかったのです。そして今は自分の望むものを自分に与えることが出来ているのですねぇ。
あ〜やっぱり、今日も一日楽しかった♪
卒業旅行まで、あと20日。生きることは楽しいね。ふふふ…。
リサイクルやさんが荷物を持っていってくれました。部屋の中がシンプルになり、なんだか不思議な気持ちです。出発までもう3週間をきりました。でも、行ってまた帰ってくるのだから、少し旅に出るような気持ちです。
夕方、久しぶりに研修生さんと会いました。ベトナムへ行ったら、お友達のご家族と対面する約束です。きっと私は、彼女のご家族に私を語りながら、日本で生きている彼女をお知らせすることになっているのでしょう。これも出会いなのですねぇ。まるで、私とお友達の間から昨年までとは違う新しい架け橋が出来ているみたいです。 それにしても、お友達のご家族は日本語が話せませんから…。私のベトナム語は、これからさらに上達することでしょう。ベトナム語で心を語ることが出来たらどんなにいいことでしょう。 架け橋といえば、前回訪問したときに出来たお友達には連絡せず、サプライズにしようかなぁと考えています。でも日にちが近づき、あちらでの風景が広がるにつれ、お知らせメールをしたくなってきたMamoちゃんなのでした。 そして夜には、さくさく身軽に動けるよう作った荷物を出したり入れたりしているMamoちゃんなのでした。
シンプルに行ってシンプルに生きたいのです。
今日は、リサイクルに買い取っていただく机や家具の準備をしました。 それから、日本で荷物を預かっていただく場所も決まったので、その準備も少し。
午後、子ども達に2通目の手紙を出しました。昼過ぎに出したから、この間と同じ15時の便で東京へいくのでしょう。 部屋の中が片付き始め、荷物を詰めたトランクは 「もう行きたいよ」 と言いたげにたたずみ、私の心もベトナムを向いています。子ども達への思いは自然とその次へ。 今、私の視線の先にあるのは本を書くということです。少し先の未来を見て今を生きる私。今、自分を 「心を書く人」 に育てる私は、これからの自分を楽しみにして、さらには彼女達と語りあう機会を広げられる私に繋がる。そんな予感がするのです。
だんだん心にゆとりが持てるようになってきましたョ…。よかったよかった。よかったねぇ。
育成会。 今日は子ども達からの手紙に返事を書いたその文章を読みました。 返事を書いている時間はいろんな言葉が浮かび、自分がわかって楽しいひとときでした。それから、書いたものを読み返したときには、私にはしてきたことがあるんだなということも。 それでも、皆さんの前で語るということに緊張しました。自分に対してマイナスの感情を持っていると心に不必要な負担をかけてしまうのです。自分をOKにするのは私なのに。わかっているのにねぇ。 手紙を読んだあと、私のどこに今のことを続ける強さがあったのと問いかけてくれる方がいました。続けてきたのはなぜかと自分に問うてみても、よくわかりません。ただ、私は必死に生きたくて、そして子どもに自分と同じ思いをさせたくなかったからなのです。 楽になっていく自分にはワクワクしました。それから、やめたくなったりできないと感じたこともありましたから、そんなときは未来を見て辛抱のときだったのかもしれません。なぜなら、いつもなりたい自分がありましたから。
今度行くベトナムは、旅行としては3回目ですが、何ヶ月も滞在するのは初めて。どういう風に行くのかと自分に問うと、いつも「ちょっと行ってくるね」なのです。 ただ、初めてのことがいくつかあります。外国で異文化の中で暮らすということ・本を書く人になるということ・仕事を休憩して貯えのみで暮らすということ・大学へ行くというこということ。 初めてのことはいろんなことが初めてでわかりません。 前回越南する途中の韓国で立ち寄った仁川という町は、右も左も韓国語。ホントに何もわかりませんでした。それなのに私は、あまりのわからなさを面白がっていたのです。今度も同じなのですねぇ。
そしてもうひとつ初めてのこと、それは子どもたちと文通をするということです。上のことに比べてこちらが特別に感じているのは、そこに私とは別の命があり、彼女たちは生きているからです。命があると捉えるせいか、わからないということに心の緊張を感じます。でも未来を想像するのなら、今の特別さが自然に自分の中に溶け込んでいることを、後でごく自然に私自身が知るのだと思えます。
母になるということを。 親になるということは、親になれるということで、ひとつの命が命として生きるその尊い一瞬一瞬に立ち会わせてもらえるということでしょうか。 それなら私も、自分の命の成長を感じる一瞬のように、一枚の紙の上で子どもたちのその一瞬に立ち会える機会もあるかもしれないと感じた夜でした。お日様が、月が、空が、草が私を見ているのと同じように。 母は、自然の中のひとつであっていいのかもしれません。私は今ある自然の中のひとつ。
今日はベットを解体しました。 まず、部屋の中で支柱をばらして、2階の窓から見下ろす庭に投げ落としました。大きな音がしたので最初の2つまではドキドキしたけれど、3つ目からは快感に。もっと上から投げたら、もっと加速して落ちていくのですよねぇ。 その次は庭に出て材木の解体。ベットの底はすのこみたいになっています。一枚一枚の板をはがずのに、てこの原理を使ったら上手に外れてくれました。こういう快感がたまりません…。でも、ベットは大きいのです。体と相談した結果、明日へ先送りにしました。疲れたら終わりなのです。 部屋の中は、ベットがなくなった分広く感じられました。来た当初は畳に布団を敷いて寝ていたのよねぇ。 それから、ベトナムへ持っていく荷物をすべてトランクに詰めて、シュミレーションしてみました。重量と持ちやすさのバランスを考えながら入れ替え詰め替え工夫した後に、さらに人様の知恵を借りもっと上手に詰められることもわかりいろんなことを試して。こういう経過がいいのですねぇ。最終的には現地に届けばいいのですから。どんな風にでもできるのです。 あ〜。今日で一月も終わり明日から2月です。ついに出発まで26日となりました。今は、予定日にいけるよう準備を楽しんでいますねぇ。
布団の中でうきうきしながら目が覚めました。とうとうパソコンの初期化を試みる日がやってきたのです。そして、私にも出来たのだから簡単ですねぇ。 ベットの下から、名古屋へ来てから何度も張り替えたダンボールの張り紙が出てきました。マイナスから脱出するためにこんなにたくさんのことを意識してきたのだなぁと、しばらく見入ってしまいました。これからも楽しく生きようっと。 今日はお天気で外もぽかぽか片付け日和りだったので外仕事を優先しました。3段ボックスと頑丈な一枚板を、なたを使って分解しました。 体全体でなたを使ってエイっと振り下ろすと、木の目に沿ってスコンとなたが入り込みました。かなづちでたたく度に割れ目が延びていき…。 大きなイベントに入っていた板切り作業は、あっという間に小さな木屑になりました。そのごみを、ゴミ袋が破けないように新聞紙に来るんで家庭ごみの出来上がり。面白すぎて、はまりますョ。 夕方リサイクルやさんがきて私の荷物を査定してくださいました。 いらないものも持っていってくれるから、ありがたいことです。 感じたものを大切にしていると、楽しいことがたくさんあります。 いろいろなことに興味がわきます。生きるってやっぱり楽しいことですねぇ。 過去日記の縮小作業も少し進んで、いい感じ。
| 2008年01月29日(火) |
スーツケースに心をつめて・・・。 |
今日は二つのテーマを意識した日でした。それは責任と優先順位。 約束を守るということは、自分の言ったことの責任を取っていくことと同じなのだそうです。それなら、私は子ども達とした約束を守れるように動いているから、きっと自分の言ったことに責任を取れるように動いていて、責任の取れる大人に近づいているのだと思えます。 というよりも、自分が楽になりたいからそうなれるようにしている。それが約束を守る大人をすることに繋がっているのですよね。 きっと私は自分の言葉を大切に出来る大人に育っているのです。 それで今は、責任が取れるような優先順位の中で動いているのだから、今も途中経過の中。それなら、楽しく責任を取っていくことを楽しめばいい。これからも私の道を楽しみますョ。
午後、庭にある粗大ごみをなたで切って小さく分解しました。この頃寒いから外仕事はおっくうだったけれど、してみると面白いのです。 大きなものが自分の力で小さくなっていく様子に普段見逃してる私の力を感じました。指の先にも、私の生きてる力が通っているのです。
あるものにしがみついていたら、大切なものが見えなくなる。 私のしていることは、他の誰にも真似できない私だけの経験。社会の基準とは全く違うもの。この心にあるものを大切にして、自分を生きようっと。
〜スーツケース〜
今持っているものが重たいので、ひと回り小さいものを2つ買いました。 このスーツケースに入るように荷造りをして、旅立つことにします。 究極は私の心と体がベトナムへ行ければ大丈夫。私は私の心に自分のしてきたものを持っているから、私さえその場所へ辿り着ければ、私の心の本が書ける。きっとそういうことなのです…。
今日は部屋の片付けをしました。実は早く片付けて落ち着いてからしたいことが浮かんだので、それが出来るように早めに準備を整えることにしたのです。 ということで、リサイクルやさんに走ったり古本屋さんに走ったり。古本も古着も買い取り全部で千円ちょっと。買ってくれたからいいのです。 ベトナムへ行く荷物も最小限に出来ればいいと思い、CDに焼き貯めていた日記を読み返しています。思い出したこと改めて気が付いたこと・その時の自分を、「あ〜そうだったんだ」と見ています。 子ども達から来た2回目の手紙に返事を書きたくなって読みました。いろいろと思い出される一瞬は、自分をなくすことなく前に進めるよう、自分に出来ていることをしゃにむに探す一瞬でもあります。返事を書いていて浮かぶのは、私はやはり自分のしてきたことを本にしておく必要があるということです。 書いて表に出すということは、その事実は私の中で、誰の目にも触れてもいい形にまで整理されてそこにあるということなのだから。
それにしても、自分を見ていると面白い。人は成長するんだなぁ。私って面白いな。
前の職場から離職票が届いたので、職安へ行ってきました。これでやっと、仕事に関することは終わりに出来そう。あとは働いた分のお給料が振り込まれるのみ。これもあと少しです。 姉に、ベトナムへ行ってくると手紙を出しました。ベトナムへ行くまでに返事が来るかどうか分からないけれど、私を伝える目的だったので、どちらもいいのです。 パソコンの中はいよいよ初期化のスイッチをオンするばかり。出来た出来た。ひとつずつすると出来ていくのですねぇ。
周りは引越しするという体制で動いていて、その中に居る私。 いつもと同じように朝が来て夜が来て又朝が来て。違っているのは、今はベトナムへ行く準備をしているということなのです。 そして実際には毎日違う日常があって、明日も今日とは違う明日があるのだなぁ。今日は昨日よりも楽だから、明日はきっと、今日よりも楽なのです。
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