「生きていくのに大切なこと」こころの日記
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心の傷を癒やし始めた頃の自分を思い出したくなって、過去のメモ書きを取り出しました。ページを開くと当時の私がそこに居て、現在との違いに時間を忘れて読みました。そしてうれしい発見もありました。 当時の私は、FBすると頭の中で壊れたレコードのように同じ歌が流れていたのですが、今では、このようなことはなくなって、FBした自分を見て次の動きを考えられるようになっていたのです。 それから、子ども達に対しても、心に傷を抱えていてさえ出来ていたことはあったのです。あの頃は自分のプラスを探すことが出来なかったのに、今は毎日、プラスを広げて生きようと意識出来るようになっていました。 さらに一番大きな発見は、私の根幹にかかわることでした。 あの頃、まとまりのない自分を知ることで精一杯だったのに、今では自分で、私はもう一人になっていると言うことが出来るくらいにまとまっていたのです。
気が付いたら、こんな自分に成長していた。5年間してきたことの証は、私の中にあったのです。 今夜は、過去と今との違いを心に沁みこませて、明日の自分を思い浮かべました。
キーボードを打っているうちに過去の年表を知りたくなったので分かる範囲で書き出してみたら、マイナスの中にあっても自分を知っている時期と混乱してまとまりのない空白の時期が明らかになり、自分の歩いてきた道を改めて確認できました。 そして、今は空白の部分にも心の傷を癒やしたぶんだけ書き足していけるのだと思うと、ワクワクしました。
私は 1966 年から 2008 年の今日まで生きてきたのです。
今日は市場で買い物を楽しんできました。値段や食べる方法を聞いたり、欲しいものを買い、勧められても要らない物はお断りしました。 ベトナムでは時々、日本の方からベトナムの人は人をだますという言葉を聞きます。私にも被害を受けた経験はありますが、私はこの考え方とは違う捉え方を大切に出来る練習をしています。
3回目になる今回の渡越は一ヶ月と少し経ち、この期間のことを思い返してみると、2回目の越南の時と同じようなことは何度かありました。 その後被害を受けてしまったお店にはもう一度行って自分のために何かをし、丁寧にかかわっていただけるようないくつかの工夫を重ねて、最近ではその都度丁寧に聞いて確かめることが出来るようになりました。 何かを買っておつりを少なく渡されそうになった経験は、買い物をした数からすると少しです。 貧困地区と呼ばれている市場を歩いても、ベトナムの人々と同じ値段で買い物が出来ておつりも渡していただけます。家を探して歩いている時には、ベトナムの女性に「あそこに行けばあるよ」と教えていただいて、助かったこともありました。 今では、家の近くの食堂の女性との会話は私にとってストロークの一部になっています。 そして、私が今まで書いてきたベトナムの風景は、私の見てきた中の一部分。点であることを意識してプラスを語ることの出来る自分を大切にします。 私は今日も明日も、目に見える景色を材料にして自分を深めて生きたいのです。
自分の気持ちと相談しながら進めたきたひとつのことに、自分で答えを出しました。 答えを出し終えた後、時間がかかったなぁと思いましたが、時間がかかるという私の、何かに対してかける時間の基準を見直したら、その言葉もなくなり、自分で出来たということに深い喜びを感じました。
自分にやさしい答えを出せた自分をうれしく思っています。
昨日、ベトナムの友人の家に泊まりに行きました。 トイレやシャワーや夜のすごし方などの新しい経験を、自分と相談しながらしてきましたが、方法の違いに戸惑い疲れた、というのが朝を迎えたときの私の気持ちでした。 ですから、友人宅には数日お泊まりする予定だったのですが、連泊することにためらいがあって、今夜は家で過ごしています。
そして、気持ちを整理した今は、体を洗うことやトイレを使うことなど、私は今まで自分の経験してきたことを当然と感じることもないくらいに当然のものと捉えてきたけれど、これからは、当たり前や普通という言葉を使うことは控えよう、という気持ちです。 今朝、友人宅から私の家までの道のりで見たものは、出勤前に屋台で食事をする人々でした。朝はごはんを食べてトイレを済ませてから出かけるという考え方も要らないものだったのでしょうか。 こうして考えると、昨晩一晩の出来事は、日本でしていたことを日本以外の国に当てはめていた自分を見直す機会となっていました。 今月は、本格的に住む家を変えようという動きの中で、これまでは家の中に私の必要とするものがそろっていることを基準にしていましたが、昨晩のことをきっかけに、この基準は幅広いものになりました。 視野が広がったせいでしょうか、これまでは英語とベトナム語のふたつがあること、可能であれば日本語を入れた3つがある場所ならば自分で契約が出来ると捉えていた家探しを、ベトナム語のみでもしてみたくなりました。 それに、Web 検索をするときに日本語で入力するから外国の人用に作られた場所を見ることになって平均の値段が高くなっていたのです。この国の人々のように家を探すということを楽しむことができたら、次のステップにつながるでしょう。ということで、ベトナムの人の使うネットで検索してみました。新しい言葉を知って楽しかったです。ベトナムの不動産用語を知っていたら不動産屋さんの話を出来るのでしょう。
どこまで出来るかやってみよう。
午後、チョロンまで、バスを使って行きました。チョロンへ行くにはいくつかの方法があるのですが、今日はより少ない経費でいけるよう、チョロン行きのバスが走っている道を探して15分歩きました。バスに乗ってからチョロンまでは20分。チョロンは地図の中では端のほうなのに、景色を眺めていたせいか、早かったです。 2年前、初めてホーチミンを訪れたとき、何もかもが始めての中、5時間くらい歩いた先でチョロンにたどり着きました。 町の風景はどこも、2年前または1年前とは違っています。きれいに飾られたお店もあり壊れたがれきが積み重ねられた場所もあり。そして、1・2年前の私は壊れた瓦礫の山に文化の違いを重ねていました。 今は、2年前から見てきたホーチミン市は途中経過だったのだと分かります。 そして、そのとき見たものから自分の人生を見つめられたことを、うれしく思っています。
チョロンのバスターミナルの近くには、チョロン市場とビンタイ市場があります。帰りはビンタイ市場からバスに乗って帰ってきました。ホーチミンは一方通行が多くて行きと帰りの通路が違うから、乗るバスも違うのです。 庭の範囲が広がりました。私の心にある庭です。
今の自分に気付けるのは素敵なこと。 自分のプラスを見れるのは素敵なこと。
自分のプラスを見ることが出来ると、次のステップにつながるのですね。
私には私のスタンスが大切です。
今日もまた、昨日までと違う自分。違っていたのは、私の心でした。 授業が終わって、キャンパスでベトナムの女の子と話をしました。 私は日本語のお手伝いするとき、私の日本語も上手になるのですと、辞書を引きながら話しました。 女の子は私に 「どうして?」 と聞いてくださいました。答えは、いつもより丁寧に語るからです。そして、いつも丁寧に語っていればいいのですよね。 ふと気が付けば、昨日も今日もベトナム語で自分を語れている私。私はこれから、ベトナム語で自分を広げていけるようになるのかな。
ものを書きながら過去の自分を見る。私は今不思議な取り組みをしているのだと思います。私の書く本は、私にとって特別なものです。 それで、私はもっと自分を知りたい。出来ていることがあって、でもその自分に満足していたら、私の成長はゆるくなる。自分で自分を後押しして、もう少し進むことにしました。 Mamo ちゃんを守り成長させてあげられるのは、Mamo ちゃん。Mamo ちゃんのしたいことを手伝ってあげられるのもMamo ちゃんなのです。 こんな私の自己紹介をベトナム語で作りました。 周りのお友達に手伝っていただいて、私の知りたかった言葉を知りました。 実は、これは学校の宿題なのです。そして私のしたかったこともであります。毎日練習しているうちに広がっていきます。
どこにいても自分の大切にしているものは同じです。
学校が終わってから、昨日会う予定だった研修生さんに会いました。 いつものように 5,000 ドンのお昼ご飯を買って家に帰って食べました。 彼女はお友達と約束をしていたのですが、そのお友達は約束の時間に訪れず、彼女は私の部屋で4時間待機していました。 私は、これはいい機会だと、他者と1つの部屋に居て自分のことをすることが出来るかと実験をしました。 パソコンを見たり部屋を掃除したり、それから、書きたいことが書けるかと Book のフォルダを開けてみたり。彼女は眠ったり携帯で遊んだり、時々私に話しかけたり。 私はこの頃幾人かのベトナムの学生さんにお尋ねしたことを、彼女にもたずねてみました。「あなたは、勉強するのは何のためですか?」。彼女は今日本語の勉強をしたい方ですので、答えは 「日本に行きたいから」 でした。もう一度日本に行って帰ってきたら、縫製の仕事をなさるそうです。機会があれば、もう少し先の WHY をお尋ねしてみたいのです。 それと、もう1つ質問をしました。 「“いのちをもつ” という言葉を、どのように感じますか?」。 彼女は 「一番大切なこと」 と言いました。このことをベトナムの方にお尋ねしたのは初めてです。尋ねてみたいと感じた自分が面白かったです。 ちなみに、3年間日本にいらした彼女に、 「頭の中で考えごとをするときは日本語?ベトナム語?」 とお尋ねしたら、今は日本語なのだそうです。面白かった。
この頃、書くということについて、思い浮かべています。 私は日本に居るときから、「やさしい本」を書くと言ってきて、姉にも子ども達にも、同じ言葉を使いました。けれど、やさしい本という表現は、ぼんやりしていてよく分からない。私はどういう気持ちでこの言葉を使ってきたのかな。 自分のためにと言っていたけれど、自分のために書くのはなぜかなと改めて問いかけたり。 つまり、私は今、これまで想像の中で語ってきたことを、これから自分でしていくために改めて確認しているのだと思います。
「やさしい本」 は、「私にやさしい本」でした。 本は、誰かのために書くのではなく、私自身のために書くのです。だから、私に一番やさしい本が出来上がる、予定です。 それで今日は、書くことをするということを意識して書いてみました。 何を書こうかなぁと書き始めて、時々ベッドに寝転んだりしていたら、ある思いが浮かんできました。 そうだ、私はこのことを一番先にしたいんだ…。ということで、また机に向かうと、今度はいろんなことが浮かんできて。
家の中でキーボードをたたいて、時々寝転んで、目が疲れてきたので自転車で遊びに行って。これでOK。こうして切り替えていけばどこにいても書いていけるんだ、というのは改めて感じた印象でした。 文章というのは少しずつつながっていくようで、書いていくことの形のようなものが自分の中に生まれたみたい。本を書くときには、独りの時間 が必要なような気がします。
私は、今の自分を見ているのが楽しいです。 次の一歩がスタートしたような気持ちです。
今日は Center へ お金を降ろしに自転車で行きました。3回目の Center への道のりは、2回目よりも道が分かっていて、その道の先に何があるかを思い出せて、楽でした。 今日は自転車だったので、Bank の近くにある本屋さんの駐輪所に自転車を置いて歩いていくことにしました。 駐輪所でおじさんに、どこに行くの?と言われたので、本屋さんと言いました。本屋に一度入って、しばらくして反対方向に歩きましたが、お店を出るときに見つかったら何か言われるかなぁとドキドキしました。でも、大丈夫だった。 お金を降ろした帰りの道のりは少し迷ったけれど、それでもある場所まで来たら見覚えのあるものが視界に入りました。道を覚えている自分に興味がわきました。動いたところは動けるようになっていくのだなぁ。 今度は違うところに行ってみたい。ベトナムに来ているときは、ベトナムのいろいろな所に行ってみたいのです。
夜は、目標設定の紙を眺めました。○○後には本が出来上がっていたいなぁ。
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