「生きていくのに大切なこと」こころの日記
DiaryINDEXpastwill


2008年05月05日(月) いつもここからの私

 今日から次のコースの授業が始まりました。授業時間は朝一番の時間帯に変更したので、6時半に家を出て自転車をこぎました。授業は Teacher も変わり、新鮮さの中、新しい文法を習って楽しみました。

 午後から、引越しをしました。引越し先は、同じアパートの隣の部屋です。今度の部屋は、前の部屋の 1.5 倍もある、4畳半くらいの広さで窓も大きくなり、その上にパソコンデスクまで付いているのでうれしいのです。
 でも、体が疲れているのです。そしてどこか落ち着かないのです。原因を探してみたら、自転車通学と部屋が変わったことにエネルギーを使っている私が居ました。私は自然に生きていたら、その時々を楽しめるはず。
 いつも、自分を見て心の傷を癒していくことの出来る自分をうれしく思う夜でした。


2008年05月04日(日) 縄跳び

 明日から学校が始まるので、雨季の雨に備えてカッパを買いにスーパーへ行きました。

 夕方は、Ky Hoa 公園へ、縄跳びをしに行きました。ベトナムで初の縄跳びは、始めてまもなく、ふくらはぎが震えてきました。私は運動不足なのです。 でも、縄跳びは面白かった。体は喜んでいました。


2008年05月03日(土) ストローク

 朝、パソコンを開いたらチャイルドが出てきて、「外に行きたい」 と言ったので、予定を変更して公園へ向かいました。でも、何か変な感じなのです。
 パソコンを開いたときに出てきたチャイルドは、いつのチャイルドだったのかと疑問がわいたので考えてみたら、私は昨日一日、食事の時間以外のほとんどの時間パソコンに向かっていたので、その疲れが残っていたのです。
 ということは、もう少し気をつけていたら昨日の時点で気づくことが出来たのかもしれないのです。自分にもっと敏感になろうと反省しました。
 そして今日は、CACH MANG THANG 通りと BAC HAI 通りに面したところにある Le thi lieng 公園へ行きました。公園では、池の中でコイや他の魚がはねていて、魚釣りをしている人やタニシを採っているおじさんがいました。鳥のさえずりも聞こえてのどかな雰囲気の中、自然のストロークをたっぷり感じて家に戻り、今まで見つけた公園の中で一番のお気に入りになりました。
 
 
わらぶき屋根のお店


 細いけれどしっかりした木。登っていたら、警備のおじさんに笛を吹かれて止められて…。よく見たら、木に登ってはいけないと書いてありました。残念。右側手前の木は、Hoa su という名前。くちなしのようないい香りでしたが…、よく見えません…。

 斜めの腹筋台。10 回でダウンしました。


2008年05月02日(金) 向き合うこと

 ホーチミンは雨季に入り連日のスコールで、今朝も目覚ましの変わりに雨音で目が覚めました。
 パソコンの中の過去の心と向かい合い、その延長で本読みをしていたら、ネグレクトという言葉が浮かび、チャイルドと話をしました。
 結婚していたころ、子どもたちとのことや家の中のことを怠惰に感じる自分がいました。当時は、その原因もどうしたらいいのかもわかっていませんでしたが、こんなことも、心の傷が影響していたなんて、今日も自分を見つめることが出来てよかった…。
 


2008年05月01日(木) 心の風景

 昨晩は、ベッドに入ってまもなく眠りに就き、今朝は気持ちのいい朝を迎え、学校は休みなので、自転車でバックハイ通りを自転車で散策しました。 20 分くらい走ると、ご飯やさんや喫茶店が並んでいる通りに出たので、ホッとしました。食べ物やさんを見つけると、人が生活している空気を感じて安心するのです。
 夜ご飯にはスープを買いました。一皿2万ドンですから、私にしては高いのです。でも、お金を残すことよりも健康に生きることをするほうがいいのです。こんな一日を過ごして、夜には、お金で傷ついていたチャイルドと語り合い、子どもの頃はお金がないということが死につながっていたと初めて知った夜でした。


 昨日から自分に余裕のなさを感じていたので、そんな自分を見つめてみたら、環境が変わったことで心が張り詰めているのが分かりました。
 私は子どもの頃にも引越しを経験していますが、子どもにとって、引越しというのは大人の都合だったのですねぇ。だから、子どもにはそれが分かるように伝える必要があるのですねぇ。
 大人になって親の立場になった私も、引越しをしましたが、その時自分の子どもたちに伝わるように話をしたとは思えません。反省と同時に、自分を見つめてよかったなぁと思いました。

部屋からの景色。喫茶店は昼になるとテーブルが並びます。
 アパートの玄関。私の青い自転車    部屋に上がる階段の上から。
屋上に上がる階段。30度くらいの急斜面。はしごかな。…と、指。
屋上からの景色。家から歩いて5分のところに、Ky Hoa 公園があります。
 Ky Hoa公園の観覧車   反対側の景色。
 家から自転車で15分。Dong Nai通り。今日は祭日なので旗が並んでいました。
 Dong Nai 通りから走って5分で Bac Hai 通りの道へ。商店とご飯やさんがありました。牛がいるョ。モォ〜。
Bac Hai 通りを突き当たった Cac Mang Thang 通りに出て5分くらいのところに4差路の大通り。
交通量が多かったので、向かいの本屋さん(青い建物)まで行くのに大変でした。





2008年04月29日(火) 引越し

 引越ししました。新しい家は、前の家と違って収納スペースがないので、必要なもの意外は全部ベッドの下へ、普段使うものはスーパーで空き箱を2つもらってきて、収納しました。入れ物を買うのは簡単ですが、シンプルに生きる私の知恵です。
 これから数日は、食べ物やさん探しをします。この辺りはダカオの家の周辺とは違って、駄菓子屋さんサイズの小さな商店や果物屋さんが見当たりません。変わりに多いのは、カラオケやさんとホテルです。
 
 引越し初日の夕飯は、魚のすり身の入った Bun Cha と道端で買ったフレッシュなオレンジジュースでした。


2008年04月28日(月) 特技

 週末の二日間、10区にある新しい家へ泊まってきました。一日目は、家の前の道を走るバイクの音が気になって、1時過ぎまで寝付けませんでした。二日目の昨晩は、時計の針が0時を回った頃、家が壊れそうな音と振動がコンクリートの建物を解して伝わってきました。外を見ると家の前にダンプカーと生コンカーが止まっているではありませんか。そこから2軒隣の家の解体工事が始まって、はららぁ、(本当に家が壊れていたのです…)
 しかし、そんな私もいつしか眠りにつき、お日様の明るさとバイクの音で目が覚めた時には、工事は終わっていました。車の少ないときに工事をする方法は日本と同じようです。
 そして私は寝不足なので、学校が始まる前にダカオの家に戻り、ウトウトしました。どこでも眠れるというのは特技だったのですねぇ。睡眠は取れるときにとればいいということを知り、新しい家に住み始めるのが楽しみになってきました。

 さて、明日はいよいよ、引越しの日。今夜は準備た荷物を隅にまとめて、ダカオの最後の夜を過ごします。


2008年04月27日(日) 安心

 今朝、アクシデントがありました。新しい家で、防犯用に外からかけている南京錠が壊れて、家の中に入れなくなってしまったのです。何とか開かないかと四苦八苦しているところに、お手伝いの女の子が来て手伝ってくれました。それでも開かず、ついに鍵を壊すことになり、女の子は金づちを持ってきて、そこへ隣の部屋に住んでいる男の子が顔を出して、金づちを使って鍵を開けてくれました。
 買ったばかりの鍵は壊れてしまったけれど、困ったときに知恵を貸していただいて、安心の材料になりました。
 
 今日はほぼ一日、過去日記のまとめをしていました。いろいろと気が付くことがあり考える材料もあり。毎日、優先して進めています。


今の部屋 (1区・ダカオ)   タンディン市場 (1区・ダカオの家から歩いて15分)

引越し先の家 (10 区 レ・ホン・フン通り)シングルベッドとその横を大人が楽に歩ける広さ

トイレバスルーム  ガレージの中に大きな鏡があります。私も日焼けしました。 

2月3日通り。ここからバスに乗ってベンタイン市場へ


2008年04月26日(土) 探検

 休日。
 お泊りの道具を持って新しい家に寄った後、そこからバスに乗って Center へ行き、銀行や本屋さんで用足しをしました。久しぶりの Center だったのに、道にも迷わず景色を楽しみながら歩きました。
 
 帰りにツアー会社へ寄って、旅行のパンフレットをもらってきました。今すぐ行くのではないけれど、本を書きあげることが出来たら、自分へのプレゼントにしたいのです。
 帰りは、バスの停留所まで歩く予定だったのですが、途中で雨が降ってきてたので、始めての道を迷って疲れるよりは…とバイクタクシーのおじさんに声をかけましたが、町の探検をしたような日でした。


2008年04月25日(金) 耳を澄ませて

 今日はテスト。会話の時に Teacher の言葉が早くて聞きなおしたり、結婚しているのと聞かれて、結婚したのだけど離婚したという言葉をベトナム語で何と言うのかなぁと日本語で考えてしまい、分からなくなりました。
 後で考えたら、違う言い方は出来たのです。でも思考力をなくしたのは、試験でプライベートのことを聞かれるとは思っていなかったので慌ててしまったからなのです。
Teacherは、「出来なかった人は次回に十分注意して」 と言いました。私も次回はもっと自分の心に耳を済ませてあげようと思いました。そのためにも、心の傷を癒やすのです。
 クラスの幾人かは離婚したということを知っていますが、もう少し自分を語れるよう、それから語ることが出来ないということを語れるよう、勉強しておきます。勉強したら使えるようになるから。


Mamo |MAILHomePage

My追加